2001年9月11日深夜、新たな帝国の首都と世界的にも認識されつつあった南洋に浮かぶ巨大構造物「トラック宇宙港」の一角でロケット打ち上げとは少し違う焔と煙、そして爆発音が轟いた。
日本帝国にとって東京の次に、いや、もしかしたらそれ以上に重要な拠点であり必要十分に防衛された場所だけに、最初その爆発を知った人々は、単なるロケット実験の失敗だろうと考えていた。ここが攻撃される事など可能性として限り無くゼロに近いからだ。
しかも、あまりにも広大な基地なだけに、その爆発規模は相対的に小さな規模でしかなく、その後しばらくして鳴り響いた空襲警報のけたたましいサイレンの響きと共に一斉にサーチライトが天空を照らすまで、「事故」に気づいて動きだした人々以外、つまりかなりの数の気付かなかった人々は、あるものは仕事を続け、あるものは衛星テレビやパソコンのモニターへと視線を注ぎ、またあるものは何も気付かないままそのまま眠りをむさぼった。
そして空襲警報発令により、その爆発が何者かによる空襲である事は分かったが、ここで始めて混乱が発生した。なぜなら、弾道弾を用いるか、ドイツの持つような潜水空母でも使わない限り、全ての勢力圏から遠く離れ濃密な電探と監視衛星で守られたここを通常爆撃で奇襲攻撃できる能力を持っているのはアメリカ軍ぐらいだったからだ。しかし21世紀を迎えた今日、日本とアメリカは少なくとも表面的には共に世界を牽引すべく固い外交関係で結ばれており、どこかの誰かが突然狂いでもしない限り米軍の攻撃などあり得なかったし、欧州、そしてドイツについても似たようなものだった。故に、混乱は大きかった。
眉唾だが、本気で異星人の襲来を疑った者もいたとすら言われた。何しろそこは、世界唯一の「宇宙港」だったからだ。
そして数分後、トラック宇宙港は警備部からの報告で事実を知り驚愕する事になる。いや、同時に同様の現象に見舞われたニューヨークやワシントンでの惨状がリアルタイムで放送される事により、トラック宇宙港だけでなく世界中が震撼する事になった。
それが、日本帝国自身も被害者となった「世界同時多発テロ」と呼ばれる無差別テロ、いや新たな世界秩序変化への歩みの日本でのゼロ・アワーだった。
事件そのものは、世界の富が新たなローマ帝国である日本とアメリカに集まり過ぎ、その両国が徒党を組んで世界を支配しようとしているとした、日米とは異なる理論を持った極度のパラノイア的思考しかしない国際テロ組織が、両国にとっての象徴的な対象にハイジャック機による自爆突入という、通常では防衛不可能の攻撃を行ったと表面的には要約できるだろう。
しかし精神的なものはともかく、トラック宇宙港はアメリカ各地とは違い自身の物理的損害は思いの他小さなものでしかなった。
それは、旅客機が激突した区画が宇宙基地の最重要区画であるリニアカタパルト外縁の特に強固に建造された区画であり、しかも施設自体は扱うものが危険物が多い事から過剰な防災対策が施され、さらに構造物の特長であるモジュール構造を活用した強固な防壁システムが被害を最小限にとどめてしまったからだ。しかも幸運な事に被害箇所が時間的にほぼ無人(パトロール・エレカーで警備員が巡回する程度)だったため、旅客機以外での被害は最小限で止まっていた。
発生した火災そのものも、数時間で基地の消防隊により鎮火し、半月後にはペンキすら塗り直された姿で完全に通常の業務に復帰していた。
ちょっとした横やり程度で日本人達は宇宙への歩みをとめるつもりはないと内外に提示したとも言えるが、ここでの業務が停滞すればそれだけ金銭的・時間的な損失が大きくなるという現実が、トラックに新たな日常をすぐにも取り戻させたのだ。
だが、基地の近辺でそれまで休暇配置についていたような団体は、テロ以降180度転換したような態度と行動を取るようになっていた。いや、それまでもそうだったのかもしれないが、そう認識されるような程態度を過剰化させた。団体とは言うまでもないが、弧状列島の防人たる日本帝国軍の事だ。
そして、その決意を見せるかのようにその年の暮れ、有史上最大の戦闘艦とされ「機動要塞」や「メガロフロート・フォートレス」と呼ばれる巨大な艦艇をトラック近海に呼び寄せ、そこを根城に戦闘機部隊と対潜航空機が24時間体制で活動するようになっていた。それはまるで、本格的な戦闘機運用施設がトラックに足りないなら基地ごと持ち込めばよかろうと言いたげな行動だった。
そして、自らが守る存在と似た構造をしたその巨大な艦艇は、もちろん日本海軍籍にあった。ただその艦艇が正式に戦闘艦となったのはトラックに来る数週間前の事だった。
日本本土を離れる時、就役から10年近くを実験艦として過ごしていたものが正式に軍艦へと昇格され、艦艇分類として新たに「超大型汎用母艦」というあまりにも直接的な名称まで頂戴していた。そしてこれにより正式にジェーン海軍年鑑とギネスブックにも世界最大の軍艦として登録される事になる。
ただ、艦の名そのものは実験艦時代からそのままとされた。
艦の名を「飛鳥(Asuka-II)」と言う。
この艦は、1994年に今後の大型艦艇、特に空母の形をどうするかという事を調べるために、トラック宇宙港建設で事故を見越して余剰建造し結局余ってしまった予備モジュールを使い建造された、全長1,200メートルという一寸した飛行場並みの大きさを持った航空機運用艦艇、いや自力で再配置が可能な強固な浮体構造物、つまり海上機動要塞だった。もっとも、「艦」と言うには多少という以上に機動力に問題があったのだから、菊の御紋を付けるかどうかの議論よりも「艦」かどうかの方が問題だろう。
一応1995年の第二次中華動乱で実戦も経験し航空機支援艦艇としての有効性も証明されていたが、余り物を利用して何となく建造した実験艦であるだけに冷戦後の厳しい軍事支出の中持て余され、一度活躍してからは限られた実験を除くと最低限度の保守・実験要員を配置されただけのほとんど保管艦状態だったのが、この度の事件で一躍脚光を浴びるようになった。いや、この艦をなんとか活用したいと考えていた海軍内の一派が、この機会を利用して舞台裏から引っぱりだしてきたのだ。
そして、この出撃の際に行われた突貫工事による新装備艤装や、個艦防空火力を補うために陸軍や海軍陸戦隊の防空部隊や対テロ部隊をそのまま配備した事で不必要なまでにごてごてした外見になり、ハリウッド映画でもお目にかかれないような、いかにも要塞然とした姿を南洋に現し、そのあまりにも厳めしい巨体でリヴィアサンよろしくトラック宇宙港付近海面を遊弋していた。
しかも、搭載航空機も急な配備だったことからまだ定数外にある新型の対潜哨戒機や垂直離着陸型の新型艦載機などで構成された海軍の実験航空隊を中核にしていたため、乗員をして「まるで宇宙人に戦いを挑みに行くようだ」と言わしめていた。
そして、この艦の存在こそが、近代日本が百数十年かけ国費の多くを投入し営々と整備し続けた、国防の要たる海軍が到達した一つの結果だった。
|