■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  103 「映画の都」

 西海岸はロサンゼルスの滞在二日目、私はまずはハリウッドへと赴いた。
 言わずと知れた「映画の都」。全盛期のアメリカの映画の中心という事は、全世界の映画の中心と言って良いだろう。

 けど、私の本命とのアポは明日だ。そして、この時代のハリウッドに個人的にはあまり用がない。
 30年代、40年代はハリウッドの黄金期だそうだけど、戦前のアメリカ映画といえば西部劇とチャップリンの映画くらいしか思い浮かばない。しかも1920年代なら、ほぼチャップリンしか見た事がない。
 私の歴女アンテナは、アメリカにはあまり向いていなかった。

 そしてチャップリンは1932年に来日するし、少し調べてもらったら今は「街の灯」を撮影中。東洋のくそガキが邪魔をしては悪い。
 取り敢えずというわけではないけど、チャップリンには支援金に来日される機会があれば是非お会いしたいと添えたメッセージを託すだけにした。
 何しろ私の前世の歴史では、チャップリン来日の頃に日本が悪い方向に向かう事件が起きる。気づいた以上、布石は打って損はない筈だ。

 では、それ以外何をするのか? 簡単だ。
 新聞王ハースト氏にしたように、宣伝料を出して親日と反共の宣伝を映画の広告などでしてもらうのだ。
 とにかくアメリカでは、既に水面下で共産主義者とそのシンパの暗躍が広がりつつある。共産主義の理想だけを聞いていれば、インテリや一部の富豪にとっては非常に耳に心地良いから分からなくもない。
 けど、本当の共産主義は、社会の大半が善人で勤勉で誠実でないと成立しない。だからこそ理想主義の一つで、人類が物質文明から離れた文明でも作らない限り、本当の意味でも実現する可能性はないだろう。

 それはともかく、私の体の主もしくはゲーム上の悪役令嬢が破滅した末の末路は、共産主義者の作った国に殺されるパターンが殆どだ。それ以前に貴族で財閥だ。相容れるわけがない。社会主義とは多少は妥協できるかもしれないけど、共産主義とは絶対に無理だ。
 つまり私の敵だ。ならば徹底的に敵対し、殲滅に向けて動くべきだろう。

 一方の親日宣伝だけど、とにかくアメリカの一般市民はアメリカ以外に興味が無さすぎる。上流階層やインテリは多少別だけど、程度の差こそあれ人種偏見を持っている場合が殆どだ。
 人種偏見は脇に置いておくとして、とにかく日本を知ってもらわないと話にもならない。

 普通のアメリカ人にとっては『東洋』と『チャイナ』がほぼイコールで、チャイナに対しては幻想や憧れを抱いている事が多い。
 今私のいるハリウッドにも、27年にはチャイニーズな外観のその名も「グローマンズ・チャイニーズ・シアター」がオープンしていたりする。

 何故かと思って軽く調べてみると、アメリカに移民したチャイニーズが熱心に啓蒙(けいもう)や宣伝に努めたというわけではなく、チャイナに布教に行った宣教師が伝えた情報が大きく影響しているらしい。
 特に、チャイナの宣教師の家で生まれたヘンリー・ルースの影響が大きいかもしれない。
 彼はタイム社と、あの『タイム』を創った。『タイム』はアメリカ初のニュース週刊誌で、私の歴女知識が正しければ30年代になると大きな影響力を持っていた筈だ。
 そしてルースは、チャイナに対して強いノスタルジックがあり、非常に好意的に見ていた。

 その彼が、今の私から見て後に蒋介石を持ち上げ、アメリカ人にチャイナにこそ東洋唯一の民主主義があると「勘違い」させたと言っても過言ではないだろう。
 実際蒋介石は、日本以上にファシズムな体制を作っていたのだから、とんだお笑い種だ。そして幻想に踊らされたままのアメリカは、最終的に共産化したチャイナから追い出されてしまうのだから、この点では自業自得だと大笑いしてやりたい。
 けどそれは、私の前世での歴史の上での話の一つ。

 今は1929年夏、『タイム』は23年に創刊されているけど、まだそこまで売れているわけではないみたいだ。
 また蒋介石は、私の前世の歴史とは違い上海クーデターを行う前に失脚して、現時点では張作霖が中華民国の為政者だ。
 蒋介石は中華民国の有力者の一人、という程度でしかない。それに宋美齢とはまだ結婚できていないそうだ。
 しかしタイム社の存在は、日本にとってはマイナスだ。そしてルース氏個人の心情や感情によるものなので、仮に私が強引に話しに行っても変化はないだろう。逆に、悪影響すら考えられる。

 そうなれば、別の手を考えるしかない。
 そして既にイエロージャーナリズムの王であるハースト氏との間に約束したのだから、インテリより大衆へのアピールに力を入れる方が良いだろう。
 それにそもそも、ハースト氏に関係なくハリウッドへの宣伝費の投資は既に開始されている。今日も、鳳の家のものとしての挨拶が目的だ。
 そしてここで出番が、私に目通りしたばかりのセバスチャンだ。アメリカ人スタッフというのもあるけど、ユダヤ系というが武器になる。何しろアメリカの映画産業を作り上げた中に、ユダヤ系の移民が多く含まれていた。

