■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  334 「観艦式」 

 1933年、昭和8年、8月25日、横浜沖にて日本帝国海軍の大演習観艦式が挙行された。

 参加するのは艦艇161隻、航空機200機。参加艦艇の総排水量は約85万トンにも達する。
 世界でこれ以上の海軍を有するのは、大英帝国とアメリカ合衆国のみ。世界に冠たる三大海軍国の一角である日本帝国が挙行する一大イベントだ。
 しかし観艦式は三年ぶりのこと。前回は1930年10月26日に神戸沖で実施された。

 なお、観艦式というから海軍の船に乗って見られるのかと思ったけど、私の想像とは違っていた。
 そもそも「大演習」だから、関係者以外立ち入り禁止。観艦式を観せる相手は、主に天皇陛下。そして政府、海軍のお偉いさん。
 うちは大量の油を納入しているから割り込めなくはないけど、子供は論外。晩餐会には、鳳グループを代表して善吉大叔父さんと出光さん、それに虎三郎が招待されているくらい。

 また、私の前世の記憶のニュース映像などでは、自衛隊は観る方も観られる方も動いていたけど、この時代は整列して停泊した艦隊の間を、御召艦など観閲する数隻の船が観て回る。陸軍の閲兵式とは逆だ。
 まあ、100隻以上の艦隊が動き回ったらさぞ大変だろうから、無理もないのだろう。

 当日は、夏の盛りを過ぎていたので、もはや残暑。
 私達は午前中は、横浜の鳳の迎賓館で待機して、観艦式自体が終わり観閲していた艦隊と、受閲されていた一部の艦艇が横浜の岸壁に到着する前に、現地へと入る。

「おーっ、御召艦時代の『比叡』ちゃんよ。それに、『高雄型』姉妹勢揃い!」

「玲子様、詳しいんですね」

「玲子ちゃんって、海軍の船は妙に詳しいのよね」

 岸壁から眺めるだけの見学者の人だかりを避け、関係者用の区画に車で入った先で港に入ってくる海軍の船を見る。
 そして一応は関係者としてねじ込んだので、私以外にマイさんと瑤子ちゃんがこの場にいる。サラさんの方が年齢的には良いだろうけど、見た目が白人すぎて政府関係の行事には相応しくないとダメだしされていた。

 その私達の視線の先には、船のそこかしこに白いテントを張った船が整然と入ってくるところだった。
 そしてその後ろには、さらに別の船の群れも見える。そっちは、高いマストが複数見えるから、戦艦多数って感じだ。

「まーねー。沖の船が私達も乗れる船よ」

「こちらじゃないんですね」

「うん。御召艦と最新鋭の巡洋艦だから、流石に市井の人は乗せられないって」

「防諜上って奴ね。あっちは良いの?」

「見た所、少し古そうな船みたいだから、見せても大丈夫なんでしょうね」

「私じゃあ、ペンキが真新しいくらいしか新旧わからないけど、専門家が見れば違うんでしょうね。マイさんは機械強いですよね」

「私、船はあんまり分からないのよ。船の免許は持ってないし」

「じゃあ、飛行機は? 沖合を沢山飛んでましたよね」

「残念ながら飛行機も。でも、船より飛行機の方が好きかな。私の車も、エンジンは元は飛行機のやつだし」

「だからあんなに速いんですね」

 私が船に見入っている横で、二人の微妙にズレた感じの会話が続く。
 まあ、女子的には海軍の軍艦なんて、そんなもんだ。マイさんが車に詳しいのが変わっているくらいだし、男子達のように力強いものを見ても、大して気分が高揚するわけでもない。

 私が多少詳しいのも、前世のゲームを通じて多少知っているからだ。ただ、記録映像や映画で見た姿とは、やっぱり少し違っている。
 遠くから近づく一番大きな戦艦は、相変わらず煙突が2本あって1本が変わった曲線を描いている。他の戦艦も、構造物がどこか華奢だ。違わないのは、戦艦の後ろに続く軽巡洋艦と、少し古そうな駆逐艦達くらい。
 軍縮条約でがんじがらめだから、近代改装も難しいんだろうか。それとも、まだ近代改装の時期じゃないだけかもしれない。その辺りの事は全然知らないけど、大きいものが動いている様は、近づいてくるとそれだけで迫力がある。

「それでは花束を贈呈して頂きます。贈呈するのは、鳳伯爵家のご息女の方々です」

 司会進行役の言葉を受けて、3人の鳳の女子が目の前の真っ白な海軍軍服をキメた提督達に花束を渡す。
 そして渡す瞬間には、少し長めの記念撮影タイム。ムービーも撮っているけど、テレビはまだないからニュース映画や記録映画用だ。

