■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  225 「満州事変(3)」  

「これ、サクラじゃないのよね」

「逃げたのは演技でしょう。民を守るため、犠牲を最小限にする為という建前ですが、満州のコミンテルンの息のかかった連中は、昔ながらの刀剣程度しか武装がありません」

「ソ連の援助は?」

「露助は命令するだけだ。旧式銃すら渡しゃしませんよ。まあ、足がついたら困るという建前論はあるでしょうが、連中は命じる側。命じられる側は、命から始まって全部を共産党の為に自前で用意して当たり前。そんな風に考えます。何しろ、自国民すらアメリカから工業機械を買うために平然と虐殺する連中ですよ。勝手に踊ってくれる連中に、命令以外するわけない」

「そ、そう」

 (誰かに言いたかったんだろうなあ)と思わざるを得ない、オタクみたいな早口でまくしたてられた。
 貪狼司令は、共産主義かロシア人に何か恨みでもありそうだ。

「それで、取材の方は?」

「事件発生当時の現場の写真は流石に無理でしたが、それ以外は現在進められています。明日の朝刊には、十分に間に合うでしょう」

「号外を出すとかは?」

「露骨にし過ぎない方が良いかと。それに現時点では、共産党と思われる暴漢が満州党の慈善活動を襲った、というだけです」

「そっか。まだ石ころは坂道を転げ落ち始めたばかりね」

「左様です」

 とそこで、お芳ちゃんが小さく挙手。

「この一報は、鳳以外はどこが掴んでるのかな?」

「奉天なら、大手新聞も大抵は記者がいる。うちが情報を独占しない限りは、もう奉天中の新聞社は知っているだろう。それに、アメリカから来た記者連中にも回す段取りだ」

「じゃあ大丈夫ですね」

「抜かりはない。うちが実態以上に騒ぎ立てはするが、そこを糾弾されたら『当時は情報が錯綜していた』と言い訳する。弱小新聞だから、それでおしまいだ」

「考えてみれば、悪どいわね」

「これも兵法なれば。小さな新聞にも使い道はあるという事ですな」

 そう結んで貪狼司令が薄く笑った。彼としては想定通りに事が起きたので、本当に王手飛車取りの心境なんだろう。
 しかし、転がりだした石ころは、想定通りに動かないものだ。

 1931年9月17日の夕方、事件が起きた。
 場所は満州は奉天。柳条湖じゃなく、奉天市内の日本の満鉄の鉄道付属地の外。

 事の発端は、満州党がこの一ヶ月ほど行っている、民衆へのコメなどの食料の配給と貧民への炊き出しだった。
 満州南部の主要都市奉天で行っている事なので規模が大きめで、トラック3台と10数名の党員が事に当たっていた。
 このうち半分は護衛で、泥棒対策という名目で連れていた。この護衛、見た目はせいぜい刀剣や槍、持っていても拳銃程度。小銃など軍隊の装備は持っていない。それでも拳銃を持ち歩いている時点で、軍閥の兵士でもないと手が出せない。

 だから、勢力が大幅に減退している、一応は張作霖の軍閥の現地残留組は傍観している。満州党が急速に勢力を拡大した影響で、脅しで止めさせることが出来ないからだ。
 手を出してくれたら、それはそれで手間が省けると、主に関東軍なり石原莞爾達は考えるだろうけど、相手もそこまで馬鹿じゃないという事にもなる。

 けどそこに、十数名の武器を持った暴徒が襲いかかってきた。
 しかも一部は銃器で武装していたので、その場の満州党員達は民衆を守りつつ避難を開始。炊き出しの為トラックが1台動かせなかったので、これを残しての避難となった。そしてそのまま奉天の満州党の建物に逃げ込み、その場にいた鳳グループ傘下の皇国新聞記者が情報に触れた。
 相手がいつ動くのかも分からないので、細かい事は現地に任せていたけど、この時点では想定内での事件発生だ。

 予定では、この手の事件を各地で断続的に発生させてもらい、満州党では手に負えないという流れに話を持っていき、関東軍の治安維持出動の要請へと繋がる予定だった。
 けど、そしてその日のうちに、事件は進んでいく。

 そのすぐ後、満州党員達が避難に成功した別のトラック2台に増援も連れて事件現場に戻ると、すでに暴徒の姿はなし。一部の貧民が、散らばった米や蹴倒された炊き出しの鍋の中身を漁っている程度。残したトラックの姿も無かった。
 けれどもトラックの轍(わだち)が土の道には残っていたので、すぐに追跡を開始。トラックは町の外へと進んでいたけど、遮蔽物が無くなれば追跡も簡単だった。

 そしてすぐ、満鉄沿線沿いに北東へと逃げるトラックを発見した満州党員は、トラック運転に相手より習熟していたので距離を詰めていった。と言うより、奪った連中はトラックの再始動に時間がかかり、そして運転が下手くそすぎたのが追いつけた原因らしい。
 そして追っ手に焦ったところで、次の事件が起きてしまう。

(あーあー)

 その第一報を聞いた私の偽らざる感想がそれだ。
 何しろ次の事件現場は柳条湖。あの柳条湖だ。私しか知らない、というわけじゃないけど、私の前世の歴史上での因縁の場所だ。
 よりにもよって、そこで予想外、想定外の事件が起きた。
 全てを正確に知ったのは、事件後に犯人の一部が捕らえられて全て話して明らかになってからだけど、第一報の時点で酷い状況なのは一目瞭然だった。

