■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  161 「1930年総選挙前奏曲」 

「資料まとまったよ」

「はい、お疲れ、お芳ちゃん」

「子供をこき使い過ぎ」

「私はどうなんのよ」

「自業自得」

「……まあそうだけど、他に言い方あるでしょ」

「ないって。他の言い方したら、拗ねるか怒るくせに」

「まあ、そうか」

「じゃあ、総研で次の資料探してくるから、シズさんお願いしますね」

「はい、ご苦労様」

 そう告げるとお芳ちゃんが護衛のリズを連れて、私の部屋を出て行く。そして子供をこき使わないといけないほど忙しかった。
 こうなった原因のスケジュールを手にとって嘆息する。

4月22日 ロンドン海軍軍縮条約締結
4月24日 国会論戦開始。野党が統帥権干犯問題を提起
6月初旬  交渉団がロンドンから帰国
6月7日  末次信正中将 陛下への御進講の際に暴走
同日    伏見宮博恭王殿下参内。陛下激怒
6月8日  伏見宮博恭王殿下、海軍の予備役願い提出
6月11日 田中義一首相急病で倒れる
6月12日 末次信正に予備役が命じられる
同日    加藤寛治大将予備役願い提出
6月13日 犬養毅、臨時に首相代行
6月15日 一ヶ月後の解散総選挙決定

7月2日  衆議院議院選挙公示
7月15日 第17回衆議院総選挙

10月1日 枢密院本会議は、満場一致でロンドン海軍軍縮条約を可決
10月2日 正式にロンドン海軍軍縮条約を批准

(※7月以後は予定)
 

 当初は原敬のお陰で順調に進んでいたのに、正直なところ「どうしてこうなった?!」と叫びたい心境だ。
 とはいえ、統帥権干犯問題が、一人の人間のオウンゴールで有耶無耶になったのは悪い事じゃない。この後、同じ事をすればどうなるかも見えたのも良かった。軍人や右翼は、陛下のお怒りを前に増長するどころか萎縮しまくりだ。
 第17回衆議院総選挙も、それなりに真っ当な政党政治による選挙になったのも嬉しい限りだ。
 ただ、鳳グループ、鳳一族は、選挙で大忙しとなった。
 特に私は悲惨だった。

 選挙協力は鳳グループに話が来たとしても、基本的には鳳一族に集約されないと意味がない。しかも鳳一族は、去年アメリカ株で金額不明ながらトンデモナイ利益を上げたことは、知らない者の方が少ない。
 そして善吉大叔父さん、虎三郎には、一族の決定権がない。他の一族、親族については、何をか言わんやだ。
 曾お爺様が床に伏せている状態では、一族当主のお父様な祖父の麒一郎がしないといけないけど、陸軍少将としての勤めを全部放り出すわけにもいかない。
 それ以前に、一人で捌き切れる量じゃなかった。

 だからお父様な祖父は、曾お爺様のお見舞い以外で鳳本邸には来ない事、会う時は必ず事前に約束を取った上に先駆けも出す事、軍務中は自分に接触して来ない事、一族の他に話を振っても鐚一文出さないことを伝えた。
 内に対しても、勝手に話を進めた一族、グループ社員は、厳罰を以って当たると伝えた。同時に、この件に関して他者を陥れるための噂をした者は、一族の者は権利の全剥奪と幽閉、グループ社員は最低でも懲戒免職で追放を内示で通達していた。
 それくらいしないと、統制が取れなくなっていたからだ。
 それでも猫の手も借りたい状態なので、猫の手よりはマシな私にもお鉢が回って来た。

