■END 2:国際宇宙ステーション
その時、世界中のテレビモニターには、様々な肌の色をした人々が映し出されていた。それは情報・通信技術の進歩し国際化が進んだ今の世の中ではそれ程珍しい事ではない。しかし奇妙な点がいくつかあった。 彼らの背景の建造物は、非常に機能的にまとめられていたが、地上に在っては不自然な立体的な配置をした構造である事を同時に伝えており、そこにある人々も様々な角度で空間に浮かんだ状態でカメラの前に集まっていたからだ。 そう、その中継は宇宙空間から生中継されているものだった。 そして、この放送は「国際宇宙ステーション」と名付けられた、衛星軌道に存在する高軌道基地の第一期工事完成を祝って世界中に発信されたものでもあった。
2003年7月に打ち上げられた「往還船」から離脱した、さらなる高みを目指すためのロケットとパッケージングされたパーツをドッキングした静止軌道上の存在、「国際宇宙ステーション(HOPE)」は、この最後のパーツのドッキングを以て第一期工事完成した。この時の総重量は、1970年に完成し現在も低高度軌道で宇宙船建造ドックの様相が強くなったが現役基地として稼働している「軌道基地(ひかり)」の第一期工事完成時の二倍の規模であり、それでいて建造期間は4分の1にも縮まっていた。しかも、今後5年以内に世界初の低重力ブロックすら含めた数倍の規模に拡大される予定だった。 この新たな宇宙の梁山泊がこれ程早期に完成した背景には、日本の半世紀の努力の結実こそが最大要因だったが、1990年代に行われた世界と日本の選択も大きく影響していた。 その頃、近代史上最大級の好景気に湧いていた日本は、この好景気をもたらした原動力が何であったかを十分に熟知していた。そして、今後も自分たちの安寧と日常の永遠の拡大を実現するには、自ら一人の努力ではいずれ限界に達するであろうとも予測していた。同時に日本人にとって、宇宙開発と自らの生活は切っても切れぬ関係だった。 そして、折から肥大化する宇宙開発計画を前に、積み重なる膨大な額の宇宙開発予算と宇宙の平和利用を目的とした国際協調の流れをくみ取り、時の首相が一般教書演説にて世界中に共同で新たな宇宙基地の建設を行い、それを足がかりにして四半世紀以内に月面に恒久的拠点を建設しよう言う呼びかけを行った。 そしてこれに帝国を失ったドイツ、不景気を前に一時的な息切れを見せていたアメリカが大きく首肯した。思惑は国によって様々だが、宇宙開発そのものが開発予算という強大な敵を前にして、列強の単なる国威競争だけの場から協調の場へと変化を強要したのだ。 だが、日本の音頭取りに世界中が首肯した背景には、厳然たる事実がそこに存在していた。 まずは当時の宇宙開発状況を、大まかであるが各国の年間予算で見てもらおう。
各国の年間宇宙開発予算平均(1996〜2001)
国家単独機関 日(NASDA):1000億円(900億ドル) 米(NASA):300億ドル 独(DARA):79億マルク(95億ドル) 韓(KSA):1100億ウォン(9億ドル) 印(ISRO):1997年からの5カ年計画予算で約20億ドル
国際機関 欧州(ESA):28億ユーロ(31億ドル) 東亜(EASA):35億円(32億ドル)(日除く)
これを見れば日本が宇宙へ投資した額がいかに膨大で桁外れかは一目瞭然だろう。これは、もちろん日本が異常なだけだった。そしてこの圧倒的なマネーパワーこそが、日本の宇宙計画を順調たらしめていたのだ。1980年代からの日本の宇宙開発の成功は必然だったのだ。しかも、企業の競争原理からくる彼ら自身の研究投資を含めると、各国間の差はさらに数倍に開くと言う。このため、日本において犠牲にされた産業分野や科学技術分野がなかったわけではないが、この分野においては大成功だったと断言できよう。 だがなぜ日本がこうなったかと言うと、アメリカの軍事産業が国家産業となったように、日本が宇宙開発事業を国家単位の大規模公共投資の一環としてしまい、四半世紀の間に国内に莫大な利潤関係を作り上げ、これを維持しなければ国が建ち行かなくなるという恐れが多分にあったからだ。そう、日本にとって20世紀後半の航空宇宙開発とは、欧米列強のようにぜいたくな火遊びなどでは断じてなく、国家・国民の利益に根ざした根幹とも言える国家事業・基幹産業だった。