 事件自体は、当初トラックで逃走を続ける襲撃者の一部が、追っ手の満州党のトラック数台に対して、ごく散発的な発砲をしつつ逃走を継続した。
 けど、そのまま奉天郊外の鉄道沿線を進むと、向かって右手には張作霖の軍閥の残党が駐屯する「北大営」がある。私の前世の歴史で、石原莞爾が大きな大砲を撃ち込んで、『満州事変』の号砲を鳴らした場所だ。
 しかもそこは、奉天など周辺一帯の一応の司令部で、駐留する軍閥兵も少なくなかった。

 そしてその事に遅まきながら気づいた襲撃者は、急ぎ逃走方向の変更を決意。「北大営」とは逆方向に逃走するべく、鉄道路線を強引に東から西へ横切ろうとする。
 この時点で、襲撃者は表向きでも現地軍閥の者でないという事になる。もし軍閥関係者なら、兵営に逃げ込む可能性だってあった。

 それでだけど、その後が酷かった。最悪だった。
 無事線路を横切ればまだマシだったものを、この時代の貧弱なトラックな上に、ロクにトラックを動かした事もないであろう襲撃者の下手くそな運転のせいで、トラックは線路上で立ち往生。エンストでもしたんだろう。
 そこに運悪く、タイミング悪く、長春方面から列車がやってくる。
 しかも時間は夕方。夕闇が満州の大地を真っ赤に染めて地に落ちていく頃合い。当然視界は良くない。

 一方、こんな時代に列車の方に状況を知らせる術はなし。しかも事故を知らせるべきトラックを運転していた襲撃者は、動かないトラックを捨てて徒歩で逃走。追跡していた満州党員のトラックが現場に追いつく頃には、列車の運転手が寸前で気づき、急ブレーキの音をけたたましく鳴らしていたという。

 そしてそこで列車が止まれば危機一髪で済んだけど、その列車は貨物列車だった。しかも50両くらい連結したやつで荷物も満載。速度はそこまで速くないけど、止まるのに時間がかかるやつだ。
 当然、止まる事なく線路上のトラックと激突。それでも満鉄のごつい汽車が、トラックを線路から蹴散らしてくれれば最悪の事態は避けられただろう。けれども、トラックは弾き飛ばされずにその場でバラバラに。
 そして、汽車にぶつかられながら適度にバラバラに分解されたトラックの残骸が、線路上にも飛び散る。急ブレーキや汽車の不安定な動きなども重なって、後続の貨車が次々に脱線していった。合わせて10両ほどの貨車が、なんらかの形の脱線をしたと言う。

 これで何故か大爆発でも起きれば、派手な映画のワンシーンだろうけど、爆発などなくても十分に大事故だ。
 そしてトラックの燃料が漏れて引火して火災も起きて、貨車が何両か燃えた。その炎と立ち上る煙は、一時は奉天の街の外周辺りからも見えたそうだ。
 死者が出なかったのは不幸中の幸いだけど、もはやリットン調査団に来てもらう必要もない。誰が見ても大事故。謀略もクソもない。偶然が生み出した人為的な大事故、大惨事。そして結果論的にだけど、大規模テロだ。

 そして事件の一部始終を、突撃取材を敢行していた我が鳳に属する皇国新聞の記者とカメラマンが目撃し、起こった事の全てを世に広げてしまう。
 トラック同士のチェイスを突撃取材していた筈が、ピューリッツァー賞もののシャッターチャンスに出くわしてしまったのだ。
 もはや話が出来過ぎていて、サクラとか八百長とか自作自演とか謀略とかを通り越えていた。しかも、関東軍と満鉄双方のガチギレ案件確定だ。
 その上近くの軍閥の北大営からは、音に驚いてたくさんの軍閥兵士がわらわらと出てきて、一部が武装して周辺の治安維持活動を開始。多くの者が事件の目撃者となった。

 そしてその最中に、追跡していた満州党員が犯人の一部を捕らえていた。

 一方の追跡側の満州党のトラックだけど、鳳中枢の意を酌む人を配してあるおかげで、襲撃者の破壊工作を阻止しようとしたが寸前で間に合わず、という筋書きになっていた。
 襲撃者達は、民衆への配給トラックを奪い満鉄破壊工作に出たという筋書きだ。捕まえた共産党員も、その最後まで自分たちが起こした事件に喝采し、共産党万歳、日帝糞食らえと叫んでくれていた。
 しかもそれを、日本と満州に来ていたアメリカの新聞各社の特派員や記者が目撃し、耳にした。
 そしてこれで、満州党が共謀したと関東軍に言われる事はないだろうし、逆に両者の関係は強まるだろう。
 この筋書きを書いた記者のファインセーブには感謝しかないので、金一封とか色々あげないといけない。

 そして事件自体は、日時は少し違うけど私の前世と同じように『柳条湖事件』と名付けられ、私の想像も、お芳ちゃんの悪巧みの一部も通り越えていった。

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柳条湖:
柳条湖も張作霖爆殺事件の現場も奉天(もしくは奉天郊外)にある。
謀略するにしても、もっと別の場所があるだろうと思えてしまう。

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