■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  338 「北満州油田の行方」 

 昭和8年秋。日本とその周辺には、1930年をさらに大きく上回る空前の豊作が訪れた。

 作付指数120以上とか、もはや有りえない。しかも来年は、1931年の作付指数を下回る大凶作が待っている。特に東北は冷害が酷く、前世の教科書などでも大きく取り上げられているほどだ。
 ただ今年の豊作は、「農林一号」の効果が出始めている影響らしい。だから来年の不作に向けて、一層普及をする予定だ。

 そして今年の大豊作では、余剰米を買えるだけ買って大量に備蓄する予定だ。鳳もするし、政府、行政にも働きかける。幸い、まだ原敬は健在だから、色々としてもらう予定だ。
 諸々の為の散財も準備している。来年度予算には、最後の献金もする予定だ。

 一方、日本は未曾有の好景気が押し寄せている。
 原因の一部は私だ。
 何しろ30年下半期から33年の上半期の3年にかけて、都合10億ドル以上の買い物をした。九割以上がアメリカからで、30年から33年の4年間の日本の膨大な貿易赤字の大半は、私が作ったようなものだ。10億ドル、約30億円分のうち特許料や購入した現物製品以外を差し引いても、とんでもない金額。

 しかも31年からは、関税がガクンと上がった。もう死にそうなほど関税を払った。ていうか、買物代金の1割くらいが税金で消えた事になる。ある程度織り込み済みだったけど、関税で日本に大金を献納しているようなものだ。
 大蔵省が、本気でビビったほどだ。だから一部は、ドルで納めてやった。

 けど一方では、去年から大規模な一貫製鉄所が稼働したから、アメリカからのくず鉄、銑鉄の輸入は一気に激減した。今後も一貫製鉄所は増えまくるから、数年先にはゼロに近くなる予定だ。さらに石油の方は、ごく一部の石油精製物以外の輸入をしていない。
 数年後には工作機械の輸入もほぼいらなくなるから、5年後はアメリカとの貿易は日本の大幅な黒字すら予測されている。
 もっとも、それはない。

 何しろ数年後にはアメリカではナイロンが発明され、そして後5年ほどでパンティストッキングなどの原材料に取って代わる。
 当然、不景気で落ち込んだ絹の輸出は、さらに激減する。
 さらに有事になれば、30年代に入って大幅に輸出を伸ばしている綿織り物の輸出が止められてしまう可能性だってある。実際、私の前世の歴史ではそうだった。

 それ以外のアメリカへの有力な輸出品と言えば、何と玩具だった。この頃から、日本の玩具がアメリカ市場を席巻していたとか、未来を知る身としては軽く苦笑をしてしまう。
 もっともこの時代はブリキ玩具などが主力。だから人件費の安い国で作らせて買うのは、ある意味当然だった。

 そして日本の輸出品は、つまるところ有事には不要なものばかりだ。しかも綿織物の原料の原綿は、インドやアメリカから輸入している。
 米英と貿易が止まったら、貿易が死ぬのは当たり前だ。大陸に活路を見出したところで、根本的な解決からは程遠い。
 一方で私が色々したので、オーストラリアを始めとして英連邦との貿易が止まったら、この世界の鳳グループは瀕死になる。日本の重工業も死にかけるだろう。

 もっとも、私の前世でのおぼろげな記憶でも、日本の主な工業原料の輸入先はほぼ全てが英連邦とアメリカだ。合わせて七割くらいだった筈だ。
 この世界では、石油とくず鉄の輸入が不要になったので、アメリカからの輸入停止は致命傷にはならない。私の前世での一番の開戦理由は、もはや存在しない。石油に関しては、インドネシアに攻め込む必要もない。
 けど逆に、イギリスとの関係が死んだら、自動的に日本はイギリス領に攻め込まないと、殆どの重要な工業原料が手に入らなくなる。

 だから、現時点での私の破滅回避の目標は、イギリスとの関係を維持する事になるのだろう。少なくともアメリカは、日本の側からは無視可能となった。そしてアメリカが日本を無視するかは、これからの情勢次第だろう。
 けど既に、死亡フラグの幾つかは回避したと思う。

