■Case 01-03「航空撃滅戦」

 1949年5月15日午前5時18分、ルフト・ヴァッフェとロイヤル・エア・フォースは、互いに先行していたジェット機同士の激突を最初に、一斉に戦闘状態に突入する。
 ドイツによる一方的な宣戦布告から、約3分後の出来事だった。
 最初の交戦は、昨今の戦闘のように電探で誘導されたインターセプターが、領空侵犯機に接触の後戦闘に入るというようなものでなく、まだまだ前時代的なものだった。
 もっとも、遠距離電探に数百の光点が映し出された時点で、インターセプターも領空侵犯もないだろう。
 このため最初の交戦は、数機同士ではなく大隊単位での激突となり、すぐさま数百機の機体が広範な空域で激突する、管制側からすれば悪夢と表現できる状況となる。
 当然この時の戦闘は、かつてない規模の航空機同士の激突となり、双方合計約4,000機の航空機がほぼ同じ時間、ほぼ一箇所の戦区に集中するという異常な密度を持っていた。
 そして両者共、大量の航空機の統制の前に無数の小さなトラブルが発生し、それを全体的な視点から見た場合、戦闘開始数十分でドイツ人たちが「魔女の大釜」とでも呼ぶしかない状態になり、航空機の進化によりテンポがまるで違う戦場がいかなるものかを、双方の陣営に見せつけることになる。
 ドイツも英国も互いに大量の航空機の統制に関しては、かつての戦争により無数の知識と運用ノウハウを持っていた筈だったが、この時の戦闘速度はその経験をもってしても埋められるものではなかった。それはかつての第一次世界大戦の気持ちのまま第二次世界大戦へと突入してしまった、かつての自分たちとたいして変わらない姿であり、技術が人間を振り回すという戦争の一つの情景に過ぎないものだったが、当事者たちにとって笑って済まされる事ではなかった。

 もちろんいくつかの例外も存在した。
 それは戦闘開始初日の双方の航空機統制で如実に現れた。
 戦いを優位に進めたのは英国だった。
 そしてその理由も新たな技術にあった。
 「コロッサス」の名を与えられた新世代の高速計算装置の存在が、ドイツ人により破壊されていくRDF警戒網の穴を作り出す事無くロイヤル・エア・フォースの航空統制を辛うじて維持し続け、ルフト・ヴァッフェが当初作戦目標にした敵航空統制の破壊を阻止したのが理由だった。
 そして、開戦初日の総決算を極めて端的に述べると「ロイヤル・エア・フォースはいまだ健在なり」と言うことになるだろう。
 ちなみにこの「コロッサス」とは、世界に先駆けて英国が完成させた電算機(コンピュータ)の事で、当時は部屋丸々一つに収まるかどうかという、真空管を多数内包した鋼鉄のタンスの集合体と言えそうな巨大な規模で、その運用にも専門家が多数付きっきりでなければならず、1946年に実用化されて以後改良をされてはいたが、英国内においても数台が運用されているに過ぎなかった。
 もっともアメリカ、日本においても同様の機械は同時期に開発されており、後発ながらこの二国の方が多数の電算機を生産し、様々な方面で活用し、民族的に妙に凝り性なところのあるドイツ人たちだけが、いまだアナログ式の計算機で同様の事をしているという状態となっていた。
 そして英国沿岸部の空は、ルフト・ヴァッフェを絡め取るための電波の蜘蛛の巣を作り上げたロイヤル・エア・フォースによる数学的航空統制はこれだけではなかった。
 「電波警戒機」、「警戒管制機」、「早期警戒機」などと呼ばれる存在がそれであり、これらは旧式となった大型爆撃機や輸送機のペイロード一杯に大量の電波兵器と無線装置、余裕があれば高度な管制システムを搭載する改良を加えたもので、同種の機体は比較的安全な空に多数解き放たれ、ドイツ軍が予期しなかった電波の網を投げかけることに成功しており、特にルフト・ヴァッフェによるRDFの覆域からの見つかる可能性の低い攻撃を失敗に終わらせていた。
 なお、この電波の翼こそが英国空軍が先の大戦で到達した早期警戒と航空管制の回答の一つであり、それだけに極めて有効な役割を果たし、この存在を確認したドイツ軍が重視するようになるまでのしばらくの間、見えない脅威を振りまき続ける事になる。
 そして「電算機」と「警戒管制機」の存在こそが、約10年前ヒュー・ダウディング卿が構築した防空システムのこの時点での回答であり、1930年代までの単なる力のぶつかり合いだった戦闘を、高度化・複雑化してしまう結果を見せつけた。

