■Case 03-03「エスタライヒ in X`mas」

 グリニッジ標準時1949年5月15日午前0時30分、現地時間午前3時30分、実質的にボルガ川地域で対峙していたドイツ軍の側から無数の重砲・ロケット砲の砲火が轟いた。
 秘匿作戦名称「紫の場合」。
 ロシア人を完全に屈服させるための最後の戦いの始まりだった。

 当時のドイツとロシアの境界線は、ドイツがバルバロッサ作戦の折り「A-Aライン」と呼んだ、カスピ海沿岸のアストラハンと北極側に面するアルハンゲリスクを結んだラインとボルガ河を基準とした双方にとっての最大進出線をつないだ、でこぼこの大きな境界線とも呼べない紛争地帯によって区切られていた。
 そして1949年以前の5年間は、ドイツ国防軍56万人を主力とした約80万人の欧州各国軍による40〜50個師団規模から構成される部隊(派遣国により部隊規模が異なるため時期により差が生じる)が、ライヒにとっての新たなオストラントを守護し、ウラル山脈を策源地とするボルシェビキの残党達は、200万人の雑多な部隊の寄り集まりとすら言えない訓練も不足する兵力を配備し、欧州同盟軍が見せたスキを見つけてはゲリラ的な攻撃をしかけるという刹那的な戦闘を継続していた。
 しかし、ロシア人達は陸戦には天賦の才を持っており、しかもロシア人に対するごく一般的な認識からは到底考えられないほど陣地構築にはその才能を示し、ボルガ川周辺の都市の幾つかは都市そのものが陣地化、いや要塞化されいまだ難攻不落を誇っているものすらある程だった。このためいくつかの戦区ではボルガ川が越えられなかった程だ。
 だが、全般として我がドイツ国防軍がイニシアチブを確保し続けており、それを約束しているのが軍団規模の部隊に必ず配置されるようになった軍団直轄の「装甲旅団」の存在だった。
 この「装甲旅団」は、東方軍全体では8〜10個旅団が常に活動している事になるだろう。
 もちろん、「装甲旅団」を編成するため装甲師団を分割して配備する事に、軍の上層部や当の装甲部隊将兵の評価は辛いものだったが、それはドイツ人にありがちな完全主義発露の弊害と言えるものであり、自軍の物的・人的資源の状況、貧弱な装備しか持たないロシア人の装甲兵力を前にしては、師団単位での装甲兵力の投入は贅沢の極みというものだった。
 まあ、フランス人の玩具のような「機甲師団」とやらなら、師団単位で丁度良いかもしれないし、いまだまともな対装甲車両を開発できず戦意も高いとは言い難いイタリア軍なら師団でなく軍団レベルの装甲部隊が必要かもしれないが、その頃のドイツ軍にとっては、旅団単位での分散配備こそがコスト面で最良の戦力単位だった。
 だが、そうした状況にも変化が訪れる。
 1948年クリスマス・イブの事だった。

 それはもはや冬のロシアの恒例行事となっている、ロシア人によるちょっとした攻勢、「冬将軍」という偉大すぎる将軍を援軍とした彼らにとってのクリスマスパーティーのための景気づけのような局地攻勢に過ぎない筈だった。
 攻撃された部隊も、イタリア軍1個軍団が薄く戦線のようなものを張っている真っ正面という実に教科書通りの場所で、規模もイタリア軍が騒ぎ立てる情報とそれまでの傾向から考えると軍団レベル(彼らの規模なら1個軍規模)で、それまでとの違いは、イタリア軍前線からの悲鳴があがっては消えるペースがずっと速いという事だった。
 つまりロシア人は、イタリア軍の前線を容易く突破出来る兵力を揃えているか、未知の新兵器を多数揃えているという事になるだろう。
 そして、戦線後方で予備兵力として待機していた機甲旅団司令部は、いつもより大規模な装甲兵力による局地攻勢と判断し、自らが握っている1個装甲大隊、1個装甲擲弾兵大隊を基幹とした完全編成の装甲1個旅団に加えて、付近装甲兵力の集合を命じた。軍団司令部からは、他方面からも同様の戦力が向かうことを伝え、順次挟撃体制を取る指示を出す手はずになっていた。
 パスタが大熊に食べ尽くされる前に、白銀の騎士よろしく舞台に登場する手はずを整えたのだ。