 なお、花束を渡すと言っても、観艦式自体がめでたいわけでじゃないから、せいぜい日々の任務ご苦労様な程度の花束。何かセレモニーがあった方が良かろうという程度のものでしかない。
 そして既に、陛下をはじめとした方々との行事は晩餐までないから、目の前の提督達もリラックスしている。

 ちなみに、私達が3人なのは海軍トップが全員参加しているからだ。ただ、私の前世の記憶の片隅に海軍三長官というキーワードがあるけど、この時代は特にそう言う風に呼ばれてはいなかった。
 海軍大臣・軍令部長・連合艦隊司令長官のうち、政治をするのが大臣、陛下を補佐して軍事的な命令を出すのが軍令部長、実戦を行うトップが連合艦隊司令長官と言った感じ。
 三つはそれぞれ陛下直結で並列だけど、それぞれから政治、軍事の命令を受ける連合艦隊司令長官がやや下に位置する。

 ついでに言えば、軍令部長は陸軍の参謀総長より、やや格下になるらしい。それに連合艦隊は本来は常設ではなく、その都度設けられるものらしいけど、書類を見た限り途切れた事がないので、書類上、法制度上の話なんだろう。

 1933年夏の終わりの時点では、海軍大臣が山梨勝之進。今年の一月にそれまで大臣だった岡田啓介の後備役編入により代変わりしていた。
 軍令部長は、谷口尚真。ロンドン会議で頑張っていた人くらいの印象しかない。そして連合艦隊司令長官が、野村吉三郎。私的には、開戦時のアメリカ大使だ。さらに、それぞれのナンバー2は、海軍次官が左近司政三、軍令部次長が百武源吾。

 これが今の海軍のトップだけど、海軍内ではかなり問題視されている。と言うのも、ほぼ全員が軍政家。要するに、海軍内の官僚だからだ。しかも他の要職も、軍政に強い人が占めていた。
 このため軍艦に乗り、艦隊を率いる優秀な提督がいないから、海軍の戦力が質的面で大きく低下しているのだと言う。統帥権問題の時にやらかした末次も、優れた指揮官だったそうだ。

 そして、それを言い立てているのが、基本的には軍艦に乗る人達。そしてその多くが、ロンドン会議で軍縮に反対していた『艦隊派』だ。
 後ろで遠くまで見渡せる人達が軍縮を進め、軍艦に乗る脳筋が主に反対していた構図が、こう言うところで浮き彫りになっていた。

 そして今の海軍内では、軍縮に反対した『艦隊派』が巻き返しを図ろうと水面下で活動を活発化しているのだという。
 目的は、次の海軍軍縮会議を、日本の要求通り通すか軍縮会議そのものから脱退し、『艦隊派』が望む艦隊を揃える事。
 米英、特にアメリカの脅威から日本を守る為に万難を排してでも必要らしい。

 いつも思うけど、私が見ている景色とは随分違い過ぎて、途方に暮れそうになる。
 日本の政治、外交は比較的良好。アメリカとの関係も、大きなところでは問題はない。ルーズベルトは私にとっても大魔王だけど、私には海軍の『艦隊派』が考える事が理解出来ない。

 その上『艦隊派』は、イギリスにまで警戒感を隠さない者までいると言う。米英の7割に頭を抑え付けられた事が、気に入らないだけとしか思えない。右翼や国家主義じゃないとするなら、考え方が歪みすぎだ。そうでないとしたら、幼稚すぎる。

 けど、そんな人達が巻き返す可能性は、今の所かなり低い。
 もともと海軍は、軍令部より伝統的に海軍省が優位だ。そして上位に残っている海軍の提督達は、大半が軍政家で政治に強い。
 艦隊派の唯一にして最大の切り札となり得た伏見宮博恭王は、陛下に叱責されたと言う大きすぎる失点もあり、中央の政治から離れて隠居してしまっている。しかも最近では、陛下の行く末を見守るようになっていて、自ら海軍から大きく距離を離している。
 
 『艦隊派』が力を取り戻すには、最低でも残って大人しくなった現在の少将クラスの一部が上に登る頃を待たないと厳しい。
 山本五十六前後の世代になるから、2年後の35年辺りから話が始まる次の海軍軍縮会議で、海軍内の流れが変わる可能性は非常に低い。
 しかも海軍全体は、軍縮派とまではいかなくても、現状維持派が多くを占めている。余程、日本を取り巻く情勢が厳しくならない限り、『艦隊派』が力を取り戻す事はないだろう。
 それが、鳳総研での予測だ。
 だから私も花束を渡したあとで、笑顔で言葉を伝えることもできようと言うものだ。

「皆様、日々のお勤め本当にありがとうございます。これからも、日本の為に宜しくお願い致します」

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大演習観艦式:
1933年(昭和8年)8月25日、横浜沖で開催。
参加:計161隻(84万7,766トン)、飛行機200機。
作中は史実と同じ。
ただしこの世界では、条約対象外の艦船が若干違っている筈。

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