■Phase 5-2 決闘
◆とある市民の回想10(作戦参加した民間人)
はい、こんにちは。 こちらこそよろしくお願いします。
はあ、あの時のお話ですか?
では、何から話しましょう? 軍機に触れない限りお答えしますが・・・と言っても、アンカレジ沖海戦は私あんまり関係ありませんよ。ずっと船の中で、電算機の遊び相手をしていたようなものですから。
そうですねぇ、私のお仕事を分かりやすく言えば、電算機とそれを操作する人たちのコンダクターみたいなものです。そうです、「さんはい」って皆さんに声を揃えてもらう役割みたいなものです。 便宜上「電子統括官」なんて仰々しい役職名なんかもいただきましたが、兵隊さん以外は誰もそんな言葉使いませんでしたよ。 あ、そうそう、当然ですけど、電算機については秘密です。私も若い身空で樺太送りなんてゴメンですし。だから、話せる事なんてほとんどありませんよ。いちおう、私自身も軍属扱いな上に国家機密みたいなもんですし。 ああ、こんな話のサワリでひかないで、ちゃんとお仕事してから帰ってください。引っ張り出された私が可哀想になるじゃないですか。
じゃあ、少しサービスです。 まあ、私の身に差し障りない程度にお答えすれば、あの時私たちは電波同士の「鬼ごっこ」と「かくれんぼ」みたいな事ばかりしていました。それとも「モグラ叩き」だったかもしれませんね。あとは、そちらのご想像にお任せします。
で、あの時の戦いのお話でしたね。 あの奇妙な戦艦とは、単冠鎮守府から一緒に行動していましたから、あちらのクルーの皆様とは鎮守府の港街で知り合いまして・・・て、ここからだと話が長くなりそうですけど、私の知る限り「備前」のお話は知り合った一部のクルーの皆様のお話ぐらいですよ。 だから関係ないって言ったじゃないですか。あの時「むつ」は戦闘地域から50km以上離れていて、私自身は通信や電探には直接関わりないので、電算機上の「ZERO」と「ONE」でその状況を知るぐらいです。そんな数字のお話ししても、皆さん分からないでしょ。だから、お話できる事は、遠くで連続して雷が鳴るような音を聞いたぐらいです。 私から話せる事は以上です。 ハイ、お疲れさまでした。 ・ ・ ・ 三方向の予期せぬ場所からの迅速な地上攻撃を受けたアメリカ側のアラスカ防衛軍は、全く予期できなかった日本側の強力な電波妨害で、無線と電波兵器がほぼ使えないという悪条件も重なり、想定していたような組織的反撃や計画的な迎撃を行う暇なく極めて短期間で制空権が崩壊し、要塞地帯の懐に入り込まれる事になる。特に航空管制の崩壊は、致命的だった。 しかも、すぐさま日本側の空挺兵、陸戦隊兵、特務兵など市街戦や白兵戦を得意とする兵種を多様した敵兵力が要塞各所に殺到し、要塞守備兵も想定以上の事態に苦戦を強いられ、早くもD-day2日目には要塞の一部では撤退か降伏を考えなければという状態に追いつめられる事になる。戦略爆撃機用の広大な飛行場に至っては、戦闘一日目で表面のほとんど全ての地上施設を破壊され、日本人たちの野戦飛行場にして最前線基地と化していた。 なお、要塞守備側が苦戦した理由は、FAEによりあらゆる開口部近くにいた守備兵の多くが死傷したと言う理由を最大のものとするが、日本軍が要塞の占領ではなく破壊を目的として、通常の歩兵ですらサブマシンガンを主装備として大量の簡易ロケット砲や爆薬、火炎放射器を多用した戦いを展開したという理由も存在する。日本の歩兵達は、その多くが臨時の戦闘工兵となっていたのだ。 だが、阿鼻叫喚の白兵戦が行われるアンカレジで、最後の戦場の転機が訪れる。
