■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  310 「親族間の距離」 

「お疲れさまー。どうでしたか?」

「もう慣れたと思っていましたけど、周りが私を学生扱いしなくなったので、やはり緊張しますね」

「えーっと、もういつもの言葉遣いで構いませんよ」

「……仕事中に醜態を晒したくないので、切り替えが完全に出来るまでは、このままにしようかと思っています」

「休みの日も?」

「そこは悩んでいます」

 仕事が終わった直後の本邸の居間で、スーツ姿のマイさんとそんな会話を交わす。部屋にはお父様な祖父が、別のテーブルを占領して新聞を読んでいるくらい。あとはシズ達メイドだけ。
 まだ夕方まで少しあるから、私の側近候補達も別の事をしている。

 なお、秘書の業務時間は、メイドと違って9時5時。厳密には、私の通学に合わせて7時3時業務だ。また、秘書をするなら、午後の2時10時の場合もある。私の一日の動きを考えると、秘書兼補佐の2人体制を考えても良いだろう。私がブラック体制になりそうだけど。

 なお、シズ達メイドは交代制で、似た感じで動いている。もっとも護衛も兼ねると、さらに深夜番が加わるし、メイドだと朝はさらに早い。
 私は、部下や使用人の8時間労働を、出来る限り取り入れている。だからシズとリズは、屋敷の護衛の人とシフトを組んでいる。
 みっちゃんや側近候補が護衛メイドになる2、3年先は、私の直属だけで3交代シフトが組めるようになる予定だ。

 話が逸れたけど、マイさんの朝は早いので、シズ達と同じく鳳の本邸住まいになる。当初マイさんは、この近くに彼氏さんも既に一人暮らしだから、その近くの集合住宅を借りるとか言っていた。けど警備の都合もあるから、鳳一族の直系に近い者を住まわせるわけにはいかない。
 だから本邸で一緒に住む事になった。当然だけど、一族の者としての一室を用意した。

 なお、この時代のブラックな家だと、丸一日交代なしで朝から晩まで使用人を働かせるという事も有りがちだ。そもそもこの時代の日本での労働法は、工場法という私から見るとブラックすぎる水準の法律があるだけだ。
 けど、ここは鳳。それに今日は残業もなしなので、マイさんも一族の者として私と一緒に鳳の本邸で、夕食前の休息をとっている。

 そんな時間に話を振った私だけど、確かにマイさんとの今後の距離の取り方、話し方は考えさせられる。
 マイさんは基本一族内の目上だから、二人の時は丁寧語で話しかける相手だ。それにまだ、心の距離は詰めきれていない。
 仕事中は私の方が偉くなるから、他に対するように生意気口で話したけど、今までは一日中一緒という事が無かったので、今の会話になってしまう。
 
「それじゃあ、お互い丁寧語にしますか?」

「玲子ちゃん、ってこの時点でダメですよね。玲子様は、昼間のままで構わないと思います」

「親族のしかも目上の人に、仕事の時以外で様付けはされたくはないんですけど。お父様?」

「んー? お互い好きにしろ」

「今まで一族内で他の一族の人に仕える事例があったかとか、その辺を聞きたかったんだけど?」

 ジト目で見返してやると、手をヒラヒラして返された。

「無かったんじゃないか? そもそも一昔前は、今ほど一族の頭数が多くはなかったからな」

「あー、なるほどねえ。じゃあ、一族内での上下関係が逆転した場合は?」

「蒼家と紅家だと蒼家優先。それくらいだな。芳賀か時田がいればもう少し詳しいが、そもそもお前自身が年齢以前に相手で言葉遣い変えてるじゃないか。女学校に上がったってのに、俺や虎三郎に対してまだ子供言葉だし。お前こそ、その辺いい加減だろ」

「言われてみればそうね。けどお父様に対して、公私で話し方を変えるだけで、ずっとこのままの積もりなんだけど」

「まあ、それは好きにしろ。それと二人の間もな。ただ、いざって時に言葉使いに気を取られないようにな」

「はーい。と言うわけで、私達が実質初めてみたいだから、一族内でのルールを作りましょうか」

 話し相手をマイさんに戻して言い切ったけど、マイさんは少し困惑している感じが続いている。

「そうですね。私は、少なくとも当面は玲子様には、丁寧語で応対させて頂きたいと思います」

「私は言葉遣い変えるのは、今聞いた通り小さな頃からずっとだから平気だけど、マイさんの思う通りにして下さい」

「はい。……けど、一族内のルール作りだと、それでいいのかしら?」

「……言われてみれば。まあ、社会人としては節度を守る。一族内では好きにするで、行くしかなさそうですね」

「フフッ、そうですね」

 私もマイさんに合わせて小さく笑う。
 まあ、気心はそれなりに知れているし、私とマイさんのような関係はレアケースだから、細かく決める必要もないだろう。

「なんだ、何も変わらんじゃないか。まあ、変に格式張ったりするより良いがな」

「と、ご当主様のお許しも出たので、好きにしましょう、マイさん」

「はい、玲子様」

 そう言ってマイさんが、少し演技がかった一礼をする。
 その下げられた頭の綺麗なブルネットを見つつ、改めて華族ってめんどくセーと思う。
 そしてマイさんには別のことを思ったので、自然と口から出た。

