●フェイズ03:「海軍拡張の代価」

 日本海軍にとっての仮想敵は、明治初期の頃は日本が国家として貧弱過ぎたためほとんど存在しなかった。逆に言えば、国家として貧しいため仮想敵を設定することが出来なかったからだ。
 最初に具体的な仮想敵とされたのは、当時清朝や大清国などと呼ばれていたチャイナ(支那もしくは中華)だった。そして劣勢な艦隊で日清戦争を戦うも、先進的な戦術と優れた練度によってほとんど一方的な勝利を掴んだ。
 その次は、当時世界第四位の海軍力を有していた強大な軍事国家だったロシア帝国となる。日露戦争では、「六六艦隊」と呼ぶ最新鋭の戦艦と巡洋戦艦を中心とする優れた艦隊を揃え、世界中の予測を覆してロシア海軍を自らの手で完膚無きまでにうち破る。この時ロシア海軍は、軍事的ではなく一般認識レベルで「全滅」してしまう。
 そしてロシアの脅威を退けた次は、イギリスとの熾烈な建艦競争を繰り広げていたドイツ帝国を仮想敵に据えた。ドイツもアジア、太平洋進出を積極的に行っていたからだ。
 この流れは、日本の国力と軍事力の増大にも比例しており、ロシアの時以外に大きな問題は存在しなかった。軍事的にも政治的にも健全だった。
 しかし「グレート・ウォー」によって、不健全な変更を余儀なくされる。戦争でドイツ帝国が倒れてしまうと、日本の近在に海上の仮想敵はほぼ存在しなくなった。チャイナでは革命が起きて清朝が倒れ中華民国となったが、国力や軍事力はむしろ日本のはるか下となっていた。共産主義革命が起きたロシアも、まともな海軍を保有する能力を当分の間無くしていた。戦争に敗れたドイツについても同様だった。つまり日本海軍には、有力な仮想敵は存在しなくなったのだ。国家としては、非常に望ましい状態と言えるだろう。
 ここで国家として健全な判断が下されれば良かったのだが、日本の軍事組織は陸軍、海軍共に官僚組織を兼ねている事が大きな問題を呼び込んでしまう。
 日本海軍は自らの存続と日本陸軍との官僚的な勢力争いのため、次の仮想敵を「近隣」で最も大きな海軍力を有するアメリカ合衆国に据える。そしてアメリカ海軍が遠路襲来したときに備えた軍備として、「八八艦隊」が整備される運びとなった。それでもグレート・ウォーまでは、「八八艦隊」も諸外国と比例してそれほど野放図な計画ではなかった。イギリス、ドイツなどは、最盛時には毎年4〜5隻もの弩級、超弩級戦艦を建造していたからだ。日本の計画など、逆に慎ましい程だった。
 しかし、急速な技術の進歩と発展により1隻1隻の艦艇の規模と性能が大きく上昇し、「八八艦隊」は野放図な艦隊拡張計画となった。その上日本海軍が、建軍以来初めて「外洋海軍」を持とうとしたのだから、ある意味当然だろう。外洋海軍の対語として沿岸海軍があるが、沿岸海軍が本国近辺での迎撃艦隊なのに対して、外洋艦隊はバランスの取れた多数の艦艇を有し多機能が求められる海軍だからだ。
 そして、日本に対向した形のアメリカの「三年計画」、通称「ダニエルズ・プラン」も同様に大規模な艦隊計画となり、各国の思惑が合致したため最初の海軍軍縮会議が開催されるに至った。
 しかし最初の会議は不幸にも決裂し、その後何度か行われた軍縮会議でも、決定的な成果は遂に得られなかった。その結果、太平洋をはさんだアメリカと日本は空前の巨大戦艦の群れを洋上に浮かべ、互いをより強く意識せざるを得なくなる。何しろ両国の海軍にとって、お互いだけしかまともな仮想敵がいなかったからだ。これは軍も一種の官僚組織だという点で極めて重要だった。
 このアメリカと日本の対立構造は、基本的に国力、経済力、生産力で圧倒という以上に優越するアメリカの優位にあったのだが、そのアメリカは自らが作り上げた巨大な海軍によって足下を掬われてしまうことになる。日本も海軍、中でも戦艦への戦力偏重という歪な軍備を育てることになったが、アメリカの場合はある意味で日本よりも深刻だった。