アメリカ太平洋艦隊のダッチハーバー駐留艦隊(北太平洋艦隊)として展開していた旧式戦艦の「インディアナ」、「モンタナ」、「サラトガ」を中心とした軽空母すら伴った10数隻の艦艇による水上打撃艦隊が、日本軍が上陸作戦を本格化させアンカレジから完全に身動きとれなくなった時、日本の攻略船団のひしめく湾内に侵入を試みようとした行動がそれにあたる。 ダッチハーバー駐留艦隊は、もともと千島やカムチャッカの日本軍へのブラフとして、アラスカ防衛の一角を担うアリューシャン列島東端のダッチハーバーを本拠とする純然たる防衛艦隊だったが、日本側としてはダッチハーバーの港湾施設に対する初期の牽制爆撃以外必要性は薄いと考えており、意外にアッサリとアンカレジの城門が開かれた事に楽観した、その心理的間隙を抜くような形で襲来する事になる。日本人達は、兵力的劣勢にある米海軍部隊が、形振り構わず突っ込んでくるなど想定していなかったのだ。 そして、間が悪い事に、この作戦に従事している日本側の戦艦のうち有力な2隻である「高千穂」、「穂高」は、艦砲射撃任務で砲弾を消耗している上に湾の奥地に入り込み過ぎており、とても迎撃に間に合うものではなく、迎撃に使える兵力は沖合で機動部隊の護衛任務に就いていた「剣」、「黒姫」だけという事態に陥っていた。 また、両者の中間位置には、航空機の運用以外は遊んでいるような状態、もしくは艦隊司令部から持て余されていた新鋭戦艦の「備前」が、僅かな護衛駆逐艦と共に行動しており、半ば司令部に忘れ去られたまま、任務の拡大解釈により戦場へと赴いていく事になる。 そして、空母機動部隊の艦載機の対艦攻撃部隊が準備出来るまでの間、ここに第二次太平洋戦争最後の水上打撃戦が開始される。
この時アメリカ側は、敵の詳細を現地部隊からの情報で得ていたため、ためらうことなく突進を継続した。 戦艦は旧式戦艦とは言え、どれも満載5万トンにとどく大型戦艦であり、合計32門の50口径16インチ砲の破壊力は、湾の入り江で待ちかまえるであろう、日本側の条約型戦艦や戦闘巡洋艦程度なら十分撃破出来ると考えていたからだ。 米軍に誤算があるとするなら、偵察が不確実だったため「備前」を特殊な空母として認識し、打撃戦力に数えていなかった点だろう。 そう、突入時米艦隊は、自らの戦術的強襲、もしくは戦略的奇襲の成功を確信していたのだ。 そして実際の戦闘も、当然と言うべきか米軍優位に進展する。 日本側の「剣」、「黒姫」は、旧式戦艦から降ろされたあと発射機構に改良が加えられたものを主砲として装備しており、3万トン級の戦闘巡洋艦(装甲巡洋艦/巡洋戦艦)ながら、新鋭艦特有の強固な防御構造と高度な射撃統制システムもあって、2隻あわせれば「サラトガ」程度なら撃退可能と考えられており、また日本側が「サラトガ」以外の戦艦を「カリフォルニア級」戦艦と誤認していた事から、この時の日本側の積極的迎撃を演出する事になった。
戦闘は、距離35000メートルから射撃開始された32門の50口径16インチ砲の弾雨の中を、日本側が30ノットと言う高速で突進する形で開始され、日本側はすぐにも相手が格上の戦艦である事を知り、その後は自らの有効射程圏内である30000メートルまで転進を繰り返しつつ接近に成功して果敢に砲撃を開始したが、如何せんパワーの差は埋め難く、戦闘開始18分で日本側の先頭を突っ走っていた「剣」がこの日三度目の被弾となる2発を被弾、この時機関部を破壊され速力が衰えた所に集中砲火を浴びその5分後に大破漂流、後ろを走っていた「黒姫」は、「剣」大破後は最後尾艦である「サラトガ」に砲火を浴びせつつ後退を開始し、4発の被弾を受けるも何とか戦線を離脱したが、アンカレジ空襲にはまり込んでいた日本軍艦載機の準備、到着にはまだ1時間以上かかると見られ、ここに米艦隊の突破は成功するかに見えた。現在地から日本船団攻撃可能位置までは40分程度の位置しか離れていなかったからだ。 だが「黒姫」の待避中、すれ違いざまに「剣」にトドメをさしていた米艦隊は、突如飛距離40000メートルの20インチ砲弾の洗礼を受け、驚くべき確率論の偶然により「黒姫」からの砲撃を耐え抜いた「サラトガ」が被弾、瞬時に爆沈するという転機を迎える。
