●フェイズ02:「誕生「八八艦隊」」
ここでは、「八八艦隊」関連から第二次世界大戦が勃発する直前の第四次補充計画までの日本海軍の艦艇整備計画の概要と、主要艦艇の要目、解説などを紹介していきたい。
◆八八艦隊計画以前の艦艇 扶桑型戦艦:《扶桑》《山城》 伊勢型戦艦:《伊勢》《日向》 金剛型巡洋戦艦:《金剛》《比叡》《榛名》《霧島》
◆八四艦隊計画(一九一三年) 長門型戦艦:《長門》《陸奥》 天竜型二等巡洋艦:2隻 江風型一等駆逐艦:2隻 樅型二等駆逐艦:12隻 二等潜水艦:4隻
※《江風型》一等駆逐艦は、昭和十五年頃まで現役だった艦隊型駆逐艦。旧式化により、1940年頃までに全て退役。
◆八四艦隊計画追加分(一九一四年) 加賀型戦艦:《加賀》《土佐》 天城型巡洋戦艦:《天城》《赤城》 球磨型二等巡洋艦:5隻 長良型二等巡洋艦:3隻 夕張型二等巡洋艦:1隻 樅型二等駆逐艦:9隻 二等潜水艦:2隻
◆八六艦隊計画(一九一六年) 天城型巡洋戦艦:《高雄》《愛宕》 鳳祥型航空母艦:《鳳祥》《艦名未定(未完成)》 長良型二等巡洋艦:3隻 峰風型一等駆逐艦:12隻 樅型二等駆逐艦:9隻 楢型二等駆逐艦:32隻 若竹型二等駆逐艦:8隻 二等潜水艦:18隻 給油艦:7隻
※《楢型》二等駆逐艦は、海軍の欧州積極派兵の為に新規に計画された戦時建造艦。排水量900トン程度で、量産性を重視した簡易構造を採用。速度や武装よりも航海性能と航続距離を強化。 ※《鳳祥》の2番艦は、世界大戦の終盤頃に臨時予算で通過。しかし戦後建造中止。より大きな船体を用いた艦を建造することになるも、その後その計画も中止。 ※この年に、「ユトランド沖海戦」が発生。海軍の活躍により、海軍の計画全体が前倒しとされるようになる。 ※アメリカのダニエルズ・プランが本格的に動き始める。 ※海軍の欧州派遣の影響を受けて、海軍用の貨物船やタンカー、工作艦などが特務艦として多数所属する事になる。
◆八八艦隊計画(一九一九年) 紀伊型戦艦:《紀伊》《尾張》《駿河》《常陸》 富士型巡洋戦艦:《富士》《阿蘇》《石鎚》《大雪》 ※この時点では「13号艦型」 川内型二等巡洋艦:3隻 峰風型一等駆逐艦:3隻 神風型一等駆逐艦:9隻 一等潜水艦:2隻 二等潜水艦:15隻 潜水母艦:1隻 給油艦:1隻
※「八八艦隊計画」全体が予算承認され、一気に八隻の戦艦建造が計画される。 ※ただし、「十三号艦」型の建造予算の承認のみで、建造施設の関係で建造は数年先となる。 ※「十三号艦」型の名は、日本列島各島の大山より命名。
◆大正十二年計画(一九二二年) 飛祥型航空母艦:《飛祥》 古鷹型一等巡洋艦:《古鷹》《加古》 青葉型一等巡洋艦:《青葉》《衣笠》 妙高型一等巡洋艦:《妙高》《那智》《羽黒》《足柄》 睦月型一等駆逐艦:12隻 機潜型潜水艦:4隻 巡潜型潜水艦:4隻 海大型潜水艦:12隻 二等潜水艦:8隻 敷設艦:1隻 潜水母艦:1隻 給油艦:3隻 給糧艦:1隻
※ワシントン会議の交渉決裂を受けて成立。最後の野放図な計画となる。既に成立していた戦艦の予算も、性能向上の為に増額される。 ※《飛祥型》は《鳳祥型》の拡大発展型。「八八艦隊計画」枠内の計画。予算削減のため、船体は古鷹型の設計を流用。 ※「妙高」型は、8インチ砲装備の1万トン型巡洋艦。ただし、この時点では軍縮条約がないので規制された訳ではない。名称については、我々との間の混乱を避けるために同様とした。本来ならば、川の名称が付けられている。 ※なお1927年までは巡洋艦に一等、二等の区別はない。便宜上つけたものである。
