■ジパング大航海時代 略歴年表

●西暦12世紀
 ・1180年

日本、源頼朝挙兵
 ・1185年 
日本、源義経放逐
 ・1187年 
日本、平家が太宰府近辺で滅亡。安徳天皇行方不明
 ・1192年
日本、源頼朝、征夷大将軍に任じられる
日本、鎌倉幕府開かれる(鎌倉時代)
 ・1193年
日本、奥州藤原氏滅亡
日本、源義経、日本外に亡命(蝦夷より先の行方は確定せず)

●西暦13世紀
 ・1206年

日本、北方探索始まる。表向きの目的は北方開拓だったが、真意は源義経探索にあった。政権を握った北条氏が源氏血統の生存を恐怖した
 ・1209年
日本、アイヌの中に源義経の痕跡を見つけるも消息不明
 ・1256年
日本、幕府による義経探索中止。義経探索により、オホーツク海沿岸の探索が進み、一部ではアイヌなどとの交易が始まる
 ・1271年
蒙古より日本への服属(朝貢)迫る使節が到着。日本黙殺
 ・1271年
マルコ・ポーロの東方旅行(〜79年)
「東方見聞録」を記し、ヨーロッパ世界に「ジパング」として、日本が初めて紹介される
 ・1271年
「文永の役」
元帝国、日本に侵攻。しかし外交としての攻撃だったため、元軍は数日で日本から離れる。その後二度元帝国の使者が日本に来るが、日本側はこれを殺害
 ・1279年
元帝国、南宋を滅ぼす
 ・1281年
元帝国、日本への遠征を準備不足を理由に一年延期
 ・1282年
「弘安の役」
元帝国、4400隻の軍船と14万の大軍で日本に襲来
筑前、長門、筑後の各地に上陸。筑前で激しい戦いが展開され、三ヶ月の攻防戦の後に元帝国軍は壊滅。旧南宋系の将兵約6万人が助命され、荒廃した地域の再興と交易の仲介を条件に、幕府から日本での居住を許される。
以後旧南宋人は、南方交易に力を発揮する
元寇を撃退したのが武士の力となったため、公家や寺社の権威が落ちる
 ・1299年
オスマン朝トルコ勃興(〜20C)

●西暦14世紀
 ・1302年

羅針盤の発明。その後改良が続く
 ・1333年
日本、鎌倉幕府滅びる
 ・1334年
日本、建武の新政(中興)
 ・1338年
日本、足利尊氏、室町幕府開く(室町時代)前後して南北朝時代到来
 ・1338年
「英仏百年戦争」勃発(〜1453)
イングランドとフランスの戦争。主にフランスが戦場となる。
この頃、ヨーロッパ全土でペストが大流行。総人口の三分の一を失う。十字軍遠征の影響もあって地中海側が発展
 ・1354年
この頃、倭寇が朝鮮半島南部で活発化
 ・1368年
明朝(明帝国)が勃興
 ・1370年
ティムール帝国勃興
 ・1392年
日本、南北朝統一
高麗滅びて朝鮮(李朝)建国。以後500年以上続く
 ・1392年
金閣寺(外交施設)造営(97年完成)

●西暦15世紀
 ・1402年

明帝国で永楽帝即位
明帝国、日本に国書送る
 ・1404年
明帝国と日本の間に国交と通商開く(勘合貿易始まる)
日本の元南宋移民に焦り。東南アジア進出を強め始める
 ・1405年
鄭和の遠征開始(〜1430年)
 ・1409年
鄭和の遠征第3次航海に出発。分艦隊が東方及び北方を航海。副産物として、日本に航海技術が伝えられ、当時の記録が残る
 ・1410年
「新華(シンカ)」後の蓬莱(北アメリカ)大陸を発見。伊達浜近辺まで南下するも国を発見できずに帰投。アジアでの新大陸発見の起源とされる。アラスカ地域やアレウト列島もこの時に発見
 ・1417年
鄭和の航海に付き添った日本人が、初めてインドとアフリカ大陸東岸に到達
 ・1429年
琉球王室の成立。明帝国の中継貿易点として発展
フランス、ジャンヌ・ダルク登場
 ・1437年
日本商船、初めてインドに到達
 ・1446年
グーテンベルグ活版印刷術発明
 ・1453年
東ローマ帝国滅亡
コンスタンチンノープルはイスタンブールと改名され、以後オスマン朝トルコの首都となる
 ・1467年
日本、「応仁の乱」始まる。戦国時代の幕開け(〜1477年)
 ・1476年
日本商船、自力でアレウト列島に到達。以後毛皮狩りで北方航路の開拓が少しずつ進む
日本、この頃に外海廻船(ジャンク型カラック船)登場。東アジア交易で大きな勢力を持つようになる
 ・1480年
モスクワ国自立(後のロシア帝国)
 ・1483年
日本、不確かな記録だがアラスカを経て伊達浜近辺に到達。しかしバイキングの新大陸到達と似た解釈しかされず
 ・1488年
ヴァーソロミュー・ディアス、喜望峰発見
 ・1492年
クリストファー・コロンブス、アメリカ(西インド諸島)発見
 ・1498年
ヴァスコ・ダ・ガマ、インドに到達。
不確かな記録では、白人と日本人の初めての接触があったとされる
 ・1499年
アメリゴ・ヴェスプッチ、南アメリカ大陸(ラテン大陸)発見。その後ヨーロッパでは、新大陸をアメリカ大陸と呼ぶようになる