欧米諸国においても、航空宇宙産業は一部に大きな利益をもたらす存在だったが、日本の場合利権に関わるものが多くなりすぎて、その点他国とかなり事情が異なっていたのだ。 なお、他国の投資予算が比較的横並びであったり、国家予算の規模から順当な額となっているのは、まともな商業利用可能なロケットを打ち上げようとすれば最低でもそれだけの年間投資が継続的に必要だと言う事を表している。 また、多少余談だが2001年の日本の軍事支出が約1500億円(約1400億ドル)で、アメリカの約2400億ドルに続いて世界第二位だが、対GDP比となると2%程度(2000年前後の日本のGDPはおおよそ7兆ドル・国家予算は約9000億〜1兆ドルで世界の約二割を占めている)で世界平均にありそれ程高い比率ではない。だが、これが宇宙関連予算を含めると、日米はほぼ横並びとなってしまう。他国と比べても対GDP比率は東亜宇宙機関(EASA)加盟国の一部を除いて同程度となるので、日本は国家予算の余裕分の全てを宇宙に投資してしまっていると言う見方もできる。 なお、アメリカが日本以上に大きな軍事予算を投入しているのは、日米の国力差というものも存在していたが、日本がアジアだけを抱えているのに対して、アメリカは自らの勢力圏だけでなくドイツ崩壊後世界を全て抱え込もうとしているからだった。そして、日米の差はそのまま日米の外交に対する考え方の違いと言って良いだろう。
話した少しそれたが、日本にとってこの宇宙開発に対する予算は、大規模公共投資だからこそ大いに肯定すべき額で、自分自身では特に違和感は持っていなかった。むしろ、事業に関わっている者からすれば、これでも足りないというのが正直な感想だと言われている。 また、全体の数字から言える事は、世界中で使われている宇宙開発予算の3分の2を日本が使用しているという事も現している。この傾向は、冷戦崩壊後特に強くなっており、ドイツ帝国が健在で米独が競争意識から莫大な予算を投入していた月競争の頃は横並びだった事を考えると、日本一人がそのまま開発を拡大・続行した形になってもいる。アメリカも冷戦後軍事費を削減して日本の競争に追いつこうとしたが、1980年代のアメリカを襲った長期の不景気からそれも叶わず、ドイツに至っては第三帝国崩壊とそれに続く体制の激変の後遺症で、軍備を大幅に削減しても予算がつかず現状維持が精一杯だった。 ただし日本の宇宙開発は、その地盤固めとして常識を疑いたくなるような建造物である洋上宇宙港の建設にその努力の多くを注いでいる時期なので、この数字は単純に宇宙に投資されている金額を現すものではなく、そういった地上での建設費用を除外すると、日本の宇宙そのものへの投資金額はアメリカよりやや多いぐらいにまで低下する事になる。むしろ年間数百億円、総工費に至っては最終的に<兆>の単位を越えると言われる額を投じて建設されている南洋の人工島の存在こそが異常だったと言う事だろう。 そうした環境の中、年々費用が膨大な額に膨れ上がっている宇宙開発を、その一部なりとも国際的な共同事業としてしまえば、日本としては開発費が低減できるなど多数の利点があった。その中でも最大の利点は、日本や東亜のみならず世界中に存在する潜在的な者も含めて多数の優秀な人材を有効に活用できる事が挙げられる。いまだ黎明期と言える宇宙開発にあっては、優秀な人材の存在こそがコスト削減の重要な要素でもあったのだ。 日本と同様に宇宙先進国たるアメリカやドイツにとっても大きな利点があった。それは同時に、衛星軌道に安価にものを送り込む競争に敗北した事、早くから軌道基地を抱える日本に後れをとった認める事でもあったが、彼らの財布の中身から見ても、宇宙への投資額をこれ以上増やさずにできる事を理解しないほど愚かな者はなかったと言う事だろう。 なお、様々な理由で宇宙に単独で人間を送り込む事の出来ない国にとっての計画参加への利点は述べるまでもないと思うので割愛する。
