■Case 05-04「戦後の国際秩序」

  1943年10月25日に第二次世界大戦は終結し、その一年後にはニューヨーク講和宣言が出され、ここにパックス・ブリタニカ崩壊以後続いていた世界的な混乱は一つの通過点を過ぎたワケだが、もちろんこれで全ての問題が解決したわけではなく、むしろ問題は山積しているというのが実状だった。

 理由は言うまでもなく、世界を牽引すべき国と地域が世界中に分散しており、その多くが一つの道を歩んでいないという事だった。
   また、帝国主義と呼ばれた時代に虐げられた地域での、独立独歩の機運を実現する日本主導による植民地解体と新独立国建設が、世界に新たな対立の予感を告げていた。
   そしてその核となるかのように、1943年11月3日、全亜細亜の代表を集めた「大東亜会議」が開催された。
   当時まだ大日本帝国と呼ばれた国家の呼びかけで集まった国々は、大日本帝国、中華民国、印度共和国、大韓国、タイ王国、フィリピン共和国、内蒙古王国、蒙古共和国、満州国、ベトナム共和国、ラオス共和国、カンボジア王国、マレーシア連邦、インドネシア共和国、ビルマ共和国、パキスタン共和国、イラン王国、アラビア半島諸国連合とほぼ全アジアに及んでおり、その多くは独立して間もない国々、もしくはこれから独立しようという地域ばかりだった。また、オブザーバーとして南米やオセアニア圏の太平洋側に属する国家の多くもこの会議に参加しており、この会議が単にアジアの独立独歩を促進する会議ではなく、欧州帝国主義の終焉を期待されたものである事を象徴していた。
   そして会議において、各国の自主独立、各国の提携による経済発展、各民族の伝統文化の尊重、そして人種差別撤廃を謳った『大東亜共同宣言』が満場一致で可決され、日本の戦争目的の完遂を告げると共に、それまで欧州だけ、白人種の間にだけで通用した価値観が全世界、全民族の間に適用されるべきだとされた瞬間だった。
   これは、いまだアフリカなどに多くの植民地を抱える欧州各国にとっては、核兵器を投下されたよりも大きな政治的ダメージであり、この宣言での混乱が必ず第三次世界大戦を呼び込むだろうと考えさせるのに、大きな疑問はなかったと言われている。
   何しろ、植民地が独立すると言うことは、そこからの利益を得ることができなくなった白人国家の全てが貧しくなり、そのような事は市民レベルで国家として、到底受け入れる事ができない事だからだ。

 また、その混乱がもたらされた欧州においても、戦中・戦後にドイツ主導で新たな道筋が描かれつつあり、これはまだ戦中の1943年8月にドイツから「欧州経済協力会議」の開催が提唱された事で象徴され、この組織は後々植民地によらない欧州経済圏の建設を目刺した組織へと発展し、一方戦後しばらくしてブリュッセルで集団安全保障条約である、「ブリュッセル条約機構(BTO)」が締結され(1947年)、欧州以外との対決姿勢を強くしていく向きを見せていた。

しかし、すぐに激発には至らなかった。

 理由は簡単で、それまで多数の植民地を有していた列強の全てが戦争で疲弊しきっており、しかも最大の植民地帝国たるイギリスは、戦争中に既に多くの植民地を失っているので「何を今更」と言う程度の事件に過ぎず、しかもイギリスは日本の新たな秩序構築に食い込む事で、それまでの利権を保持する方向に流れており、これは太平洋地域にある英連邦各国・各地域がオブザーバーとしてではあるが、「大東亜会議」に参加していた事で象徴されている。日本人からすれば、欧州政治は複雑怪奇という行動だ。
 また、世界最大の経済大国であるアメリカも、民族問題はともかく植民地解放による市場の開放には諸手をあげて賛成しており、欧州の覇者となったドイツにしても、周りの突き上げこそ極めて強かったが、疲弊した欧州世界を率いて、物理的に難しい地域での戦争などする気も起きず、当面はむしろ話し合いで解決を図ろうと画策した事が、事態をある程度沈静化させていた。もっとも、当時のドイツの外交を見る限り、解決と言うよりは先延ばしという方が適切だろう。

 

 そうした中、先の講和会議のホスト国だったアメリカ合衆国は、この混乱の解決手段として一つの案件を持ち出し、これを強く推進した。
 これは、アジアと欧州で新たな世界秩序が作られつつある現状で、自らが再び孤立しないための一手であると同時に、自らの強大な経済力を背景とした政治的主導権を獲得するための切り札でもあった。

