●フェイズ121「軍拡競争下の満州帝国軍」

 前節でも少し触れたように、1980年代は世界的に軍拡の時代だった。そして大規模な軍拡を主導したアメリカは、この当時経済的苦境に追いやられていた。
 1970年代から90年代の前半は、特にアメリカと満州の間では熾烈な貿易競争が展開され、アメリカが防戦一方に追いやられてしまう。しかも80年代に入ると躍進を開始した日本までが競争に参加し、アメリカの海外貿易面での苦境は続いていく事になる。
 そうした貿易不均衡のアメリカの矛先は、まずは満州に向かった。

 1970年代半ば頃からのアメリカは、満州に対して貿易不均衡是正を理由としてアメリカで作られた製品を買うように強く求めるようになる。この時代は、生産工場の海外展開という考えがまだ十分ではないため、満州としてもアメリカとの友好関係を維持する必要経費と割り切ってアメリカ製品を多数購入した。
 とはいえ、先進工業国に対して、製造業が壊滅しつつあるアメリカの輸出品となると限られてくる。アメリカが今まで得意としてきた自動車は、70年代半ばぐらいからは満州がアメリカに大量に輸出している状況だったし、燃費の悪いアメリカの車を満州市民はあまり好まくなっていた。家電製品なども満州が輸出する側で、アメリカ側が得意と考えていたコンピューターなど電子機器も、安価な製品としては満州の側が圧倒してしまっていた。しかも満州政府は、電子産業を自国の次の成長戦略として力を入れていた。
 そうなってくると、買えるものが限られてくる。満州の食糧自給率は比較的高く、1億の人口を有するもほとんど国内で賄われていた。一部は日本などに輸出されていたほどだ。足りないのは経済力の拡大に伴って不足が目立つようになった天然地下資源だが、アメリカから輸入しているわけではない。
 まず満州が大量に購入したのは旅客機だった。だが旅客機など航空機は、満州単体では不得意な分野だったが、航空機開発は隣国の日本が得意としており、満州も不得意分野の克服のため日本企業との共同開発などを熱心に行っている状況のため、自国産業の為にもあまり野放図に買っている場合ではなかった。しかし貿易不均衡是正の象徴的意味合いとして、ボーイング社の大型機を中心としてかなり購入した。大きな政府専用機(B-747)が有名だろう。
 そしてより象徴的だったのが、兵器の購入だった。この分野では自国でもある程度自力生産していたし、隣国日本からの購入も多かった。それでも古くからアメリカ製の兵器の購入は多かったので、満州側としても大量購入の心理的ハードルが低い製品だった。しかし満州軍は、1960年代ぐらいからは陸軍の装備の多くは自力生産か日本製だった。アメリカが望んだ戦車や装甲車は自力生産どころか、兵器輸出競争ではアメリカとライバル関係ですらあるので、満州政府も一部の優秀な兵器を除いて買う気は無かった。海軍では、満州の海軍は沿岸警備隊に毛が生えた程度で十分だし、日本からの小型艦船の購入で十分だった。となると、空軍関連しか買うべき商品が無かった。

 そして空軍となると、ソ連と直接対峙するだけあって満州空軍は大きな陣容を誇っていた。しかも可能な限り最新鋭機を揃えなければならないため、十分な規模とは言えない自国企業では全然足りていなかった。このため1960年代ぐらいまでは、日米の飛行機会社の大口顧客となっていた。自国製だと、半ば国策企業となった東洋エアクラフト(旧:東洋飛行機=九州飛行機)で生産する機体を1970年頃から採用するようになっていたが、それもライセンス生産ばかりだった。直輸入も多く、技術的蓄積の少なさ裾野の狭さから、日本製かアメリカ製の機体を採用する事が多かった。特に多くの技術蓄積と開発費用が必要なエンジン開発では、莫大なパテント料を払っても後塵を拝し続けていた。
 第二次世界大戦後だと、「F-86 セイバー」系の戦闘機もしくは「F-104 スターファイター」戦闘機がアメリカからの大量購入の最初と言われるが、その後も「F-4 ファントムII」戦闘機を導入している。「C-130」輸送機など、優れた機体ならば自国製や日本製ではなくアメリカ製を選ぶ事も多かった。満州空軍は、日米の主要航空機輸出市場だった。
 そして1970年代後半から80年代にかけて、満州空軍は大量にアメリカ製の機体を購入またはライセンス生産で導入していった。非常に高価で高性能で知られた「F-15 イーグル」戦闘機の大量導入が有名だが、他にもアメリカ空軍以外で満州空軍だけが導入した「A-10 サンダーボルトII」攻撃機、早期警戒管制機(AWACS)の「E-3C」、「KC-135」空中給油機など、アメリカ空軍に次ぐ勢いで買っていった。しかも購入時期が兵器の正式化から早い上に購入数が多く、アメリカ側が少し売りすぎていると危惧したほどだった。それでいて自国製の機体も順次導入していたので、当時の満州空軍の規模が大きかったからこその購入数だった。
 このため1970年代半ば以後の満州空軍、通称「ドーリットルの息子達」の空軍は、日本空軍を差し置いて西側第三位の規模と戦力を有していた。なお1位がアメリカ空軍で、2位がアメリカ海軍航空隊なので、国家としては2番という事になる。ただし日本軍は、空軍、海軍、戦略空軍を合わせると満州軍を大きく上回るので、3位という順位そのものは国ごとの順位として正しいとも言える。
 なお、1980年代半ばの満州空軍は、約800機程度の第一線機を有していた。
 1990年頃の内訳は以下のようになる。