「次はどなた? もう、お金にしか興味ない人はぶぶ漬けで追い返してよ」

「今、お待ちの方はいらっしゃいません。また、追い返してなお、この有様です」

 シズが客人を送り出しに行っているので、私の愚痴にはトリアが答える。そして私の愚痴は止まらない。

「ブン屋にもっと情報ばらまいて。そうしたら小心者と脛に傷持つ奴は、少なくともこの屋敷には来なくなるでしょ」

「ご存知のように、あらゆる方面でしております。鳳本邸、鳳ホテル、鳳ビルは勿論、各分家の家も何かしらの者が張っております」

「そうした上でお父様は、こっそり誰かと会ってるんでしょ。しかも頻繁に」

「一族当主としての勤めは果たされているまでです。それに本邸に来られる方は、あくまでご隠居様のお見舞いです」

 以上のようなメイドというより秘書役のトリアとの遣り取りは、もう何度もしている。それでも言いたくなるというものだ。
 見舞いにしては来る奴らが多すぎる。そして曾お爺様の体調を考えて、実際に会うのは本当に親しい限られた人だけ。大半は、私が当主名代という曖昧な肩書きと、ご隠居様の代わりという建前で裁かないといけない。

 うちの事をよく知らない人は、ちょっと可哀想になる。仕方ないとはいえ子供が相手なので、明らかにガックリ来ている人もいたくらいだ。
 時田がいれば違うだろうけど、時田もセバスチャンも仕事が忙しいので、私の周りはメイドばかり。しかも白人が二人もいる。
 そんな人相手に、私はゲームのモブキャラみたいに決まり切った言葉を言って、お手紙を受け取るだけだ。
 私の化けの皮の下を見抜くような人も来ていないので、こっちも退屈で疲れるだけな状態だ。

 そんな私を他所にお父様な祖父の方は、公に設定した面会ルールを表向きとして、本当に会うべき人とは秘密裏に会っている。これにはお約束な料亭すら使わないほどだ。
 けどそのせいで、お父様な祖父が屋敷を不在な時が多い。
 私も学校とか理由を付けて屋敷を空けたいけど、そうすると曾お爺様が応対しかねないので空けるわけにもいかない。
 少し休憩していると、車の止まる音。また来客らしい。

 しばらくすると別の客を見送りに出ていたシズが戻ってくるなり封された手紙を差し出す。

「先方様よりのお言伝です」

「ありがと・・・ゲッ!」

 気乗りしないが受け取って差出人を見て絶句。

「なっ、なんで濱口雄幸が来るのよっ!」

「レディ、中の確認を」

「え、ええ、そうね」

 トリアの冷静なご指摘のまま、機械的に中を見る。
 と言っても、紙切れが一枚。
 そこに達筆で、今から3時間後に曾お爺様の見舞いに行きたいという内容が書かれている。
 かなり急だが、要するに予約を取りに来たわけだ。

「……ねえトリア、濱口様のご来訪の予定ってあったっけ?」

「御座いません。これが面会を求める便りになりますね。どうされますか?」

「並の人ならぶぶ漬け以前だけど、これは曾お爺様に聞かないとダメね。ちょっと行きましょう。あ、そうだ今後の予定は?」

「1時間後に一人。それと夕方前の4時間後にもう一人ありましたが、そちらは今朝方キャセルが入りました。酷く丁寧なキャンセルだったと記憶しております。濱口様は狙っての事ですね」

「その前の2人も民政党って事ね?」

「はい、その通りです、お嬢様」

「不意打ちかぁ。うちに対してってよりも、政友会に対して? それとも民政党に対して? どう思う?」

「濱口様は誠実で謹厳実直で知られております。加えて、根回しなどもお嫌いとの噂です」

「うん。曾お爺様が料亭も嫌いだって言ってた。そもそもうちも嫌ってる筈。なんで来るかなぁ・・・まあ、とにかく曾お爺様ね。行くわよ」

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ぶぶ漬け
京都市の人に聞いてみよう。

濱口 雄幸 (はまぐち おさち)
第27代内閣総理大臣。
大蔵官僚出身の財政の専門家。立憲民政党(憲政会)の重鎮。
謹厳実直な人柄から国民から人気があった。
その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた。
テロリストに襲われ一命を取り留めるも、それが元で死去。

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