■Case 01-04「シーレーン」

 1949年5月15日午前5時18分がドイツが宣戦布告をした瞬間とされ、その約3分後に最初の戦闘が行われたと一般的には認識される事が多いが、実際は開戦と同時にドイツ人は攻撃の開始を行っており、その損害も開戦から2分後に発生していた。
 攻撃を受けたのは、北大西洋航路を進んでいた排水量4,500トンの英国船籍の貨物船で、攻撃したのはドイツ海軍・潜水艦隊の保有する「Uボート・U-XXI・type」であり、それまでの潜水艦とは違った洗練された流線型の姿をしたドイツ海軍の主力潜水艦だった。
 「灰色の狼」ことドイツ海軍の誇る「Uボート」の跳梁が三度始まった瞬間だった。

 開戦の半年前、ドイツ潜水艦隊は総数250隻を数えていた。しかし、これらを構成する潜水艦の多くが第二次世界大戦中に就役した、量産性を殊の外重視した「U-VII C type」で、これが全戦力の7割を占めていた。しかも、戦時量産品であるため、如何にドイツ人の作り上げたものとはいえ機械的に十分とは言えず、内3割は戦場で運用するには難しく、実質的に部品取りのため軍港で係留されるだけの存在となっていた。
 また、第二次世界大戦末期に建造の始まった、画期的な性能を与えられた水中高速型の「U-XXI・type」が残りの多くを占めていたが、これらだけでは勢力的に英米日が保有する潜水艦隊と大差ない規模にしかならず、しかもそれらの海軍は海上護衛を殊の外重視しているため、決して十分な戦力とは考えられていなかった。
 ドイツ海軍では、英国を相手にするだけでも、常時100隻の潜水艦を水中に展開するため300隻の戦力が必要だと考えており、もし仮に英米日の全てを相手にするのならその倍の戦力を恒常的に維持しない限り、シーレーン獲得競争で勝利することはできないだろうと予測していた。いや、勢力の拮抗だけでそれだけ必要だと考えていたと言うのが正しい表現だろう。

 しかも、ドイツと同様核兵器の開発に成功した日米は共にその兵器を動力エネルギーとした画期的な潜水艦を極秘裏に開発していると思われ、現時点で世界最強の海軍を保有するとされる日本帝国海軍においては、1948年に「原子力潜水艦」とでも呼ぶべき新世代の兵器を就役させているとされ、各地の海軍工廠で急ピッチに量産が進められていると言う諜報報告が寄せられ、これに対抗することも急務とされていた。
 このためドイツ海軍では「U-XXI・type」の改良を進め、さらに高い性能を達成した「U-XXI D・type」の開発に成功、1948年末より量産が開始されていた。
 また、「原子力機関」に対抗すべき新たな機関システムとして、「ヴァルター・タービン」と呼ばれる過酸化水素水を主燃料とした潜水艦の開発を進めた。
 これを極めて簡単に言うと、過酸化水素水を分解して水素と酸素を作り上げ、それを燃焼させて推進すると言う、原子力機関と同様他からの空気(酸素)の供給を必要としない動力システムだった。だが、軍事用の燃料としては扱いに大きな危険が伴う事(チョットした燃料漏れで簡単に大事故が発生する)、液体の中に酸素を内包するという特徴から、燃料積載量の割に活動時間が短いなど大きな欠点を抱えており、爆発事故をロケットのような慎重な運用する事でクリアーするにしても、航続距離の問題まではどうにもできず、英国相手以外では兵器として使えないシステムとなってしまった。
 だからと言って、日米のような動力システムとしての原子力利用に後れをとったドイツに、短期間にこれを潜水艦の主機関とする事はとても出来そうになかったし、何より予算の限られたドイツ海軍に、この当時動力機関だけで巡洋艦が建造できると言われた原子力機関を潜水艦などに搭載できるわけもなかった。また、本来コストパフォーマンスに優れている事がモットーとされる通商破壊艦艇である潜水艦にそのような高価なシステムを搭載するなど、少なくともドイツ海軍においては本末転倒と見られ、一顧だにされなかったと言われている。

