●フェイズ06:「パラオ沖海戦(1)」

 パラオ諸島近海での大規模な戦闘は、攻める側が十分に防衛された拠点に攻め込んだ戦闘だった。そして地形障害のない海と空での戦いは、ランチェスターの法則が反映されやすかった。
 つまりアメリカ太平洋艦隊は、政治的、戦略的環境に強く作用されて、自ら不利な戦場に準備不足のまま進撃する事となった。

 最初に相手の動きを掴んだのは、既に自らの勢力圏内に深く踏み込まれていた日本軍だった。自らの勢力圏内のおかげで地上配備の偵察用航空機や潜水艦を多数放つことが出来たからであり、加えて規模の大きなアメリカ海軍の動きは日本軍から隠すことは最初から難しかった。
 そして偵察での優位は、その後全ての優位に直結する事が多いのが戦場での一般的な状況だ。この時も例外では無かった。
 アメリカ海軍の方は、空母艦載機や艦艇搭載の水上機による航空偵察と、事前に各地に送り込まれた潜水艦の偵察報告が頼りだった。しかしアメリカ海軍も、日本海軍の主要艦艇が日本本土とパラオに分散しているのは事前に掴んでいたため、各個撃破の好機と考える節が強かった。そう考えれば、アメリカ太平洋艦隊がパラオへの進撃を行ったのもある程度理解出来るだろう。
 またアメリカ側は、パラオに配備された日本艦隊の撃破を求めたが、それが不可能な場合でもパラオ諸島内の日本軍拠点を日本艦隊主力が来るまでに破壊できる可能性が十分にあった。そのためにも進撃を急ぐべきだという意見が、アメリカ太平洋艦隊内部にも強かった。東洋の言葉にある「兵は拙速を貴ぶ」を実践しようと言う事だった。
 そしてフィリピン救援(と内政事情のため)のため進撃を急ぐアメリカ軍は、偵察が十分な状態ではない状態で敵地である日本軍の勢力圏の奥深くへと進んだ。
 一方で、アメリカ艦隊の進撃からマリアナ諸島が無視されつつあると知った日本海軍は、艦隊の集合と作戦の変更に躍起になった。日本海軍の焦りは、アメリカ軍艦載機がほとんど兵力を置いていないヤップ島を空襲したことで高まりを見せ、この時の焦りと行動が最終局面にまで影響を及ぼすことになる。
 なお、パラオに駐留していた日本艦隊は主に第一艦隊で、日本本土から本来はマリアナ諸島目指して移動していたのが、1ヶ月前まで東南アジア各地で戦っていた第二艦隊、第三艦隊、第一航空艦隊だった。また日本海軍は、各地からパラオに向けて出来る限りの増援航空戦力の投入を急いでおり、日米の雌雄を決する戦いを前にして、パラオ周辺の戦力密度はかつてない程の高まりを見せつつあった。
 しかしアメリカ艦隊の襲来二日日、パラオの日本海軍第一艦隊は洋上に出撃。パラオの泊地にいた他の艦船の多くも護衛に伴われて出航し、パラオの水上戦力はほぼ蛻(もぬけ)の殻となっていた。

 4月8日、最初にパラオを攻撃したアメリカ軍は、ハルゼー提督が率いる空母機動部隊となった。
 この空母機動部隊は、太平洋艦隊から抽出して編成されており、空母《ヴェスパ》《ヨークタウン》《エンタープライズ》と駆逐艦9隻(※1隻は大型の教導駆逐艦)から構成されていた。太平洋艦隊は、大西洋艦隊からのさらなる空母の増援を求め、実際《ホーネット》の移動が始まっていたのだが、作戦が前倒しとされたためこの戦場には間に合っていなかった。また、ハルゼー提督が求めた護衛や偵察補助用に巡洋艦や巡洋戦艦を配備することは、戦力分散になるとして検討段階で却下されていた。
 空母《ヴェスパ》はアメリカ軍が最初に建造した大型空母で、8インチ砲を搭載するなどやや古くさい面も残されたままだったが、艦載機約70機を搭載することができた。《ヨークタウン級》の《ヨークタウン》《エンタープライズ》は各国の航空母艦と比較しても優秀で、この時は約80機の各種艦載機を搭載していた。3隻合わせて艦載機数は230機であり、圧倒的な攻撃力を持っていると、少なくとも任務部隊を率いていたハルゼー提督は考えていた。世界的に見ても、空母を集中運用するのは先進的な事だった。アメリカがこうした艦隊を編成したのは、日本海軍が既に同じような艦隊を運用している事、直前の遊撃作戦で空母の有効性が証明された事、そして多くの艦艇を主力部隊に回さなければならないため、護衛のための補助艦艇を少しでも減らす為だった。
 なお、同部隊の編成を許し、そして前線へと投入したキンメル提督にしても、いち早くパラオの日本軍を沈黙させられるのなら、どのような戦力でも構わないと考えていた。
 そしてアメリカ太平洋艦隊としては、空母部隊を先鋒という名の露払いとして、翌日の午後には主力部隊がパラオに接近して艦砲射撃を実施予定だった。この艦砲射撃は、パラオから逃げ出した事が分かっていた日本艦隊(第一艦隊)を強引に呼び戻すための作戦でもあり、来ないなら来ないでパラオを完全に壊滅させてしまう予定だった。
 この時点では、パラオ諸島の日本軍基地の運命は、風前の灯火と思われるかに見えた。