 アメリカにとっての対日軍備計画「レインボープラン・オレンジ」では、基本的に戦争初期以外はアメリカが攻める側だった。アメリカの戦争計画は、相手国を戦略的に屈服させることを目的としているのだから当然の計画だった。戦術的に敵を撃滅した後に講和する、という古い戦争は考えていなかった。
 その一方で、海軍力は太平洋と大西洋に分散して戦力を配置しなければならないので、例えパナマ運河があっても少なくとも初期兵力配置で日本に対して大きな不利にあると考えられていた。フィリピン防衛を考えれば、初期状況では尚更アメリカが不利だった。このため軍縮会議では、日本に対して16インチ砲搭載戦艦の制限と、自らの60%枠を頑なに要求したのだ。日本海軍がアメリカの60%なら、仮に自分たちが不意打ちを受けても、太平洋に配備している半分の海軍で当面防戦することが可能となるからだ。
 しかし日本の強い反発によって、軍縮条約は成立しなかった。その後何度か行われた会議で補助艦艇については日本から譲歩を引き出すも、当時の戦略兵器である戦艦に関しては遂に実質的な制限が設けられなかった。このため、日本の「八八艦隊」が揃った1933年のアメリカ海軍と日本海軍の戦艦数は、アメリカ31隻に対して日本が25隻。つまり日本は、アメリカの80%の戦艦戦力を有した事になる。補助艦艇比率は潜水艦以外を50%としたが、総合的に考えても日本の戦力はアメリカの70%を越えていた。日本が補助艦比率50%を飲んだのも、日本海軍が十分と考える戦艦戦力あればこそだった。
 しかも補助艦の70%という数字も、アメリカが軍縮条約枠内の排水量分の新規艦艇を全て建造すれば、という前提が無ければならない。単純に大型の補助艦艇で見ても、空母が中型で5隻、重巡洋艦18隻、大型軽巡洋艦9隻を建造しなければならない。これだけ揃えても、戦艦で80%で潜水艦が同率なので不利な面が大きいため、何としても条約内いっぱいの戦力を整備しなければならないとアメリカ海軍では考えられていた。
 このためアメリカ議会は、大艦隊の完成を祝う観艦式を行った1929年の時点で、海軍が望んだ海軍整備計画を予算通過させる。軍縮条約限界一杯の補助艦艇の建造と、既存戦艦の条約枠内での近代改装計画を行おうとしたのだ。そしてこの時点では、アメリカの国力と経済力をもってすれば、計画の達成は十分に可能だった。しかも1929年の時点では、日本海軍の艦隊整備計画は未完成だった。アメリカ海軍は、十分に優位にあったと言えるだろう。

 しかし1929年秋に始まった「大恐慌」によって、アメリカ海軍の艦隊整備計画は全て白紙撤回される。それでも、極端な緊縮財政となった軍事費に対して、その後もアメリカ海軍は日本海軍との拡張競争を続けるために出来る限り新規艦艇の建造を続けた。その反面、結果としてしわ寄せがいった戦艦の近代改装を先送りせざるを得なかった。
 それでも予算が足りないため、アメリカ海軍では艦艇(水兵)の訓練すら減らし、さらに出来る限り兵員(水兵)の削減も実施した。しかし31隻もの戦艦を抱えているため、思うに任せなかった。持っている以上は維持に務めるのが海軍軍備の原則だし、日本との有事(戦争)を想定すると可能な限り維持せざるを得なかった。この当時の戦艦とは戦略兵器だったから尚更だ。それでも全ての維持費は厳しいため、旧式の12インチ砲戦艦の実質的な予備役化による予算と人員の削減を図ろうとするが、日本海軍によってうまくはいかなかった。
 1930年代に入り日本海軍がいよいよ「八八艦隊」を全て揃え、さらに近代改装もマメに行っているというのに、アメリカ海軍が戦艦戦力を自ら減らす選択は出来なかった。このため、一度は消えた旧式化した戦艦の近代改装予算までが復活した。
 しかも日本との軍事的緊張は、悪化の一途を辿っていた。
 1931年秋に日本が「満州事変」を起こすと、アメリカ海軍でも念のため動員体制が強化された。この影響で、旧式戦艦の事実上の予備役化という話しも完全に霧散した。重巡洋艦以下の艦艇整備も、軍縮条約の許す限り行われる事になった。フーバー政権は、出来る限り海軍への予算を増額した。
 結果、軍事費の削減は最小限となり、本来なら景気対策に回されるべき予算が減額されることになる。この結果と言うわけでもないのだろうが、1932年にアメリカの不景気は最初の「リセッション」と言われるほどどん底となった。そして共和党のヘンリー・フーバーは次の大統領選挙で敗北し、民主党のフランクリン・ルーズベルトが新たな大統領に就任した。