「ねえマイさん、もし私のところで働かなかったら、どうしてたんですか?」

「えっ、ああ、勤め先ですか? 就職活動を始める前でしたし、それまでも特に何かをしたいと言う希望も無かったので、大学院に上がっていたと思います」

「大学院で何かしたい学問が?」

「と言うより、学問の道の方が、長く社会で活躍できる可能性がありますから」

「そっか。考えてみれば、女の勤め先って、まだまだ選択肢が限られていますよねえ」

「鳳グループは随分開かれていると思いますが、他はおっしゃる通りですね。だから玲子様には期待しています」

「私の方こそ、マイさんには期待したいところですけど、マイさんっていつ結婚するんですか?」

「えっ? えーっと、その、まだ具体的には全然」

 丁寧語でやり取りしていると、クールな女性秘書っぽくなりかけていたのに、突然乙女に戻ってしまった。
 相変わらず、こうなるとクソ可愛らしい。

「まだ決めていないなら、好きなだけいてくれて良いですし、私としては親しい人にはなるべく側にいて欲しいとは思っています。ただ、婚期は逃さないで下さいね」

「お心遣いありがとうございます」

 そう言ってまた綺麗に一礼をしたあと顔を上げると、いつものクソ可愛い微笑みを返してくれた。
 言葉遣いが変わっても、他は変わらないって言ってくれたのだ。
 だから私も、仮面の笑みじゃない表情で応えた。
 そんなやりとりを、お父様な祖父がまだ見てくる。

「お父様はまだ何か?」

「いや、玲子にじゃない。舞さん、拳銃はどうするね?」

「……やはり、必要でしょうか」

「エッ? 何の話?」

 二人は了解しているみたいだけど、私は分からない。

「運転手もするし、お前を守る為に決まっているだろ。舞さんは、ジェニファーさんに銃の扱いとかは仕込まれている。下手な兵隊より上手いぞ」

「私だけじゃないのよ。うちの家族全員、ジェニーに仕込まれているの」

 控えめな表情がクソ可愛いけど、中身は私が思っていたさらにその上をいく猛獣だったらしい。
 ただ、それ以上の驚きもある。

「ヘーッ! ジェニファーさんって、軍人や警官は無理だろうから、ハンターだったとか?」

「いいえ。ご先祖は、普通の開拓民らしいわ。けど開拓時代からの家訓で、銃の扱いは子供の頃から徹底して仕込まれるんだって。アメリカに行った時も、ジェニーの里帰りじゃなくて銃の研修か兵隊の訓練にでも行った気分だったもの」

 マイさんが完全にいつもの口調に戻っているけど、こっちも突っ込み入れる気にもならない。
 虎三郎の家とは今まで関わりが薄かったし、流石に一族内で話してもくれない事を聞いたり調べたりもしないから、全然知らなかった。
 ちょっと、ポカンとマイさんを見てしまう。

「それで拳銃を扱えるんですか?」

「ええ、色々と。拳銃に猟銃、古い小銃も多少なら。日本の免許も持ってるわよ」

「うちの射撃場や訓練場で見た事あるが、大したもんだぞ。まあ、虎三郎の子供全員だがな。その中でも舞さんは、頭一つ抜きん出ている。学業も大したもんだし、中身は女の龍也と思った方が良いぞ」

「格好いいっ! 凄いです、マイさんっ!」

「あ、ありがとう。でも、あんまり自慢出来ないし、嬉しくもないの」

 言葉通り、ちょっと引きつり笑みだ。けど私的にはノープロブレムだ。

「いいえ! シズやリズだって武器は扱うし、全然そんな事ないですっ! 私も習いたい!」

「いや、お前は逃げ隠れする練習でもしとけ」

「ずるーい! お父様だって拳銃上手じゃない!」

「俺は軍人だったからだ。虎三郎の家は特別だ。上に立つ者が武器振り回すとか、幕末じゃないんだぞ」

「家には射撃場もあるわよ。そう言えば、この屋敷にもあると、トラから聞きましたが?」

「こいつは、俺の命令で入るのも禁止しているがな」

「そうですね。もう少し大きくならないと、扱うのは危ないですよね」

「と言うわけだ。せめて15になるまで待て。銃は子供が持つもんじゃない」

「ハーイ。けど、マイさんが銃まで使えるなんて、意外でした」

「知っているのは、家族と使用人くらいだもの。一族でも、知っているのはご当主様と龍也さんくらいよ」

「虎三郎に口止めされているからな。まあ、警備担当の使用人連中には周知の事実だ」

「へーっ。あっ、マイさんを私の専属ドライバーにするの反対しなかったのも、これが理由?」

「理由の一つだな。一番の理由は、一族の年の近い大人から玲子に色々学んで欲しいからだ。お前は、常識に欠ける事甚だしってやつだからな。親の俺の責任でもあるが、舞さん、こいつに色々教えてやってくれ」

 そう言って、座ったままだけど、かなり生真面目にマイさんに頭を下げるお父様な祖父。その姿は一族当主ではなく、確かに私の親の姿だった。

(お父様、白いものが少し増えたなあ)

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工場法:
工場労働者の保護を目的とした日本の法律。
1911年(明治44年)に公布、1916年(大正5年)に施行。
あるだけマシな法律。

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