■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  276 「内蒙古臨時政府成立」 

 
 1932年6月中旬、モンゴルで満州臨時政府地域の近代的蒙古騎兵が、新聞に『蜂起軍ウランバートルに迫る』などと書かれるように暴れまわっている頃、世界は各所で激しく動いていた。
 そしてその一週間もしないうちに、ウランバートルを攻めた蜂起軍が撃退されて逃げたという情報が入る。
 いつの時代も、騎兵はフットワークが軽い。
 
「予想通りの動きね」

「予想通りすぎてつまらんくらいだが、こっちには好都合だ」

 お父様な祖父が、ドヤ顔気味でそう言葉を結ぶ。私は政治に疎いから、政治的な何かがあるという証拠だろう。
 こう言う場合、聞き手になるのが一番だ。

「そうなの?」

「露助と交渉するのは誰だ?」

「宇垣外相」

「そうだ。陸軍でも関東軍でもない。そして日本国内では、一夕会はこの件では孤立している」

「この件って、モンゴルの一件だけじゃないのね?」

「そうだ、話がアジア主義に向いている」

 その言葉でちょっと見えてきた気がしたけど、話させる方が早かろうと促す。

「分からんか? 満州臨時政府の内蒙古民族と、満州の隣のチャハル省の同様の連中が、蒙古で暴れてる連中に呼応して蒙古で暴れている。こいつらを引き返させたら、ソ連も日本も取り敢えず問題の幕引きができる」

「ええ。だから外交交渉で、うまくソ連にモンゴルの左寄り過ぎな統治を改めさせるって話を引き出せば、武装蜂起も取り敢えず収まって、外からやってきた人達も帰っていくのよね」

「ああ。だが、それでもシコリは残る。しかもこの話で、張作霖は蚊帳の外だ。中華民国政府としては問題だ」

「張作霖も加えるの? けどそれだと、満州臨時政府の存在が霞まない?」

「当座は霞んでおく方が、色々とやりやすいだろ。それに問題はそこじゃない」

「そこでアジア主義って事かあ。ウンっ、分からない。チャハル省にも臨時政府でも作る気?」

「なんだ、分かっているじゃないか」

「エッ? それって、有りなの? 張作霖が怒らない?」

「現状での厄介者も切り離せる上に、緩衝地帯も得られる。それにこれで会談に顔を出せるだろ。まあ、奴というか大陸の覇権を望む奴は、最後には最低でも清朝時代の領土全部を奪い返すつもりでいるから、現時点で離れるくらい大した事じゃない。何しろ今の大陸情勢は、春秋戦国もかくやの有様だ」

「身も蓋もないなあ。それで、他は?」

「日本の満蒙派は、内蒙古の一部も労せずして切り崩せる形になる。さらに日本のアジア主義者は、内蒙古の自立という目的が果たせる。ソ連は、満州とモンゴルの一部に緩衝地帯が置ける」

「そこでアジア主義なわけね。けど、ソ連の利点はそれだけ?」

「そうだなあ、今回造反した連中の一部を、そこに押し付ける。一部は満州にも来るだろうが、粛清し過ぎてまた他の連中が文句言うよりマシだろう。堂々巡りになるからな」

「問題先送りよね。けど、モンゴル国内の安定は得られるか」

「そうだ。そして恐らくだが、モンゴルの統治を改めさせた後に援助の名目で開発を進めて、防波堤としての役割を強化する」

「一方の日本は、内蒙古にテコ入れするだけの国力がないか」

「まずは満州だからな。そして満州で精一杯だ」

「なるほどねえ。何にせよ、宇垣外相の交渉手腕に期待ってところね。それとも、奉天の外務省の人が交渉するの?」

「いや、宇垣さんがすでに動いている。そして犬養首相が押している。関東軍の方は、板垣と土肥原、そして石原が精力的な活動中って奴だ。どうも石原のやつが、川島の旦那のカンジュルジャブに金と武器を回したらしい」

「うわっ、石原莞爾がけしかけたんだ。そりゃあ、陸軍の中央に知らせないわけだ。けど、独断専行にならないの?」

「金とその金で用意した武器なんかは、軍の金じゃない。それに石原らは「何もしていない」。むしろ現場では、ソ連の抑えと火消しに動いている。立派な軍人ぶりってやつだな」

「満州政府は? 5月の段階だと、川島さんからは何も無かったんだけど」

「お前に知らせるわけないだろ。事を大きくし過ぎる。今でも、向こうでワン達が大暴れしていると、ソ連やモンゴルじゃなくて、満州政府から苦情が来てるんだ。お前が重砲の1個小隊でも送ってみろ、下手すりゃウランバートル陥落させちまいかねない」

「わ、私、そこまで非常識じゃないわよ」

「どうだか。重砲でなくても、何かするだろ」

「……」

 ちょっとジト目で見られてしまった。そして言い返せない私がいた。

 そんな話をした数日後、予想通りソ連が日本側に接触してきた。そして日本側もすぐに対応し、交渉の準備が始まる。
 ただし日本側は、話し合いの場に満州臨時政府の代表の出席を求めた。当事者なんだから顔を出させるのが当然、という理屈だ。

