■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  267 「五・一五事件未発?」 

「動きがあったって?」

「はい。ですが、張っている海軍将校の一部が、大川周明の家に行ったとの報告までです」

「大川周明かぁ」

 チャップリンの接待を他に引き継いで、隣のビルの地下へとやって来た。鳳総研の貪狼司令の部屋には、当人以外何人かのスタッフがいる。けどもう夜なので、お芳ちゃんは屋敷に戻っていた。
 一方でお父様な祖父は、私の後を継いでチャップリンを歓迎中だ。何しろ名目上はホテルの持ち主に等しいわけだから、他のお歴々に混ざってホストとして歓待しないわけにはいかない。私が引き下がるのは、夜に子供が、しかも酒宴に出るのはアメリカ人的によろしくないと判断されたからだ。
 だから私も、ここに顔を出してすぐに屋敷に戻る予定だ。次にこっちに来るのは、明日の午後以降だろう。
 
「それで、貪狼司令の読みは?」

「そうですな。チャップリンの歓迎で首相は官邸から動けない。さらにチャップリン殺害による日米関係の悪化とそれに伴う人心の混乱を狙う、と言う連中の狙いは悪くはないと思います。ですので、明日の晩餐の頃に襲撃する可能性はまだ若干残っているでしょう」

「人がどんだけ日米関係に腐心してるか知りもしないで。私が独裁者だったら、この時点で全員捕まえて牢獄送りね」

「私も賛成です。その方が日本の為でしょうな。ですが日本は、法治国家です」

「法治の字が違ってそうね。けど大川周明は、特高も張っているんでしょ」

 そう。私の前世の歴史と違い、日本の革命界隈で西田税が完全に抜けている状態だから、革命家志望の皆さんの主な金蔓が大川周明となっている。
 しかも西田なら、最大でやんごとなき方にまで顔が効く。ただ大川周明は、尾張徳川家の当主で貴族院議員の徳川義親侯爵が資金源になっている。

 ただし血盟団事件で、鳳が裏で動いて政府関係者にチクっているから、大川周明は張られている。それも海軍将校らに伝わるように手配したので、彼らも大川周明との接触が諸刃の剣なのは知っている。
 けど金がないんだろう。それに張りまくっているから、日本を憂うる自称国士の皆さんの動きは、私の前世の歴史より窮屈になっている筈だ。

 だから私が注意すべきは、目的の選択肢を狭めて一点突破を図って来る場合、逆に無差別テロに出て来る場合、そのどちらの場合でも窮鼠猫を噛んできた時だろう。
 そして人と金の動きを可能な限り追わせているから、襲撃自体の物理的な阻止は万が一であり最終手段になっている。

 ただ大川周明は、満州事変の成り行きに肯定的だ。
 何しろ、今のところではあるけど、現地政府を日本が全面的に後押ししている形になっている。
 これは彼のアジア主義に合致している。そして犬養毅もアジア主義者で、現状からの満州の自立と言う方向性を見せ始めているから、政治に対するご不満はともかく、犬養毅は支持している向きがあると報告されていた。
 なんとも、ややこしい話だ。
 けどそのままの感想が口から出てしまう。

「大川周明は、犬養毅暗殺は反対でしょ。今更何しに? 潜伏先?」

「連中の考えは不明ですが、大川周明の家に入ったのは数名。東京市内に来ていない者もいます。陸軍士官学校の方は、動きも接触もなし。陸軍の青年将校とも、接触は見られません。それに水戸の右翼どもは、東京入りしていません。
 勿論、明日になってみないと分かりませんが、呉に居る者は確実に間に合いませんな」

「予備拘束とかの動きは?」

「流石に具体的な動きがないと難しいでしょう」

「それじゃあ動き自体は低調って事か」

「左様です」

「そっか。じゃあ、本番は明日だから、今日はちゃんと休んどいてね。それと多分だけど、チャップリンは明日官邸には行かないわよ」

「ではどこへ?」

「相撲を見に行くの。今頃お父様も誘いをかけている筈」

「そう言えば、5月場所が始まっておりましたな。それにしても考えられましたな。日本好きのチャップリンなら、首相より相撲に興味を向けてもおかしくはない」

 貪狼司令が、糸目のような細い目を大きくしてかなり感心していた。私にとっては前世知識に過ぎないから、ちょっと気恥ずかしいけどそのまま続ける。

「まあね。ただ、もしその動きが起きたら、お馬鹿さん達には絶対に知られないようにしておいてね」

「畏まりました」

 そして翌15日。今日は日曜日。学校もないから、本当ならオフの日。けど私も関係する人達もみんな、クソ野郎の為に、そいつらが馬鹿な事をしない為に休日返上している。
 大人達には振り替え休日を渡すって言ってあるけど、理由がクソ過ぎるから追加で休みをあげたいと思う。
 けど、ごく一部の人はウッキウキだった。

