■傭兵達の宴
「よーし! ダリアたちに加勢するぞ!」 指揮官の第一声は、傭兵団らしくややくだけたものだった。それに応答する部下達の言葉もそれに応じたもので、この一つを以てしても部隊の士気の高さが伺いしれた。 なお「ダリア」とは、地上の地獄に派遣された傭兵達が、ロシア軍の婦人部隊に付けたニックネームで、ロシア軍総司令官ジェーコフ元帥のファーストネームに掛けたものだ。
1949年12月8日は、ロシア軍の総反抗が開始された瞬間であり、その上空には悪天候やシベリアの極寒を無視するかのようにロシア軍のエンブレムを描いた航空機が無数に乱舞して鉤十字の航空機を駆逐しつつあり、その下に展開する白銀の地獄をバーサーカーのごとき戦車の群が突進していった。
「いいか野郎ども! オレ達は臨時雇いの騎兵隊だが、陸軍野郎だけには美味しいところ持っていかれるな! ユダヤやジャパニーズにもだ! ダリアから勝利のキスを受けるのはオレ達だって事を見せつけてやれ!!」 アメリカ傭兵隊指揮官のけしかけのような無線を最も下品なものとして、統制された部隊だけがとれる見事な機動を見せつつ、一つの鋼鉄の濁流が、もう一つの鋼鉄の塊へと激突していく。 この時ウラル山脈南端部西方で反撃に出たロシア側の反撃部隊は、数にして約90万人と同方面のドイツ軍の1.5倍の規模であり、大きく二つに分かれて包囲行動を開始した先鋒の機甲部隊は、世界最強を謳われるドイツ軍装甲部隊とほぼ互角の規模を持ち、しかも反撃の中核とされる機甲部隊は装甲部隊同士による戦場の固定化を完全に流動化させる事のできる威力を秘めたものだった。 その何よりの証拠が、ロシア軍が満を持して投入した変わった呼び出し符丁を持つ外国人傭兵部隊の存在であり、アメリカ、日本、満州、ユダヤなどといった雑多としか言いようのない傭兵の集団は、臨時の機甲軍団を編成してロシア軍の先頭を突き進み、ドイツ軍の最精鋭部隊である第六親衛装甲軍との衝突コースを取っていた。 その数は「主力戦車」だけで500両以上あり、ドイツ側の主力となる「ティーゲル・ツヴァイ」に対してすらキルレシオ2対1以上を誇ると言われる「主力戦車」の集団は、1941年にロシア人達が夢見た反撃を理想的な形で現出する事になるだろうと全てのものに感じさせるほど力に溢れていた。
そして鋼鉄の饗宴から48時間が経過した12月10日、二日間続いた流血の舞踏会は終焉の時を迎え、サーヴァント・ソルジャーたちが作り出した鋼鉄の濁流は、欧州十字軍全てを飲み込むべく大きな迂回運動を開始してウラルの北西部目指して突き進もうとしており、最後の突破戦力、つまり最後の予備兵力と言える装甲部隊を撃破されたドイツ軍にこれを押し止める術はなかった。
ドイツはこの時をもってロシアの大地での戦争を失ったのだ。
BAD END 2