●西暦16世紀
 ・1510年

ポルトガル、インドのゴア占領
 ・1511年
日本、マラッカのポルトガル人と出会い商取引を開始。しかし日本の位置は教えず
 ・1516年
ポルトガル、中華の広東に到着。日本の話を聞きつける
 ・1519年
マゼラン一行の世界一周(〜22年)
 ・1520年
オスマン朝トルコ、スレイマン一世即位(〜66年)
 ・1521年
日本、マスケット銃を初めて試作。戦国時代だったため、以後急速に普及していく
 ・1523年
日本、大内氏と細川氏が海外貿易で競争。東シナ海の海賊討伐も行われ、海賊(後期倭寇)発生の要因の一つとなる。またこの時期に日本型帆船の改良と大型化が進み、カラックからガレオン船に向けての変化が始まる。
船舶の大型化に伴い、建材獲得のための北方開拓が進む
 ・1529年
「第一次ウィーン包囲」(〜32年)
オスマン朝トルコの最盛期到来
 ・1532年
イスパニア、ピサロがインカ帝国を滅ぼす
マキャベリの「君主論」
 ・1534年
イエズス会(ヤソ会)設立
 ・1543年
日本、種子島にポルトガル船来航
コペルニクスの「地動説」
 ・1549年
宣教師のサンフランシスコ・ザビエル、日本に渡来
 ・1550年
日本、ポルトガル商船が平戸に来航
 ・1551年
日本、大内氏滅亡
日本、大砲の試作に成功。最初は船舶に搭載
 ・1556年
インド、ムガール帝国でアクバル大帝即位
日本、商人の一部が明帝国の倭寇討伐に協力
 ・1558年
日本、商人が小琉球に明帝国の許可を得て拠点を建設
イングランド、エリザベス女王即位(〜1603年)
 ・1560年
日本、「桶狭間の合戦」。この前後から、日本各地で大規模な大名が各地で台頭するようになる
 ・1564年
日本、上杉謙信の部下がアムール川河口部に到達。現地での交易と狩猟を開始
 ・1565年
イスパニア、フィリピン(呂宋)を征服
 ・1568年
日本、織田信長が軍を率いての上洛に成功。織田信長台頭
 ・1571年
「レパントの海戦」
イスパニアが地中海の制海権を獲得。無敵艦隊と呼ばれるようになる
イスパニア、マニラ市を建設しアジア交易の拠点とする。明帝国との絹交易で日本に打撃
 ・1573年
日本、室町幕府滅亡(以後、安土大坂時代)
 ・1575年
日本、北条氏政が千島列島からアレウト列島にまで船を派遣。甲冑などに使う高級毛皮(ラッコなど)の獲得を図る
 ・1576年
日本、織田信長が安土城築城
「第一次大坂湾海戦」
日本初の大砲を搭載した帆船同士の海戦。織田水軍が敗北。以後日本型ガレー船は急速に姿を消す
 ・1577年
イングランド、ドレークの世界周航(〜80年)
 ・1578年
「第二次大坂湾海戦」
「オダ・ガレオン」と呼ばれる日本製の大型戦列艦(2000トンクラス)が登場。艦隊による横列砲撃で毛利水軍を殲滅。大きな衝撃を与え、以後日本中で大型の戦列艦の建造が盛んになる
ロシア、コサックのシベリア進出始まる
 ・1580年
イスパニア、ポルトガルと合併。「日の沈まない帝国」となる
 ・1581年
ネーデルランド連邦独立宣言
 ・1582年
日本、天正少年使節をヨーロッパに派遣(〜90年)
 ・1583年
日本、織田信長が大坂城築城開始
 ・1584年
日本、織田信長が日本を再統一。
以後織田信長による事実上の絶対王政が始まる
 ・1585年
織田信長、天皇の代理である関白に就任。
織田信忠が将軍に就任。大坂に織田幕府が開かれる。
朝廷の三顕職が武士に取り上げられる
 ・1588年
イスパニア、無敵艦隊敗北
「日本・イスパニア戦争」
貿易摩擦から、日本がフィリピンに侵攻
 ・1589年
日本、フィリピン征服を完了して呂宋と改名。東アジア各地のイスパニア(ポルトガル)勢力圏も積極的に攻撃
明帝国、相次ぐ内乱で国力衰退
朝鮮、日本に通信使節を派遣
 ・1590年
日本とイスパニアの間に講和条約締結。
日本は、マラッカ海峡以東の旧ポルトガル利権をイスパニアから割譲。日本は、フィリピン、マカオ、マラッカ、スマトラ島、ジャワ島、ブルネイ島のそれぞれ一部を領有
 ・1591年
ヌルハチ、東満州を統一。この頃に黒竜川の日本人と交易を始める
 ・1592年
日本、朝鮮に開国と交易を求めた船団を派遣。直接ソウル近辺にまで船で赴いたため、朝鮮側が侵略と誤認して戦闘に発展。以後1607年まで両者の交流は途絶える
 ・1595年
日本、片倉景綱の新大陸探索船団が布哇諸島に到達
 ・1596年
日本、片倉景綱が新大陸(蓬莱大陸=北アメリカ大陸)に到達。「蓬莱大陸」と命名。その後南下してノヴァ・イスパニアとの交易を行い、日本と新大陸間の航路を開く。またこの時の航海で、新大陸の物産が日本に多数持ち込まれる
ネーデルランドがジャワに到着。以後、現地の利権を巡って日本との小競り合いが長らく続く
 ・1598年
日本、世界周航が行われる。織田信長の抜擢で真田信繁が総指揮官となる(〜1601年)
航海中に真田信繁は主に太平洋で新たな島々を発見するが、信長から自らの名と一族の名を付けることを禁止されたため、命名に苦心したと言われる
 ・1600年
イングランド、東インド会社を創立

