●ネクスト・ウォー「第三次世界大戦」

 1949年8月9日、ソビエト連邦はポーランド政府、ルーマニア政府からの先制攻撃及びそれを支援した国々に対する国土防衛を理由にして、ヨーロッパに対する全面攻撃を開始した。
 しかも開戦と同時に、ドイツのケーニヒスベルグとドレスデンに史上初めて原子力爆弾が投下され、数十万の市民が犠牲となった。
 世界初の核戦争となった、第三次世界大戦の勃発だった。
 なおドイツの二つの都市に原爆が使用されたのは、ケーニヒスベルグがアメリカによるバルト海の航路拠点とされ、ドレスデンが東欧のアメリカ軍の兵站拠点となっていたからだった。しかし軍事施設を狙った際、上空に侵入したソ連軍爆撃機「ツポレフ-4型」はスクランブルしたアメリカ軍機に追い回されたためかなり大ざっぱな投下をを行ったため、それぞれ港湾と兵站拠点の目標から外れ、どちらも市街に投下されることになった。このため現地ドイツ人以外にも多数のアメリカ軍将兵が犠牲になり、犠牲者の数は合わせて短期間で20万人にも上った。

 開戦当時、既にアメリカが大規模な動員解除を行い、ヨーロッパからの兵力の引き上げを行っていたため、ヨーロッパの地図は瞬く間に塗り替えられた。アメリカ軍では第二次世界大戦中に存在した兵力の90%が動員解除されたと言われていたのだから、その弱体ぶりは追いつめられたソ連に対して醜態にすら値した。
 ただし、それでもアメリカ軍には約120万の軍人が存在し、アメリカただ一人が保有する未知の新兵器である原子力兵器によって、戦争を抑止できるとアメリカ首脳部は考えていた。アメリカが重視した無数の戦略爆撃機は、動員解除の中にあっても多くが稼働状態を維持し、また短期間で多数の機体が実戦投入可能な状態に置かれていた。これがアメリカをして、アメリカが望まない限り戦争は起きないとした大きな根拠となっていた。既にB-36すら量産配備が進んでいたので、アメリカ軍は地球のどこにでも爆撃をできる能力を獲得していた。そしてそれらの爆撃機には、原子力爆弾が搭載可能だった。
 またアメリカ政府は、圧倒的国力を背景にした威圧だけで、十分ソ連の軍事的、政治的動きを抑止できるとも見ていた。この一種傲慢が、この時の戦争の原因だったとも言えるだろう。この構図は、日本がアメリカに戦争を仕掛けた状況と類似点が多く、先の戦争でより巨大になったアメリカは、巨体になったが故に同じ過ちを犯したと言えるだろう。
 一方では、マッカーサーによる圧倒的なまでの欧州統治が、アメリカ本国を錯覚させたのだと言われることもある。「欧州総督」の放つカリスマ性は、アメリカ中枢部すら酔わせていたのだ。もっともマッカーサー自身は、欧州への兵力増強を再三本国に要請していた。この構図も、皮肉にも日本との戦争前の状況に似ている。
 だがアメリカは、ヨーロッパでの三度目の戦争に敏感だった。ヨーロッパは自分たちの源泉であり、アジアとは心理面での格が違いすぎた。経済的価値については言うまでもない。
 アメリカ中枢部は、いち早く国内の総力戦体制を再整備すると共に、軍の再編成を急速な勢いで行った。そしてソ連を除いた国連軍を、ほとんど即日で国連会議で可決させると、実際の国連軍を編成して反撃に転じようとした。
 しかし開戦から三ヶ月程度は、あまりにも圧倒的戦力で電撃戦を展開するソ連赤軍を前にして、流石にどうにもならなかった。
 開戦から僅か三ヶ月で、ドイツ全土が危機に陥った。ポーランドは一週間で再び蹂躙され、ベルリン手前のオーデル川にまでソ連軍は迫った。止まったのも、ドイツ人が自主的に国土防衛に出た事とそれが連合国の間で追認された事、そしてソ連側が補給のために停滞したからだった。流石のソ連赤軍も、ポーランド国境から一気にドイツの首都ベルリンにまで進むことは無理だった。