 そして日本の破滅回避の大きな一手が、動き始めていた。
 「北満州油田」だ。

 同油田は、日本で海軍の観艦式があった8月25日に、試掘成功の朗報がもたらされた。家に帰ると、鳳ビルが大騒ぎになっていた。私も一報を受けると、鳳ビルに駆けつけたほどだ。
 そして9月に入ると、北満州油田の開発に関しての話し合いが急ぎ本格化する。

 油田の運営についてのガイドラインは、この時代で言えば日本製鐵方式。政府が法律作って、大蔵省が株の大半を出す形を目指す。
 ただし、日本製鉄が官営の八幡製鉄所が規模の点で過半数だったのと違い、民間の鳳グループが開発の中心となるので半民半官が大前提。

 10月時点での素案での株式比率は、政府51%、鳳が33%、残り16%は他の財閥。
 加えて、諸々の技術などの問題を理由として、外資の導入を鳳側の絶対条件としてある。でないと、特許が使えなくなって掘れなくなると、半ば嘘で脅してあった。

 それ以外でも、鳳グループが現在建設中の岡山県水島の石油化学コンビナートで、一貫して製油を行うことが条件。この件に関しては、鳳だけが持つ技術を用いないと、製油の諸々が非効率で上手くいかないから。
 この辺りの話では、遼河油田の産油と精製での実績が大きくモノを言っている。
 そもそも、現時点での日本の製油能力は、8割以上を鳳グループが占めている。独占、寡占が多い日本の経済界だけど、重要産業だけに鳳の存在感は日に日に巨大化して居る。

 当然、日本の各社は値引きなど「同じ日本人だから」と甘いことを言ってくるだろうけど、自分でアメリカの王様達に話通してから、こちらも話を聞くと強く伝えてある。
 既に一部が動いているけど、動けるのは三菱財閥くらいしかない。

 日本限定で、世界的には小さな会社でしかない日本石油では、手も足も出ない。私の前世と違って北樺太の油田を領土ごと持っているけど、年間採掘量が100万トン程度では世界で見ると話にならない。
 国内で見ても、鳳は北樺太の3分の1に加えて、主力の遼河油田がある。1933年の採掘予定量だけでも、600万トンを優に上回る予定だ。

 問題があるとするなら、埋蔵量100億バーレル以上の大油田だとまだ証明しきれてない事。
 だから、海外からの買い物で散財しすぎた鳳が、金を集める為に話を盛ったと思っているところが少なくない。鳳の動きを掴んでいた日本石油ですら、現時点では半信半疑だ。

 試掘成功の第一報も、半信半疑だったほどだ。けどそれは、遼河油田の時も似たようなものだったので、鳳の石油を見つける能力は評価されている。
 それに既に5本の試掘を終えて、その全てで成功はしている。1つ当たり10億バーレルの半ば皮算用としても、50億バーレル。この時点で、遼河油田の二倍以上の規模という事になる。

 私がテキサスで石油を掘り当てた話も、半ば尾ひれがついて伝わっている。日本人のほぼ全員が知らないのは、ペルシャ湾岸の油田の話くらい。
 だからか、満州での極めて大規模な油田という話は、まだ十分に信じられていない。だから、また鳳が掘れば良いだろう、くらいに思っている人が少なくない。
 さらに、鳳が政府を音頭取りさせた合弁という話は、話がうま過ぎるくらいに思っている。

「それで、アメリカの王様達はなんて?」

 いつもの私の仕事部屋。お芳ちゃんが興味深げに私の手元を見ている。何せ私の手には、さっき届いたばかりのアメリカの王様の一人からの手紙がある。

「めっちゃ関心低い」

「どう低いんですか?」

 マイさんが、お芳ちゃん以上に強い関心げな声。自身も現地まで赴いたからだろうか。

「『お前また油田見つけたのかよ。これで幾つ目だよ。しかも大油田だって? 俺達、しばらく新油田の話なんか聞きたくないよ』だそうです」

 揶揄した言葉に二人が小さく笑う。
 ついでに言えば、多分安心の笑みだ。私もホッとしたから、軽くジョークも言えようと言うものだ。

「石油は世界市場でも随分とダブついてるからね。けど、日本が好景気だし、見つけてなかったらアメリカは良い輸出先が見つかったから、怒ってたんじゃないの?」

「私もそれを懸念していました」

 私も同意見だった。けど、流石はアメリカの王様達。王様は伊達じゃなかったと、その内容には感心すらした。

「私も。けど、王様は『見つけたもんは仕方ない』って優しい言葉です。けど、釘も刺してきました。『取り敢えず、鳳が1%でも多く利権持っておけ。その利権を後で分けろ』と」