 結局1949年5月の開戦を迎えた時、ドイツ潜水艦隊の主力を占めていたのは、従来の「U-VII C type」に可能な限り改良を加えた型、「U-XXI・type」、そしてオフレコで量産建造を進めていた「U-XXI D・type」がほぼ同じ比率で、合計200隻程度になっていた。

 また、本来海軍の主戦力となるべき水上艦隊だが、第二次世界大戦後の努力もあって艦艇数は増勢の一途をたどっており、特に大型艦艇での成果は大きく、これが普通の海軍国であるなら、これらの有力艦艇をそれぞれまとまった戦力に集合させて艦隊を編成し、自らの洋上防衛のため、もしくは攻撃のため使おうとするほどのものだった。
 ところがドイツ第三帝国の中で育成された海軍は、発展する(もしくは復活しきる)前に当時世界最大を謳われた英国海軍との開戦を迎え、圧倒的戦力を前に戦争期間中ずっと通商破壊艦隊として振る舞わないのなら「艦隊保全(フリート・ビーイング)」の状態を維持せざるを得ず、戦後ドイツそのものが世界帝国と言える規模に発展し、海軍の規模も相応に肥大化してもその体質から抜けきっていなかった。
 理由として、仮想敵にアメリカや日本、そして依然として英国という海洋帝国が存在することも挙げられるだろうが、原因の多くをドイツ自身が負っていたことは間違いないだろう。

 ドイツ海軍は、大きく大海艦隊、地中海艦隊、インド洋戦隊、潜水艦隊に分類され、前者3つが水上艦隊となり、英国との何度目かの開戦を迎えたこの時、主力の多くが英国本土指向する大海艦隊に集中されていた。
 本来なら、それまで英国の生命線と言われた地中海も重視すべきところだと言う意見もあるだろうが、地中海には同盟国であるイタリアがあり、イタリアの海軍力は少なくとも数の上においてドイツ海軍以上の規模を誇り、また第二次世界大戦の結果英国がエジプト、中東、インド、アジアの全ての植民地を失っため、カナダこそが英国の新たな生命線となっていた事が、この戦争でのドイツの戦力シフトに大きく影響していた。
 地中海やインド洋にも戦力が割かれていた原因は、これらの自らの勢力の維持と主に日米への対抗のために過ぎず、これですらドイツ海軍の役割は、ここはドイツの勢力圏だと教えるために存在している程度のものでしかなく、インド洋戦隊など、日米のうちそのどちらか片方が本気を出せば数ヶ月で消滅するほど戦力差のある、実際の戦争では意味のない戦闘能力しかなかった。つまり限定的プレゼンスが限界で、パワー・プロジェクションなど到底できる状況にはなかった。

 少し話が逸れたが、英国を攻撃すべく展開した大海艦隊だが、大型戦艦5隻、巡洋戦艦3隻、装甲艦2隻、重巡洋艦1隻、航空母艦2隻を基幹戦力として構成され、それ以下の補助艦艇が少ない頭でっかちな状況ながら、平時においてなら英国大艦隊(グランド・フリート)に対抗できるだけの勢力に拡張されていた。
 しかし、この戦力のうち巡洋戦艦、装甲艦、航空母艦の全てが通商破壊のためブレストやナルビクを抜錨して大西洋に分散配置されていた。開戦までその多くが遠洋航海の訓練のためとされていが、この兵力配置にドイツ海軍の奇妙さを見る事ができるだろう。これが日米なら上記の戦力で空母機動部隊を編成して、相手に対して大きなプレッシャーをかけることに疑う余地はなく、バルト海奥深くで碇を降ろしている大海艦隊の主力(戦艦5隻、重巡1隻、軽巡3隻)にしても、自らの制空権のもとグランド・フリートを翻弄すべく、もっと積極的に行動しただろうと予測される。
 ただ大型艦艇を大事にする傾向は、日英米の海軍以外の全ての国に共通した性癖で、莫大な国費を投入した軍艦を危険に晒すことを忌避するという性癖は、相手より弱小とされた海軍国の避けて通れぬ宿命のようなもので、特にドイツ海軍の場合は、第二次世界大戦での自らの行動でこれ以上ないぐらい証明しているだろう。