◆大正十五年度計画(一九二五年) 特型(吹雪型)駆逐艦:4隻 他
※八八艦隊計画での野放図な計画への反動と、1923年の関東大震災の影響でまともな軍備計画は成立せず。 ※建造中の巡洋戦艦《石鎚》が、横須賀で大きく損傷。
◆昭和二年度計画(一九二七年) 龍驤型航空母艦:《龍驤》 鳥海型一等巡洋艦:《鳥海》《摩耶》 特型(暁型)一等駆逐艦:4隻 千鳥型水雷艇:4隻 巡潜型潜水艦:1隻 海大型潜水艦:3隻 敷設艦:1隻 高速給油艦:2隻
※ジュネーブ会議の結果を受けて計画が成立。 ※震災の影響と戦艦への努力傾注のため、新規建造は控え目。 ※この計画以後、基本的に三カ年計画となる。 ※巡洋戦艦《石鎚》の再建造予算も盛り込まれる。 ※《鳥海型》は、《妙高型》の改良発展型。史実と同じ。しかし軍縮条約のため2隻しか建造されず。 ※特型駆逐艦は、1500トン以上16%以下という軍縮条約の規定から、合計8隻で打ち止め。駆逐艦の枠全体も7万5500トンなので残り6〜7隻分程度。このため条約制限一杯の排水量を持つ大型水雷艇が計画される。
◆第一次海軍補充計画(一九三一年) ・予算枠:史実/艦艇2億6000万円 航空機4000万円 蒼龍型航空母艦 :《蒼龍》 最上型二等巡洋艦:《最上》《三隈》《熊野》《鈴谷》 初春型一等駆逐艦:6隻 鴨型水雷艇:12隻(16隻) 巡潜型一等潜水艦:1隻 海大型一等潜水艦:6隻 海中型一等潜水艦:2隻 敷設艦:1隻 小型給糧艦:5隻
・航空隊:11中隊
※軍縮条約の制約ため、大型艦の建造は低調になる。 ※「蒼龍型」航空母艦は、日本海軍初の大型空母。当初は、一種の航空巡洋艦として計画。設計と建造は難航。結局、イギリスの《フェーリアス》を手本とした。排水量は2万2000トンで、8インチ砲を搭載した多段式空母。当初予算は4000万円程度を計上。その後、全通甲板型に近代大改装される。(要するに、赤城と蒼龍のあいの子) ※《最上型》は史実と同様の大型軽巡洋艦。 ※駆逐艦の補完戦力として、大型水雷艇を多数計画。( )内は計画数で、左側が実際建造された隻数。
◆第二次海軍補充計画(一九三四年) ・予算枠:艦艇4億3000万円 航空機3000万円 飛龍型航空母艦 :《飛龍》 千歳型水上機母艦:《千歳》《千代田》※空母補助艦枠 瑞穂型水上機母艦:《瑞穂》※空母補助艦枠 (改鴨型水雷艇:20隻)→朝潮型一等駆逐艦:14隻 巡潜型一等潜水艦:2隻 海大型一等潜水艦:2隻
香取型練習巡洋艦:《香取》《鹿島》 潜水母艦:《大鯨》※空母補助艦枠 工作艦:《明石》 高速給油艦:《高埼》《剣埼》 ※空母補助艦枠。潜水母艦として就役
・航空隊:8中隊
※初めて「八八艦隊」の戦艦全てが揃って以後の計画となる。戦艦の維持費用は、海軍予算全体をかなり圧迫している。 ※軍縮条約のため、艦艇全体の建造は低調。巡洋艦は建造できず。 ※「飛龍型」は、空母保有枠内で作られた中型高速空母。軍縮枠内に納めるため、計画排水量は1万7000トン級。 ※改鴨型水雷艇は、軍縮条約を守ると見せかけたダミー計画。実際は、軍縮条約解除を見越した駆逐艦12隻を1937年から急速建造。駆逐艦用の資材は、同予算内で事前に収集。 ※海軍予算自体は若干増えていたため、補助艦艇に予算を傾注。 ※条約開けを見越して、既存大型艦艇の大規模近代改装を古い順に実施。別枠予算として、かなりの金額が改装予算に投じられる。予算自体は、維持費と含めると新規艦艇建造予算よりも大きい枠が取られている。