 対するパラオの日本軍は、東南アジア方面からサイパン島に移動途中だった1個航空戦隊が、アメリカ艦隊の動きに合わせ予定を変更してパラオ諸島南部のペリュリュー島の小さな飛行場に半ば強引に布陣していた。とはいえ駐留しているのはほとんどが戦闘機で、別の水上機飛行場にいた飛行艇のほとんどは、偵察のために既に出払っていた。
 そしてアメリカ軍の第一次攻撃隊約90機を迎撃したのは、約50機(正確には47機)の戦闘機。しかも全てが当時最も恐るべき「ゼロ・ファイター」もしくは「ジーク」こと、「零式艦上戦闘機」だった。他には、既に後方配備にされつつあった「クロード(九六式戦闘機)」9機と水上機飛行場に急ぎ送り込まれていたジークの派生型などの水上戦闘機12機(※零式水上観測機と「ルーフェ(二式水上戦闘機)」で、ルーフェは事実上の増加試作段階のものだったが、こちらも全力で出撃して主に攻撃機や爆撃機を攻撃した。
 総数ではアメリカ側に大きく劣るが、全て戦闘機もしくは格闘戦能力を有する機体のため、想定以上の迎撃を受けたアメリカ軍艦載機の群れは大きな損害を被ることになる。
 制空権を奪うための戦闘機隊は自らを守るのが精一杯になり、半数近い日本軍戦闘機が無防備となった攻撃隊に襲いかかった。そしてアメリカ軍の航空攻撃は、結局失敗に終る。
 果敢なハルゼー提督は、自らの損害にめげることなくその日何度も攻撃隊をパラオ諸島に送り込んだが、結局決定的な戦果を挙げることが出来なかった。報告を受けた後に出した攻撃隊には、空母の護衛戦闘機隊すら付けたが、既に艦載機全体で見て多くの損害を出していたこともあって、あまり効果的では無かった。
 パラオに駐留していたのは、当時日本海軍航空隊でも最精鋭を謳われていた戦闘機隊(※「台南空」)で、彼らは奇襲攻撃でアメリカの第一次攻撃隊を有利な位置から迎撃を実施。最初の一撃で、護衛の戦闘機隊を中心に大打撃を与えた。このため第一次攻撃隊(約90機)は半数近い機体を文字通りたった一撃で失い、その後もアメリカ側の損害が続出した。だがハルゼー提督は怯まず、続けて攻撃隊を送り出して日本軍防空隊との間に熾烈な航空戦が展開された。
 そして5度目の攻撃隊が帰投してきた時、アメリカ海軍最初の空母機動部隊に残された飛行可能な艦載機の数は、半数を大きく割り込んでいた(※損失機の全てが撃墜されたわけではない。帰投後に破棄された損傷機体も多い)。多少具体的な数字を挙げるなら、各母艦の稼働機数は30機程度ということになる。しかも攻撃機となるとさらに数字が下がり、各母艦10機程度にまで減少していた。スペアを準備して損傷機を修理すれば、まだ飛べる機体もかなりの数があったが、とても楽観出来る状態ではなかった。
 対してパラオの日本軍戦闘機は、最後まで40機以上が上空に舞い上がっていたし、自軍陣地での戦闘のため搭乗員の損害も、少なくともアメリカ軍より少なかった。飛行場とその周辺には多数の爆弾が落とされたが、離着陸するのが小型の戦闘機だけだった事もあり、最後まで機能を喪失することはなかった。
 ただし、第三次攻撃隊までの主攻撃目標とされたパラオ本島の環礁や基地施設には、かなりの損害が発生していた。しかし、ハルゼー提督が「最優先事項」としていた日本海軍第一艦隊の姿は、環礁内どころか周辺海域にも無かった。次の目標とした軽空母さらにはタンカーなど重要目標の姿もなくなっていた。それどころか外洋航行可能な船舶の姿もなく、環礁内に残っていた船は攻撃を受けにくい場所に待避していた外洋航行能力に劣る小さな船ばかりだった。
 パラオに在泊していた日本軍艦船のほとんどは、アメリカ軍が襲来する二日前に出航して各地に分散し、特に第一艦隊は北方海上に一時待避していた。空襲から逃れるためと、日本本土から来援する艦隊と少しでも早く合流するためだった。ただし、状況によっては半日以内にパラオ沖合にまで戻れる距離であり、極端に離れているわけではなかった。この事をアメリカ軍が察知していなかったのは、日本側の対潜掃討戦による妨害と、日本艦隊が二日前に出航した後は複雑な航路で移動を重ね、アメリカ軍(潜水艦)が完全に見失っていた為だった。もちろんだが、空母艦載機による偵察でも見付けられていなかった。

