●Phase 6-3:第二次中華動乱?

 その時、私自身が魔王の玉座を占める首相官邸の地下深くにある政府用の統合発令所は、私の眼前で活気に満ちていた。
 それを象徴するかのように、大写しになっているテレビ中継のモニターからは、戦艦「大和」を中核とする艦隊が、桜の咲き誇る春の日本列島に別れを告げつつ出征していく様が、NHKを始めとするほとんどのテレビニュースのライブで中継されていた。
 彼らは、中華大陸での混乱に先手を打つべく出撃したのだ。

 表向きは、インド洋から長期整備のため内地に帰っていた空母「飛龍」を中核とする空母機動部隊の緊急出撃に際しての補強戦力と指定され、弾道弾警戒の為展開していた博多沖から急遽呉鎮守府に緊急入港し、準備を整えての今の慌ただしい出港の情景となっていたとされている。
 テレビカメラの前で緊張した面持ちのレポーターたちもそう報道していた。しかし、若い女性が軍事に関する詳しい事を口にしているというのは、どうにも違和感を感じてしかたない。
 だが、これを見ている人ならもう知っている事だろうが、真実は別の所にあった。
 「大和」はある目的のため、そしてその為の装備を受領するために急遽呉鎮守府に入港していた。その装備とは新型の巡航弾、「94式巡航誘導弾」通称「ヤブサメ四型」、欧米では「ヤブサメ・タイプ・フォー」と呼ばれる新型ブースターにより有効射程距離2000km以上を実現した透過型巡航誘導弾。まさに最新鋭兵器で、量産がようやく軌道に乗ったばかりの次世代型長距離巡航誘導弾だ。
 この新たな「矢」を以て、共産中華の重要施設を奇襲攻撃するのが彼女の今回の目的だった。
 重要施設とは言うまでもないが、マスコミの言う所の「核関連施設」と「核兵器発射施設」、そしてそれに関連するありとあらゆる施設とついでのような政府・軍関連施設いう事になる(各種通信施設もほとんど公表されないが含まれる)。これらこそが日本にとっての脅威であり、後のその他諸々などは全て刺し身の鍔に過ぎない。これさえ何とかしてしまえば、後は「同胞」たる中華民国なりが頑張って祖国を統一してくれればよいのだ。今後四半世紀を考えれば、日本にとってはその方がはるかに好都合だった。

 幸いにして、まだ共産中華も中華民国も激発していなかった。
 事実上のクーデターにより成立した林彪の息子(※歴史的に一瞬しか出てこないため、ここでも個人名はあえて採り上げていない)とその取り巻きたちの思考は、思いの外堅実だった。いや、二代目だからこその慎重さ臆病さと言うべきかもしれない。
 とにかく、この時共産中華国内で新たな権力が成立した事は確実で、彼らは半ば伝統行事と化している「不法に占拠」された中華民国と満州国に対して激しい非難を行ない、それを後から支援する日本を始めとする周辺国の軍事力の同地域からの即時撤退を叫んでいたが、彼らにとって我が国の不気味な軍事力の展開、一見弱腰とも強気とも取れる姿勢が、国共双方の激発を遅延させていたと言ってよいだろう。
 まあ、こちらの準備が出来るまで舞台の幕を上げてもらっては困るというものがこの時の日本の本音だった。彼等の心の中以外の全てを覗き見し盗み聞きしている我が帝國の誇る各安全保障組織が、彼等の動静を最大漏らさず掴んでいるからと言っても、こればかりはどうしようもないからだ。
 また、早々に国際連盟に問題を持ち込んだ点も今のところ有効に機能していたようだ。賢明なる世界の統治者達は、自分たち以外の勝手なルールで世界を動かそうとする輩を殊のほか嫌っており、この時の音頭取りを創設以来の国連常任理事国にしてアジア最大、世界第二位の大国たる我が国が取る事についても節度ある態度を示していたし、もしどちらかが軍事に訴えた場合、国連軍の出動する一札すら取り付ける事にも成功していた。まあ、実質は中華利権に関して列強の思惑が単に一致しだけだったし、実際この地域に日本と同様に大きな利権を持つアメリカ、イギリスなどは軍の派遣を共に行い戦後の分け前にあずかろうとしてもいた。しかも、アメリカ合衆国に至っては空母機動部隊をアジア方面へ移動させ、少なくとも中華地域での事態が沈静化するまでインド洋などでの艦隊展開を、日本のかわりに肩代わりしてくれる事にもなっていた。一見、麗しきパートナーシップの現れというヤツだ。
 日本にとって、アメリカなどに借りを作ることはあまり好ましいとは言えないが、事が今後のアジア情勢に関るとあれば多少は目をつぶらねばならない状況だったし、他国が取りあえず賛成してくれている間に問題を解決できるのならと、この状況を利用し一気に行動を起こすことになる。
 そして、状況を決定的に動かす事のできる手段と言えば、ほとんどの場合一つしかなかった。

 さて、ここからはこの先発生した中華大陸の混乱について書いて行きたいところだが、全てを大局的にしか見ることしかできなかった私の視点で結論を述べる前に、この戦いに海軍軍人として出征した息子の手記を引用する事で経過の一側面を見ておきたいと思う。

●Phase 6-3-2:戦闘