●西暦17世紀
 ・1602年

ネーデルランド、東インド会社設立
 ・1604年
フランス、東インド会社設立
 ・1606年
ネーデルランド、太平洋の南半球側で新大陸(新ネーデルランド、後の南天大陸)発見
 ・1613年
ロシア、ロマノフ王朝成立
 ・1614年
日本、南半球の新大陸を「南天大陸」と命名。南東部沿岸に最初の入植地を建設。切支丹が入植
 ・1616年
日本、大坂切支丹大学が完成。東洋に初めて西洋教育が導入される。同時期、日本各地で高等教育機関が設立され、その後大学に発展する
 ・1617年
日本、織田信長没。
織田信忠を中心に大坂幕府は安定(以後大坂時代)
 ・1618年
「ドイツ三十年戦争」(ドイツ宗教戦争)(〜48年)
ヨーロッパ列強のほとんどが介入した大規模な戦乱が断続的に続き、戦場となったドイツ地域は大きく荒廃
 ・1619年
ヌルハチ、後金建国。満州での女真族の勢力が強まり、日本は黒竜川から順次後退を強いられる。代わりに、大蝦夷各地への進出が強まる
 ・1620年
イギリス、ピューリタンが新大陸に到着
日本、切支丹大名明石全登に率いられた4隻の船団が新大陸に到着。サンフランシスコ市(聖府市)を建設。
この時期に新大陸の和名「蓬莱大陸」が定着
 ・1624年
日本、小琉球に本格入植開始
フランス、宰相リシュリュー登場
 ・1636年
後金、国号を「清」に変更
清帝国、朝鮮半島を服属。同時期に、沿海州や黒竜川から日本の勢力もほぼ追い出される。
このため、以後日本の大蝦夷進出が進み、各大名が編成したマタギ衆による毛皮や金を求めた北極航路開発と西進が活発化
 ・1637年
日本、明帝国に援助のための国書を送るが謝絶される
日本、飢饉を契機に蓬莱大陸に大規模な切支丹移民発生。約二年の間に4万人近くが移民。新大陸に華楠市を開く
 ・1638年
日本、大蝦夷の北斗川(レナ川)中流域のロシア人入植地で戦闘状態。これを破壊し、ワーストコンタクトとなる。以後ロシアのコサックとの衝突が日常化。以後250年間続く、ユーラシア北方の覇権競争(ノーザン・ゲーム)が始まる
日本、ユーラシア大陸と蓬莱大陸の間の海峡を発見。発見者の名から「正雪海峡」と名付ける。探検隊はそのまま北極探索を進める
 ・1639年
イングランド、マドラス建設
 ・1640年
日本、バイカル湖の西に拠点を建設。上杉などの北方有力諸侯が大蝦夷開発に力を入れる
 ・1643年
フランス、ルイ14世「太陽王」即位(〜1715年)
 ・1644年
明帝国滅亡、後明成立
 ・1645年
日本、「唐出兵」(〜46年)
後明の要請を受ける形で、中華地域に大規模な遠征実施。大規模な略奪と破壊を行って現地経済が壊滅。後明、清双方との関係悪化
 ・1648年
「ウェストファリア条約」締結。
三十年戦争終戦。世界初の国際条約となる。
フランス、スウェーデンが大幅に領土を拡大。プロイセン、ネーデルランド連邦が、正式に独立を認められる
