■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  327 「北満州大油田(4)」  

「さて、我らも逃げるとしよう」

「親父殿、本当に逃げるのか?」

「姫がそう仰せだ。それに逃げながら撃つと言う策は、考えていなかった。車とは便利だな」

「フンッ。だが、あの数。弾が足りんぞ、親父殿」

「相手は知らん」

「それもそうか」

 そう言って王破軍が大らかな笑みを浮かべると、息子の武曲がヤレヤレという風に肩を竦める。どちらも、単に仕事の算段をしているだけと言う表情でしかない。

「それで策だが、方陣を組みながら逃げる。四方はトラック。それぞれの荷台に機関銃を配する。俺とお前が後ろの左右だ。接近されたら1連射だけして、あとは牽制に止める。それとトラックの技師連中は、出来る限り乗用車に詰め込め」

「動く砦というわけか」

「姫のお考えよ」

「姫、ねえ。人を砲台替わりとは、まあ普通の考えではないな」

「なればこそよ。さあ、無駄口を叩く時間はないぞ」

「らしいな」

 二人が視線を向けた先には、100騎どころかその2倍から3倍の騎馬の群れが見えた。しかも、中には自動車やトラックすら見える。
 草原なので見晴らしはよく、距離がかなり近づいている事もあってその姿も良く見える。視力の良い者なら、詳細もかなり掴める距離だ。

「隊長ーっ! 旗が見えます!」

 視力の良い者を選び、さらに 荷台の上で双眼鏡を持たせていたが、その者が双眼鏡を覗きつつ叫ぶ。

「旗か。単なる盗賊じゃないぞ」

「この辺りの者達との話は付いている。我らがここまで来るとはまだ伝えてはいないが、抗議にこの数はあり得ん。数百は戦備えだ。戦わず話すにしても、拠点まで下がりこちらも数を揃えてからだ」

「なんだ、戦わないのか?」

「負け戦は趣味ではない」

「それは俺も同じだ」

「うむ。では、ケツ捲るとしよう」

 そうして素早く動き始めるが、草原の上を一定の陣形を組みながら進むのは意外に手間で、時速はせいぜい2、30キロ。
 一方騎馬の群れは速歩程度だったが、王達が動き出すと駆歩程度にまで速めたので速度は同じくらい。しかし王達が動き出したのを見ると、数騎が前に出て駆けてくる。速度は他の倍近い襲歩。馬は長時間速く走る事は無理だから、取り敢えず追いつくのが目的といった走りだ。

「隊長、連中の先駆けに、何かの旗が見えます」

「そのようだな」

「武器も構えていません。使いなのでは?」

「だろうな。まあ、追いつくのを待とう。このまま進む」

「ハッ!」

 トラックの荷台に立つ大男は、部下の声にどこかのんびりと答えつつ、状況が変化するのを待った。

 ・
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 私の眼前で、不思議な光景が広がっていた。
 数百の騎馬の兵士が、馬から降りて整列していた。しかも私達の前で、チャイニーズドゲザモードで平伏している。これが映画なら、重厚なBGMの一つでも欲しいところだ。

「ワンさん、何があったの?」

「さて、何から説明して良いのやら」

 頭を軽く掻きつつ、苦笑いなワンさん。
 というのも、この騎馬の集団と共にワンさん達、それに救援に出た拠点の兵士達と一緒に戻ってきたのはとても嬉しい事だった。しかも全員無傷。
 ただ、私達に接近してきた騎馬集団の人たちは、隊長か頭目か知らない人を始め、全員が私を見るなり平伏してしまった。

(皇帝か王様にでもなった気分ね)

 軽く途方に暮れそうになったので、内心ため息をついてお願いする事にする。

「頭を上げて下さい。それと可能な限りで良いので、簡潔に説明して頂けますか?」

「ハハッ! 鳳閣下のご息女がご滞在にも関わらず遅参の段、平にご容赦頂きたく!」

 絶叫するように言って、さらにチャイニーズドゲザ。
 通訳はワンさんがしてくれるけど、ほんの少しだけ覚えた満州語の知識でも、謝りまくっているのは何となく分かる。

(ドゲザはいいから、話せっての)

「父のお知り合いなのですか?」

「我が大兄の、さらに大兄だと聞いて御座います。この度、我が大兄より皆さまの警護を任されながら、遅参のみならず危急の段にまで遅れ、謝罪の言葉も御座いません!」

 さらに絶叫するように言って、さらにチャイニーズドゲザ。
 ただドゲザ対象は、我が大兄のようだ。そしてその大兄は鳳麒一郎。そしてこの辺りでお父様な祖父が親しい有力者といえば、一人ヒットする人がいる。

