■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  321 「1933年初夏」 

 5月7日、アメリカで14年ぶりに飲酒が解禁された。
 アメリカの新聞には、これでアル・カポネも勢力が大きく減退するだろう、などというゴシップ記事が見受けられる。真面目な新聞では、新政権が動き出したがアメリカ経済は依然としてどん底、という記事が多い。

 そんな中での私の買い物は、買った所からは滅茶苦茶感謝されたけど、巨大すぎるアメリカ経済全体に対しては、殆ど効果が無かったらしい。一方で株の動きは、まだ期待込みで上昇している。
 そして、半ばどうでもいい法が改正されたのは、ルーズベルト政権が本格的に動き出したという事だ。

 フランクリン・ルーズベルト大統領の暗殺未遂事件とその事件による負傷で、政権は一ヶ月遅く動き始めた。
 金本位制を停止させたのも5月19日。ルーズベルトが病床になければ、もう少し早かっただろう。
 当然、『ニューディール政策』の動きも一ヶ月後ろ倒しとなった。そして実際にニューディール政策が動き出しのは、この5月から。始動は6月の予定だ。

 ただ、ハーストさんがこの数年間にわたって煽りに煽った反共産主義(アンチ・コミュニズム)の世論が、政策実行の邪魔をしている。しかも一部の市民が司法に違法だと訴えてしまったから、諸々の動きが遅れるのは確実だった。
 だから、ニューディール政策以外の法案や政策も遅れているらしい。飲酒解禁もその一つだ。
 そして今、アメリカでは金本位制停止の議論が行われている。クソ高い関税障壁を真っ先に立てたくせに、今更資本主義の総本山がどうとか、激しい議論が交わされているらしい。

 そんな声が聞こえてくる5月半ば、鳳の懇親会(パーティー)が開催された。このパーティーは、飲酒解禁と金本位制停止のちょうど間で行われると言う事になる。
 けど、アメリカの話は、日本にはあまり関係ない。
 アメリカが金本位制を停止しても平価まで下げないだろうから、為替に大きな変動はないと言うのが大勢。経済の貧弱な日本のように、大きく動く可能性も低いとも判断されている。何しろ、不景気でどん底とは言え、ダントツで世界最大の経済大国だ。

 一方の日本では、せっかく満州でのゴタゴタが見られないと言うのに、国内情勢は少しキナ臭い。
 少し前に東京地方裁判所の判事や書記に共産主義者がいたと言う話が出て、その大元が京都帝大の滝川という教授だったという事で、色んなところが動いていた。そしてこの5月には、鳩山一郎文相が京大総長に瀧川教授の罷免を要求するという話にまで発展している。

 そしてこれは、単に共産主義の事件じゃなくて、右翼や超国家主義者達による、大学自治を潰す動きだ。
 文相はむしろ反対すべきだろうと思うけど、弾圧側に回るところに鳩山一郎の人となりや政治的立ち位置が見えていた。
 そんな感じの日本の情勢は、少なくとも私の前世よりマシな筈なのに、これが時代の流れというヤツなのだろう。

 多少景気がマシだろうが、日本が満州の件で列強からハブられてなかろうが、欧州が共産主義とファッショで大きく揺れているように、日本にも時代の流れが押し寄せつつあった。
 こんなニュースを聞くと、アメリカが反共でかなりの盛り上がりを見せているのが、実に頼もしく思えてしまいそうになる。
 ハーストさんは、今日も元気に頑張っていた。

 そして私も、アメリカと連動する形で日本でも反共の動きをさせている。ドイツや全体主義をディスる動きも強めないといけないけど、共産主義に手を抜く気は無い。
 何しろ、特権階級&ブルジョアな私にとっての死活問題だ。
 欧州で行われている、ソ連が強引な経済政策をする為、人為的に発生させたウクライナ飢饉を非難する話も日本で広く伝えさせている。

 一方で、ナチ党の謀略で議事堂が火事になった件も、共産主義は悪だという宣伝には使った。
 あれがナチ党の自作自演と知っているのは、私以外は話をしたごく一部だから、今の所利用しない手はない。アメリカでの反共の動きも、都合の良いところだけ伝えている。

 従来の伝統的な資本主義が、世界恐慌で駄目だと思われているフワッとした世論を少しでも捻じ曲げないと、全体主義に対するより先に共産主義に潰されてしまう。
 前世で歴史に触れていた時は、なんでこんなに共産主義を警戒するのかと思ったりもしたけど、現実を前にすると滅茶苦茶怖い。私が華族で財閥だからという理由もあるけど、一部の世論が迎合する姿勢があるのが尚更に怖い。
 この時代の人達が、全体主義、ファッショに期待してしまう気持ちも分からなくはないと、理解を示しそうになる。

 そんな中で財閥の私に出来る事は、金を使い、世の中の金を増やし、少しでも日本経済を拡大する事。出来るなら、景気を少しでも良くする事。多少なら国家主義的でも社会主義的でも良いから、資本主義で他のイデオロギーを押し流してしまうしかない。

