■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  133 「帰国報告」

 昭和5年(1930年)の2月初旬に日本に帰国した。
 8月に発ったので、半年近く海外にいた事になる。そして太平洋を超えて北米、欧州、そしてインド洋を通って帰国したので、一応は世界一周した事になる。
 と行っても、インドではセイロン島のコロンボに少し上陸しただけ。シガポール、香港、上海も似たようなもの。立ち寄っただけで旅行したとは言えない。

「ただいま戻りました。蒼一郎様」

「よく戻った、玲子」

 鳳本邸の和風建築の離れの寝室で布団から身を起こした曾お爺様に、三つ指揃えて丁寧にお辞儀をする。
 聞けばこの冬に風邪をひいて、それが尾を引いているそうだ。悪化、肺炎などには至っていないのに床から起きられないのは、それだけ身体自体が衰えている証拠だろう。
 けど、不思議とマイナスの感情は起きない。それは曾お爺様、蒼一郎様が人生を生き切ったと当人も周りも感じているからだ。
 だから、当人の目からはまだ生気は失われていない。

「随分長旅だったが、色々と見てきたようだな」

「はい。もう、一生分くらい見てきた思いです」

「ハハッ、一生分とは流石に早すぎだ。しかし、心は折れなかったみたいだな」

「一時期は全部投げ捨てたくはなりましたけど」

「今度は隠居を考えるか。ならば、婿探しをするか?」

 少し茶化しているが、瞳は真剣という以上の光がある。
 だから私も、姿勢も言葉も正したまま続けた。

「婿なら探す必要はありません。もう、周りに何人もいますから、あとは勝手に彼らで決めるでしょう。私の探し物は別にあります」

「……探し物、か。随分色々と見つけてきたようだが、それでも足りんか?」

「全然足りません。日本には足りないものばかりなのを、外から見て痛感しました。早々に買い物とそれらを迎え入れる準備を進めたいと思っています」

「この時勢にか?」

「はい。この時勢だからこそです。悪くなりきる前に進めてしまわないと、全てが手遅れになりかねません」

 私そう言い切ると、曾お爺様が瞳を閉じて少し間を置く。
 一瞬疲れたのかもと思ったが、私への言葉を探していたらしい。

「玲子、お前が私達にまだ話していない『夢』があるのは何となく分かっているが、子供のお前が何かをしないといけないと考える程の事が、この先の日本に待っているのか? それだけでも、老い先短い私に教えてはくれないか」

 言葉共々瞳も真剣そのものだ。そしてそれ以上に、切実さも感じる。
 多分だが、例え私が『夢見の巫女』『鳳の巫女』であっても、子供に色々とさせている事、私がしている事を認めて放免し、そればかりか色々と手助けしている事、そうした事に良心の呵責とか、親族としての情愛など、色々思うところがあるんだろう。
 逆なら、私はもっと早くに色々と口を挟んで、最悪何もさせずに屋敷の奥にしまいこんでしまっている。
 だが曾お爺様は、私に最大限自由にさせてくれた。それが一粟の為、日本の為になるからというのもあるだろうが、高みに旅立つ前に心の清算をしたいのかもしれない。
 少なくとも、私にはそう感じられた。

「話しても構いませんが、それで心に衝撃を受けすぎて寝込んだり、黄泉路に旅立ったりしないで下さいね。寝覚めが悪いったらありませんから」

「ハハッ、それは玲子の話次第だな。では、冥土の土産になるような話を聞かせてくれ」

「はい、分かりました」

 そこから、旅の土産話をするはずが、私がまだ一度も話した事のない、私の体の主(あるじ)の戦争体験を私の前世の記憶で補完したものを、なるべく簡潔に、そしてなるべく包み隠さず話した。
 日本がアメリカとの全面戦争になり、アメリカ軍が湘南海岸に大部隊を上陸させる、あの情景に至るまでを。

 曾お爺様との話が終わると、もう夕食の時間になっていた。
 昼からずっと曾お爺様と話し込んでいたようだ。だから、シズや他のメイドに手伝ってもらい、素早く風呂を済ませて着替え、夕食へと臨む。
 今夜の夕食の後、私の話を集まった一族の人達に話す事になっていたからだ。勿論だが、曾お爺様には未来の戦争の話を伝えた後に、概要を話して了解をもらっている。

 集まったのは、一族当主で私のお父様な祖父の麒一郎、大叔父の虎三郎、婿養子の善吉、その妻で大叔母の佳子(けいこ)、叔父の玄二、私、そして私の執事の時田、以上だ。お兄様な龍也叔父様は、まだドイツなので欠席という事になる。

 なお、善吉は鳳金融持株会社『鳳FHC』社長で鳳グループの事実上のトップ、玄二が鳳財閥の総帥となるが、この場ではあまり関係はない。
 また、これは鳳一族の会議なので、筆頭執事以外一族以外の参加は許されていない。本来なら曾お爺様とその執事の芳賀が参加するのだが、曾お爺様が体調不良を理由に辞退しているので、芳賀も参加していない。当然だが、シズもこの場はいない。

 一方で、今回は紅家の者も呼ばれている。
 一族当主で鳳総合病院理事長の鳳紅一、鳳学園理事の鳳祥二郎、鳳製薬社長の鳳瑞穂、3人とも50代から60代のお父様な祖父と同世代。それに紅家の出世頭となった紅龍先生だ。
 紅龍先生以外、私との接点は殆ど無い。

 紅一は病院理事をしているが、医者ではなく経営者。とはいえ、無害で平凡な人というのが一般評だ。私としてはドゲザおじさんと言う認識しかない。
 学園理事の祥二は、それなりに学と経営手腕はあるが保守的な人。私は何度か会って話してはいるが、決まり切った事しか言わない印象の薄い人だった。
 紅家のトップ3で異色なのが、製薬のトップに立つ瑞穂。所謂『女傑』と言うやつで、この時代に女性社長、しかも研究医、その上海外留学経験有りという異色中の異色の人材だ。
 ついでに言えば、紅龍先生の天敵らしい。

 ちなみに、全員乙女ゲーム『黄昏の一族』に登場はするが、紅家自体が蒼家とつながりが薄いので、殆どモブでしか出てこない。
 唯一瑞穂だけがキャラとして出てくるが、悪役令嬢である私、ではなく鳳凰院玲華に表向きは味方してくれる悪役サイドの人だ。ゲーム内では色々やばい事に関わっているので、エンディングではうまく雲隠れした場合を除いて悪役令嬢同様にロクな結末が待っていない。
 しかし現実で見る限り、着物に白衣を着た普通のおばさんだ。細身でメガネ、それにトレードマークの白衣は研究医らしいが、悪人には見えない。

 そんな珍しい人たちもいるので、今回は一番広くて豪華な応接間に集まる。ただ滑稽なのは、お父様な祖父の麒一郎と私、そして後ろに時田が立つが、その前にテーブルが二つあって、蒼家と紅家に別れて座る事だ。
 鳳一族は結束が高いというが、蒼家、紅家それぞれの結束が高いだけで一族全体としては二分しているのは、本当に笑えるのだが、笑うに笑えない。ゲームですら蒼家に当たる本家は、紅家に当たる分家から見捨てられてしまうのだから、尚更笑えない。

 そんな私の内心を他所に、今回の一族の話し合いが始まった。

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