湾口から砲撃を送り込んだのはもちろん「備前」で、彼女は2隻の駆逐艦を伴い戦場へと姿を現す。 そしてこの時米軍は、「サラトガ」の周りにそそり立った水柱から自らの受けた情報が違う事を認めるが、自軍の速度的な不利を考えれば目の前のモンスターから逃げるのは不可能として、それまでの最大戦速21ノットから艦の最大速度の23ノットで「備前」への突進を開始する。 もっともアメリカ側も、レーダーによる索敵で日本側の戦力が数的には僅かであり、対して自軍は依然2隻の戦艦、3隻の軽巡洋艦、7隻の駆逐艦を伴っていたので、突破は十分可能の見ていたと思われる。 なお、この時の砲撃戦は、日本側が20インチ砲×6、アメリカ側が50口径16インチ砲×24と四倍もの差が開いていたが、発射速度は日本側が分発2発、アメリカ側が1.5発なので、1発当たりの弾量もあって投射量的には24対36トンと砲門数による差が大きく縮まっており、これが運動エネルギー換算になるとついには「備前」が勝り、数の差ほど日本側が不利ではなかった。そして「備前」以下わずか3隻の日本艦艇が、10数隻の米艦隊を迎え撃つという侵攻側が戦術的不利に立たされるという攻守逆転のまま、戦いの最後の幕があがる。 だが、ここでも日本海軍は新兵器の使用を行う。と言うよりも、妙な兵器を搭載していたが故に、このたった3隻の艦隊は司令部から爪弾きにされていたのだ。もちろん、随伴駆逐艦も例外ではない。
ただし「備前」の最初の砲撃のあとの戦闘は、空での展開が先行する事になった。 事前に「備前」を緊急発艦した1個中隊16機の「紫電改」などと、遅ればせながらアメリカ側の2隻の軽空母を飛び立った戦爆装備の「F8F-B」、「F-4U-4」戦闘機隊合計48機による空中戦がそれだ。 戦いは、日米の艦隊が距離40000から30000メートルに接近する僅か10分弱の間に大勢は決し、少数の日本艦隊に殺到しようとした約50機のレシプロ機の頭上から日本製ジェット機の群が襲いかかるという形で開始された。 戦闘そのものは、ジェット戦闘機対爆装レシプロ戦闘機の戦いだけに一方的なものとなった。しかもこの時「備前」に所属していたパイロット達は、「備前」の急な作戦参加決定に間に合わせるため日本各地から集められた教官達と各種の問題を抱え前線から外されていた数名のベテラン、そして多数の新米により構成され、この時飛び立ったパイロットの過半が教官を勤められる程のベテラン達、後ろに目が付いていると言われるほどの練達の飛行士ばかりだった事も、空での一方的な戦いを現実のものとしていた。 なお、「備前」を発艦した機体の中には、メーカーが無理矢理持ち込んだとしか思えない当時試作段階だった航空機が2機種含まれており、それぞれ2機ずつの臨時分隊編成をとって戦闘に参加して、大きな結果を残している。
そして、防衛側の少数機による制空権の獲得という、ある種の奇妙な状況下で「備前」が2隻の「サウスダコタ級」戦艦との殴り合いを継続し、米軍の軽艦艇が突撃してくる中、日本側の駆逐艦がその牙をむく。 二隻の駆逐艦「杜若」と「秋桜」は、建艦枠的には「改松」型護衛駆逐艦に含まれるが、その新装備艤装のため基準排水量で4000トンをオーバーする歴とした大型駆逐艦で、150メートルに達する船体にかつての魚雷発射管のように装備された兵器の一斉発射を行う。 発射されたのは「53式艦対艦誘導弾」で、合計24発射された同兵器は時速950km/h、有効射程20キロメートル、装薬500kgで電探による自己誘導型という能力を持つが、ここでの使用までに数発の試射が行われただけという曰く付きの兵器で、この発射が大量発射の最初の事例という運用側からするなら悪夢のような状況だった。 だが、未知の兵器は稼働率で約70%以上を発揮し、亜音速に近い速度で突進したうちの12発の誘導弾が相次いで米艦隊に命中、敵艦隊の半数以上を撃破するという結果を残した。なお、一部の誘導弾は接近中の米艦隊ではなく後方の戦艦にまで到達し、「インディアナ」に2発が命中、後楼破壊、判定中破の損害を与えていた。 当然、米水雷戦隊は突進力をなくし、残存艦艇もしばらくは戦力価値すら失う。