 また、航空機同士の実際のぶつかり合いも、先に書いたように英国の底力を見せつけるものとなっていた。
 ルフト・ヴァッフェは、改良により最高800km/h以上の最高速度を誇るジェット爆撃機「アラド Ar234」の一族や、戦闘機から戦闘爆撃機にも派生した「メッサーシュミットMe-462」を主力爆撃機として投入し、これを「メッサーシュミットMe-262」、「メッサーシュミットMe-1101」、「フォッケウルフ Ta183」などのジェット戦闘機が強固な護衛態勢を敷いて、敵意に満ちた空へと踏み込んだわけだが、これに対してロイヤル・エア・フォースは、「グロースター ミーティア」、「スピットファイアMk.XV」、「ホーカー・テンペストMk.V」など様々な国産機を主力として、これに様々なルートから輸入された「三菱 旋風」、「P-80(シューティングスター)」で脇を固めて迎え撃った。しかも英国空軍は、これだけでなくどう見ても「Ta183」と同じかその系譜に属すとしか見えない新型機の姿があったり、日米でもまだ数が十分とは言えない新型機すら戦場に投入し、自らの形振り構わない本土防衛の決意を見せていた。
 また、地上に設置もしくは配備された高射部隊や高射砲・高射兵器も、かつての戦いからは考えられないぐらい以上に強化されていた。
 既存の高射砲、高射機関砲は言うに及ばず、大型の高射砲の多くが電探誘導されるようになっており、また使用される砲弾も「近接信管」や「電波信管」と呼ばれる、それまでの時限信管とは計数的な命中精度の差を誇るものが使用され、さらにはルフト・ヴァッフェしか持たないとされたロケット式の誘導迎撃兵器すら配備され、苦労してロイヤル・エア・フォースの防空網を突破した鉤十字を描いた爆撃機たちに痛打を浴びせかけていた。
 これは、初日の損害だけでルフト・ヴァッフェに10%を越える数字を計上させるに至り、特に脅威度の高いRDFサイトや大規模空軍基地など重要拠点を狙った部隊の損害が大きく、部隊によっては大隊で殴り込んだ筈が、翌日戦闘に投入できる数は中隊を編成できるかどうかというレベルにまで消耗したものもあった程だ。
 なお、この防空兵器の分野においても、日米から輸入・密輸された武器が多数含まれており、中には「近接信管」のように共同開発したのではと疑わせるような存在もあったと言われている。
 この事ひとつとっても、侵略的指向を持つ大国が世界からどう思われていたかを示している好例だろう。