 
「世の中、暗い話ばっかりね」

「そう? 好景気じゃない」

 私の仕事部屋で、一緒に仕事中のお芳ちゃんが反応した。隣の机で書類整理中のマイさんも顔を上げている。

「日本はね」

「ドイツも沸いてるじゃない」

「私には悪夢にしか見えないけどね」

「ですが、ドイツの共産党はほぼ一掃されました。玲子様の一番の懸念は無くなったのでは?」

 仕事中でも、小首を傾げるマイさんの仕草は相変わらずクソ可愛らしい。けど、目がすごく真剣だ。それに一緒に仕事をするようになって気づいたけど、お父様な祖父が中身はお兄様だと言ったように、頭の回転が早い。
 恋路になると少しポンコツ気味だけど、銃を扱えたり車のテクはセミプロレベルだったりと、フィジカルスキルも高いオールラウンダー。確かに中身はお兄様だ。
 そして色々と話すようになっているから、こうした言葉も私にとって的確なものになっている。

「うん。ドイツの赤化が無くなって、むしろソ連と対立確定な政権が立ったのは、日本にとって当面は良い事ね」

「……懸念は、日本の一部でのドイツ贔屓の風潮ですか?」

「共産党を一瞬で滅ぼしたのは、謀略込みで強引過ぎるとは言え、一方でお見事としか言えないと思うし、それに惹かれる人も分からなくはないけどね」

「では、セバスチャン様が、ドイツに赴かれている件ですか?」

「うん。それは一つね。この点で、ドイツ叩きは徹底的にするつもり」

 そこで部屋の全員が苦笑。部屋の隅にいる、今のメイド当番のリズまでがニヤリと笑みを浮かべている。
 けど、すぐにマイさんの表情が真面目になる。さらに、ちょっと考えている感じだ。

「……それ以外の懸念となると、前おっしゃっていた手形の件でしょうか?」

「お嬢のご懸念となると、それだよね。お金にうるさいから」

 さらに早く答えに辿り着いているお芳ちゃんが、シニカルな笑みを浮かべる。

「世界中が門戸を閉ざしているから、止まる気配がない。世論の勢いだけのナチス政権は景気対策を急ぐだろうから、9月には動き出すんじゃない?」

「だろうね。それで、何か手を打つの?」

「何ができるの? やるとしたら、ドイツ経済が公共投資で息を吹き返す前に、買い物の残りを急ぐくらい。けどそれは、鳳商事とかの向こうの支店とセバスチャンに任せてあるから、私は傍観するだけ」

「ほんと、お嬢はドイツと関わりたがらないね」

「公然と人種差別するような人達と関わる気ないわよ。それに、あの手形って時限爆弾よ。そんなもん進んで大量に抱えようって国と、親しくなりたくないわね。幸い遠いし」

「あっそ」

 お芳ちゃんは、私の暴言にも一応相槌打ってくれるけど、マイさんはちょっと引き気味。今は、私の常識にとってのバロメーターにもなっている。
 だからこの話はこれでお終い。休憩がてら、机に突っ伏す。

「もう、暗い話はたくさん。何か明るい話題ない?」

「そうですね。今月26日からシカゴ万国博覧会が開催されます。日本時間だと27日からですが」

「おーっ、もうそんな時期か。飛行機でもあれば見に行きたいところだけど、人も金も日本政府に出したし、あとは日本の認知度を少しでもあげてくれたら最高ね」

「はい。ですが、アレで良かったんでしょうか?」

「アレとは?」

 少し躊躇するマイさん。私のアメリカ分析は、前世知識があるから完璧の筈なのに。

「富士山・侍・切腹・忍者・相撲・芸者・鋤焼・鮨・天麩羅……」

「一番重要なのはニンジャね。それとマイさん。そこはイントネーションを英語っぽく、アルファベットかカタカナを意識する感じで。サムラーイって」

「サムラーイ? 確かに、日本語の発音は平坦ですからね。イングリッシュの発音に近づけると、分かりやすいと思います」

「あ、うん。混血らしいご意見ありがと」

「はい?」

 明確なお答えに、平たい言葉で返答したので、マイさんが少し困惑気味だ。合わせて空気も少し緩んでしまった。
 そこに助け舟は、お芳ちゃんだ。

「アメリカから日本にはそれで良いだろうけど、お嬢はアメリカから何か取り寄せようとしてたよね。新しい工場か機械?」

「ううん。『三匹の子ぶた』!」

「ハ? 食べるの?」

「子豚を3匹ですか。珍しい品種でしょうか?」

 歓喜を含んだ私の言葉が足りなさ過ぎたせいで、私にとって予想外の反応。そういえば、まだ話していない事を思い出す。

「ディズニーの新作映画よ。凄く楽しみ」

「ああっ、アニメーション映画でしたか。玲子様も、そう言うところはまだ子どもらしいですね」

「だね」

 みんな笑顔のお答え。さすが私の神。
 そしてディズニーの新作が見られると言う事を思い出したので、私の機嫌もかなり上向いた。
 だからそのまま、今後の予定を口にする。

「さあ、来月頭には満州よ。せめて日本だけでも、景気の良い話を増やさないとね!」

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瀧川事件(たきがわじけん):
1933年(昭和8年)に京都帝国大学で発生した思想弾圧事件。

ウクライナ飢饉:
ホロドモール。1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人為的な大飢饉。
ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得をする為、貴重な外貨獲得手段である小麦を強制的に徴発する事で発生した。

『三匹の子ぶた』:
配給開始は史実も同じ頃。ただし、同時期に日本で配給されたと言う記録はない。

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