 初日の対戦が終わった時、アメリカ太平洋艦隊司令部では、空母部隊を後方に下げて損傷機の修理を行わせると共に、やはり戦いの主軸は水上艦艇でなければならないと改めて考えるようになっていた。少なくとも、この時の状況はそう報告されている。しかし空襲に拘ったためパラオへの過度の接近は行われず、夜間戦闘を控えるという決定もあったため、一旦はパラオ諸島から少し離れていた。
 しかし戦闘が終わった訳ではなく、翌日の動きは日本海軍の方がはるかに早かった。
 各地の基地が使用できる日本海軍は、自らが繰り出せる偵察網を駆使して、アメリカ艦隊の動向を徹底的に探っていた。少しでも有利な位置を占めようと言う思惑からの行動で、この時日本海軍は潜水艦からの報告も合わせて、アメリカ太平洋艦隊の動向をほぼ完全に把握していた。アメリカ側の各艦隊も、日本側の潜水艦、各種航空機の接触や暗号無線の発信を報告している。
 そして偵察における努力が、翌日報われることになる。

 4月9日午前6時半、アメリカ軍の初期的なレーダー(※「CXAM対空レーダー」)は北方空域に多数のエコーを確認した。同方向の近在に飛行場を持つ島はなく、日本軍艦載機の空襲だった。しかしそれは幾つもの集団を形成しており、全てを合わせるとアメリカ軍の想像を超える大編隊だった。
 この報告に、再度パラオの空襲を行おうとしていたハルゼー提督の空母部隊は作戦を変更。予定していた全ての攻撃を中止して、防御に専念することを決断する。しかし、既に約70機からなる第一次攻撃隊をパラオに向けて放っていた為、アメリカ軍空母に搭載する機体数は、3隻合わせて50機程度しか残っていなかった。
 この時日本海軍は、多数の航空母艦を集中した第一航空艦隊の艦載機と、サイパン島に展開する「ベティー(一式陸上攻撃機)」の部隊によって当時としては破格の規模の攻撃隊を編成していた。
 第一航空艦隊に所属していたのは、正規空母《蒼龍》《飛龍》《雲龍》、軽空母《瑞鳳》《祥鳳》《龍驤》《飛祥》の合わせて7隻で、この時アメリカ海軍を上回る世界最大級の空母機動部隊だった。護衛艦艇は対空、対潜兵装をある程度増強した8隻の旧式駆逐艦(※《睦月型》中心)に偵察用の高速水上機母艦《千歳》とアメリカ海軍並にお寒い限りだったが、空母機動部隊にとって最も重要なのは搭載する艦載機だった。
 同艦隊の艦載機総数は約300機。戦闘機は約半数の約150機なので、残り半数が雷撃機か急降下爆撃機だった。このうち第一次攻撃隊は約140機。小型の軽空母が多いが、母艦の多さが攻撃隊の多さにつながっていた。
 しかもこの上に、約100機の基地航空隊の機体が加わる。サイパン島を飛び立った2個航空戦隊分の「一式陸上攻撃機」は、1000キロメートル以上離れたところから飛び立っており、アメリカ軍の予想を完全に上回る距離からの攻撃だった。日本海軍でも、本来ならこのような遠距離からの攻撃は行われないし、ましてや空母を持つ艦隊への攻撃は、護衛戦闘機を伴えないので行う事はあり得ない。しかしこの時は空母部隊との連携が取れた事と、日本海軍内部での半ば武功争いから遠距離からの攻撃が行われていた。