◆第三次海軍補充計画(一九三七年) ・予算枠:艦艇8億3000万円 航空機4000万円 大和型戦艦:《大和》《武蔵》 雲龍型航空母艦 :《雲龍》 日進型水上機母艦:《日進》※空母補助艦枠 利根型二等巡洋艦:《利根》《筑摩》 香取型練習巡洋艦:《香椎》(《橿原》※未起工) 陽炎型一等駆逐艦:18隻(22隻) 占守型海防艦:4隻 甲型一等潜水艦:2隻(3隻) 乙型一等潜水艦:6隻 丙型一等潜水艦:5隻
・航空隊:9中隊
※軍縮条約明けの計画。 ※《大和型》は《扶桑》《山城》の代替艦枠。 ※《金剛型》の代替艦も提案されるが予算通過せず。 ※( )内は、《大和型》のダミー予算分含む。 ※《雲龍》は、史実の翔鶴型航空母艦とほぼ同じ規模と能力。 ※戦艦主流の流れが強いため、空母建造枠は小さいまま。空母補助艦枠で不足分を代替。 ※その分、巡洋艦、駆逐艦の対米不足分の補完が行われている。 ※《大和型》は1隻当たり1億3000万円ほどが予算計上されているが、実際の建造費は約1億5000万円。 ※《利根型》は艦名通り軽巡洋艦として建造。他は史実と同じ。 ※空母補助艦枠としての商船への助成。(※《大鷹》《雲鷹》《冲鷹》《飛鷹》《隼鷹》の原型船) ※八八艦隊計画の後期計画艦の大規模近代改装を実施。同計画の一部予算も、そちらに傾注。
◆第四次海軍補充計画(一九三九年) ・予算枠:艦艇12億1000万円 航空機3億7000万円 大和型戦艦 :《信濃》《甲斐》 大鳳型航空母艦 :《大鳳》 大淀型二等巡洋艦:《大淀》(《仁淀》) 阿賀野型二等巡洋艦:《阿賀野》《能代》《矢矧》《酒匂》 陽炎型一等駆逐艦:4隻 夕雲型一等駆逐艦:15隻 秋月型一等駆逐艦:6隻 島風型一等駆逐艦:1隻 甲型一等潜水艦:1隻 乙型一等潜水艦:14隻 海大型一等潜水艦:7隻 中型二等潜水艦:9隻 小型二等潜水艦:9隻
・航空隊:75中隊
※第三次海軍補充計画が1年前倒し。 ※支那事変、第二次世界大戦のため、戦時計画の色合いが濃くなる。 ※航空隊の拡大が著しいが、殆どは基地航空隊向け。 ※1940年から、空母補助艦枠指定を受けた大型客船の空母への改装が始まる。 ※《金剛型》の代替艦はこの時も予算通過せず。
■1941年12月 海軍の主要な所属艦艇一覧 戦艦(BB):24隻 大和型:(《大和》《武蔵》※艤装最終段階) 富士型:《富士》《阿蘇》《石鎚》《大雪》 駿河型:《駿河》《常陸》 紀伊型:《紀伊》《尾張》 天城型:《天城》《赤城》《高雄》《愛宕》 加賀型:《加賀》《土佐》 陸奥型:《陸奥》 長門型:《長門》 伊勢型:《伊勢》《日向》 扶桑型:《扶桑》《山城》 金剛型:《金剛》《比叡》《榛名》《霧島》 ※《摂津》は練習戦艦化
航空母艦(CV):3隻 雲龍型:《雲龍》 飛龍型:《飛龍》 蒼龍型:《蒼龍》 軽空母(CVL):4隻 瑞鳳型:《瑞鳳》 龍驤型:《龍驤》 飛祥型:《飛祥》 鳳祥型:《鳳祥》 ※《祥鳳》《隼鷹》《飛鷹》《大鷹》《冲鷹》《雲鷹》は改装工事中。