そして純然たるリヴァイアサン同士の戦いとなった3隻の戦いは、北方海域故に付近海面の状況が悪く、距離の問題と運命の神のいたずら、つまりは双方に至近弾こそ頻発するが命中弾が出ないという状態のまま、日本側が距離20000メートルまでの接近を許す事になる。つまり、「備前」の最初の一撃を例外とすれば、最初に戦果を挙げたのは2隻の日本側駆逐艦が放った誘導弾だったのだ。 そして、距離2万のあたりから、それまでの確率論のツケを返すように唐突に双方で命中弾が頻発するようになり、「備前」が艦後部の航空機収容施設に多数の命中弾を受け火災が発生する中、2隻の米戦艦を攻撃するという図式が5分以上も続く。日本側が、「永遠の5分間」と呼んだ戦闘の始まりだった。 ここで2隻の「サウスダコタ級」戦艦は、建造当初想定された強固な防御力を見せつけ、また米海軍将兵の献身もあり「備前」の20インチ砲弾を何発も被弾しつつも戦闘を継続し、反対に弾かれてばかりの16インチ砲弾を屈することなく「備前」に叩き付けた。たとえ相手がモンスター戦艦だったとしても、出血多量で死に至る事もあるからだ。 だが、旧式戦艦と新鋭戦艦、主砲と防御力の格の違いが、両者の運命を分ける。 「インディアナ」は距離16,500で同時に3発の重量2トンの20インチ砲弾を艦中央部にまともに受け、それまで機能していた主砲発射システムの全てを失い機関も破壊され大破脱落、当然艦隊指揮官、艦長以下の首脳部も戦死し、生き残った砲塔が散発的な砲撃をするも、ただの燃え盛る鉄屑となった。 だがその時点で両者の距離が詰まりすぎており、何と距離15,000メートルという20インチ砲にとっては至近距離での砲撃戦を「備前」と「モンタナ」が継続する事になる。もはや、ただの殴り合いだった。 だが、不利な筈のアメリカ側にも勝算はあった。 「備前」はその特殊な形状から艦首方向にしか主砲を装備しておらず、アメリカ側のベテラン艦艇特有の巧みな戦術運動の結果、気が付いたら反航状態になっており、もう間もなくすれ違おうとしていたからだ。そして目前のモンスターを突破してしまえば、たとえ自分たちが最終的に全滅しても敵輸送船団に大きな打撃を与えることが出来、日本側の作戦を頓挫できる可能性が高いと考えていたからだ。 なお、この時の状況は、「むつ」が傍受した当時のアメリカ側の近距離無線の会話記録から、戦場の変化を巧みに感じ取るアメリカ側前線指揮官の駆け引きのうまさを見て取ることも出来る。 かつての戦いで敗れた旧式戦艦は、その晩年において日本側の変わり種新鋭戦艦を手玉に取ろうとしていたのだ。
そしてたびたびの陣形変更から反航戦の形になり、「モンタナ」以下数隻の残存艦艇が突破寸前にまで日本艦隊に接近したその時、ようやく決着の時を迎える。 だが戦闘の結末は、それまでの激戦を思うと意外に呆気ないものだった。 「備前」がすれ違いざまにほぼ水平で発射した6発の主砲弾のうち5発(全弾という説もある)が、「モンタナ」の舷側にあいついで命中し全てが装甲を貫通、ボイラーの水蒸気爆発と弾薬庫の誘爆により「モンタナ」が一瞬にして文字通りの爆沈、それを見た米残存艦艇が急速転舵、以後付近海面に急行した日本海軍の軽艦艇による追撃へと流れていったからだ。 そして、戦闘終了後も大破漂流を続けていた「インディアナ」が魚雷により撃沈処分される事で、戦後「アンカレジ沖海戦」と呼ばれ、「北海の決闘」と題する映画にもなった海戦は終幕を迎える。 なお、意外なことに「備前」はその後も戦闘任務を継続し、戦艦の上に重防御空母の鎧をまとった特異な構造が如何に頑強かを見せつけ、現地日本軍の士気を鼓舞するという光景も見受けられる事になる。 だだしこれは、「備前」の被弾箇所が偶然にも艦の行動に支障をきたす場所でなかっただけで、防御力やダメージコントロールの勝利ではなく、単なる幸運と判断する研究家も多い。
その後アンカレジを巡る攻防は、海戦の行われているさなかも揚陸が強行され、遂にアラスカの大地に足跡を記した「鉄鬼」で構成された重装備の戦車旅団により、D-day4日目で付近に布陣していた米機甲師団が撃破される事で日本軍の優位が確定し、D-day8日目にあたる5月10日に要塞奥深くに包囲されていたアンカレジの米軍司令部が降伏する。 以後日本軍は、空中騎兵を多様した空挺部隊や陸戦隊をアラスカ、アリューシャン列島各地域送り込み全域の占領を進めるが、新時代と旧時代の戦闘を同時に行うという二律背反な戦場だった場所は沈黙を迎える事になる。
そしてアラスカでの勝利の結果、トラック沖、ハワイでの戦闘を合わせて、日本軍が太平洋全域の制海権を握る事になり、戦争は一気に終幕へと向かっていく。 なお、この一連の戦いにより、日本人による新たな「TOGO」もしくは「NOGI」が誕生したのは言うまでもないだろう。