 一方ドイツの挑戦を受けることになった、ロイヤル・ネイビーだが、こちらも問題が皆無というワケではなかった。
 水上戦力こそ、いまだドイツ海軍を十分撃破できるだけの規模を持っていた。規模で言うと戦艦7隻、巡洋戦艦3隻、大型空母5隻を主力として多数の艦艇で構成されていた。規模的には、世界最大の座から滑り降りたが、欧州最大規模の海軍であることに間違いなかった。これをグランド・フリート、大西洋艦隊、太平洋艦隊に分けて展開しており、戦力の過半が前者2つの艦隊に集中されていた。
 しかも無理をして建造された大型空母など新規戦力も皆無ではなく、質の面でも新規艦艇ばかりのドイツ海軍に対抗できるレベルを維持していた。
 また、過去二度のドイツ海軍とのシーレーン獲得競争の過程で完成されたと言って良いであろう海上護衛戦力は、他の艦艇、航空機材の開発を切り捨ててまで行われただけに世界最高と言って間違いない質と量を誇っており、ドイツ海軍だけを相手にするのなら(空軍の事はこの際除外される)、少なくとも負けることはないと世界中の同業者間でも見られていた。
 だが、第二次世界大戦後の英国そのものの予算不足から、海軍の稼働率は特に護衛艦隊の面において大きく低下しており、ドイツの水面下での開戦準備を受けて準備してなお十分なものとは言えなかった。
 有力な戦力を持つとされる空母部隊についても、初期の航空機材の開発に失敗したツケをいまだに完済したとは言い切れず、日米のようなジェット艦載機を搭載できる空母は新型の2隻のみで、その機材も日米からの輸入という低迷状態を続けていた。
 また、ドイツ海軍だけが相手なら十分な海軍力とされたロイヤル・ネイビーだが、これにドイツの同盟国、衛星国となっているイタリアやフランスの海軍が戦闘加入すれば、戦力量の優位も簡単に吹き飛ぶ程度にまでロイヤル・ネイビーは縮小しており、かつてのように英国一国で欧州全ての海軍を相手取るというような事は到底不可能となっていた。
 しかも、米日との関係も修復しているとは言えず、米日は自らの利権保持と商売のため英国に優先的に武器を売却しているだけで、特に太平洋、インド洋では冷たい対立状態が続いていると言っても間違いはなく、これまで英国の盾にして矛としての使命を全うし続けていたロイヤル・ネイビーにとって、今までで最大級の苦難が待ちかまえているのは間違いないと言われていた。

 そのような戦力状況で始まった英独の海での戦いだが、それまでのように英国は準備もままならない状況で戦争に突入した時と違い、ある程度の備えがあった事と、反対にドイツは比較的潤沢な戦力で開始した事からほぼ互角と言って良く、英国が受けた船舶の損害とドイツが受けた潜水艦の損害は、比率においてのみ概ね予測通りの範囲に収まっていた。そう、ローコストで相手にハイコストを払わせるのを目的とするドイツの戦略とは必ずしも合致した戦況でない事は開戦一週間で明らかになり、またしても勝手の違う戦場に足を踏み込んだのではとドイツ海軍将兵を不安にさせる大きなファクターとなっていたのだ。
 もっとも今回のドイツの短期戦略が、航空決戦に傾いておりこのため航空機生産工場が多数存在するカナダ航路を重点的に狙ったため、この点において英国の予測を越える事となり、こちらも短期的に大きな不安を抱えることとなる。

 そして当初から真っ正面からの殴り合いとなった、シーレーンの獲得競争と英本土上空での戦いは、両者の予測を越えた損害が双方で報告され、自分たちでも気付かぬまま次の時代の扉を叩いていた事をおぼろげながら自覚させた。
 だが、ここに英独の戦争展望の違いが露呈し、何があろうとも英本土を防衛すればよい英国に比べ、短期的に英本土の防衛戦力を撃破し、政治的に屈服させることを狙っていたドイツの目算は大きく狂う様相を見せ、それは英独双方にとってのかつての戦いと同様の泥沼への招待状となった。

 そしてさらなる泥沼を現出させて戦争をドローとすべく、以前の戦争でドイツの戦争が大きく狂った転機を再び引き起こそうと、英国の作戦が開始された。

 Case 01-05「攻撃目標ベルリン?」