高速水上機母艦:4隻 《千歳》《千代田》 《日進》《瑞穂》 潜水母艦: 《大鯨》《迅鯨》《長鯨》
一等巡洋艦(CG):10隻 鳥海型:《鳥海》《摩耶》 妙高型:《妙高》《那智》《羽黒》《足柄》 青葉型:《青葉》《衣笠》 古鷹型:《古鷹》《加古》
二等巡洋艦(CL):23隻 大型: 最上型 :《最上》《三隈》《熊野》《鈴谷》 利根型 :《利根》《筑摩》 5500トン級: 球磨型 :《球磨》《多摩》《北上》《大井》《木曽》 長良型 :《長良》《五十鈴》《名取》《由良》《鬼怒》《阿武隈》 川内型 :《川内》《神通》《那珂》 3000トン級: 夕張型 :《夕張》 天龍型 :《天龍》《竜田》 練習巡洋艦:3隻 香取型 :《香取》《鹿島》《香椎》
駆逐艦:(※完成間際含む) 新型 一等 特型:8隻、条約型:6隻、甲型:36隻 旧式 一等 艦隊型(睦月型、風型):36隻 護衛型:32隻(※第一次世界大戦中に量産) 旧式 二等艦隊型:29隻 水雷艇:16隻 海防艦:4隻
潜水艦: 伊号: 旧式:28隻 新型:17隻 呂号: 旧式:12隻
・海軍航空隊: 各種合計118個中隊(第一線機数:約1100機)
※備考:史実の開戦時の駆逐艦・小型艦艇: 特型24、初春型6、白露型10、朝潮型10、陽炎型18、=68隻 睦月型12、神風型24 二等艦隊型:29隻、水雷艇:12隻、海防艦:4隻
※備考:我々の世界との違いの総括: ・戦艦は《陸奥》以後の「八八艦隊」計画艦の14隻が存在 ・《赤城》《加賀》が戦艦として誕生 ・空母は大型空母が半数。軽空母は1隻多い ・艦載機の搭載機定数は史実の60%程度 ・大型巡洋艦の数は同じだが、5.1インチ砲搭載のまま ・軽巡洋艦の数は同じ ・第一線の駆逐艦は史実の70%強 ・旧式小型駆逐艦の数は約二倍 ・潜水艦の陣容は全く同じ ・海軍航空隊、陸軍全体の予算が史実の90%程度
●主要艦艇の要目について(1941年12月の開戦時の状態。)
■長門型戦艦(第一次近代改装後) 同型艦:《長門》 基準排水量:39,130トン 全長:224.94m 全幅:34.6m 機関出力:8万2000馬力 速力:25.0ノット 主砲:41センチ(L45)連装×4 8門 副砲:14センチ(L50)単装×12 12門 高角砲:98式10.0cm砲(L65)連装×4 8門(砲塔型) 舷側装甲:305ミリ 主甲板装甲:70+76mm ※計画通りに就役。※1930年代前半に機関など全面的に改装。「八八艦隊」艦隊で最も小型の戦艦となるが、最初に建造された艦であるため新規装備の試験艦的役割も担う。その後さらに改装が実施され、開戦時に最も新しい装備を搭載。このため副砲が大幅に減らされ、最新鋭の両用砲が搭載されている。 ※1930年代前半に先駆けて大規模な近代改装実施したが、他の艦艇の近代改装の見本とされる。
■陸奥型戦艦(第一次近代改装後) 同型艦:《陸奥》 基準排水量:39,780トン 全長:229.94m 全幅:34.6m 機関出力:8万5000馬力 速力:25.0ノット 主砲:41センチ(L45)3連装×2 連装×2 10門 副砲:14センチ(L50)単装×18 18門 副砲:12.7センチ(L45)連装×4 8門 舷側装甲:305ミリ 主甲板装甲:70+76mm ※平賀博士の提言を受け入れて主砲を強化。半ば試験的に三連装砲塔を装備。だが技術的に未熟なため、装填に長い間苦しむ。 ※1930年代前半に船体延長、装甲、機関、バルジなど全面的に改装。