「あなたの大兄は、馬占山将軍で合っていますか?」

「その通りに御座います。誠に勝手な申し出では御座いますが、この度の事、平にご容赦を!」

「この通り、私もみんなも大丈夫だから問題ありません。今回の一件で知っている事を教えるのと、今後の警備をしっかりしてくれるなら、こちらからは何も求めません」

「寛大なお沙汰、感謝の言葉も御座いません。今後も粉骨砕身尽くさせて頂く所存!」

「はい。宜しくお願いしますね」

(ていうか、この地域や民族的に、女のガキにドゲザって良いの? 馬占山って余程怖い人なのかなあ)

 そしてその後、騎馬の群れには小休止してもらって、ドゲザ男を交えて報告会と、今後の軽い打ち合わせに入る。
 私達、出光さん達、それに警備のワンさん達。そして、ドゲザ男だ。

「いやぁ、流石は我が大兄のさらに大兄のご息女だけありますな。寛大なご配慮、感謝しきれません」

 ドゲザ男、おべっかを言っているけど、態度はすっかりリラックス。完璧なまでのチャイニーズドゲザは、薄々感じていたけど演技だった。そしてそれを悪びれない。神経が相当図太いか、図々しいタイプの人らしい。
 それにこの人の下の名前が「文曲」と北斗七星の人だった。けど、私的にはもうドゲザ男だ。

「それで、あなたは私の父の鳳麒一郎の友人である馬占山将軍の部下で、騎兵部隊を預かっている、で良いのね」

「左様です。連れてきたのは300騎ですが、総数は倍の600騎います。大陸中原風に言えば、騎馬六千ですな。如何様にもお使い下さい」

「分かりました。それで、王さんの指揮下に入っても構わないのね」

「勿論です。このまま鳳にお仕えしても構いません」

「ん? あなたの上司は馬占山将軍で、あなた自身は満州自治政府の軍人じゃないの?」

「今はね。だが、鳳は禄が高いと聞きます。そして我々は、その禄に見合うだけの働きが出来ます。それにまあ、満州自治政府もいつまで続くのやらと、少しばかり心配でしてね」

 抜け抜けと言う。ただ、この辺りの満州自治政府軍は、司令官の馬占山も含めて、馬賊上がりの成り上がりか、この辺りの騎馬民族の集落の男達を束ねるような人だから、大なり小なりこんなもんらしい。
 そしてみんな、お金が大好きだ。

「ハァ。それは今後のあなた方の働きを見てから、決めさせて頂きます。それで、今日私たちを襲ってきた者達は、単に日本が気に入らない、この辺りの人たちの集まりって事で良いのね」

「まあ、ちょっと前はロシア人が嫌いでしたがね。外の連中なら誰でも嫌いで、長城を超えてくる業突く張りどもが一番大嫌いです。ただ日本人は、捕まってもその場で殺す事も少ないので、襲いやすいんですよ。でもまあ、あれだけ叩かれれば、少しは大人しくなるでしょう」

(リスクが低いって事か)

「分かりました。じゃあ、周辺に我々が敵じゃないと伝えて下さい。それでも向かってくる人達には、あなた方の流儀で処置してくれて構いません」

「宜しいので?」

「この辺りは、鉄道沿線ですら日本軍は殆どいませんからね。私達も、広い地域に対して手持ちの警備兵だけでは足りないので、細かい事は問いません。ただ、鳳の評判を落とすような事が決してないよう、王などからもよく聞いて当たって下さい」

「承りました。我が大兄・馬占山将軍からもくれぐれもと頼まれております。お任せ下さい」

「そうですか。ところで、馬占山は今どちらに? 出来るなら、挨拶をさせて頂きたいのですが」

「ハルビンにおられます。ですが、お忙しいので会うのは難しいと言う言伝を預かってます」

「分かりました。父からもいずれ手紙を出しますが、私からもくれぐれも宜しくお願いしますとお伝えください」

「お言葉、確かに承りました。それでこれからは?」

 本当に話をちゃんと聞いてくれているのかと思うくらいに、何だか軽い。
 テンポが早いと思うべきなんだろうけど、やっぱり軽い気がした。多少は、注意した方が良さそうだ。

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速歩、駆歩、襲歩:
馬の走る速さの言葉。
速歩は10キロ程度、駆歩は2、30キロ程度。
襲歩は全力疾走で、6、70キロになる。

馬 占山 (ば せんざん):
満州地域(中国東北部)の馬賊。
一度は満州国に帰順するが、すぐに離反。その後日本と戦い続けた。日本陸軍は『東洋のナポレオン』とも呼んだ。
馬賊時代の経験を活かしたゲリラ戦術が巧み。

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