 その時まだ誰もが事態を楽観していた。如何にイタリア軍部隊とは言っても、その装備の多くは補給の簡便化を図るために国防軍とほぼ同様の装備で統一されており、重トーチカには「ハトハト」が多数配備され、機関銃により十字砲火が形成され、さらに「III号突撃砲」大隊や、ネーベルヴェルファーまで装備した砲兵部隊を持つ、我々と同様の装備だったからだ。
 これは、イタリア軍の士気を少しでも高める為の景気づけのようなものだったかもしれないが、陣地に籠もってこれらの兵器をただぶちまけ続ければ、気が付けば目の前には気分が悪くなる悪魔の園が出現するだけで、自分達は少し火薬臭くなるに過ぎないという現実がやってくるだけの筈だった。
 当時唯一の懸念は、これもイタリア兵の士気を維持するために、彼らの後方に比較的大規模な都市がありそこが近隣の友軍全体の物資集積所となっていた事だったが、これすらちょうどその数日前にドイツ本土から猟兵大隊を基幹とした新着の装甲部隊が到着して、移動を待つだけだった彼らに急遽第二線を構築させる方針を司令部が打ち出した事で、前線のドイツ軍将兵の士気をむしろ高めすらしていた。
 また、もう一つの懸念である、冬特有の悪天候で航空機が使えない事だったが、これはロシア人の方が空の戦いでははるかに分が悪い事と、軍団直轄の155mmカノン砲を装備した重砲連隊が24時間体制で支援すると約束した事で、機動防御を行う装甲部隊の不安も払底されていた。

 なお、この時ロシア人の装甲部隊に反撃に向かおうとしていた装甲旅団は、「パンター・ツヴァイ」を試験装備した部隊で、100km圏内ではドイツ最強、いや同数では世界最強の打撃力を誇っていた。これ以外にも装甲偵察中隊の「パンター」、「ルクス」、猟兵中隊の「IV号駆逐戦車」など多数の装甲車両を装備しており、単に機動防御するだけなら、赤軍編成のままのロシア人の装甲部隊が相手なら完全編成の師団が相手でも十分に対処できるだけのものだった。「パンター・ツヴァイ」に装備された71口径88mm砲と優秀な照準システム、そしてそれを操る熟練した戦車兵達がそれを現実のものとする筈だった。
 何しろ彼らは、4000メートル彼方からでも砲弾を命中させる事ができたのだ。

 そうそう書き忘れるところだったが、この時私はこの装甲旅団の通信将校をしており、師団司令部の側で移動する装甲通信指揮車うち一両の指揮を任されていた。
 これから書く事は、その通信から伝わることを可能な限り簡単にまとめたものだ。

 その日の午前4時頃始まったロシア人の局地攻勢は、数時間のイタリア兵の力戦(顔すら知っている戦友たちなのであえてこう書かせてもらう)による数時間の反撃を粉砕すると、芸のない人海戦術を以てこれを突破、事後、突破部隊がイタリア軍の第二、第三防衛線に殺到し、これを同様の戦術で粉砕しつつあり、機動防御部隊である我々の先鋒が戦場に到着したのは、第三防衛線がまさに突破されんとしたその時、大衆演劇に例えれば絶妙の間合いでの登場であり、観客から拍手喝采を浴びること間違いなしのタイミングだった。
 自走砲大隊の弾幕射撃がイワンたちの鼻面に叩き付けられ、装甲偵察中隊の「パンター」の牙がロシア製戦車の装甲を貫いた。
 それは、いつもの情景であり、我々にとっては当たり前の光景でしかなかった。
 だが、前線から少し離れて状況を報告してきた「ルクス」が少し気になることを報告してきた。

<敵車両の主力は「T-34/85」>
<敵先鋒は装甲大隊規模に歩兵部隊が1個連隊随伴>
<後方にさらに同規模の部隊を視認>
<後方の部隊には形式不明の重戦車を含む>