■加賀型戦艦(第一次近代改装後) 同型艦:《加賀》《土佐》 基準排水量:45,600トン 全長:244.1m 全幅:34.8m 機関出力:9万8000馬力 速力:25.0ノット 主砲:41センチ(L45)連装×5 10門 副砲:14センチ(L50)単装×18 18門 高角砲:89式12.7cm砲(L50)連装×4 8門 舷側装甲:279ミリ(15度テーパー) 主甲板装甲:102ミリ+50ミリ ※建造を急ぐため計画通りに就役。※後部艦橋のマストの違いが見分けるポイント。 ※1930年代前半に船体延長、装甲強化、機関換装、バルジ装着など全面的に近代改装。
■天城型巡洋戦艦(第一次近代改装後「戦艦」に改訂) 同型艦:《天城》《赤城》 基準排水量:47,200トン 全長:260.2m 全幅:35.1m 機関出力:15万2000馬力 速力:29.5ノット 主砲:41センチ(L45)連装×5 10門 副砲:14センチ(L50)単装×18 16門 高角砲:89式12.7cm砲(L50)連装×6 12門 舷側装甲:254ミリ(12度テーパー) 主甲板装甲:95ミリ+70ミリ ※計画通りに就役。 ※煙突形状、後部艦橋の違いが見分けるポイント。 ※加賀型に続いて1930年代前半に全面的に改装。 ※近代改装時に機関を換装。以後同じ。
■愛宕型巡洋戦艦(第一次近代改装後「戦艦」に改訂) 同型艦:《高雄》《愛宕》 基準排水量:47,800トン 全長:260.2m 全幅:35.1m 機関出力:15万2000馬力 速力:29.25ノット 主砲:41センチ(L45)連装×5 10門 副砲:14センチ(L50)単装×18 16門 高角砲:89式12.7cm砲(L50)連装×6 12門 舷側装甲:279ミリ(12度テーパー) 主甲板装甲:108ミリ+70ミリ ※アメリカの計画に対向するため、各種装甲を《紀伊型》に準じるぐらいに強化。その分、速力が若干低下。 ※近代改装の際に煙突の片方を大きく後方に誘導して一つにまとめる。(以下同じ) ※1930年代後半に全面的に改装。 ※見た目では天城型との違いは少ないが、戦隊旗艦用に近代改装されたため艦橋構造物が大型化している。
■紀伊型戦艦(第一次近代改装後) 同型艦:《紀伊》《尾張》 基準排水量:48,800トン 全長:260.2m 全幅:35.1m 機関出力:15万2000馬力 速力:29.0ノット 主砲:41センチ(L45)連装×5 10門 副砲:14センチ(L50)連装×8 16門 高角砲:89式12.7cm砲(L50)連装×6 12門 舷側装甲:292ミリ(12度テーパー) 主甲板装甲:118ミリ+70ミリ ※アメリカの艦艇整備速度に対向して計画通りに就役。 ※防御力強化などを目的に、副砲を砲塔化し艦内区画も一部変更。 ※近代改装の際に、軽量化の為艦橋を塔型に全面改修。 ※1930年代後半に全面的に改装。
■駿河型戦艦(第一次近代改装後) 同型艦:《駿河》《常陸》 基準排水量:49,600トン 全長:260.2m 全幅:35.1m 機関出力:15万2000馬力 速力:28.75ノット 主砲:41センチ(L45)3連装×2 連装×3 12門 副砲:14センチ(L50)連装×8 16門 高角砲:89式12.7cm砲(L50)連装×6 12門 舷側装甲:292ミリ(12度テーパー) 主甲板装甲:118ミリ+70ミリ ※アメリカに対向するため、主砲塔の一部を三連装に変更。 ※旗艦設備が充実され、艦長室は艦尾から舷側部に変更。 ※近代改装の際に、軽量化の為艦橋を塔型に全面改修。 ※1930年代後半に全面的に改装。