 この圧倒的な空からの攻撃力に対して、アメリカ艦隊はかなりの混乱が見られながらも直ちに迎撃を準備した。しかし用意できる戦闘機の数は、全てを合わせても既に30機程度しかなかった。このためハルゼー提督は、戦闘機の一部を戦艦部隊の上空に送り込むと共に、自らの頭上の防空は残された戦闘機に加えて、次の攻撃を準備していた急降下爆撃機に対して敵の迎撃を命令していた。このため約15機の急降下爆撃機が、爆弾を付けずに急ぎ迎撃に加わることになった。ただし急降下爆撃機の方は、日本軍の攻撃にほとんど間に合わず全てを発艦させることは出来なかった。
 対する日本軍は、艦載機隊に属する72機の戦闘機(ジーク)が戦闘機の全てで、三分の二が空母への攻撃に従っていた。
 大きく二つの空で航空機同士の戦いが始まるが、この時は相手に倍する戦闘機を戦場に送り込んだ日本軍が、戦闘を圧倒的有利に運んだ。このため日本軍の攻撃機、爆撃機は対空砲以外の妨害を受けることなく、アメリカ軍艦艇の攻撃を順次行っていった。
 この時空襲を受けたのは、ハルゼー提督の空母機動部隊と、全体の北側を航行して日本軍空母部隊に近かった第3任務部隊だった。
 なお、この時の侵攻作戦でアメリカ太平洋艦隊は、第2任務部隊を先鋒にして鏃(やじり)のような陣形を取っていた。このため第1任務部隊は第3任務部隊の南方20海里の距離に位置していた。第2任務部隊はそれぞれの艦隊の斜め前20海里先だった。それぞれの任務部隊が大規模な艦隊のため、どうしてもこの程度の距離を開けておかないと、艦隊運動に支障が出かねないからだ。そして日本軍航空隊は、最初の攻撃目標である空母機動部隊を撃破すると、ちょうど北側にいた第3任務部隊次の目標に定めた。
 第3任務部隊は、主に14インチ砲を搭載した旧式戦艦から編成されており、戦艦の数は8隻あった。具体的には、戦艦《カリフォルニア》《テネシー》《ニューメキシコ》《ミシシッピ》《アイダホ》《アリゾナ》《ネヴァダ》《オクラホマ》と重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦9隻で編成されていた。
 ここで一気に概要を紹介してしまうと、この時のアメリカ太平洋艦隊は、主力艦隊となる第1任務部隊(TF1)、高速艦で編成された第2任務部隊(TF2)、旧式戦艦中心の第3任務部隊(TF3)、そして空母で編成された第13任務部隊(TF13)から編成されていた。
 この後方にはパラオ攻略のための海兵旅団を載せた船団と護衛艦隊がいたが、戦場からは一日以上離れた位置にあった。

 ・初期の陣形
   ○(TF3)
○(TF2)    ○(TF13・空母部隊)     ○攻略船団
   ○(TF1)

 世界初の空母隊空母の戦いは、既に数多くの実戦をくぐり抜けていた日本艦隊に一日の長があった。しかも日本艦隊は数でも圧倒しており、アメリカ艦隊は既に艦載機の約半分を消耗していた上に、結果として戦力分散をしてしまっていた。個々の搭乗員のスキルも、実戦経験豊富な日本側が大いに勝っていた。
 戦う前から勝負は決まっていたとも言えるので、この場合アメリカ艦隊は善戦したと言えるだろう。ハルゼー提督は、パラオ攻撃部隊が帰投すると、損害を無視して敵機動部隊に対しても送り狼のような形で攻撃隊を送り出していたし、その果敢さは賞賛に値する。
 しかし、艦載機の数で既に三倍の差が付けられていたので、劣勢を覆すには至らなかった。
 最終的に、日本艦隊は軽空母《祥鳳》《飛祥》が1000ポンド爆弾を1発から2発被弾し、それぞれ大破する大損害を受けたが、アメリカ艦隊が受けた損害は日本側の損害を大きく上回った。
 「ヴァル(九九式艦上爆撃機)」、「ケイト(九七式艦上攻撃機)」による最初の集中攻撃を受けたのは、大きな煙突という他より目立つ外観を持つ古参空母の《ヴェスパ》だった。同艦は初期の攻撃で受けた艦首付近の被雷で行動が大きく鈍った所に被弾が集中し、艦の各所から激しく黒煙を吹き上げ、日本軍の第二次攻撃隊が現れるまでに総員退艦が命じられた。空母《ヨークタウン》は250kg爆弾を1発被弾したが、何とか航空機運用能力は維持していた。
 防空能力が著しく低下したアメリカ艦隊に対して、日本軍の第二次攻撃隊は空母《ヨークタウン》と空母《エンタープライズ》も相次いで複数の魚雷や爆弾を叩きつける。防空のための戦闘機がほとんどいなくなっていた為、日本軍は自由にアメリカ艦隊を攻撃できた。戦闘機までが、低空に降りてきて機銃掃射で攻撃したほどだ。
 この時点で、アメリカ艦隊は艦載機運用能力を完全に喪失してしまう。その後はさらに一方的な展開になって《ヨークタウン》も多数を被弾して総員退艦が命令され、《エンタープライズ》もさらに被弾して激しく黒煙を吹き上げつつも辛うじて戦線離脱に成功している。無論というべきか、アメリカ軍は艦載機の全てを失った。早朝から行われたパラオ諸島に対する第一次攻撃も、航空基地を集中攻撃するも、前日同様にインターセプトしてきた日本軍戦闘機部隊の前に多くの損害を受けて攻撃は失敗していた。
 なお、日米双方の空母が敵攻撃機の数に比べて多くの損害を受けたのは、防空戦闘機の不足以外にも、護衛艦艇の不足、対空砲火の不足が原因だと双方で認識され。この後、双方の陣営で護衛艦艇と対空砲双方の数が大きく増やされるようになる。また日本側では、古参の軽空母《飛祥》が誘爆で激しく炎上して一時は自沈も検討したほどのため、ある程度だが艦の不燃対策についても考えられるようになっていた。