 「重戦車」の詳細を知らせと通信を返そうかと思った時、さらに交戦中の「パンター」から切羽詰まった声で肉声が届いた。

<敵は「T-34/85」なれど、照準装置に改良を加えた新型、遠距離から正確に射撃>
<砲塔形状が若干違い、主砲の発射速度もかなり速い>

 大きくは以上のようなものだったが、こちらは新型戦車を多数用意しているのだから、大きな懸念は持っていなかった。
 だが、次の瞬間

<敵第二陣、距離3000で重戦車が射撃開始>

 という通信を最後に中隊指揮車からはノイズが送り届けられるだけになり、その後混乱しながらも煙幕を展開して逃れる偵察中隊の情報を整理すると、敵第二陣に含まれる戦車の一部は、距離3000で「パンター」の前面装甲を貫く能力を持っている事が分かった。
 重大事件だった。
 だが、この時勇敢な「ルクス」が送り続ける情報を整理した旅団司令部の判断は、英国の17ポンド砲を装備したロシア人の新型戦車、もしくは英国が開発したと言う新型の重戦車を供与されたものだろうと言うものだった。
 妥当な判断と言うべきだろう。
 それなら、「パンター」が距離3000で撃破された事に納得もいくし、自分たちの持つハトハト以外でそのような芸当ができる戦車砲はそれしかない筈だったからだ(事実はそうではなかったが)。
 また、「T-34/85」の改良型についても、同様に英国や太平洋諸国の技術を導入して合理的に改良されたタイプだろうと判断された。それなら、遠距離からイタリア軍が手もなく撃破された事に十分説明がつくし、同戦車の持つ85mm砲は本来それだけの能力を秘めた兵器だったからだ。

 これを受けて旅団司令部は、安易な機動防御戦を行う事を避け、イタリア軍陣地の最終防衛線となる砲兵陣地前面での防戦を行いつつ、一部を迂回させて敵先鋒部隊を粉砕するよう方針を変更した。相手が新型の重戦車でも、ハトハトの十字砲火に耐えられるワケがない。
 そしてこれが、最終的に旅団司令部と私の命を助けることにもなった。

 第三防衛線が事実上突破されてから30分が経過し、それまでにイタリア軍の残存部隊と共に布陣を行った我々の眼前にイワンどもの戦車部隊が現れた。
 イワンの数は膨れあがっており、我々の眼前に溢れたその数は優に師団規模と言って間違いなく、ロシア人特有の雑だが無尽蔵と言うべき砲兵弾幕射撃を15分ほど打ちかけた後にやって来た。しかもこの砲撃は多数のロケット弾による砲撃も含まれ、それまでになく密度の高いものだった。何しろこちらの砲兵部隊が、容易く打ち負けたのだから。
 だが、このような数的劣勢に立たされる事は、過去の東部戦線では日常茶飯事で、こちらもさらに一部が後方に下がった重砲兵部隊がねばり強く支援砲撃する中、位置を暴露しないように待ちかまえた。
 前線からの報告では、先ほど報告のあった新型戦車は最初の報告から幾分数を増しており、小隊単位で3つに分かれて生意気にもパンツァー・カイルの先端を務めているらしい。
 報告では、「パンター・ツヴァイ」よりもやや小柄な戦車らしいが、よほど新型戦車に自信があるようだった。
 そしてその自信を粉砕すべく、距離2000で一斉に攻撃が開始され、「パンター・ツヴァイ」は自慢の長い牙を大熊に突き立てた。
 真っ赤な流星となって突き進んだ鋼鉄の槍は、狙い違うことなくその半数が直撃した筈だったが、命中した戦車のうち煙を噴いた車両はほとんどなく、その過半がここまで聞こえそうな金属音をさせただけで平然と活動を続け、停車すると怒ったような仕草を見せ、その長い牙で反撃を開始した。
 敵の火砲は絶大な威力だった。
 目標の装甲が10mmだろうが150mmだろうがお構いなしといいたげな貫通力で、ハトハト以上の大口径砲のくせにやたらと早い発射速度を見せつつも正確な砲弾を送り込み、「パンター・ツヴァイ」の強固な筈の鎧を次々にうち砕いていった。
 それに機動力も重戦車にしては軽快で、ロシア特有の幅の広い履帯から独特のイヤな音をきしらせつつ悪路を突進してくる。
 明らかにそれまでとは格の違う戦車だった。
 前線で生き残った戦友いわく、その時パニックに陥らなかったのは奇蹟と感じた程だという衝撃を受けたそうだが、それはまさに1941年に「T-34/76」に対して我々が受けた「T-34ショック」の再来のようだと語っていた。なおその話をした彼は、その年大隊専任曹長を拝命したベテラン中のベテランで、「III号戦車」で「T-34/76」を撃破したことのある強者だった。