■富士型戦艦(第一次近代改装後) 同型艦:《富士》《阿蘇》《石鎚》《大雪》 基準排水量:55,200トン 全長:278.3m 全幅:36.1m 機関出力:16万馬力 速力:29.0ノット 主砲:41センチ(L45)3連装×4 12門 副砲:15.2センチ(L50)連装×6 12門 高角砲:89式12.7cm砲(L50)連装×6 12門 舷側装甲:330ミリ(15度テーパー) 主甲板装甲:152ミリ ※日本列島各島の最高峰または大山よりそれぞれ命名。 ※《石鎚》以外は1929年から30年に就役。《石鎚》の就役は1933年。当初計画とは違い、流行の塔型艦橋を採用。 ※46センチ砲が研究、試射までされるが、結局条約に則って41センチ砲となる。様々な制約のため50口径化も見送る。ただし、砲塔と給弾方式を誘爆しにくい方式に変更。このため砲塔重量が今までよりも増加。 ※近代改装で46センチ砲の搭載が検討されるが、様々な問題のため見送り。 ※副砲は、装填方法の自動化を進めたものを連装化して装備。給弾方式の改善により発射速度が高められる。限定的に対空射撃も可能。このため紀伊級などより門数が減らされた。しかし贅沢な構造と予算のため、本型以外では採用されなかった。 ※最後に就役した《石鎚》は、建造が遅れたため艦橋構造など細部に違いがあり。 ※開戦時は、大規模な近代改装を終えたばかり。バルジの装着、対空兵装の大幅強化など外観を一新。予算不足のため、機関換装は見送る。このため速度は1ノット低下。
■大和型戦艦 同型艦:《大和》《武蔵》(《信濃》《111号艦》) 基準排水量:65,000トン 全長:263.0m 全幅:38.9m 機関出力:16万8000馬力 速力:28.0ノット 主砲:46センチ(L45)3連装×3 9門 副砲:15.5センチ(L60)3連装×4 12門 高角砲:89式12.7cm砲(L50)連装×6 12門 舷側装甲:400ミリ(20度テーパー) 主甲板装甲:200ミリ ※日本の戦艦建造の粋を結集。今までの建造経験が生かされているため、最初から設計に無駄がなく、主機の安定した強化なども実現。装甲厚も適正で、艦内水密区画も充実して艦底も最初から三重にされている。建造に際しても、最新のブロック工法の採用などで無駄を省いて建造期間短縮を実現。 ただし、当初予定していたディーゼル機関の搭載は断念。
※《扶桑型》戦艦、《伊勢型》戦艦、《金剛型》戦艦も、「八八艦隊」計画艦と戦列を組むために徹底的に近代改装される。他の戦艦での建造、改装経験があるので、もう少し洗練された状態となる。 ※《比叡》は練習戦艦にならないので、新型戦艦のテストベットにはならなず、他の《金剛型》と似た姿。
■航空母艦補足 艦載機数は1937年の基準。露天搭載なしの場合。 雲龍型: 基準排水量:25,250トン 速力34.2ノット 艦載機数:常用72機 補用12機 ※史実の翔鶴型。
飛龍型: 基準排水量:17,300トン 速力34.5ノット 艦載機数:常用63機 補用9機 ※史実の飛龍型。