 そして攻撃側となったルフト・ヴァッフェだが、オフレコでの工場生産や全ドイツ空軍部隊からの集中により、攻撃第一陣のほとんどをジェット機で固めるほどの努力をして今回の戦場に挑んだわけだが、英国が用意した強固で柔軟性に富んだ防空システムと、それらにより運用される機材は彼らの予測を大きく上回るものとなった。
 だがドイツ人達は、いつでも職務に対して生真面目であり、大きな犠牲に似合っただけの成果と結果を残した。
 これは、彼らの攻撃がRDFサイトや空軍基地にしか攻撃が行われていない点からも明らかであり(航空機工場は、製造工場自体がカナダなどに移転しているため攻撃のしようがなかった)、鉄壁の防空網を前にしても前動続行し続けた事からも明らかだろう。また、科学先進国と言われるドイツが生み出した航空機材の多くは、英国が本土防空に持ち込んだ様々な同類たちに対して性能的な優位に立っており、それらを操るよく訓練されたパイロットによる衝撃力は、二度とドーバーの壁が破られることがないと豪語した英国の空を彼らの自信と共に食い破った。
 犠牲は大きかったが、ドイツの空の騎士達は自らの任を全うしたと言えるだろう。

 またルフト・ヴァッフェ自体、ロイヤル・エア・フォースよりも大きな体力を保持しており、本土防空のための一枚看板しか持たない英国人と違い他からの戦力の補充が可能という事は、初日にの損害を見る限り非常に大きなファクターとなりそうだったし、短期間の航空撃滅戦と言うことを思えば、パイロットの補充が容易という事はこれ以上ない戦力倍増要素と言えるだろう。
 また、英国が空からの航空統制と大規模な偵察活動を行ったのと対照的に、ドイツ人達は地上に巨大な航空管制施設を作り上げることで戦場全体の航空管制を行おうとし、全てのラダールや目視などによる断片的な情報を一箇所で集中管理し、そのアナログなシステムを維持するマンパワーだけで統制し、大混乱の中にあっても司令部は辛うじて事態を把握できる態勢を維持して見せた。この点、頑固で妙な凝り性な所のある民族性の発露と言ってしまえばそれまでだが、一部突出した技術を除いて、技術全般の広範な裾野を持つ英国に対して一歩遅れていたと言ってよいだろう。これを無線が発明された20世紀初頭を例にすれば、陸戦において無線を駆使するか馬による伝令を重視したかの違いと言えば分かりやすいだろうか。
 ただしこの点、基礎工業力が異常に発達しているアメリカや、ドイツとは違ったベクトルで工業技術が特化していた日本も同列であり、これだけはパックス・ブリタニカを一世紀に渡り維持して見せた英国の一日の長と言ってよいだろう。

 なお、開戦初日の完全損失は、双方合計で500機近くに上っており、損害比率は約2対3で英国が優位に立っていた。もっともこれは、英国が戦闘機だけを戦闘に投入したというファクターが大きく、ほぼ互角だった戦闘機戦による損害よりも、各種防空火器による損害がドイツ軍の予想を遙かに上回っており、これを正確に予期できなかったルフト・ヴァッフェの首脳部に早くも戦争に対する暗い見通しを思い描かせる事になる。
 しかし、初日の防空戦を何とか成功させたロイヤル・エア・フォースにしても、ラジオ放送による高らかな勝利宣言のように、その勝利を喜ぶことは出来なかった。
 こちらも損害が予想よりも大きかったからだ。
 英国側の損害の第一の原因は、ルフト・ヴァッフェが英国人の予測を上回る戦力を投入した事と、彼らの運用する機体が自分たちのものより優秀だったという、単純なパワーバランスの差が生み出した損害だったが、だからこそ大きな問題と考えられた。
 そのどちらもが、英国が覆すことが難しい差だったからだ。
 そして戦闘自体は短期間、おそらく一ヶ月程度の短期航空撃滅戦で実質的な勝敗が決せされると予測され、航空予備兵力の大きさ、短期的な航空機の生産力、そしてそれを操るパイロットを如何に確保するかが勝利の鍵を握っていると言う予測に変化は見られず、この点において英国はドイツに対して有利になることはあり得い点が、英国首脳部の最大の問題だった。
 そして英国人達を憂慮させたもう一つの原因が、その生命線を握るとされるカナダとの補給線が海洋航路を使った者であるにも関わらず、それを破壊することをドイツ人が得意としている事だった。

 Case 01-04「シーレーン」