そして技術的な問題、何ができるかなどを、各国、各国際宇宙機関と交渉・調整した結果、日本と東亜(EASA)は当然として、アメリカ、ドイツ、欧州(ESA)が現在日本が推進している高軌道上の宇宙基地建設で協力する事になり、また低軌道での宇宙開発を日本がすでに保有している−−何度かの「往還船」による大規模なモジュール交換で巨大ステーションと化した「ひかり」で一本化する方針が決定された(念のため、往還船は低高度軌道に一度に最大350トンもの物資をあげられる点を注記しておく)。 なお、ドイツが日本と同様に低高度軌道に軌道基地を保有していたが、どいつのものが廃棄され日本のものだけが残った背景には、ドイツのそれは冷戦最盛時に建造された軍事目的の強いものだと言う事と、ドイツ単独での維持が困難な事、そして予算不足による施設の老朽化などから、順次低高度軌道での開発は「ひかり」に一本化されたと言う理由がある。そしてドイツの軌道基地は、2001年9月にその役目を終えて順次解体されて衛星軌道から離れ、燃え尽き流星と化して破棄されている。 ただしこの時、各国特に高度技術の共同開発で苦い経験を持っている日米独は、宇宙への運搬手段であるロケットの開発そのものに関してはこれまで通り、各国での開発に委ねられる事とされた。これには実際問題として、それぞれの目的で特化された各国のロケット開発を共同で行う事など不可能と言う、厳然たる理由が存在した点も無視できない。そして、この点は今後四半世紀改善される事はなく、コスト面とその規模において圧倒的優位に立つ日本の独走状態はしばらく不動であった。別の言い方をすれば、ロケット技術は宇宙基地建設技術よりもはるかに高度なものであり、各国がその技術を他国と共有する事に難色を示したと言う事だ。特にこれは、宇宙に莫大な投資をしている日本とアメリカにおいて顕著で、贅沢な事業であるため他国も安易に技術援助で寄こせとは言えない事も影響していた。 ようするに、ガチョウを育てた巨人にすれば、金の卵はともかくガチョウだけは誰にも与えたくなかったのだ。
ロケットの事はともかく、日本(+東亜)米、独、欧州は、それぞれの得意分野を活かす形で新たな人類の宇宙の拠点へと共同歩調で進んでいく事となった。 なお、この宇宙基地計画に関しては、経費さえ出費し実験・研究内容さえ了承されれば、どこの国にも解放される方針が打ち出され、人類挙げての事業である事が強調されていた。 この顕著な例として、NASDAお得意の広報活動により、広く一般から軌道基地長期滞在者を公募するような事もなされている。
ちなみに、宇宙の玄関口となるこの頃の宇宙大国のロケット打ち上げ施設は以下のようになる。
●代表的打ち上げ施設 日(NASDA): トラック宇宙港 嘉手納宇宙基地(2001年以後規模は大幅に縮小) 種子島宇宙センター(1995年記念館だけを残して閉鎖)
米: アメリカ東部宇宙ミサイルセンター (ケネディ宇宙センター/ケープカナベラル空軍基地) アメリカ西部宇宙ミサイルセンター (バンデンバーグ空軍基地) 独: ペーネミュンデ宇宙基地
欧州(ESA): フランス領ギアナ・クールーのギアナ宇宙センター
以上これらの場所から、低高度軌道もしくは可能であるなら静止衛星軌道へと様々な人と物資が打ち上げられる事になっていた。もっとも、高度3万6000キロメートルという高い位置である静止衛星軌道へ、大量の物資を安価で打ち上げる能力を持つ国はごくわずかで、事実上日本に追随できる国はなく、これに関しては米独も補助的な役割を果たす事しかできないのが現状で、アメリカが辛うじて高い実績に基づいた人員輸送力の面で日本よりアドバンテージを示しているぐらいだった。また、ドイツが宇宙空間での活動経験を活かして、低高度軌道と静止衛生軌道間の輸送のかなりを担当する事にもなっていた。 だが全体を見渡すと国際共同開発とは名ばかりで、実質的には「日本主導による」という但し書きの付くと言うのが偽らざる現実だった。 この点については、他国においても現実を受け入れないほど愚かではなかったが、1980年代以後宇宙開発で日米に完全に後れをとっているドイツなどは、アメリカ以上に日本の計画に積極的に参加し、自らを見限ったフランスなどが主導する欧州宇宙機関(ESA)との溝をむしろ深くすると言った一面も見られた。この各国間の諍いについては、いかに国連の旗を掲げようとも容易に解決する問題ではなかった。 だが、この国際宇宙ステーション計画は副次的にも人類に大きな福音ももたらしていた。 宇宙空間の偵察を除く全ての軍事利用が禁止される事になったのだ。もっとも、日本とドイツのみが保有していた宇宙軍が解体されると言う事ではなく、ただ宇宙空間での破壊力を持った装備(攻撃・防御双方)に関して全廃する軍縮条約が締結されたと言うのが現実だったが、これが人類とっての大きな前進である事も確かだろう。