蒼龍型: 基準排水量:23,400トン(就役時は20,600トン) 速力30.5ノット 艦載機数:常用66機 補用12機 ※史実の赤城+蒼龍。
・軽空母は基準排水量1万トンから1万3000トン程度。搭載機数は概ね25〜30機。 ・アメリカ海軍より劣る航空戦力は軽空母で補完。
■海軍兵備の特徴
日本海軍は「八八艦隊」を保有し、これに十分な近代改装を施すことで、実質的にアメリカ海軍に対して常に優位に立っていた。兵力の絶対数では劣っているが、アメリカは太平洋と大西洋に艦隊を分けて配備しなければならず、しかも有事でも全ての艦艇を日本海軍に向けることは殆ど難しい。このため太平洋では、日本海軍が戦艦戦力で実質的な優位を作り上げていた。 しかし日本は海軍軍縮条約により制約を受けているため、空母、巡洋艦、駆逐艦において大きな劣勢なのは間違い無かった。しかもアメリカは、補助艦での優位を利用して「八八艦隊」に対する戦術を作り上げていた。 このため日本海軍では、「決戦」時の戦艦部隊による砲撃戦での優位をいかに作り上げるかが、戦術、海軍兵備双方での命題となっていた。漸減されることを恐れたのだ。 そして一つの結論として、多くの艦艇を戦艦の砲撃力を維持するための、本当の意味での補助戦力と考えるようになる。 そうして作り上げられた艦艇が、相手戦闘力を奪う事を目的とした砲撃力を重視した巡洋艦と駆逐艦であり、戦闘機偏重の空母航空隊だった。 「八八艦隊」計画の完全推進が決まってからの日本海軍の巡洋艦、駆逐艦は、それまで進んでいた雷撃力重視の傾向を弱めて、一気に砲撃力の強化へと舵を切った。 特に駆逐艦において顕著で、世界を驚かせた「特型(吹雪型)駆逐艦」は、5インチ連装砲塔4基8門、61cm三連装魚雷発射管2基を装備する、砲撃重視の大型駆逐艦として誕生した。 続く「初春型」は5インチ砲6門となったが、排水量に対して過剰装備で、転覆寸前の事故を起こしている。そして条約から離脱して以後の駆逐艦は、さらなる性能の向上もあって「小型軽巡洋艦」とも言われたように、全て5インチ砲を8門装備する重砲撃型の駆逐艦だった。6インチ砲搭載の「超」駆逐艦の建造も考慮されたが、速射性による手数の多さが重視された。 一方巡洋艦は、日本海軍の新たなドクトリンが誕生するまでに計画された艦艇が殆どのため、新しいコンセプトを取り入れた重巡洋艦は「鳥海型」だけだった。本級は日本海軍の重巡洋艦としては初めて、新造時から雷装が施されていなかった。しかし近代改装でいずれも、高角砲など火砲関連の装備を優先して強化しており、対空火力、近接火力は大きくなっていた。 重火力は大型軽巡洋艦において顕著で、世界最高級の性能を持つ5.1インチ砲を3連装にしたものを4〜5基搭載していた。日本海軍では、口径ではなく門数、射撃回数などが評価された形だった。「青葉型」、「古鷹型」も同砲塔に換装する計画もたてられ、戦時に極秘に重巡洋艦から軽巡洋艦に改装する工事を行い、合わせて高角砲などを強化して雷装をむしろ減らしている。ただし、軍艦籍は一等巡洋艦のままだった。 なお日本海軍では、砲弾の装填方法などの改善などにより、単位時間当たりの射撃回数の向上にも努力を割いており、短時間での高い弾薬投射量を実現していた。 例外は旧式化した軽巡洋艦で、砲力を強化しても限界があるため、高角砲を搭載して速射性能の面で近接火力、対空火力を強化したり、魚雷を多く搭載する方向に特化していた。雷装の強化は、海軍全体の砲撃への偏重で艦隊全体で雷撃能力が低下したからでもあった。