・主要飛行隊(飛行総軍)
 ・戦闘機:15個飛行隊 ・戦闘攻撃機:5個飛行隊
 ・攻撃機:3個飛行隊 ・対地攻撃機:3個飛行隊
 ・戦術偵察機:2個飛行隊
 ・輸送機:3個飛行隊
 ・空中給油機隊:1個飛行隊
・その他の飛行部隊
 ・救難飛行隊
 ・教育飛行集団 ・教導団 ・実験飛行隊、他
 (高射部隊など地上部隊除く。)

・装備機体
 F-15 イーグル :250(※最終装備数。各タイプ合計)
 78式殲機 紫電 :125
 F-4 ファントムII :125(※近代改修が順次行われていたが、冷戦崩壊後に順次退役)
 76式攻撃機 嵐竜 :75
 A-10 サンダーボルトII :75
 各種戦術偵察機(RF-4など) :30
 E-3C早期警戒管制機 :4(増加予定)

 C-130輸送機 :48
 82式中型輸送機 :32  
 C-5超大型輸送機 :24
 KC-135空中給油機 :12  他
 (※連絡機、救難機、ヘリコプター、各練習機、実験機、試験機など他は割愛)

(※F-4の後継機枠を日満共同で開発中。また「88式殲機 紫電改」を88年から導入開始。西崎飛行機の開発になるが実質的には共同開発で、東洋エアクラフトがライセンス生産。)

 制空戦闘機を中核とした非常に分厚い陣容で、特に国土防衛の為の戦術空軍として特化しているのが特徴だった。
 これだけの戦力が国の北部を中心に展開しているため、ソ連空軍はオホーツク方面の日本軍向けの戦力、シベリア共和国向けの戦力と合わせて、1000機以上の有力な第一線部隊を極東地域に集中的に配備し続けなければならなかった。
 ヨーロッパ正面で劣勢を強いられている西側陣営にとって、満州空軍が強力な陣容を有する事は、非常に有り難い援護射撃となる状態だった。ソ連空軍は、国の東西で戦力分散を余儀なくされいた事になるからだ。
 上記した機体のうち満州製の機体が少ないと思われるが、「F-15 イーグル」のうち初期の150機(「C型」)が購入で、残り100機は東洋エアクラフト、MI(満業)でのライセンス生産となっている。改修型にも当たるため、レーダーなど多くも国産品を乗せているので「F-15DM」と呼ばれる。
 またこの時期になると、日本からの輸入はほとんど無くなっているが、エンジン技術の不足からIHIと共同開発するなどの協力関係は維持されている。「F-15DM」のエンジンも一時は日本企業のIHIが生産したものにしようとしたが、流石にこれは国内からもアメリカからも反発が起きた為、何とか国内でのライセンス生産を間に合わせている。この時期には、満州の企業にも可能になっていたおかげだ。
 「F-4 ファントムII」も、延命処置のための近代改修で一部が独自改良型(EM)となっており、そうした機体改修を独自にできるほど満州の航空産業も発展していた。EM型は、アメリカ空軍同様にワイルド・ウィーゼルタイプで、戦闘機としてよりも攻撃機としての能力を向上していた。
 そして80年代の後半になると、「次期主力戦闘機問題」が満州とアメリカの間で外交問題にまでなってしまう。「F-4」戦闘攻撃機の後継機開発で、アメリカは貿易不均衡の是正の一環と満州への一定の影響力維持を目的に、アメリカの比重が大きい共同開発の戦闘機開発を貿易不均衡是正問題とからめて強引に持ちかけたのだ。これに対して満州は、念願の自力生産に拘った。
 結局アメリカが押し切って「F-16」戦闘機の大幅改修型の「F-16M」となったが、これは満州に強い不満を生むことになり、「78式殲機 紫電」と「F-15」初期型の後継機は全て「紫電改」もしくは開発中の新型機になり、他にも兵器の独自開発が多くなった。満州軍のアメリカ離れも、これを契機として大きくなったと言われる事が多い。