 ユダヤ人は、かつて欧州では差別から就ける職業が限られていた。ドイツ地域のユダヤ人など、苗字まで限定されて一目で分かるようにさせられていたりする。
 アメリカでは、この時代には名前のロンダリングのようなものも進んでいるけど、ヨーロッパでの迫害を逃れても、逃れきれていない場合が多かった。そうしたユダヤ人が、新規産業に進出するのはある意味自然な流れだ。
 そしてこの時代には、21世紀まで続くメジャースタジオが次々と設立されていた。コネを作る絶好の機会とも言えるだろう。

「そういうわけだから、頼むわよセバスチャン」

「お任せ下さい、お嬢様」

「本当にこいつで大丈夫なのか?」

「ま、お手並み拝見だな」

 恭しく頭を下げるセバスチャンに対して、護衛のマッチョ二人は手厳しい。新参への警戒モードってやつだろうか。
 それにしても、シズ以外はごつい男ばかりだ。時田も背は高めだがスマートなので気にならないけど、その時田は次の準備で他の使用人達の多くと別行動中だ。
 しかし世情は、まだ緩やかなもの。私達にとっての「Xデー」は2ヶ月近くも先なので、まずはそれなりに仕事をこなしつつ、黄金時代のアメリカで半ばバカンスを洒落込む事もできる。
 そしてそれくらいの心のゆとりを持っておかないと、これから起きる歴史的な事件に到底心が耐えられないだろう。

 そんな気持ちを心の片隅にとどめつつ、私が前世で知る情景とはかなり違うハリウッドへとやって来た。
 チャイニーズ風な建物など見知った建物もあるにはあるけど、まだまだこれから発展するんだろうと言うイメージが強い街並みだ。
 そして巨漢達とメイドのシズ、それに数名の護衛とお付きを従えて街中を練り歩くのだけれども、道行く人の注目を集める。
 何せ私は振袖スタイル。

 まだ9歳の幼女だけど、日本の派手な着物が珍しいのか、チビの東洋人がいかにも高価そうな上質の絹の民族衣装を着て、その上イギリス風衣装のメイドとギャングも逃げ出しそうな男どもを従えているのが面白いのか、まあその辺だろう。
 話し声に耳を澄ませてみると、映画の宣伝などと思っている人もいるみたいだ。
 まあ、メイドに日傘をかけてもらいながら歩く東洋の民族衣装を着たガキンチョは、確かに珍しかろう。

 そんな感じで、それぞれの映画スタジオを訪問しては、セバスチャンが私がサインした小切手を手渡していく。
 そして日本の宣伝よろしくと一言伝え、さらにジャパンとチャイナがどう違うかを分かりやすいパンフレットで説明し、さらに後日資料を送りつけるので、手抜きするなと釘を刺す。

 本当に、この時代のアメリカ人の大半は、チャイナとジャパンの違いなど全然分かっていない。そもそもアメリカは、アメリカ国内で全部完結してしまうせいか、アメリカ以外の事に関心がなさすぎる。
 この時代では、日本を連想させる身近なものがないので、もはや想像すら出来ないレベルだ。とりあえず、フジヤマ・ゲイシャ・ニンジャ・スモー・サムラーイあたりから普及するしかないのだろう。

 まあ、この時代の日本人の方も、イギリスとドイツ、フランスの違いを聞かれて答えられる人は少数派なのでお互い様だ。
 それでも未来の日米の歴史に影響する可能性があるので、宣伝しておくに越した事はない。
 21世紀からやって来た、わけじゃないけど、日本人というやつは今も昔も、海外での日本の宣伝に無頓着というか無関心過ぎる。私も人の事は言えなかったけど、未来を捻じ曲げると決めた以上、やらないわけにはいかない。
 直接アメリカに来る事は殆どないだろうけど、今後も鳳グループはアメリカでの日本への啓蒙を促す宣伝や、上流階級へのロビー活動に金と人を突っ込む予定だ。

「日本の宣伝をしっかりしてくれる人を見つけないとなあ」

「お任せを。必ずや探してみせましょう」

 私の独り言を、目ざとく聞いたセバスチャンが卒なく返す。

「難しいと思うけど、お願いね。なんなら、雑誌か新聞を作っても良いから」

「それならラジオかテレビを活用するのも一つの手ですね」

「そっか。ここはアメリカだもんねー」

「はい。多少ならツテは御座いますが?」

「あ、それなら、ハースト氏と多少は話がついてるから、この旅行の間に紹介するわ」

「ハースト? 新聞王の? 流石はお嬢様」

 そう言ってまた頭を下げる。
 そしてその後ろで、護衛のマッチョ二人が訝しげに見ている。
 自分たちも同じ事をしているくせに、真似されて機嫌でも損ねたのかもしれない。ちょっと3人のコントラストが面白い。

「まあ、その話はおいおいするわ。それより、次を攻めるわよ!」

「「はい、お嬢様」」

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チャップリンは1932年に来日:
1932年5月に来日し、「5・15事件」の標的にもされていた。
まあ、この件は後述する事になると思う。

グローマンズ・チャイニーズ・シアター:
ハリウッドにある中華風寺院建築を模した世界的にも有名な劇場。
と言っても外観だけで基本的にはアール・デコ建築。
建物の前の道に、たくさんのハリウッドスターの手形、足形がある事でも有名。
1927年建設。

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