 しかも既に根回し済みだったのか、中華民国の張作霖国家主席は特に何も言わず。むしろ、自分達が国として外交が出来る事を歓迎していた。そして交渉には、顧維鈞(こいきん)総理兼外相がやって来た。
 中華民国政府が世界中からおざなりなのはデフォだけど、自分達で喜ぶのはどうかと思う。

 一方、ソ連も何もなし。正直、どうでもいいのだろう。
 何しろ今の中華民国には、そこら中に勝手な政府が乱立している。日本が連れて来るなら馬鹿な事もしないし、まともな話し合いが出来る日本が交渉に出て来るなら、その程度の条件は安いものだったんだろう。
 実際、そんな感じだった。

 ただしこれで、満州臨時政府が外交の場に上がれる政府だと、中華民国とソ連が認めた形になる。日本としては狙っての事だっただろうけど、あんまりに反応が薄いから訝しんだほどだったらしい。
 けれども、この時点で両者が満州臨時政府を認めた理由は、推測以上には分からなかった。

 
 交渉は6月中にハルピンで開催され、慌てるように話は進んだ。そして呆気なく決着した。あまりに呆気ないので、その後に北満鉄道の予備交渉までしたほどだ。
 どうもモンゴル政府が、攻められて苦戦したせいで、内政的にかなりやばかったらしい。

 そして結果の方だけど、予想通りだった。
 ただしモンゴル政府の代表は、ソ連の腹話術通りに越境と戦闘行為に対して謝罪と賠償金を要求。
 これに対して宇垣外相は「難民受け入れ」のカードを切り、経費負担を賠償の代替とする事で決着。難民とは、モンゴル政府に歯向かった一部の過激な人達の事だ。
 そしてその後、今回の原因の一つとされたチャハル省に「東内蒙古臨時政府」の設置が、中華民国の黙認により決まった。

 後日分かった事だけど、中華民国というか張作霖が素直過ぎたのは、事実上の緩衝地帯を作ると言うのは表向きの姿勢でしかなかった。実際は、日本とソ連の双方から、特にソ連からかなりの額のお金や武器が流れたからだと分かった。
 とにかく言うことを聞いて、波風立てない為の賄賂だ。

 そして貰えなかった南京臨時政府の蒋介石がこの問題自体に文句を言ったけど、地方軍閥の遠吠えなので諸外国は無視。それでも蒋介石はアメリカに文句を言ったけど、アメリカは絶賛大統領選挙中でガン無視。
 それでも日本とソ連に意見言いそうなのがアメリカくらいなので、しつこく食いついた。すると、「五月蝿い黙れ。お前は黙って国内の共産党を潰していればいい。援助切るぞ」と言われたという情報が、数ヶ月後に伝わってきた。

 そしてさらに蒋介石はイギリスにも告げ口に行ったけど、「五月蝿い黙れ。以下略」状態でしかなかった。
 しかもイギリスは、聞きもしないのにその事を日本政府に教えてくれる親切さだ。
 どうやら、ソ連の属国であるモンゴルを引っ掻き回した日本への、イギリスなりのお礼らしかった。もちろん、日本への貸しでもある。流石ブリカスだ。

 そして日本国内だけど、宇垣外相の株がまた上がった。
 ソ連との交渉では譲らず、内蒙古に新たな政府を作って中華民国からの切り離しに成功したと、少なくとも国民からは見られたからだ。
 特に、日本が利権獲得を目指す満蒙のうちの蒙の一部を、殆ど交渉だけでもぎ取ったも同然なのだから尚更だ。
 同様に、犬養政権も評価された。赤くなったモンゴルを引っ掻き回し、新たな領土と言える利権をもぎ取った形に見えなくもないからだ。

 その政府内でも、首相の犬養毅は宇垣外相を絶賛。
 陸軍内でも、ソ連との交渉を手早くまとめた宇垣外相と、事態をうまく収拾させた形の関東軍が高く評価された。また陸軍内では、お膳立てを整えた形の石原莞爾の株が上がったらしい。

 逆に荒木陸相の存在感はまるで無かった。陸軍内で人事を弄んでいる一夕会も、要職に就いた人達の動きが鈍かった事で評価を下げた。そして一夕会は優秀な人材は多いけど、所詮は陸軍のごく一部の人達だから陸軍内での動きが取りにくくなっていた。

「ねえ、お兄様、一夕会と荒木陸相って、その、大丈夫ですか?」

「今のところは、ね」

 本邸内に住むので会う機会も増えたお兄様な龍也叔父様の、微妙な返事と連動した表情が多くを物語ってくれていた。
 しばらくは、権力を奪うクーデター計画やクーデターどころじゃなさそうだ。
 そして恐らくだけど、一夕会の分裂か、最悪空中分解、そしてその後の対立フラグが立ったと見るべきなんだろう。

(いよいよ、皇道派登場かなあ?)

 それがこの事件での、私の最後の感想だった。

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