 攻撃機も満州空軍の特徴だった。
 「76式攻撃機 嵐竜」と「A-10 サンダーボルトII」の2機種を有しており、合わせて150機という数も米ソ以外では大きな戦力だった。
 どちらもソ連の機甲部隊を空から吹き飛ばす為の戦力だが、「A-10」はアメリカが自国以外で唯一満州だけに輸出を認めた機体だった。アメリカが輸出に応じたのは、満州がソ連の有力な地上部隊とアメリカ軍抜きで直に向き合うという点と、満州空軍が強力な戦闘機部隊を戦場に集中しやすいという点を考慮したためだ。「A-10」は対空戦闘に全く対応していない為、制空権のない戦場に投入できない機体だからだ。貿易不均衡解消の一環というのは、あくまで表向きとされている。
 「76式攻撃機 嵐竜」は通常の対地攻撃任務とは別に、満州軍全体のドクトリンに従って核兵器運用の目的があった。巡航ミサイルが搭載可能で、これに戦術核もしくは小型の戦略核が搭載可能で、核抑止力の一翼を担うことになっていた。とはいえ専門の核搭載巡航ミサイル運用部隊があるわけではなく、あくまで副次的だった。
 1980年代だと大型の爆撃機は保有していないが、1970年代までは核兵器も搭載可能な重爆撃機として、日本から輸入した「轟山」を保有していた。

 地上配備の防空部隊では、アメリカ製の地対空ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が導入されており、80年代終盤には新たに「パトリオットミサイル」の導入が開始されている。
 地対空ミサイルは、1960年代までは日本製を使っていたが、性能面で日本製では不足するのと、アメリカとの貿易摩擦解消の一環もあり、装備の共通化という名目で導入している。
 広域防空のための地対空ミサイル、全土を隈無く覆うレーダーサイト網、さらには日本、アメリカと共同運用の各種軍事衛星によって、満州の防空網は世界有数の密度と精度、そして戦力を有するようになっていた。国土が固まっているため、防空範囲は日本本土より狭く、非常に効率的な防空体制を敷くことが出来たお陰でもあった。80年代終盤になると、日満で独自開発している地上設置型のフェーズドアレイアンテナ型の広域レーダーの設置も計画されていた。
 なお、空軍の規模に比べて、輸送機部隊が豊富なのも満州空軍の特徴の一つだった。
 輸送機の数が比較的多いのは、海軍が貧弱な満州軍にとっての海外展開の為の移動手段として、1970年代ぐらいから熱心な整備が行われている為だ。アメリカ以外で軍用の超大型長距離輸送機の「C-5 ギャラクシー」を保有するのは、満州空軍だけである。「C-5」の輸出にアメリカ空軍は輸出を躊躇したが、日本メーカーとの満州への輸出競争に勝つ為と、米満友好のためと貿易不均衡解消の象徴の一つとしてアメリカ政府が許可を出していた。
 満州空軍の高い空中輸送・展開能力は、名目は国土防衛用だったが、シベリア共和国の防衛も考えての事だった。さらにはチベットの防衛も考えていた点が、同じラマ教も信仰されていた満州らしいと言える。長距離輸送機はチベットより向こうにも無着陸で赴くことも可能だったが、これは最悪の場合中東や遠くヨーロッパにまで軍を緊急展開できるような体制を、例えブラフであっても保有しようと言う意図があった。
 ただし空中給油機については、本土近辺での長時間哨戒任務や対地攻撃機への補給を考えての事で、遠距離展開に対しては補助的な役割しか充てていない。それでも日本軍との共同訓練では、アジア各地に派遣している。