 一方、旧式戦艦を中核とする第3任務部隊を攻撃した約100機の「一式陸上攻撃機」は、遠距離からの進出だったためその日一度の攻撃隊しか送り出せなかった。往復で8時間もかかるのでは仕方のない事だった。
 攻撃そのものは、攻撃隊のかなりがマレー沖海戦の経験者だったし、目標が回避性能に劣る旧式戦艦で、待機中に訓練も積んで魚雷も豊富に有していたため、多くの戦果を記録することになる。攻撃隊はほぼひとかたまりで接近したのだが、艦隊に接近後は主に4隊に分かれ、それぞれが目標とした戦艦を集中的に包囲攻撃した。
 また事前に日本軍の機動部隊から分派された戦闘機隊が、ハルゼー提督が送り込んだ防空戦闘機隊を蹴散らしていたため、空中での妨害はほとんど受けずに済んでいた(※日本軍の報告では、陸攻隊到着時に戦闘機の迎撃は受けていない。)。
 この時の攻撃で日本軍機の目標とされたのは、日本軍機に近い方に位置していた戦艦《カリフォルニア》《アリゾナ》《ネヴァダ》《オクラホマ》で、対空砲が弱く輪形陣も不完全だったアメリカ艦隊は、殆ど一方的な攻撃を受けることになる。しかも、多くの艦艇が密集した回避機動には熟練度の問題もあって齟齬が付きまとい、戦艦が低速な事も重なってせっかくの輪形陣もあまり有効には機能しなかった。それでも、マレー沖のイギリス艦隊より濃密な対空砲火があったため、日本軍機を数機撃墜したし、かなりの魚雷は回避する事は出来た。
 しかし艦隊各所で航空魚雷が炸裂する水柱が奔騰した。
 日本軍攻撃機は、全て魚雷を搭載しての出撃だったので、約100本の800kg航空魚雷が攻撃に使われた事になる。しかも一度に集中して攻撃したため、多方向から雷撃するという理想的な攻撃が各所で実施された。その上木砲は、鈍重な旧式戦艦で高速で飛来する雷撃機の攻撃に慣れていなかった。
 戦闘の結果、戦艦《アリゾナ》《オクラホマ》が大破、戦艦《カリフォルニア》《ネヴァダ》判定中破の損害を受けた。各艦はそれぞれ800kg航空魚雷を5〜1本(※命中総数15発。うち2発が不発)受けており、中破はともかく多数の魚雷を受けて大破した《アリゾナ》《オクラホマ》は、戦闘続行が難しい事を第3任務部隊司令部が上級司令部に報告した。これに対して太平洋艦隊司令部でもある第1任務部隊司令部は、最低限の護衛を付けた後退を指示するより他無かった。
 そして健在艦と後退する艦を分けて行動を開始した直後、今度は日本軍艦載機の空襲(第三次攻撃)を受ける。既に時間は午後を回っており、既に空母部隊を完全に撃滅したと勘違いしていた日本海軍の第一航空艦隊が、無傷の他の艦隊ではなく手傷を負った第三任務部隊に追い打ちを仕掛けてきた。日本海軍の艦載機は、明らかに航空機単独による戦艦撃沈を狙っていた為、既に確認されていた他の戦艦部隊を敢えて無視して、このような集中攻撃が実施されたのだった。
 襲来したのは約80機。念のため15機ほどの戦闘機が随伴していたが殆どが攻撃機で、しかも対艦攻撃用の重武装が多かった。そしてアメリカ艦隊が二つに分かれている事を見付けた日本軍艦載機は、自らも編隊を二分。損傷艦にトドメを刺す部隊と、新たな獲物を求める部隊に分かれた。
 この攻撃で不運だったのは戦艦《アリゾナ》だった。
 既に魚雷4本を受けてしかもスクリューが1軸が傷ついていたため、十分に回避ができないところに、水平爆撃機が6機が飛来。上空3000メートルから落とされた日本海軍の「秘密兵器」だった800kg徹甲爆弾が、防御甲板など全ての装甲を貫いて第三砲塔の弾薬庫を直撃して誘爆が発生。戦艦《アリゾナ》は、第三砲塔が爆圧で天高く舞い上がり船体が二つに折れて、あっと言う間に沈んだ。当然ながら、乗組員も全員戦死だった。
 既に魚雷5本を受けて速力が大きく落ちていた《オクラホマ》には、雷撃機6機が海を舐めるように殺到。まともに避けることもできない船体に、次々に魚雷の水柱が奔騰。うち1本は既に被雷していた穴に、狙い澄ましたように命中。しかも5本の魚雷を片方に集中的に受けて大きく傾き、艦長は即座に総員退艦を命令。そのまま復旧する事もなく、約15分後に横転沈没した。短時間での沈没のため、こちらも多くの人的損害が出た。
 約40機の攻撃隊が殺到した第3任務部隊本隊は、損傷した《カリフォルニア》《ネヴァダ》を艦隊の中心に置いて守っていたため、攻撃しやすい他の艦艇が攻撃を受けることになる。このため《テネシー》に急降下爆撃機の爆弾が命中、輪形陣が緩んでいたためやや孤立していた重巡洋艦《シカゴ》に魚雷2本が命中して大破した。《シカゴ》は翌日にさらに空襲を受けて、後退中の所を沈められる事になる。なおアメリカの重巡洋艦は戦艦に似た三脚の艦橋構造物を持つため、この時の日本軍機に戦艦と誤認されての攻撃だった。他、自爆機が突入した駆逐艦はその時点で大破、魚雷が誘爆してその後横転沈没している。