 この間アメリカは、総力を挙げて兵力の再編成と欧州への増援を開始したし、欧州各国も懸命に対応した。ドイツ人には、半ば事後承諾で再軍備を許して武器を解放し、総力を挙げた祖国防衛戦を行わせた。処分するのも面倒なので接収後保管したままだった武器・弾薬は倉庫の鍵ごと渡され、ドイツ中の軍需工場は全力で再始動を開始した。牢獄にいたり追放されていた多くのドイツ軍人達も、再び前線に戻ってきた。
 だが、準備を整えていた上に原爆まで使ってきたソ連軍の前には、彼らの前進を遅らせるのが精一杯だった。東欧各地には、前線に向かう軍隊とソ連軍から逃れる避難民とでごった返しになった。
 そこで依然ロンドンにあったマッカーサー元帥は、ダンツィヒ方面に対する奇襲的上陸作戦の発動と共に、ソ連領内の策源地となっている場所への原子力兵器による攻撃をアメリカ政府に強く要求した。背に腹は代えられない状況に追いつめられたアメリカ政府も、マッカーサーの言葉を受け入れた。
 9月のある日、グレートブリテン島を飛び立った多数の戦略爆撃機によって複数の原子力爆弾が投下され、ソ連軍の集結地点と補給拠点を複数消滅させた。「爆撃効果」を上げるため、2マイルの間隔を開けて同じ場所に落とされた場所もあった。
 この時短期間で死亡したソ連兵だけで、50万人に達すると言われる。使われた原子力爆弾の数もソ連よりずっと多く、余裕のないアメリカ側も容赦しなかった。
 そして相互の核兵器使用で、世界初の核戦争としての体裁をこれで整えた事になった。
 また通常の戦略爆撃も準備が出来次第開始され、兵站線が大混乱となったソ連軍の進撃は大きく停滞した。そこまでアクティブにアメリカが反応するとは、ソ連指導部にとっても予想外だったのだ。これもマッカーサーがもたらした世界史上での変化と言えるだろう。もし核兵器を使用していなければ、東ヨーロッパから中部ヨーロッパにかけての全域が、一時的であれソ連の軍門に降らねばならなかっただろう。そして短期戦を意図していたソ連側の戦争目的は、現地での新たな赤い政府成立という形で達せられたかもしれない。ソ連の指導部が、慌ててモスクワなどから疎開したほどの果断さだった。彼らは、モスクワなどの主要都市にも原子力爆弾が投下されると考えたのだ。
 しかしマッカーサーの意図は別にあった。そして、一切の妥協を拒絶する一撃を放つ。
 バルト海からダンツィヒに対する奇襲的反撃作戦が行われ、爆撃以外の手段で兵站網を断ち切ることにより、前線のソ連軍を正面から戦わずに崩壊させたのだ。
 ソ連は、開戦からたった4ヶ月でベルリン攻略を行うことなく、オーデル川から大幅に後退せざるを得なくなった。ワルシャワも奪い返された。もし果断な反撃と核兵器使用がなければ、少なくともアメリカ軍はエルベ川まで後退しなければならなかっただろうと言われている。ベルリンは、今度はマッカーサーによって守られたのだった。
 なお、ソ連が開戦早々に核兵器使用に踏み切ったのは、自らが保有していることを伝えて脅しに利用する積もりだったとされている。自らの核兵器保有量が、まだ開発されたばかりで少なかったためだ。生産量もアメリカとは比べものにならなかった。しかし、少なくともマッカーサーには、ハッタリは通用しなかった事になる。そしてアメリカ政府も、ソ連が先制使用した事とソ連との全面戦争が始まってしまったため、使用に躊躇している場合でなかったという背景があった。何しろヨーロッパでの出来事なのだ。なりふり構っている場合ではなかった。