 そしてこれに日本(とアジア諸国)が主旨に賛同した事で国際的な環境は整えられ、世界中が再び同じテーブルに着く事になる。
 アメリカの国務大臣コーデル・ハルの提唱した「United Nations」、日本では当時の外務大臣である吉田茂の意訳により「国際連合」とされた、新たな国際組織の設立だった。
 これは、それまでの国際組織だった「国際連盟(League of Nations)」が、紛争解決を始めとする国際機関としての能力が低い事に対する反省から考案された新たな国際組織であった。
 だが、この新たな国際組織を作るにしても問題は山積していた。一番の問題は、戦勝国であるドイツと日本がそれぞれ自らを中心とした巨大な国際組織を既に作り上げており、この組織との関係が微妙だった事で、さらには戦争に勝利した日本やドイツそして提唱国のアメリカの権限が強い、不平等な組織になるのではと言う懸念も当初から強く危惧された。
 もっとも日本にしてみれば「大東亜会議」そのものが世界規模で拡大する事を現しており、大きく否定する事は自らの政治的不利益をもたらす事の方が大きく、むしろアメリカの姿勢を強く推す方向に流れ、ここに日米協調による各国へのテーブルへ席を着かせるという流れが作られる事になる。

 なお、国際連合設立に対する一番の問題とされたのが、安全保障理事会を構成する常任理事国に強い権限が付与され、これに選ばれる国は固定されている事になっていた点だ。
 しかし、新たな国際機関が必要という認識は各国の間でも強く、第二次世界大戦終結二周年にあたる1945年10月25日に発足する運びとなる。
 当然最後まで問題となったのは、常任理事国をどの国とするかで、ドイツ、日本、アメリカ、英国については不動とされたが、それ以上の国を入れるかどうかが問題となった。
 問題を最初に呼び込んだのは日本だった。
 日本は、新時代の国際機関なのだから、旧列強だけが常任理事国となるのはおかしく、新独立国の中から責任を担えるだけの力(潜在力)を持つ国を選出すべきだとして、これに合致する国として中華民国とインドを挙げたのがその発端だった。
 そして、これで収まればよかったのだが、今度は欧米各国がアジア有利になりすぎると懸念し、そこに枢軸国としての戦勝国イタリアが、自らも常任理事国資格があると強く主張し、これに世界的影響力の大きさを主張する再生フランスが加わって大きな混乱となった。
 そしてこれが、最終的に7カ国を選出する事でようやく落ち着く事になる。
 なお、上記四カ国以外に選出された国は、結局のところイタリアとフランス、そしてインドだった。
 また、それぞれの国が選ばれた経緯は、まさに大国のパワーゲームの結果であり、日本と已然強い影響力を持つ英国がインドを後押しし、ドイツと親仏傾向の強いアメリカがフランスを推薦し、これにもう一つの戦勝国イタリアが調整の結果選ばれる事になった。
 なお、東西に分裂したロシアと内戦の続く中華民国は、当初候補にあげられたし、それぞれ正当な政府を主張する各政府も名乗りを上げたのだが、分裂状態・混乱状態にある地域が常任理事国など不的確だとする意見が強く、その後改訂する際の有力候補をすると言う一札を与えられただけ、結局他の候補が選出されている。

 「国際連合」の成立により、世界中の市民達は一朝に世界平和が訪れたような錯覚に陥ったが、この程度で全てが変わる筈もなく、依然として世界は混沌とした状態を継続していた。
 世界各地での植民地独立運動と旧列強の弾圧、中華内戦、東西ロシアの対立、アジア社会と欧州の新たな対立構造の萌芽、そしてそれらの縮図である、世界を牽引しているとされる大国のドイツ、日本、イギリス、アメリカの政治的対立だ。
 常任理事国が、国連会議で拒否権を発動する事も一度や二度ではなく、旧列強と新独立国の対立など、会議場でつかみ合いのケンカになることすら希ではなかった程だ。
 この状態を識者達は、第二次世界大戦の不完全燃焼がもたらした新たな対立構造の出現で、次なる世界大戦、第三次世界大戦はいつ勃発しても不思議でないと警鐘を鳴らし続け、識者の一部に至っては、次に列強のどれかがアクティブに動き出す時が、人類社会にとっての終わりの始まりになるだろうと、人類滅亡すら「予言」するに至る程だった。
  事実日米とドイツが各勢力を支援し続ける東西ロシア対立と中華内戦は情勢悪化を続け、イギリス、フランスなど欧州各国とその植民地の対立は、日増しに混乱度合いを強めていた。
 また、この混乱に比例するように、各国の軍備は正面戦力において増強され混乱がピークに達したのが、1948年にドイツ、日本、アメリカで相次いで成功した核実験であり、それぞれの国の核武装化だった。
 これは、とある組織が、人類破滅の指標を示すものとして世界時計というものを設けた最初の年であり、その時計が世界破滅2分前を示した年でもあった。

 しかし1948年12月24日、ベルリンから発せられた一つのメッセージが、世界に大きな希望の灯火をもたらす事になる。
 ドイツ総統、アドルフ・ヒトラー自らによるテレビ、ラジオによる演説がそれで、その放送は世界中に向けて発信されており、そこで発せられた言葉が、全ての意味で世界の人々に衝撃をもたらす事になる。


 Case Case 05-05「机の上の戦争」