こうした環境の中、「国際宇宙ステーション機関(ISSA)」として組織された国際機関は、国連の一組織にも指定され1995年に本格的活動を開始した。もちろん目標は、2003年に静止衛星軌道上に「国際宇宙ステーション(HOPE)」を完成させる事だった。 ただ、静止衛星軌道という高軌道での人工物の建造は、かろうじて低高度軌道への打ち上げ能力を持つぐらいの国にとっては、直接ロケット打ち上げで協力できないもだった。これに関しては、先ほども言ったように人員輸送でアメリカが大きな役割を果たす他は、アメリカ、ドイツ、ESA、EASAが独自の中型、大型ロケットで自らがドッキングさせるモジュールを打ち上げたり、補給物資の打ち上げを行うのが主な協力面だった。その他は、低高度軌道ですでに存在する軌道基地「ひかり」に対する協力という形が取られる事になっていた。 そして、基地そのものの建造の過半は、日本の誇る「往還船」がその別名に恥じない大馬力でもって運び上げたものとなっていた。もちろん、世界各国で建設が行われた事のメリットは大きく、建造に関連する雑多な仕事から解放されたNASDAは持ち前の馬力で基地そのものの建造を行い、日本単独で工事を行うよりもはるかに短期間で多くの成果が得られていた。 2001年元旦に国際宇宙ステーション(HOPE)の建設が開始され、たった2年というそれまでの宇宙開発を考えると想像すらできない短期間での第一期工事が完了した。 完成したHOPEは初期重量だけで総重量1000トンにも達し、その巨体には最初から10名もの人員が常駐して様々な実験や作業が行われつつも、さらなる拡張工事が断続的に継続される事になる。 そして第一期工事完成から5年後の2008年には、単なる宇宙実験基地から月軌道を結ぶための駅としての役割を担うまでに拡張される予定であり、もちろんそこは月軌道に進出するための前進基地もしくは月軌道基地建設のための飯場(この言葉は最近使わないだろうか)としての役割を持つことにもなる。また、10年〜20年後にこの基地は、月からの様々な物資を受け取る中継港としても賑やかになる予定だった。
そして「ISSA」の今後の計画では、2010年に月軌道上に月面へ円滑に資材・物資を送り込むための恒久的軌道基地を展開し、さらに3年後には月軌道上に念願の恒久的基地の第一号を建設する予定だった。また、「ISSA」を構成する欧米各国は、予算が許されるのなら2015年には「ひかり」を足場として実用的な火星の有人探査を提案しており、月と火星という目標に向けての急速な前進をすべきだと言う方針を押していた。 もっとも、この欧米諸国の構想に組織内で一番の発言権を持つ日本のNASDAは、火星有人探査については時期尚早と大いに否定的で、今は月面の恒久的基地建設だけに向けて重点を置くべきで、一日も早くその規模を拡大し人類にとっての新たな開拓地を確保すべきだとしていた。日本が火星でなく月を重視すべきだとしたのは、ドイツやアメリカが何度も行った火星無人探査で発見された多数の希少金属の存在よりも、月面上に存在するヘリウムや各種鉱産資源の採掘に大きな興味を持っていたからで、火星はその効率から考えて時期尚早としていたに過ぎない。日本人たちも、簡単に手が届きそこにあるものが必要になるのなら躊躇なく手を付けるつもりだったのだ。 この事ひとつをとっても、国際協力と言っても結局のところ日本と欧米の目指す宇宙は変わっていないという何よりの証明だろう。
そして、これからもこうした大方針から小は現場での個々人の小さな衝突など無数に発生するだろうが、少なくとも先進諸国間のいざこざがなくなったのだから、大きく道を違える事はないだろう。 だが、私が今筆を握っている時点で分かる事は、この時点で「現在」である2003年の夏までであり、これ以後については各人の天寿の続く限り見守って欲しいと思う。 まあ、最後に欧米風に一言付け加えるなら、「願わくば人類の未来に幸多からん事を」と言ったところだろうか。
では、私がこれを書くにあたって見てきた最後の情景まできたところで、多少竜頭蛇尾ではあるが最後にしたいと思う。
Fin.