■第二次夏季攻勢

「パンツァー・フォー」
 指揮官の第一声は、プロイセン出身の歯切れの良いドイツ語により、いかにもドイツ人らしい謹厳さに満ちたものだった。それに応答する部下達の言葉もそれに応じたもので、この一つを以てしても部隊の練度の高さが伺いしれた。

 1950年5月15日、ドイツ軍によるロシアでの二度目の夏季攻勢は、完全な成功を収めるものと見られていた。
 圧倒的な制空権、兵員の質、兵器の質、それらを総合的に加味すれば、相手に対しての兵力数が半数程度であったとしても実際の戦力指数は二倍以上に達すると見られており、前年末に行われた無理な冬季攻勢により兵力の消耗したロシア軍にこれを跳ね返す力はなかった。
 しかも今回ドイツ軍は100kmほども前進すれば事足りるので、補給を含めた兵站の問題も少なく、相変わらず戦術空軍と諸外国から小馬鹿にされる空軍機の航続距離の少なさも問題とならないのだから、ドイツの勝利を否定する要因は存在しないと言えるだろう。
 それを知ったのか、この春までに各国が派遣していた傭兵達の殆どが本国へと引き上げてしまい、それに反比例するかのように傭兵団を派遣していた列強各国は、停戦もしくは休戦の調停に乗り出す始末だった。
 つまり、ドイツが攻勢を開始する前から勝敗は決していると各国も考えており、だからこそドイツに圧力を加えられるバッファー・ゾーンの最低限の確保に走ろうとしたのだ。
 なお、各国の傭兵団が撤退したのは、彼らが派遣している程度の戦力があろうがなかろうが大勢に変化がないほどロシア側が劣勢になっているに他ならない。
 だが、ドイツとしては今回の戦争目的が、ロシアが二度と足腰立たないほど打撃を与える事にあるのだから、この二度目の攻勢が一定の成果を収めるまで止める気はなく、自らが圧倒的に有利になった段階で各国の言葉に耳を貸すつもりだった。

 だが、これは一つの終わりであると同時に、新たな始まりを告げるものであった。
 これ以後ドイツ第三帝国率いる欧州大陸勢力は、レーベンス・ラウム(生存圏)の安定を得た代わりに、アメリカ、日本を中核とする太平洋勢力と本格的な対立を迎えるのであり、ドイツからより大きな脅威を受けた彼らがこれまでのような手抜きをするとは思えず、それらの勢力の国力を考えるとロシア戦線が消えた以上のプレッシャーがのしかかるのは確実で、果たしてこの時の戦争が正しかったのかは、その後半世紀ていどの時間をかけて回答が出るだろう。

 そしてこれ以後ドイツを待っているのは、苦難に満ちた半世紀なのは疑いない。なぜなら、歴史上出過ぎた大陸国家を待っているのは、海洋勢力からの苛烈な対応に他ならないからだ。

 

NORMAL END 2

 

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