 ルーズベルトは、「ニューディール政策」と呼ばれる修正資本主義による公共投資の大幅な拡大で、未曾有の不景気を克服しようとした。このため軍事費にも大きなメスが入れられたのだが、それには限界があった。やはり原因は、ルーズベルトも愛したと言われる海軍だった。巨大な海軍自体の存在そのものと強大な日本海軍への対向のため、自らの海軍予算の減額には自ずと限度があったからだ。
 戦艦を単純に予算化すると、1隻を1年間維持するのに約600万ドルが必要だった。つまり海軍の象徴となる16隻の巨大戦艦の維持のためだけに、1億ドル近い予算が必要になる。この巨大な戦艦群は、1920年代の半ばから海軍予算内で大きなウェイトを占めるようになっていた。特にアメリカにとっては、巨大戦艦の乗組員などに給与を与えることが、他国に比べると大きな比率となっていた。アメリカ軍の予算規模が他国に比べて大きいのも、規模が小さいはずのアメリカ陸軍の予算枠が大きいのも、全ては人件費が非常に多く必要だからだ。
 当時アメリカの国家予算自体は平均して70億ドル程度あったので、1億ドルという数字も一見たいした金額ではないと考えられがちだ。だが、予算枠のうち軍事予算は陸海軍を合わせて全体の10%程度なので、一部人件費を含む主力戦艦の維持費だけで1億ドルというのはかなり法外な値段だった。
 この上、日本への対抗上必要な新規艦艇の建造費、戦艦の改装費、他の艦艇の維持費や改装費が次々に上乗せされていく。となると、アメリカ陸軍を削減の対象としたかったが、常に海軍よりも冷遇されている陸軍をこれ以上削減しては、士気の低下どころか組織の維持にすら事欠く可能性があった。
 もう「無い袖は振れない」というのが、当時のアメリカの軍事費削減に対する要約となるだろう。
 その為かどうかは不明だが、アメリカ政府による大規模な公共投資は常に不十分だったと言われている。またフーバー時代もしくはそれ以前のツケが大きすぎたのだと言われることもある。しかし原因はどうあれ、ルーズベルトの政策は不十分な成果しか挙げることができなかった。
 確かに「ニューディール」政策は景気対策として一定の効果があったが、傾注される(政府)予算が不十分だった。この状態を、さらなる増税や赤字国債の大量発行で何とかしようという意見も強かったが、不景気下でのさらなる国の増税や借金に対して、首を縦に振る者は少なかった。当然と言うべきか、既に行われていたこれ以上の増税も論外だった。1934年の中間選挙の結果が、全てを物語っていた。そして中間選挙後は、さらにルーズベルト政権は追い込まれて身動きが取りづらくなり、圧倒的に世界一を誇る巨大な筈の経済の巻き返しも不十分にならざるを得なかった。
 加えて言えば、ケインズ理論が出てくるのは、残念ながら数年遅かった。
 そしてアメリカ市民は、ニューディールという名の修正資本主義に失望した。

 1936年秋に行われた次の大統領選挙では、再びルーズベルトを候補に立てた民主党は敗北。共和党候補のアルフレッド・ランドンが次の大統領に選ばれた。とはいえランドンは、半ば妥協の産物で共和党の大統領候補となったに過ぎず、大きな政治的展望、野心的政策はなかった。彼は共和党の伝統的政策に則り、減税と自由放任主義を柱とした経済政策を実施。そして民衆には減税こそ喜ばれたが経済はほとんど好転せず、1937年のアメリカは公共投資の大幅減額によって「セカンド・リセッション」ともいわれる不景気に突入してしまう。
 その後アメリカ経済は、経済原則に従って緩やかに回復していくも、依然として失業率は高いままで、先の世界大戦から肥大化していたアメリカ産業の空転は続いていた。このため共和党は市民からの支持を失って1938年秋の中間選挙に敗北し、1940年秋の大統領選挙ではルーズベルトが大統領の座に返り咲くことになる。
 いっぽうランドン政権の外交だが、基本的に全方位的な融和外交だった。しかし先の民主党政権との違いを見せるため、ソビエト連邦ロシア、中華民国との関係は経済問題以外で大幅に冷却化し、主にイギリス、フランスなどヨーロッパ諸国との関係を重視した。ナチス政権となったドイツとの関係も、かなり重視された。
 また日本との関係については、第一期ルーズベルト政権で見られた反日姿勢は比較的ではあったが影を潜め、アメリカ側が常識範囲内で譲歩出来る限り妥協と融和が心がけられた。これに日本側も応える姿勢を見せた時期には、関係悪化が続いていた日米関係の改善が見られた。