 疲れが見えていたのか、日本軍艦載機にとって戦果はやや不満足となったかもしれないが、これをもってこの日の日本艦隊の空襲が終わることになる。
 しかし戦闘の結果は極めて重要だった。
 航空機が、海の女王、動く戦略兵器だった戦艦を、しかも作戦行動中の戦艦、大艦隊として構成されていた戦艦を単独で沈めることに成功したからだっだ。アメリカ太平洋艦隊では、大型空母2隻が沈んだ事よりも旧式とはいえ戦艦が2隻も沈められた事に大きな衝撃を受けてしまう。しかも、作戦海域に止まって戦闘を継続する限り、翌日も激しい空襲を受けることが確実視された。実際は日本軍もかなり疲弊していたのだが、この時は心理的衝撃が冷静な判断力を無くさせていた。
 そしてアメリカ太平洋艦隊は、戦艦が航空機に撃沈された損害を報告に加えて、アメリカ本土の上層部に対して撤退を打診する。そして6時間を浪費した末にもたらされた返答は、作戦の延期とエニウェトク環礁までの後退の許可だった。アメリカ上層部も、予想を大きく上回る日本側の極めて強固な防御力に大きな衝撃を受けていた。
 そして返答がもたらされるまでの時間、太平洋艦隊は攻撃と転進(撤退)双方で有効な戦術を行う事とした。それは、既に先鋒の第2任務部隊が目視できるまでに迫っていたパラオ諸島の飛行場と水上機基地に対して艦砲射撃を実施し、翌日の空からの脅威を少しでも減らすことだ。本来の作戦ならばパラオ諸島の日本軍拠点をことごとく破壊する予定だったが、そのための時間がないためと、転進するにしても日本軍機の脅威を少しでも減らす為だった。
 この臨時作戦では、北部の本島(コロール島)の環礁内にある水上機基地を第2任務部隊が、北部のペリュリュー島の飛行場を第1任務部隊が短時間艦砲射撃する予定となった。損傷艦のため艦隊速力がさらに落ちている第3任務部隊は、これ以上西には進まずそのまま転進の準備に入った。
 しかしさらに事態は変化する。