 だが、最初の砲撃で擱座した敵車両もあり、このモンスターが無敵でないことも同時に教えていた。所詮相手もただの戦車なのだ。
 しかもその時こちらは待ち伏せ状態で、強力な「パンター・ツヴァイ」も完全編成の大隊ということで数も多く、無理押しをしてきた彼らを十分に押さえ込むことに成功していた。モンスターとて、無数に砲弾が命中すれば壊れるものだし、中の人間はたまったものではなく、攻撃も後込みするものだ。だいいちモンスターの数も限られていた。
 また、重砲陣地だった事も幸いし、重砲の平射射撃により正面から撃破できた車両もいくつかあった。
 そして敵が攻勢限界に達した頃を見計らって、温存しておいた2個中隊の「パンター・ツヴァイ」に支援部隊を付けた反撃部隊による包囲行動を開始し、一気に敵先頭集団を包囲殲滅する行動が開始された。
 ようやく、本当にようやくという気持ちが相応しい反撃の開始だった。

 だが、戦いのクライマックスはまだ来てなかったらしく、イワンが浮き足立って後退を始め、こちらがそれに乗じようとしていたまさにその時、反撃部隊がさらなる攻撃を受ける事になった。
 反撃してきた部隊は、約1個中隊のモンスターを中心にした増強装甲擲弾兵大隊程度の部隊だったが、混乱した戦場の合間を縫って横合いから殴りかかったその事だけでもかなりの手練れと言え、しかもたった数分で10両以上の「パンター・ツヴァイ」が完全撃破され、こちらも反撃どころではなくなり、無意味な殴り合いを避けるべく旅団司令部は反撃の中止を決意し、敵の新手もその一撃で満足したのか、ロシア人らしくないアッサリさで他の味方と共に後退し、しばらくは距離をあけて睨み合う事になった。
 もっとも、前線にいたくだんの専任曹長曰く、敵の新手は絶対にボルシェビキ頭の莫迦なイワンたちじゃないらしく、その証拠に所属エンブレム(赤い星からロシアの三色旗に変更されている)の近くにキリル文字(ロシア語)じゃない異国の文字が丁寧に描かれていたと言い張っていた。
 もちろんイワンじゃないという証拠はなかったので、その時我々は日本かアメリカのメーカーが書いた請求書か、でなきゃイワンにも洒落の分かるヤツがいるんだろうと笑い飛ばして、そのままヤケクソのクリスマスパーティーに雪崩れ込んだたものだ。

 それが「ハンター」と呼ばれた「Pz-47」戦車との出会いであり、私の新たな戦いの序章となるものだった。

 そして笑い飛ばせなかったのはその後の戦況で、別の旅団が救援に向かった隣の戦区では、我々の正面以上の装甲部隊による襲撃を受けて救援部隊までが手もなく壊乱させられ、そればかりか我々が守るはずだった都市がイワンの手により蹂躙され膨大な物資が奪われるか灰となり、彼らは破壊と略奪に満足すると短時間で後退し、我々は久しぶりの戦術的敗北を喫する事になった。

 そしてこの時捕獲されたモンスターの残骸とこの時の敗北が「狼の巣」を揺り動かすことになったと言われる。

 

 Case 03-04「サーヴァント・ソルジャー」