「意外に優しいね。けど、どうやって買うの?」

 お芳ちゃんの疑問に、隣でマイさんがウンウンと同意の頷き。

「大きく国が絡む以上は正攻法で行くべきだから、交渉と説得は自分達がするって。勿論、鳳が手伝うのは大前提だけど」

「忠誠心や身内としての価値など試されてませんか?」

「そんなところだと思います。取り敢えず外資の参入の件は、初手から出しますけどね」

「初手からなんだ」

 お芳ちゃんはちょっと意外げ。
 マイさんの方は、少し安堵顔。お兄さんがアメリカの王様達と繋がろうとしているんだから、そこも気になるんだと思える。

「うん。どうせ鳳がアメリカの財閥と繋がっているのは周知の事実だし、最初に切り出す方が短気な連中も誘導しやすい。それに、満州臨時政府を始め、関東軍が嫌いなところは賛成してくれるだろうから」

「短気な連中か。陸軍のかなりと右翼の人達と、後誰だろ?」

「関東軍ですね」

「お嬢の言う、今回のラスボスだね」

「そうですね」

 そう言って、私を除け者にして二人で小さく笑みを交わしている。
 けど今回は、私も多少は余裕がある。ラスボスは凶暴だけど、独断専行を躊躇(ためら)っているし、鎖にも繋がれているからだ。
 だから軽めの言葉を返す。

「話通じないのが、一番頭痛いけどね。海軍と陸軍の実務する人達は、5対5の取り分で話が付いたのになあ」

「財閥は?」

「16%の分も、お金出せる財閥が集まるかどうか」

「はい。油田の概算規模を伝えたら、以前から探りを入れていてた日本石油ですら尻込みしています。その代わり、三井と住友は乗り気。三菱は勿論。日産系の日本鉱業も参加します。ただし、日本石油を足しても16%に達しません。
 大蔵省も、政府が5割出さねばならないので、戦々恐々です。ですから、当初は出資規模、開発規模を、需要がまだないと言う線で小さくするつもりのようです」

 お芳ちゃんの質問に、私が答えるとマイさんが資料の内容を続けた。そう言えば、お芳ちゃんは違う件を任せていたから、この件で質問が多いと思い至る。

「まあ、王様達から言われたから鳳が出すから、お金の事はいいんだけどね」

 そしてマイさんの説明を私が結ぶ。けど、お芳ちゃんはまだ納得してない。

「満鉄は?」

「満鉄は、満州の輸送と情報以外は興味ないって。けど、大油田確定でパイプライン作らないのなら、専用線を作っても良いって。で、産油量、手間暇、時間、お金を考えたら、当面は鉄道が良いから、満鉄もこっちの味方」

「まあ、そうか。じゃあ、あとは政府と陸軍中央が関東軍を黙らせて、お嬢がアメリカの王様の分の利権も手にしたら万全だね」

「万全かなあ? まあ、進むしかないけどね」

 大油田発見は大事件の筈だと構えていたのに、妙に拍子抜けする幕切れだった。
 そして『帝国石油』として、半民半官の会社を政府主導で立ち上げる方向で進む。株式比率は、政府51%、鳳が37%、残り12%が他の財閥となって、話が進んでいく事になる。
 鳳の取り分の一部は、外資が買う予定の分だ。
 政府はともかく、財閥間の株式比率は現状での産油量に近いので、バランスは取れたと見るべきなんだろう。
 

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帝国石油:
史実でも存在したが、この世界の会社は全く別。
史実では1941年に、日本石油と日本鉱業などを統合して設立。

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