 「ドーリットルの息子達」の空軍も特徴と言えば特徴ではあるが、満州軍と言えばやはり陸軍になるだろう。
 第二次世界大戦のロシア戦線での活躍によって、日本陸軍を上回るアジア最強の陸軍と世界中から見られていた。インドネシア戦争では満州政府が期待したほど活躍できなかったが、それでも満州陸軍の評価が落ちるほどでもなかった。そして何より満州陸軍の真骨頂は、ソ連極東方面軍の全軍を受け止める事のできる、大規模正面戦闘に特化した世界屈指の重機甲兵団にある。
 第二次世界大戦後の軍縮で12個師団体制に縮小され、その後1960年代半ばまで維持された。それでもほぼ全ての師団が機甲師団か機械化師団で、充足状態の9個師団を北西部のソ連国境に配備していた。重装備陸軍なのは、第二次世界大戦中盤以後と変化無かった。
 1960年頃には、第一次支那紛争での支那共和国の不穏な動きがあるため、国境警備隊が強化された。この時点で満州帝国は、支那共和国を信頼できる味方と考えなくなっていた。そして60年代半ば以後は、ソ連との対立激化に伴う極東ソ連軍の増強、インドネシアへの派兵を受ける形で軍の拡大が続いた。軍の規模はインドネシア派兵が終わっても変わらず、インドネシアから帰ってきた部隊は、再編成の後に再びソ連国境に配備された。
 そして満州帝国自身は、人口と国力双方の大幅な拡大が続いたため、軍の規模拡大とさらなる重装備化、近代化にも十分に対応できた。徴兵制があったので、人口が増えるとそれだけ兵士の数も増えていたし、経済力も高まったので装備を買いそろえる事もできた。
 こうして1970年代半ばには、一カ所に展開する一国の部隊としては西側最強と言われる陸軍の重機甲部隊が、ユーラシア大陸中原大草原の東端に出現する。
 これをソ連は、「タタールの再来」と満州の脅威をプロパガンダした。そこには、第二次世界大戦で培われた友好関係は、もはや見られなくなっていた。70年代からのソ連にとって、満州軍は完全な敵だった。

 満州陸軍の大幅な増勢と拡大は、1980年代前半に一応の完了を見る。そしてそれは、アフガン紛争に喘ぐソ連に大きなプレッシャーを与えることになる。これは、今までソ連が満州を攻める側だったのが、ソ連は事実上の戦略を国土の防衛に切り替えた事でも良く分かる。
 満州帝国陸軍は、それほどのまでに強化されたのだ。

 ・満州帝国陸軍
・軍直轄
  ・第1空挺旅団 ・第10空中騎兵旅団 ・教導機械化旅団 ・第1特戦旅団
  ・第101戦略ロケット旅団 ・首都警備旅団 他
・第1軍(西ハイラル方面軍)
 ・軍直轄部隊(重砲兵旅団、独立戦車旅団 他)
  ・第1重機甲軍団(正黄):第1重機甲師団、第2重機甲師団、第3重機甲師団
  ・第3機甲軍団(正白):第2機甲師団、第18機械化師団
  ・第6軍団(襄紅):第3機械化師団、第6機械化師団
・第3軍(東ハイラル方面軍)
 ・軍直轄部隊(重砲兵旅団、独立戦車旅団 他)
  ・第2機甲軍団(襄黄):第1機甲師団、第7機械化師団
  ・第4機甲軍団(襄白):第3機甲師団、第23機械化師団
  ・第5軍団(正紅):第2機械化師団、第8機械化師団
・第2軍(南西方面軍)
 ・中央方面
  ・第8軍団(襄藍):第4機甲師団、第1師団、第4師団
 ・南西方面(支那方面)
  ・第7軍団(正藍):第3師団、第10師団

 ・部隊総数:
重機甲師団:3 機甲師団:4 機械化師団:7 師団:4
空挺旅団:1 空中騎兵旅団:1 独立戦車旅団:3 教導機械化旅団:1
野戦重砲兵旅団:6 高射砲旅団:4 工兵旅団:4
特殊戦旅団:1 国境警備隊(旅団):8
対戦車ヘリ中隊:16(大隊:5、独立中隊:1)