 ファシズムの足音が聞こえヨーロッパを中心にして世界が再びきな臭くなってきた頃、アメリカ海軍では日本海軍への対向という軍拡の原則に沿って、半ば惰性で新規艦艇の整備は続けられていた。しかし不景気による予算不足を主な原因として、軍縮枠内を埋め尽くすには予算が足りず、これを何とかするべく海軍関係者(軍人、企業、そして政治家)は奔走を重ねることになった。そして新規艦艇の予算を認めさせる代わりに、主力となる大型戦艦の近代改装については大きな遅れを認めざるを得なかった。
 そして補助艦の数を満たしたものの、1930年代末の時点で主力艦の数ではなく排水量差で日本に大きく迫られてしまう。1941年の時点になると、数は31隻対25隻のままだが、「八八艦隊」と「三年計画艦」のお互い16隻の戦艦の合計排水量(基準排水量)だと64.9万トン対86.1万トンと、同じ16隻ながらアメリカが大きく劣勢になっていた。全ての戦艦を足した比較でも、110.8万トン対113.0万トンと数字の逆転現象すら起きている。しかしこれは、個々の戦艦の基礎防御力ではアメリカが上回っているので、まだ問題は少ないと考えられていた。
 攻撃力の要となる16インチ砲の門数では、152門対170門と最初からアメリカが劣勢だった。14インチ砲の門数では124門対80門と圧倒しているが、安心できる要素ではなかった。その上、速力の面ではアメリカが大きく不利だった。排水量の差から、防御力の面でも日本海軍の戦艦群れは大きく向上していると考えられた。実際に日本の全ての巡洋戦艦は、大規模な近代改装後に戦艦に格上げされた。対してアメリカ海軍のレキシントン級巡洋戦艦は、対空装備を増強した程度で防御力の強化はおざなりのままだった。
 なお、日本海軍の全ての戦艦の大規模近代改装が終わるのは1941年に入ってからだが、多くの情報を持っていたアメリカもかなりの確度で自らの不利を知っていた。
 このため補助艦を条約一杯満たしても、日本との総合的な海軍力格差はアメリカの125%程度の有利しかない事を意味していた。しかもこれは、大西洋に主要艦艇を1隻も置かないと言う前提においてだ。
 さらに1936年には、アメリカは主にイギリスとの間に新たな海軍軍縮条約を結んでいる。これに日本は加わっておらず、表向きの言葉とは裏腹に理念すら無視していた。結果、1937年1月1日には海軍の無条約時代に突入し、各国は新規艦艇の建造を開始することになる。
 とはいえアメリカには、量的規制こそないものの新たな軍縮条約があった。加えて、「セカンド・リセッション」による税収減少と共和党政権下で行われた減税政策によってさらにやせ細った予算枠と、景気対策でさらに削られた軍事費しかなかった。1940年内は、共和党政権の基本である融和外交も忘れるわけにはいかない。
 このため1937年の新規計画は、条約型戦艦2隻、空母2隻を中心とした、国家規模から考えたら極めて慎ましやかなな海軍拡張が実施されたに過ぎなかった。しかしこの新規建造ですら、ヴィンソン上院議員を中心とする海軍と軍拡論者が、文字通り必死になってアメリカ中を駆けずり回って議案を通したものだった。既存艦艇の改装予算は大きく削られており、そろそろ近代化して延命するか新規艦艇に代替しなければならない旧式戦艦群どころか、16インチ砲搭載の主力艦艇ですら旧式化の波が静かに寄せつつあった。しかし陸軍は海軍以上に予算が抑さえられているので、常に多くの予算を使っている海軍は現状で満足しなければならなかった。
 「ミュンヘン会談」のあった1938年下半期以後、ヨーロッパでは戦争ムードが高まって主要各国が一気に軍備拡張に転じたが、この時のアメリカの軍拡も国家規模を考えれば依然として非常に慎ましいものでしかなかった。
 このアメリカ軍全体の「赤貧」状態は「第二次ヴィンソン計画」以後好転し、1940年春以後の第二次世界大戦の激化と、1941年度予算が通過するまで続く事になる。つまりアメリカは、各国との海軍拡張競争において大きな遅れを取ったのだ。

