■「悪役令嬢の十五年戦争」

■ 210 「満州事変前夜(1)」  

「ご無沙汰しております、姫。ご機嫌麗しく」

 上海からの船で大連に着いてすぐ、日本陸軍かロシア陸軍によく似た軍服を着てもなお服の下で筋肉が主張している男性に、格好いい敬礼を決められた。ワンさんだ。

「お久しぶりね、ワンさん。いつ軍人さんになったの?」

「これは、まあ、方便ですな。我が心の忠誠は、姫に捧げておりますぞ」

「それは有難う。けどその服って、正規のものなの?」

「まだ正規ではありません。ですから軍服ではなく制服です。一応幹部服という事になっておりますが、この通り階級章などもありません」

「まだ、か。どこの所属になるの?」

「その辺りのお話も含め、今の私がお仕えしている方にお会いして頂きたく存じます。さ、こちらに」

 手をかざした先、大連港の有名な半円形の埠頭出入り口の先には、数台の黒塗りの車が停車していた。
 そう言えば大連の街の中心部は、主要な交差点が円形状になっている。20世紀前半に流行った都市計画によって、パリの中心部のように道を放射状に走らせると同時に、中心部を円形にしてしまうからだ。
 4、5年前に私が大連で宿泊した大和ホテルも、大連で一番大きな円状の広場のような空間に面している。
 日本でも関東大震災の後に作られた新興住宅地などで、その名残を見る事ができる。田園調布がその一例だ。
 けど今回は、その大広場をスルーする。

「そう言えば目的地を聞いてないけど、ついてのお楽しみ?」

「はい、姫。ただ、少しばかり時間がかかりますので、しばらくご辛抱ください」

「全然良いわよ。その分、楽しみも増えるじゃない」

「流石は我が姫」

 そう言ってワンさんが助手席で破顔する。
 運転するのはワンさんの部下だろう。後席は私とシズだけ。八神のおっちゃんとリズは、後ろの車に乗っている。全員お客様扱いだ。
 護衛の車とかは前後にないけど、流石に不要だからだろう。
 そして2台の車は、大連市内を港のある東側から西へと突き抜け市の外へ。大広場に面して建っている大和ホテルも素通りだ。

 そして30分も車を飛ばしただろうか、到着したのは山の中の山荘。門扉を過ぎてからも車で進んだので、かなりの広さの邸宅だ。そしてその中心に、洋風と言うよりロシア風の瀟洒な邸宅が建っていた。

「鳳玲子様はこちらに。他の方々はこの者が別棟にご案内致しますので、そちらでお休み下さい」

 ワンさんが、いつもと違う口調で私を本名で呼ぶ。それだけの状況という事だ。
 けど、何も知らない身としては、ハイそうですかと言うわけにはいかない。
 私より先にシズが声をあげた。

「王(ワン)様、お嬢様をはじめ我々は、どこに行くのか誰に会うのかも聞かずにここまで参りました。どなたとお会いになるのか、どのような用件なのかをお聞きしない限り、我々はお嬢様の側を離れるわけには参りません」

 シズの言葉に、リズも強めに頷く。八神のおっちゃんは見た目リアクションなしだけど、チラリと見た目線が厳しい。八神のおっちゃんも、知らされていないという事だ。
 それに対してワンさんが頭を深々と下げる。

「お答えできない事、ご容赦願います。私は案内を申しつかったのみ。お答えする権を与えてられはおりません」

 ワンさんの言葉には感情が乗っていないけど、こう言う場合は逆らえない相手からの命令と見て良いだろう。
 そして私に忠誠捧げていると言った言葉は信じることにしているので、私としてはそれを否定したくはない。

「シズ、みんな、今回は、ここの主人に驚かされましょう」

「お嬢様!」

「良いのよ。私は黄先生を信頼しているから。それにね、ワンさんの今日の言葉から考えると、私を招待したのはワンさんと地縁血縁で繋がっている上に、上位に位置するお方だと思うから」

「……」

 ワンさんの返答はなく、引き続き頭を下げるのみ。これは肯定を現していると見て良いだろう。
 そしてワンさんは、大陸の馬賊、恐らく内蒙古の騎馬民族系の人なので、満州か内蒙古もしくは蒙古の貴族か王族、それに連なる人だ。そうでないなら、その意を受けた人かもしれない。

「じゃあワンさん、私を招待して下さった方のところへご案内してくださる?」

「はい。ではご案内させて……」

 ワンさんが少しホッとしたような顔を上げ私を案内しようとしたところで、「パチパチパチパチ」と派手めな拍手が入ろうとしていた建物の玄関口から響いてきた。
 そしてガラス多めな玄関扉に人影が1つ、2つ、3つ浮かんだところで、両開きの扉が大きく開かれて、人影の数と同じ3人の男女が出てきた。

 拍手をしているのは、真ん中の女性だ。
 両隣、半歩後ろに位置している片方は、忘れもしない石原莞爾。もう片方は土肥原賢二。ネットの海で見た写真より若いけど、間違いない。
 ていうか、満州事変の主役が二人もいるとか、悪夢を見る思いだ。しかもイケメン美女な川島芳子さんが、めっちゃイイ笑顔を浮かべて拍手してくれている。

