■Case 02-00「抗戦表明」
「皆様、会議に集まっておられる全ての皆様、今共栄圏は重大な危機に直面しています」 壇上の男は、現状の要約をこれ以上ないというぐらい短い言葉で述べ、自らのスピーチを始めた。そしてその言葉は、この会議が行われているのが、清々しい日本の初夏である事を感じさせないほど重く、悲痛なものだった。彼は続けた
「皆様、本日未明、日本帝国首都の東京ならびに海軍の横須賀鎮守府、シンガポール基地、セイロン基地がドイツ帝国軍の弾道弾兵器による攻撃を受け、甚大な被害が発生し、アフリカ東端のアデンとマダガスカル島を拠点とするドイツ帝国海軍は、我々全ての船舶に対する無制限通商破壊を始め、さらには中近東はイラクに駐留しているドイツ陸軍の大部隊が、ペルシャ湾目指して進撃を開始しました。「敵」は明らかな侵略意図のもと、奇襲攻撃を行ったのです」 まずは、深刻な事を認識させるためだろうか、一気に捲し立てた。そして壇上の男は、さらに悲壮感を際だたせた発言を続けた。
「もちろん、日本帝国軍を始めとする共栄圏各国軍は、卑怯極まりない攻撃に対しても果敢に反撃しています。しかし、事態が楽観できるとは、決して言えません。それは、ドイツ人は計画的に我々の共栄圏に対する軍事侵攻を開始したのであり、それに対して平和を希求していた各国政府の方針により、我が方の軍事力は戦闘態勢が整っていなかったからです。礼服姿の軍人と戦闘態勢を整えた兵士が戦えばどうなるかは、もはや語るまでもないでしょう」 ここで数瞬を明けて、話し方を少し変えた。 「そして、この卑怯極まりない不意打ちに為すすべなく敗退した責は、これを予見できなかった、私の属する日本帝国にあるとも言えますし、そうお思いの方も多い事と思います。もちろん、それは事実の一端に違いなく、我々はその責めをあえて受ける覚悟もできております。ですが、今私達がしなければならないのは、そのような共栄圏内部での責任追及でしょうか。もちろん、責任は問われなければなりません。ですが、最初に申し上げたようにそれ以上の危機が我々の目の前にあります。責任を問うのは、それを退けてからでも遅くはないでしょう」 何を言いたいのか、少し分からないような言葉を紡ぎつつ、言葉のテンションをだんだんと上げて続けた。それは、ローマのカトーもかくやと言った姿だった。
「さて皆さん、今この時においても、ドイツ帝国を始めとする敵国の攻勢は続いており、我が軍は後退につぐ後退を余儀なくされています。そして準備の整った敵は強大であり、ロクな準備も出来ていない我々は、全てにおいて弱さをさらけ出しています。もちろん、我々は果敢に戦いを挑んでいますが、全く敵を押し止めるには至っていません。そればかりか、さらに多くの地域を敵の手に委ねなければ、戦線の維持すら難しいという前線からの報告もあります。また戦いは、中東、インド洋のみならず、この初期の段階においてすら太平洋に面する日本列島にまで及んでおり、戦いは先の第二次世界大戦より遙かに困難な事は、この事からも明らかでしょう。ですが、日本帝国を代表するこのわたくしは、ここに一つだけ断言できる事があります」 核心に至る直前に言葉を切り、男は一気に捲し立てた。
「それは、我々が如何なる事があろうとも、戦う事を止めないだろう、という事です。場合によっては、我が国の首都にすら敵兵が押し寄せ大きな戦火が及ぶかもしれません。ですが、最後の一人となるまで、諦める事はありません。それは、今ここで我々が倒れる事は、単に共栄圏の崩壊を意味するだけでなく、全ての理不尽な支配に苦しんでいる地域の人々の希望の火を消すことを意味するからです。そして、この決意表明として、あえて私は先の戦争で敵手だった宰相の言葉を借りて最後としたいと思います。
・・・我々は最後まで突き進む。砂漠の大地で戦い、海で海洋で戦い、高まる確信と強さを持って空でも戦う。私達はいかなる犠牲を払っても自分たちの祖国を守る。浜辺で戦い、また飛行場で戦う。野で戦い、丘で戦い、街道で戦う。我々は決して降伏しないのだ!」
一瞬の沈黙の後、会議場はその広い会議場を揺るがす程の万雷の拍手で覆われ、後は各国の参戦表明によるお祭り騒ぎとなった。 ドイツ軍による不意の宣戦布告と奇襲攻撃から半日近くが経過した、東京で臨時開催された大東亜会議は、初期の紛糾予測から一転して、共栄圏全体の結束を固める場へと変化した。それは、各国首脳部がそうである必要を認めていたからこそ、共栄圏全ての人がようやく手にした自分たちの生活を失いたくないからこそ現出された状況でもあったが、日本政府が徹底抗戦を表明した点が高く評価されたのも事実だろう。 そして、世界政治レベルで「無定見」のレッテルが貼られる事の多い日本政府が、初期の段階でこれほどハッキリと自らの態度を示した事は、世界の様々な場所に大きな影響を与えていた。 また、日本代表の最後の言葉は、表面的には景気づけの一言とされたが、十数年ぶりの英国との関係修復を伝えるものであり、日本がどういう戦争を描いているかを伝えるメッセージとなっていた。 そしてそれを理解したからこそ、この演説を契機として、ドイツを第一の脅威と認識する国々が日本との水面下の交渉を持つようになり、最終的には一つの大きな流れを作り出す事になる。