「リズ、楽しそうね」

「イエス、マム。これは凄く素性の良い小銃です」

「うん、それは聞いてないけど、ここから狙えそう?」

「お任せ下さい。首相官邸の大半はカバーできます。状況によっては、正面門辺りも十分狙えます。私の見えない場所も、他の者が別の場所から狙っています」

「結構距離あるわよね」

「近いところだと160ヤード、遠いところでも270ヤード程です。高倍率のスコープ付きのこの銃なら、近距離も同じです」

「そうなんだ。けど、狙撃って撃つ人と観測する人で一組じゃないの? 一人で大丈夫?」

「そうなのですか? 大砲のように観測手が必要という話は初めて聞きました。今後検討したいと思いますが、今回は私一人で十分です」

「頼もしいわね。万が一の時はお願いね」

「イエス、マム」

 そう言って私に向けていた顔を、目標の方向へと戻す。
 ここは鳳ホテルの屋上。関係者以外立ち入り禁止の場所。一応ヤバい場所なので、警察とかには報告しないといけない場所。
 何しろ今の会話通り、鳳ホテルから200メートルほど先の首相官邸を狙い撃ててしまえる。首相官邸はホテルより小高い場所で、向こうの方が5メートルほど地面が高い。
 だけど、建物の高さはこっちの方が断然高いから、ほとんど丸見えだ。官邸は一応樹木が影になっているけど、目線が通る場所は幾らでもある。
 そしてそんな所のベストポジションを、鳳ホテルの男性従業員服姿のリズが、スナイパーライフル片手に待機している。映画みたいで、めっちゃ格好いい。

 なお、スナイパーライフルと言っても、この時代に専用銃はまだ開発されていない。
 リズが言ったように、素性の良い精度の高い小銃を選び出して、それにまだ専門的とは言い難いスコープを付けただけ。小銃はお兄様に手回ししてもらい、スコープは猟銃用という事で開発してもらった。それに諸々必要なパーツを足して完成した改造銃に近い。
 有効射程距離は、担当者達が言うには350メートル程度。そしてまだ、狙撃の戦法は確立どころか模索中な感じ。

 私的には、こういう時には狙撃手の一人や二人配置するもんだろうと、気軽にお父様な祖父、お兄様に言ったら意外に驚かれてしまった。
 お兄様など、軍で専用銃だけでなく専門の兵科の研究をするべきか、とか独り言を言っている始末だ。
 だから、お父様な祖父も狙撃の得意な傭兵、もとい警備員は雇っていない。そこで、手元にいて射撃が得意な人を選抜したら、リズが該当者の一人となった。流石、銃の国の人だ。

「シズもいい線いったんだって?」

「ハイ。ですが、リズには全く及びませんでした」

「そうなんだ。リズって、やっぱり練習しているの?」

「訓練日と休日には、熱心にしています。私は格闘戦と念のための拳銃ばかりで、小銃は不得手に御座います」

「まあ、適材適所よね」

「ご配慮、痛み入ります」

 総研の地下に行く前に、私のメイドであるリズが駆り出されたので、お願いして激励に行った帰り道、シズとそんな雑談をする。
 そしてリズが鳳ホテルの屋上で待機しているように、首相官邸は鳳の警備員もしくは鳳系列の皇国新聞のブン屋で要所を占めて包囲してあった。当然、水面下で色んな場所にお知らせしてある。

 一方で、襲撃しそうなお馬鹿さん達は、特高警察、憲兵隊、そしてうちの警備や雇った探偵が張っている。そして午後を回った現時点で、首相官邸を含めた襲撃を目的とした動きは出ていない。
 この手の手配りは、お父様な祖父がよく言えば精力的に、私目線ではウッキウキでしていた。

(それにしても、軍隊相手はともかく総理や重臣は、もう少し警備を分厚くしないと。特に総理。濱口さんや血盟団の事件が起きたのに、本当に分かっているのかなあ)

 私的にはハリウッド映画ばりの警備しか思い浮かばないけど、前世の歴史を見てもこの時代の日本中枢の警備は甘い。首相官邸には警官が配備されているけど、それも少数で装備も貧弱だ。
 お父様な祖父が、「うちなら5分以内に首相暗殺できるぞ」と、酒を飲みながら冗談交じりに言っていた程だ。つまり、お父様な祖父が本気になれば、3分でミッションコンプリートするだろう。
 その程度の警備と状態だ。

(けど、相手が10名程度なら、十分阻止できるわよね)

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スナイパーライフル:
狙撃銃。史実で日本陸軍が狙撃銃を開発するのは、九七式狙撃銃から。基本的には、既存の小銃の派生型。

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