 一方、ナチスドイツを中心とした全体主義の台頭により、俄然きな臭くなったヨーロッパだが、アメリカと日本による海軍拡張競争からはかなり距離を開けていた。
 大きな理由は、先の世界大戦でのとんでもない散財と目も眩むような金額の戦災復興のため、各国に財政的な余力がなかったからだ。加えてイタリアは「持たざる国」のため全体主義化しても経済が低迷し、フランスも極右勢力を排除した政権による人民戦線内閣は、経済改革に失敗して列強の中でもかなり酷い経済状態にあった。このため実質的には海軍拡張どころではなかった。
 ドイツはヒトラー政権になって本格的な再軍備を始めたが、1935年にイギリスとの間に海軍協定を結ぶことで、ようやく一定の規模の海軍建設(再建)に入ったに過ぎなかった。五カ年計画の成功で意気上がるソビエト連邦ロシアも、こと海軍に関する限り技術的な問題もあってお寒い限りだった。
 アメリカ、日本に対向する力を持っていたヨーロッパの国は、実質的にはイギリス一国だった。
 とはいえ、イギリスにも金が無かった。
 このため日本の「八八艦隊」、アメリカの「ダニエルズ・プラン」に対向できるだけの戦艦数は揃えられていなかった。質はもちろんだが、数の面でも日本に劣る数しか保有出来なかった。
 戦艦のほとんどは、先の世界大戦が終わるまでに建造されたもので、16インチ砲を搭載した新型戦艦は1920年代に何とか建造した僅かに4隻しかなかった。この4隻ですら、他の補助艦艇(※主に大型の改装空母)の建造数を減らして予算を確保したから建造できたのであり、とてもではないが日米と対等に立てるだけの大型艦を揃えることは無理だった。それでも旧式艦艇の近代改装や新規補助艦艇の整備はある程度行っているので、元々の規模の大きさもあってヨーロッパでは飛び抜けた海上戦力を有していた。

 最後に、各国の最低限の概要を記して次へ進もう。

  ■他国海軍の概要(軍縮条約明けまで):

・アメリカ(戦艦以外は、第一次ヴィンソン計画分含む):

 ・16インチ砲搭載艦:
 1937年度計画の新型戦艦:2隻
 基準排水量:4万2000トン・16インチ(L50)3×3 最高速力27ノット
 同型艦:《ヴァージニア》《ロードアイランド》

・「ダニエルズ・プラン」艦:
 《サウスダコタ級》戦艦:6隻
 基準排水量:4万3500トン・16インチ(L50)3×4 最高速力23ノット
 同型艦:
《サウスダコタ》《インディアナ》《マサチューセッツ》
《アイオワ》《モンタナ》《ノースカロライナ》

 《コロラド級》戦艦:4隻
 基準排水量:3万2400トン・16インチ(L45)2×4 最高速力21ノット
 同型艦:《コロラド》《メリーランド」》《ウェストヴァージニア》《ワシントン》

 《レキシントン級》巡洋戦艦:6隻
 基準排水量:4万3500トン・16インチ(L50)2×4 最高速力32.5ノット
 同型艦:
《レキシントン》《サラトガ》《レンジャー》
《コンスティレーション》《コンスティテューション》《ユナイテッドステーツ》
※若干の近代改装と機関の老朽化により、最高速力が若干低下。

 ・14インチ砲搭載艦:11隻

《カリフォルニア》《テネシー》
《ニューメキシコ》《ミシシッピ》《アイダホ》
《アリゾナ》《ペンシルヴァニア》
《ネヴァダ》《オクラホマ》
《テキサス》《ニューヨーク》