 第2任務部隊が速度を上げてパラオへと本格的に接近し始めてから約30分後、諸島の北方にあるパラオ本島の北側から接近する艦影を視認する。特徴的な重武装から間違いなく日本軍駆逐艦部隊の姿であり、アメリカ太平洋艦隊全部隊に緊張が走った。
 しかしこの時は後続する艦隊主力の姿はなく、駆逐艦も慌てるように北方に転進した。ここでアメリカ太平洋艦隊では、自分たちをおびき寄せるためのワナか、パラオ駐留の小規模な部隊かで意見が分かれた。既に朝から艦載機の激しい空襲を受けた事から考えて、既に付近海域に日本艦隊が全て揃っているのではないかという意見も強かった。
 この時点での各艦隊の大まかな距離は、パラオ本島を起点とすると、アメリカ第2任務部隊がパラオ本島の真東に20海里、その北北西20海里に日本艦隊の駆逐艦、さらに10海里北北西に日本第一艦隊、第2任務部隊の東南東15海里にアメリカ第1任務部隊。第1任務部隊のさらに東方30海里にアメリカ第3任務部隊となる。
 ここで重大な決断を迫られたアメリカ太平洋艦隊司令部だったが、意見が割れて即座に決断が難しかった。
 この時、日本艦隊の意図は明確だった。自らの姿を見せることで、アメリカ艦隊のパラオへの艦砲射撃を阻止することだ。そして自らの方向、つまり北方に誘引することで自分たちに有利な場所に誘い込める可能性も期待されていた。アメリカ艦隊が回れ右で逃げても、パラオ攻撃を阻止するという目的は達成される。この時点では状況がどう変化しようとも、姿を見せた時点で日本の勝利となるのだ。
 そして日本艦隊が姿を見せたように、日本艦隊はアメリカの航空機を気にする必要がなく、対するアメリカ艦隊は翌朝の日本軍の空襲は既に確定的だった。ひたすら南方海上に逃れることで、マリアナ諸島からの攻撃は避けられる可能性は高いが、それでも自在に移動する空母部隊の空襲は阻止しようがない。明日一日、執拗に攻撃を受けることは間違いなかった。
 そして既に敵地のど真ん中で制空権を無くしたアメリカ側は、日本側の偵察網から逃れる術がなかった。現に、常に日本軍の小型もしくは大型水上機複数が各アメリカ艦隊の上空に張り付いていた。
 だがここで日本側の誘いに乗って戦った場合、勝算が高まるのかというと微妙だと考えられた。
 首尾良く第1、第2任務部隊が素早く合流しても、数が不明の日本艦隊は自らが不利の場合には遠ざかる可能性が極めて高い。第2任務部隊が先に戦闘開始した場合では、アメリカ側が各個撃破される可能性が高くなる。合流して日本艦隊が逃げた後に艦砲射撃を行うにしても、日本艦隊を常に警戒しなければならない上に、実施までに余分に時間がかかってしまう。というような意見が司令部内で上がった。
 しかし、戦闘を行うべきだという意見も強かった。
 理由は、転進するにしてもここで日本軍の戦艦部隊に大きな損害を与えておかなければ、既に速力の落ちている何隻かの戦艦を抱える第3任務部隊が捕捉される可能性が高いからだ。加えて、翌朝空母艦載機の激しい空襲が確実視されていたので、空襲に備えるためにも基地と水上からの攻撃の可能性を出来る限り封じ手おかなければならない。複数の方向から攻撃されては、対処のしようがなくなってしまう、というのが主な論旨だった。
 そして何より、戦艦こそが海軍の主力であり、現時点で数に勝るアメリカ太平洋艦隊に勝機があると考えられていたからだ。既に航空機に戦艦を沈められていたが、実際論として戦艦こそがまだまだ海軍の主力だったのだから、この当時はまだまだ十分説得力のある考えと言えるだろう。
 加えて事前の作戦通り、数的優位にある巡洋艦と駆逐艦で日本艦隊を翻弄して砲撃戦を有利にするという条件は、例え日本艦隊が全て集結していても十分通用するとも考えられていた。
 無論、戦艦の数で既に不利な事や敵地に深くに入り込み過ぎている事などの懸念材料はあったが、アメリカ海軍の矜持(プライド)が主戦論の主なところだった。
 そしてこの時、一つの状況がアメリカ側にやや中途半端な決断をさせることになる。
 アメリカ本土から、まだ転進の許可が下りていないからだ。
 このためアメリカ太平洋艦隊は、まずは艦砲射撃を中止して第1任務部隊と第2任務部隊の素早い合流を図り、艦隊速度が大きく落ちている第3任務部隊は南東方向に待避させる事にした。