■日本海軍の戦術についての補足
1920年代からの日本海軍の戦闘は、良くも悪くも「八八艦隊」を中核として構成されている。「八八艦隊」の砲撃力を、いかにして十分に発揮させることができるかが鍵とされていた。そのため、補助艦は敵の駆逐艦や巡洋艦を排除するために砲撃力を重視し、空母は制空権を取るために戦闘機を多く搭載した。 そして日本海軍は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、さらには支那事変など多くの戦争、戦闘を経験しているため、これらの戦争での経験を反映した戦術を取り入れていた。 そして戦術と「八八艦隊」を組み合わせた結果を極端に表現すると、「なるべく接近して多くの砲弾を相手に叩きつける」ということだった。 遠距離からの砲撃だと、相手が「よける」可能性をこれまでの戦争(特に第一次世界大戦)で十分に体感していたため、せっかくの攻撃性が損なわれる事を危惧しての結果だった。接近戦となれば自らの損害も無視できないが、雷撃を受けない限り戦場で勝利してしまえば大型艦が沈む可能性は少ないと割り切っていた。日本のような国力に劣る海軍が割り切ったのも、日露戦争のように「一度の決戦」に勝利することを念頭に置いているためだ。 そして以上のような戦備と戦術のため、日本海軍はイギリス、アメリカに比べると特徴的で極端な状況にあったと言えるだろう。 いっぽうで、補助艦の砲撃力を重視したため、旧式化したもの以外の駆逐艦を他の用途で使うことが嫌われた。しかし第一次世界大戦への深入りとその後研究により、海上交通路の保護という問題も海軍内で浮上していた。 艦艇は割く事はできないが、商船は守らねばならない。この矛盾を解決するため、機雷による海上交通路の防衛が真剣に研究され、そのための装備も調えられることになる。機雷敷設艦も時代ごとに何隻も新造され、機雷そのものについても出来る限りの研究と開発、そして有事に備えての備蓄が行われた。このため、日本海軍での海上護衛の基本は機雷戦だった。また旧式駆逐艦の一部は、機関の半分を降ろして艦の後部を改造して高速輸送船に仕立て直し、輸送任務以外にも爆雷を多数搭載する対潜水艦艇としても活用出来るように改装された。とはいえ、日本海軍において海上護衛は第一の任務とは認識されなかった。だからこそ、機雷と旧式艦でお茶を濁したと言えるだろう。
■■神の視点より ※日本の基礎的な国力にほとんど変化なし。戦艦の建造と維持にリソースを取られているだけ。 ※海軍予算は、史実より大型戦艦6〜8隻分の予算を史実よりも消費している計算になる。 ※海軍は戦艦戦力に偏重。 ※陸軍は予算面を含めて史実の9割ほど。 ※陸海軍の航空隊の規模も史実の9割ほど。 ※平時の海軍兵員数は、史実の約5万人に対して約6万5000人。 ※戦艦建造及び改装の技術と能力については向上している。 ※大型艦の建造施設、整備施設は五割ほど増えている。反面、小型艦用の施設は民間を含めてむしろ少し減少。
以上が、1941年内の日本海軍の八八艦隊を中心にして見た概要である。しかし軍隊とは仮想敵の存在無くして自らの存在もあり得ない。次に、アメリカを中心とした諸外国の状況を見ていきたい。