■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  300 「1933年の仕事始め」 

 新年会、新年の挨拶回りの行ったり来たりが終わり、さらに三学期も始まった1月9日、世の中も動き出した頃、海軍大臣が変わった。
 特に事件があったわけではなく、海軍大臣の岡田啓介が定年退官したからだ。ただし、後任人事は軽く揉めた。

 何しろ1930年のロンドン海軍軍縮会議、統帥権干犯問題に連動した『海軍大粛清』で多くの提督が海軍を去っていた。しかも「やらかし」が酷かったので、政治家になる道も絶たれた。少なくとも、海軍大臣、総理大臣はもう無理だろう。
 この結果、海軍の若返りが数年進んだのは良いけど、若すぎるんじゃないかと問題になったからだ。いかにも宮仕えっぽい理屈だ。
 海軍大臣・軍令部長・連合艦隊司令長官の海軍の三顕職ともなれば、任期中でも構わないので海軍大将がなるのが相応しい。

 そして犬養内閣での海軍大臣だけど、田中内閣でも海軍大臣を務めた岡田啓介が選ばれた。横鎮司令が海軍大臣になるのが慣例で、本来なら山梨勝之進がなると見られていた。しかしこの時点で山梨はまだ中将。若すぎるというのが、反対した人達の一番の理由だ。
 そこで岡田啓介が担ぎ出された。それに岡田啓介なら、『大粛清』後もくすぶっている軍縮反対派を抑えられると見られていた。
 しかし海軍軍人として年がいっているので、この時点での定年退官となったわけだ。

 そして岡田の定年退官を待った形で、既に大将に昇進していた山梨勝之進が海軍大臣に選ばれた。それでも55歳と少し若いけど、他にいないし海軍の現在の主流は軍縮派や左派と呼ばれる人たちだし、何より能力と人望から十分任に耐えうると判断されたそうだ。

 けど、軍縮会議で奔走した山梨を気に入らない人達は、別の候補を立てて対抗させようとした。
 対抗馬は、私の前世で開戦時のアメリカ大使となっていた野村吉三郎。
 野村と同期の小林躋造は軍縮派だったが、この時点での連合艦隊司令長官を勤めていたので論外。それ以外となると、大将がいないので論外。野村はこの3月には大将になる予定なので、海軍大臣にはギリギリ合格の年齢と階級になる。
 しかし慣例と功労が評価された形で、山梨が海軍大臣に就任した。

 そして犬養毅の政府だけど、1931年12月に成立してから約1年というもの順調に続いていた。
 そもそも私としては、前世の歴史と違って犬養政権が続いている事そのものに感慨深いものを感じてしまう。
 もっとも、私の前世の『五・一五事件』は、未発というか資金源の大川周明が犬養毅暗殺にゴーサインを出すはずもなく、内輪揉めで自壊状態。海軍将校が銃撃事件を起こしたから、海軍はさらに大人しくなった。

 西田税が真面目に陸軍将校している事が影響したのなら、なかなかに皮肉の効いた現実だ。
 西田は、危険人物探知装置としての能力は相変わらずの冴えを見せているけど、革命マシーンとしてはむしろ阻止や抑止に効果を現しているからだ。まさに、毒をもって毒を制す。

 それはともかく海外の方は、日本が手を出している満州、内蒙古、蒙古情勢は、正直なところソ連以外は無関心。中華民国の張作霖政府ですら、大陸中原を見ている。
 その大陸中原では、共産党がのたうち回って上海で中途半端に暴れるから、上海は日本を始めとした列強が固めて、誰もが身動き取れず。
 取り敢えず大ごとにはなっていないから、イギリスをはじめとした列強は、日本に兵力だけ積み上げておけと言ってくる程度。

 その間、犬養政権というか宇垣外相が大活躍。モンゴルでは内乱を早期収拾させ、内蒙古には自治政府を作り、ソ連からは北満鉄道を早期にそれなりに納得の価格で買収した。
 そして満州でも、早くも日本と強く連動した開発計画が、この春にも本格的に動く様相を見せていた。