 無論、使ってみたいという誘惑があった事も確かである。実際、被爆地にまで進撃すると真っ先に大規模な調査隊が派遣されていた。多数が使用された核兵器も、うち1発が爆発威力100キロトンの大型原爆だった。この大型原爆をB-36ピースキーパーが投下し、兵站基地の一つを消滅させていた。しかも、最初の使用以後もしばらくは原爆は使い続けられ、各所でロシア人とその近くにあるものを吹き飛ばしていった。

 一方極東は、ヨーロッパよりもはるかに平穏だった。
 それでも無風ではなく、ソ連軍は攻め込んで来ることはなかったが、中華民国内での内戦が激しくなっていた。
 米軍牽制のため、ソ連の支持と大量の援助を受けた中華共産党軍が、一気に攻勢に転じたからだった。しかも国民党は、内乱激化を原因として悪政を行って(戦費獲得のための紙幣乱発と非合理な増税による経済破壊)急速に民心を失いつつあるため、戦闘が進むほど戦況は共産党軍が優位となった。
 また極度の反日姿勢をあからさまに示し続けていた朝鮮仮政府でも、国内北部を中心に共産党や反政府組織によるゲリラ、テロが非常に活発となり、事実上の内乱状態に入っていた。朝鮮仮政府による徹底した反日政策が、多くの朝鮮人を反政府組織に走らせ、それが内乱を大きく拡大させていた。裏にはソ連の援助があったことは間違いないが、自らの施政が行きすぎたが故の因果応報だった。しかも中華民国も朝鮮仮政府もアメリカの無償援助や支援を求める反面アメリカの内政干渉を酷く嫌うため、アメリカの助言を受け入れることなくこの時の事態を自ら招いていた。
 ただし満州は依然としてアメリカの軍政下にあったため、最低限の安定は確保されていた。満州にはまともな自前の軍事力がなかったため、正規編成の軍団規模のアメリカ軍部隊も駐留し続けていた。核兵器も日本列島の基地(厚木など)に戦略爆撃機部隊と共に存在する事が、戦争開始と共にアメリカの口から公表されていた。
 このため、ソ連軍自身の極東での行動はできなかった。ソ連軍の極東の実質的防衛ラインはバイカル湖近辺であり、唯一の衛星国だったモンゴルも半ば見捨てられたに等しい状態に置かれていた。ソ連も二正面を抱えたくはなかったし、な拠点が限られシベリア鉄道一本に補給を頼っているため、各拠点に原爆を落とされた時点で終わりだからだ。ウラジオストクも、軍事的には放棄されたに等しい状態に置かれた。何しろ今の相手は、自分たちが始めた突然の戦争のために、手加減する余裕を無くした世界帝国のアメリカだった。孤立して固まった拠点など、簡単に原子力爆弾で吹き飛ばされる恐れがあった。
 一方のアメリカも二正面戦争はしたくないため、ヨーロッパ以外で戦火を広げることはなかった。満州国境や日本海では、不気味な睨み合いが続いた。
 だが、米軍主導のまま中華中央部で窮地に追い込まれていた筈の中華共産党は、中華民国主要部での戦局を優位に進めていた。国民党は日に日にその勢力を共産党に奪われており、北東アジア情勢は中華民国の「自壊」という形で、アメリカ側の不利へと陥りつつあった。人の海を前にしては、流石のアメリカも無力だった。
 そうした中で、まだ主権回復をしていない日本への注目が集まるようになる。中華民国への支援と満州防衛力の強化のため米軍は大陸に行かねばならず、占領軍などで無駄に兵力を遊ばせている場合ではなかった。連動して、日本の生産力と軍事力の再建が必要となっていた。
 そして極東での占領統治を可能な限り的確に行っていたアイゼンハワーは、軍事作戦そのものよりも日本での軍事力の再建や日本そのものの再独立など、政治的な動きを活発に行い連合軍の極東での優位を次々に作り上げていった。中華民国や朝鮮に対しても、開戦と共にアメリカ政府からの許可を得ると、より強い態度で臨むようになった。