 ・12インチ砲搭載艦:4隻

《アーカンソー》《ワイオミング》
《ユタ》《フロリダ》

 ・航空母艦
大型:
 《ヴェスパ》
 《ヨークタウン》《エンタープライズ》《ホーネット》
中型:
 《ディスカバリー》《ワスプ》
護衛空母:《ラングレー》

重巡洋艦:18隻 
大型軽巡洋艦:9隻 軽巡洋艦:10隻

※海軍全体の予算不足の中で、補助艦艇の整備に力を入れて、戦艦の近代改装は遅れがちとなっている。
※16インチ搭載戦艦の近代改装はまったく手付かず。一部を除いて、高角砲や機銃など対空装備を当時の必要十分に施したのみ。対空火力は、当時の日本戦艦よりも貧弱なぐらい。
※空母保有枠12万トンに対して、初期計画では1万5000トン級8隻を整備しようとするが、予算不足で途中挫折。その後、数の不足を大きさで補うためと技術向上によって2万トンに拡大。
※《ヴェスパ》はアメリカ海軍で最初の大型空母。英国の《フィーリアス》を見本とした2万トンクラスで、水上砲撃戦の場合に備えて8インチ砲も搭載。ただし世界に先駆けてアイランド型の大型空母として完成。以後、同空母を雛形として、それぞれの空母が順次建造されていく。
※中型の《ディスカバリー》だけが、初期計画の1万5000トン級空母。中型空母は、日本海軍同様に防御力に難点あり。
(※ヴェスパは、史実のレキシントン級の縮小型。ディスカバリーや史実のレンジャーと同じ。他は同じ。)

※無条約時代の海軍拡張計画は、1937年、1939年、1940年、1941年にそれぞれ予算が成立。前3つの年に成立したのが「ヴィンソン・プラン」で、1941年のものが「スターク案(両洋艦隊法)」となる。
(※史実よりも、第一次ヴィンソン案以外の海軍拡張計画がそれぞれ1年程度遅れている。)
※日本海軍に対する重巡洋艦、大型軽巡洋艦は、自らの戦艦戦力の劣勢を補うため、約二倍という日本を圧倒する数を整備できていた。
※駆逐艦の整備は、1930年代に新型艦が続々と建造され、予算不足の中、いちおうは軍縮条約一杯まで建造された。
※「第2次ヴィンソン・プラン」以後では、野放図な建造を開始したが、駆逐艦以外の主な艦艇の就役は1943年以後となる。

 

・イギリス:

16インチ砲搭載戦艦 
 《アドミラル級》戦艦:4隻
15インチ砲搭載戦艦
 《クイーン・エリザベス級》戦艦:5隻、《R級》戦艦:5隻
13.5インチ砲搭載戦艦
 《アイアン・デューク級》戦艦:4隻
巡洋戦艦(3種)
 《フッド》《レナウン》《レパルス》《タイガー》
 空母:
大型空母:2隻 軽空母:3隻
重巡洋艦:15隻 大型軽巡洋艦:8隻

《アドミラル級》戦艦:
 基準排水量:48,500トン 最高速力30ノット
 16インチ砲(L45):3連装3基 9門
 同型艦:《ネルソン》《ロドネー》《アンソン》《ハウ》

※《アドミラル級》以上の大型戦艦を建造する予算を確保できず。
※《アドミラル級》はフッドの船体設計を流用した、史実のネルソン級のような形。
※《フッド級》巡洋戦艦も、けっきょく1隻しか建造できず。
※戦艦のラインナップは《アドミラル級》以外史実と同じ。他は日米への対向のため、《タイガー》が現役。
※戦艦が多い分だけ、他の艦艇にしわ寄せ。
※《カレイジャス級》空母は作られず。超軽巡のまま退役。
※1936年より新たな拡張計画を立案。1937年より計画開始。4万トン級戦艦3隻、大型空母1隻を中心とした計画。1938年にも続いて海軍拡張を実施。こちらは5万トン級戦艦3隻、大型空母2隻の計画。

・他の国の史実の変化:
 基本的に、大戦で疲弊した欧州各国に大型艦建造能力なし。しかし、条約制限が4万トンとなっているため、フランスの《リシュリュー級》、イタリアの《リットリオ級》は共に当初から16インチ砲搭載の4万トンを基準として建造される。
 ドイツも他国に合わせて、当初から4万トン級の戦艦を建造。《ビスマルク級》は実質5万トンの巨大戦艦となり、16インチ砲を装備。
 ドイツの未完成空母は、日本が蒼龍の図面を渡しているので、より重武装となるが未完成なのは同様。



●フェイズ04:「次の世界大戦まで」