 第2任務部隊が一斉に南東方向に転進しようとするのとほぼ同時に、彼らの眼前はるか北方海上に薄くたなびく無数の黒煙を視認することになった。偵察のためにアメリカ艦隊主力の南西方向に残した駆逐艦からは、長い縦列を組んだ大艦隊が急速接近中という報告がもたらされた。
 少しすると、遠方からでも日本海軍特有の塔型艦橋が林立しているのが確認でき、各艦艇の特徴から間違いなく日本海軍連合艦隊所属第一艦隊の姿だと判明した。アメリカ艦隊は旗艦に上がる旗は確認出来なかったが、連合艦隊司令長官堀悌吉提督に直接率いられていた日本海軍の主力艦隊に間違いなかった。
 しかし幸いと言うべきか、他の艦隊の姿はなかった。戦艦部隊の先頭を進むのはアメリカにとって未知の新型戦艦(※戦艦「大和」)だったが、水平線の向こうから続々と姿を見せつつある戦艦の数は、新旧合わせて合わせて13隻。その前面に展開している補助艦艇の数は、自分たちの一個艦隊にも劣る程度の数でしかなかった。
 対して、パラオに近い位置にいたアメリカ太平洋艦隊の第1、第2任務部隊を合わせた戦艦、巡洋戦艦数は14隻。戦艦数でも勝っており、補助艦艇を合わせれば完全に圧倒できる数だった。しかもアメリカ側の戦艦は、最も有力な艦艇ばかりだった。
 このためアメリカ太平洋艦隊では、再び主戦論が台頭する。
 戦艦の数はあまり違いないが、全体の質ではアメリカ太平洋艦隊が優位であり、しかも日本第一艦隊の艦隊としての最大速度は限界まで絞っても24ノット。機動性でも、第2任務部隊を擁するアメリカ太平洋艦隊の方が有利だった。加えて、二つの任務部隊を合わせれば、補助艦艇では圧倒的優位にも立てる。
 しかもこの時点での日本艦隊は、転進してパラオから離れつつある第2任務部隊の後ろから付いてくる動きを見せており、依然として挑発行為を続けていた。
 アメリカ太平洋艦隊の主戦派は、合流して後に北進して日本艦隊の現有戦力と雌雄を決すべきだと再び唱えた。
 彼らは、北方から迫る日本海軍第一艦隊に対して、第2任務部隊が速度の優位を活かして頭を押さえ、第一艦隊が南方から圧迫し、重巡洋艦群で敵水雷戦隊を蹴散らし、水雷戦隊で圧倒できると主張した。
 そして圧倒的な戦闘で短時間で勝負を決める事で、今後の転進と戦闘をさらに優位にできるとした。状況が有利に進展すれば、現状の戦略的不利すら覆せるという楽観論も囁かれた。
 現状の要素だけなら、確かに魅力的意見だった。
 日本艦隊は逃げると予測されるが、その気になれば第2任務部隊と全ての補助艦艇による追撃戦で追いつくことも可能だった。
 しかし、いまだ姿を現さない他の日本艦隊の動きが気になるため、危険を冒して少し遠くにも偵察機をさらに放ち、日本側に大規模な増援部隊が現れる予兆がないかが探られた。さらに、やや後方(東方)に位置していた第3任務部隊からは、駆逐艦を数隻割いて北方の偵察を密にした。
 なお、アメリカ太平洋艦隊で既に決められていた転進の手はずは、マリアナ諸島からの空襲を避けるためニューギニア島沿岸を通過してマリアナ諸島から最も遠いコースを取り、半円を描くようにエニウェトク環礁まで後退するというものだった。ニューギニア島からオーストラリアへの撤退も考えられたが、その後の補給の問題もあるため既に拠点が築かれている方面への後退となった。エニウェトク環礁には、タンカーも複数在泊していた。
 この時点では、日本艦隊への対処を理由として、既に転進に向けて順調に行動していたと言えるだろう。
 しかし、日本第一艦隊がこれ見よがしの接近を続けているため、アメリカ太平洋艦隊将兵の心理は非常に複雑だった。制空権があれば、間違いなくこの時点で総力を挙げた戦闘を決意していただろう。だが、翌朝再び激しい空襲が予測されるので、現時点での砲雷撃戦は非常に危険だった。しかもパラオは敵地深くだった。故にアメリカ太平洋艦隊は、艦隊合流後に南東方向に転進。
 日本第一艦隊も、南下を止めて東へと進路を取り速度を若干低下させた。
 この時点での双方の戦艦部隊の相対距離は、最接近時で約28海里。

 戦闘二日目も、アメリカの完全な敗北だった。



●フェイズ07:「パラオ沖海戦(2)」