 そして軍備再建が強く抑えられていた日本では、戦争初期に主権回復が実現された。そして理想的すぎた憲法の一部を、事実上の命令によって早々に改正させて軍備の再建を行わせる。アイゼンハワーは、理想よりも現実を優先する選択を日本に行わせたのだ。日本人の一部が事実上の「占領憲法」だった新憲法を「平和憲法」だとして無軌道に「固持」を言い立てたが、アメリカ軍の全てがヨーロッパの危機を救うために行かねばならないとブラフをかけると、全員が押し黙ってしまった。
 なお、日本再軍備の一環として、賠償として押さえられたままとなっていた海軍艦艇を中心に一部装備が日本に返還された。さらにアメリカからの大量の武器供与が行われて急速に日本軍が息を吹き返し、アメリカによって日本は極東防衛の一翼を担わされるようになる。
 アメリカという巨人により陸に揚げられた日本という名の魚が、再度の戦争を機会として再び水に戻されたのだ。

 一方ヨーロッパ戦線では、米軍主導の反撃作戦が成功して、短期間で荒廃してしまった中部ヨーロッパを奪回した国連軍司令官マッカーサー元帥だったが、戦争全体は楽観できなかった。
 ソ連政府が、米軍の核兵器使用を表面的理由として、手前勝手に徹底抗戦を宣言していたからだ。しかもソ連は、強引に大量の軍を動員して、大規模な反撃を開始した。ソ連政府は、アメリカの意図はソ連邦の殲滅であり、これは「第二次祖国解放戦争」だと宣伝して国民を煽った。
 対する国連軍側は、各国の援軍がドイツや東欧各地に到着し始め、既にドイツの再軍備と大量動員間までが行われるようになっていたが、それだけでは間に合わなかった。一時は拮抗した戦力差だったが、ソ連側の大動員によって、戦力比は単純な数的差で見ると5倍以上の格差があった。制空権はアメリカ軍が圧倒的優位だったので実質的には三倍以下の戦力差だったが、防戦すら難しい状況だった。実際、冬に行われたソ連軍の反撃は熾烈を極め、ソ連軍は再びポーランドやドイツ東部へと攻め寄せた。
 ここで窮地に陥ったマッカーサーは、再びアメリカ本国に核兵器の使用を求めるが、今度はドイツやポーランドでの使用で明らかにされた原爆被害の露見によってネガティブとなったアメリカ国内の世論と、ソ連のさらなる報復を危惧したアメリカ政府が否定した。ただしこの時は、原爆への人的被害の非人道性が非難されたのではなかった。アメリカ国内では、核兵器の破壊力そのものが恐れられ、ソ連海軍の自爆潜水艦による米本土核攻撃を恐れ、警戒していたのだ。これは中途半端な全面戦争を行った、アメリカの失敗でもあった。
 しかし今更、本当の全面戦争を行うことはできなかった。やるなら開戦初期に全面核攻撃を行うべきだった。ソ連が何発の核兵器を持っているか分からない以上、アメリカの主に内政面において迂闊なことはできなかった。

 そして強い態度を求めすぎたマッカーサーは、遂に罷免される。彼の度重なる発言と行動は、軍人が越えて良い一線を完全に越えてしまっていたのだ。この時期のマッカーサーは、ソ連全土への全面核攻撃を強く進言していたと言われるので、やむを得ないであろう。
 アメリカの国家としての理性と国家理念が、マッカーサーのスタンドプレーに対して、我慢の限度を超えたと表現すれば良いだろうか。
 そして日本の主権回復の国際承認などのため一旦本国に帰っていたアイゼンハワーは、再び戦場となったヨーロッパに、罷免されたマッカーサーに代わる総司令官として派遣され、英雄そして最終的には大統領となる運命にあった。


●エピローグ「パックス・アメリカーナ」