「お見事! 子供とは思えぬ見事な見識と肝の太さ。日本の華族などにしておくのは勿体無い!」

 しかも絶賛だ。一応笑み返すけど、引きつり笑いになっていないかスッゲー気になる。何しろ相手が相手だ。

「高く評価して頂きありがとうございます、川島芳子様。また、お初にお目にかかります、鳳伯爵家の玲子と申します」

「これは丁寧な挨拶痛み入る。ただ今の私は、川島芳子ではなく愛新覺羅(あいしんかくら)顯■(けんし)として扱って欲しい」

「これは大変な失礼を致しました殿下」

「いや、構わない。お飾りの私などより、玲子の方が本当の力を持っていると聞く。さあ、立ち話もなんだ、中に入りなさい。色々と話がしたい」

 そう言って、またイイ笑顔。凄く機嫌が良さそうなのは、ワンさんと私の受け答えが気に入ったと見ていいんだろう。ただ、何が気に入ったのかが、今ひとつ分からない。
 私が歴女として知っている彼女も、この世界で集めた情報での彼女も、突飛なことをよくする変わった人だからだ。

 そんな変わり種のお姫様直々のご案内で、屋敷内の応接室へ。部屋には、私と愛新覺羅顯_。「ハッヤュンク_。「ヘチキハヤュ_カ、ホ」エネヒ。」ー袂ォユヒトタノ、ォ。「_コマ、ヒ、隍テ、ニ、マ、ウ、ホハタス遉ヌ、マス、秬ネヒ、、キ、ニ、、、コモアセエラ、ャ、、、、ォ、筅ネヒシ、テ、ソ、ア、ノ。「ネ、テ、ソイソホン、マ_ネヒ、タ、テ、ソ。」

(あと川島さんって、この頃日本陸軍の愛人いなかったっけ?)

 そんな事を思いつつ視線を3人に向けていると、川島さんとがっつり目が合ってしまう。

「気になる事でも?」

「いえ、他にいらっしゃらないのかと思いまして」

 そう言うと「なるほど」と納得。「夫のカンジュルジャブは、自らの兵を率いて新装備の訓練中だ」と続けた。

「それに板垣さんが気になるんだろ」

 石原莞爾にも見透かされていた。土肥原は、そんな2人、いや私を含めて3人を興味深げに見ている。
 それよりも、張作霖が吹き飛んでいないので川島さんの現在も私が知る歴史とは違っている事が分かった。
 カンジュルジャブは、川島さんの初婚相手だ。転生してから、写真や新聞記事も読んで知っている。旦那さんは、私の前世の歴史だと満州事変にも満州国にも関わっていたと思う。

「では、この場のお3人方が、黄先生が私に紹介して下さった方で間違いございませんか?」

「黄先生か。お懐かしいな。お元気だったか?」

「はい、とても。黄浦江の船の上で夕食をご馳走になりました」

「本当か! 余程気に入られたんだな」

「そうなのですね。殿下も?」

「ああ。3年前に夫と共にお会いした時に招待された。上海はあれ以来だから、また変わっているんだろうな」

「少し、物騒になったかもしれません」

 言葉を選んだつもりだけど、川島さんが面白そうなものを見つけたって感じで片眉を上げる。

「私が行った前の年が、少しばかり騒がしかったと聞くが、今回はどうだった? まずは土産話を聞かせてはくれないか」

「喜んで」

 そうは答えたものの、ネタが尽きたら何を話せば良いのやら。
 ネームド達を前に、心の中は不安でいっぱいだ。

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満州:
満州の表記ですが、今更ですが「満洲」ではなく「満州」に統一しています。

川島芳子:
本名は愛新覺羅顯_」ィ、「、、、キ、、ォ、ッ、 けんし)
清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女。
自業自得もあるけど、波乱万丈な生涯の人。後世、色んな作品に登場する。
この時点でまだ24歳。

土肥原 賢二 (どひはら けんじ): 
陸軍の謀略部門のトップとして満州国建国及び華北分離工作に中心的役割を果たす。
極東国際軍事裁判でA級戦犯として死刑。
謀略の人といっても、誠意で寝返らせる人だったそうだ。
ついでに言えば、岡村寧次、永田鉄山、小畑敏四郎の三羽烏、板垣征四郎とも同期。凄い代だ。

河本 大作 (こうもと だいさく):
張作霖爆殺事件を起こした主要人物。
この世界では事件そのものがないので、軍人を続行中。
土肥原とセットの人。

板垣征四郎 (いたがき せいしろう):
関東軍高級参謀として石原莞爾とともに満州事変を決行した人物。
極東国際軍事裁判でA級戦犯として死刑。
謀将だが、エリートっぽくなく東洋的な武人気質。
辻政信が一番慕った将軍だったそうだ。

この頃日本陸軍の愛人:
田中隆吉 (たなか りゅうきち)。
日本軍の数々の謀略に直接関与した人物。
第一次上海事変(1932年)の謀略で有名とされるが、謀略と直接関係がないという説もある。

カンジュルジャブ:
(漢字:甘珠爾扎布)
モンゴル族出身の満州国軍の軍人。満州国軍に深く関わっている。
一時期、川島芳子と結婚していた。

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