 そんな犬養政権だけど、一つだけ妙な動きをしていた。

「ねえ貪狼司令、お芳ちゃん、なんで日本、と言うか犬養政権は、やたらとイタリアを敵視しているの?」

「イタリアがエチオピアを狙っているから」

「うん。それは知っている」

「犬養毅は、亜細亜主義者ですからな」

「うん。それも知っている。けど、エチオピアはアフリカでしょ?」

「世界に残された数少ない有色人種の国家は、あの人達にとって亜細亜主義の範疇(はんちゅう)に含まれるんだよ。知らなかった?」

 私が質問している場所は、いつものって感じの鳳総研の地下にある一室。こんなところに一日中いたら、お日様が浴びられないから不健康かつ鬱になりそうだけど、情報収集には一番の場所だ。
 そこに集まってきた情報によれば、去年のほぼ1年を通じてイタリアは自分の植民地のソマリアから、隣接するエチオピアに実質的な侵略をしていた。小競り合いの戦闘も起こしている。

 それでも、日本の満州での行動と比べれば可愛いものだ。
 そして有色人種の国など列強はどうでも良いので、事態はイタリアが好き勝手する方向で動いていたけど、列強の一角にして国際連盟常任理事国の一角でもある日本だけが、と言うより犬養毅首相ただ一人が、イタリアによるエチオピアへのちょっかいを強く非難し続けていた。

「初耳……。もう亜細亜はどっかに行ってない? じゃあ何、同じアフリカのリベリアがどこかに侵略されたら、犬養毅は文句言うわけ?」

「さて、どうでしょうな。エチオピアは、聖書に出てくる先祖を持つ王家が統治する国です。少し違うのではないでしょうか」

「フーン。そう言う見方もあるって事ね。勉強になったわ。それにイタリアと日本が仲が悪いのは良いことね」

 二人して「なぜ」な顔をされた。

「だってイタリアって、ドゥーチェなムッソリーニが支配するファッショ政権でしょ。ドイツで勢力伸ばしているナチ党もファッショじゃない。あんな連中と親しくなっても、ロクな事はないわよ」

「お嬢は、相変わらずナチ党も嫌いだね。共産主義より余程マシだと思うけど?」

「どっちも権威主義の独裁で経済統制よ。財閥と華族の敵じゃない」

「華族、いや欧州だから貴族と表現すべきですかな。どちらにせよ、ファッショは敵とは言い切れないでしょう」

「貪狼司令が、それ言う? 旧体制の打破は、ファッショも似たようなものでしょ。民衆の不安と不満を自分たちも煽って追い風にした成り上がり者が、権力奪取を図るのよ」

「確かにその通りですな。情報収集の強化でも致しますか?」

「これ以上ドイツでしてもねえ。まあ、悪評は集めておいて。けど、今年一杯くらいは、ドイツから色々とお買い物したいから、目立つ事はしないでね。確か、凄く大きな旋盤やプレス機をそのうち買わないとダメなのよ」

「了解致しました。それで、話を戻しますが、エチオピアの件では、鳳は犬養毅を支援しますか?」

「満州の一件では亜細亜主義者には支援もしているし、多少はお世話になっているし、声がけがあったら軽く援助するくらいじゃないかな。犬養さんや亜細亜主義者以外は、誰も気にしてないんでしょ」

「うん。エチオピアなんて国、普通の日本人は誰も知らないからね。お嬢が関心無かったくらいだよ」

「えーっと、確かコーヒーの産地じゃなかったっけ? モカコーヒー。好みじゃないけど」

「……お嬢、そう言う言い方って、物語とかだとエチオピアを見捨てるみたいな表現になるよ」

「それは物語の読み過ぎよ、お芳ちゃん。今の所、何もしなくても良いわ。声がけがあったらで良いから」

「畏まりました」

 貪狼司令が一礼して、この一件はおしまい。
 そして新年最初の情報確認も、これで終わりだろう。
 

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凄く大きな旋盤:
戦艦大和の46センチ砲製作に必要。史実では1938年に2台購入。うち1台は21世紀に入っても使われていた。
プレス機も、1万5000トンのやつを、戦艦大和の建造の為に購入された。

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