 ・1651年
イングランド、「航海条例」を発布。ネーデルランドとの対立激化
 ・1652年
「第1次英蘭戦争」(〜1653年)以後イングランドとネーデルランドの衝突が多発
ネーデルランド、アフリカ大陸南端にケープ植民地建設
 ・1656年
ネーデルランド、セイロン島のコロンボ領有
 ・1658年
ロシア、シベリア東部にネルチンスク建設。日本の大蝦夷内だったため、3年後に壊滅。ロシアの東進止まる
インド、ムガール皇帝にアウラングゼーブ帝即位(〜1707年)
 ・1660年
イングランド、王政復古
 ・1661年
清帝国、康煕帝即位(〜1722年)
フランス、ルイ14世即位(〜1715年)
フランス、ヴェルサイユ宮殿造営開始
イングランド、ボンベイ建設
 ・1669年
ムガール帝国、ヒンズー教禁止
 ・1673年
清帝国、「三藩の乱」(〜1781年)
 ・1674年
日本、三藩の乱の呉三桂の要請を受けて再度唐出兵。総大将には、大陸出身の鄭成功が任じられ体裁を取り繕う
インド、マラータ同盟成立
 ・1676年
ジュンガル、ガルダン汗即位。ジュンガルの挑戦始まる
 ・1683年
オスマン朝トルコ、ウィーン包囲
日本、大陸から完全に撤退
 ・1688年
イングランド、名誉革命
清帝国、外蒙古服属。ダイハーンの称号得る
 ・1689年
「ウィリアム王戦争」北アメリカ(蓬莱)大陸での英仏の戦い。以後約100年間の戦争を「第二次英仏百年戦争」とも言う(〜1697年)
イングランド、権利の章典。世界に先駆けて議会制国家となる
ロシア、ピョートル大帝親政開始(在位1682年〜1725年)
 ・1690年
イングランド、インドカルカッタ建設
「第一次ウランプトゥンの戦い」
清帝国、モンゴルに遠征するもジュンガル・日本連合に阻止される
 ・1694年
「第二次ウランプトゥンの戦い」
清帝国とジュンガル・日本連合軍最大規模の戦い。痛み分けで終わる
 ・1696年
ロシア、初めて北極海を通って太平洋に出て日本と交易
 ・1697年
ジュンガル、清帝国への朝貢受け入れ。両者の事実上の独立と相互承認が行われる
 ・1698年
「ハミの戦い」
清帝国とジュンガル・日本連合軍の最後の戦い。康煕帝の遠征は失敗。織田信宗が歴史上に登場
 ・1699年
日本、ムガール帝国に傭兵派遣。両者の親交深まる
オスマン朝トルコ、ハンガリーの大半失い、退勢が明らかとなる
ロシア、ピョートルの改革始まる
 ・1700年
「西征」(〜05年)
ジュンガルのガルダン、トルキスタン地域に遠征。各地の騎馬民族を服属させカスピ海に至る。日本が物心両面で活躍
「北方戦争」(〜21年)
ロシアとスウェーデンの戦争。バルト海の覇権を賭けて争うが、最終的にスウェーデンが敗北し大国の地位から転落
清帝国と日本の国交回復。広東、マカオでの交易も始まる

略歴年表(18c〜)