 以上が大まかな編成と部隊数になるが、戦略単位の基本となる「師団」は18個師団ある上に、1個師団当たりが日本やアメリカと同じかそれ以上の大規模編成なので、全体として非常に規模の大きな陸軍を編成している事になる。
 兵員数も70万人に達しており、西側先進国ではアメリカ陸軍に次ぐ規模となる。しかも空軍10万、海軍1万が含まれるため、兵士の総数では西側第二位とされる日本軍より兵員数は50%近く多い。
 第1軍、第2軍合わせて重装備の13個師団に各種支援部隊を加えた総数は50万人に達し、実質的に満州陸軍の80%以上の戦力が集中されている。この2個軍を指揮する為チチハルに司令部を置く「第1戦域軍」は「ハイラル軍集団」や「ドラゴン・フラッグス」とも呼ばれ、部隊規模、戦力は西欧でソ連軍と対峙するフランス陸軍の全軍を大きく上回っていた。一部に西側でも珍しくなっていた3個師団で1個軍団の編成が見られるが、満州帝国陸軍参謀本部は大規模正面戦闘には必要な場面があると判断していた。
 また、満州陸軍全体では8個軍団が存在しているため、各軍団はそれぞれ清朝時代の「八旗」を、非公式の愛称や旗に使っていた。八旗はイエロー、ホワイト、ディープレッド、インディゴの4色に、それぞれスクウェアかエッジを付ける。そしてこの旗の中央に描かれた竜の意匠から、満州陸軍は「竜旗軍(ドラゴン・フラッグ・アーミー)」とも言われた。(※襄(エッジ)は金辺に襄)
 機甲師団、機械化師団は全部隊が機械化、装甲化されており、多数の装甲車両を有する。また、徴兵制もあるため、兵員も常に充足されている。これに対して師団、つまり歩兵師団は予備部隊的な立ち位置で、平時は部隊の3分の1をスケルトン化して省力化し、兵員数と予算を節約している。砲兵、重砲兵にも違いがあり、機械化部隊は重砲が自走砲で、重迫撃砲も装甲車に搭載されたタイプを運用する。これに対して一般師団は、砲兵は車両牽引しか有していない。またロケット砲兵も同様で、一般師団は旧式の無誘導ロケットランチャーだったが、機甲部隊は最低でも1個中隊がMLRS(多連装ロケットシステム)を装備していた。また重砲兵旅団、重機甲師団のロケット大隊は、1980年代のうちに全てがMLRS化されていた。
 なおMLRSは、ソ連の無尽蔵の機甲部隊を撃破するためアメリカが開発を始めた革新的な対地攻撃用のロケット兵器だが、途中から西欧諸国と日本、そして満州も開発に加わり、特に満州は積極的に開発に関わっていた。

 また一方では、第1空挺旅団、第10空中騎兵旅団、教導機械化旅団、第1特戦旅団、第101戦略ロケット旅団などと特殊な編成も多いが、これも陸軍国家ならではと言える。教導機械化旅団は完全に独立しており、首都近くに駐留している事もあって、首都警備旅団と合わせて首都警備部隊とされている。首都警備旅団は、主にカウンターテロを目的とした都市型の軽装備部隊で、首都を中心として満州の主要都市に展開していた。このため満州は、冷戦時代からテロに強い国としても知られていた。
 第101戦略ロケット旅団は、重砲ではなく各種弾道弾を保有する核兵器運用部隊で、編成上は陸軍に属しているが軍直轄部隊である。このため戦略の文字を冠している。
 第1空挺旅団、第10空中騎兵旅団、第1特戦旅団は、全てが空挺機動可能な事もあって、合わせて師団級の戦略単位として扱われる事もある。空挺旅団はパラシュート降下部隊、空中騎兵旅団はヘリコプター強襲部隊、特戦旅団は全軍の精兵を集めた少数精鋭の特殊戦部隊になる。特戦旅団(SCB)は、戦場での特殊戦闘活動を任務の中核としており、浸透作戦や書類仕事を含めた諸々の特殊部隊任務は軍直轄の情報組織が担当している。このため一般人が思い浮かべる、隠密戦闘に特化した特殊部隊に近いと言える。
 なお第一特戦旅団は、日本陸軍の特殊戦部隊(=機動連隊)を大元としつつ、早くは第二次世界大戦中に原形となる部隊が編成された。その後はもとは国境警備の精鋭を集めて規模を拡大し、その後世界各地の戦場へと送り込まれるようになっている。「イエローベレー」としてその名を知られており、インドネシア戦争など満州軍が関わった戦場に派遣されている。彼らが被る派手な色彩のイエローベレーは、皇帝の色である黄色つまり近衛の証であると同時に、派手な色の帽子を被っていても任務が遂行できるという自信の証でもあった。

 陸軍全体としての欠点は、アメリカ陸軍ほどの後方支援体制を持たない点になるが、基本的に国土防衛もしくは近隣諸国の防衛を主任務としているので大きな問題はない。それに主戦場となるであろうハイラル方面には、全面核戦争や戦術核の使用を想定した様々な基地や陣地に豊富な備蓄物資も蓄えられていた。
 しかも有事になると、12万人の即応予備役、20万人の予備役が段階に応じて召集され、後方支援や国境や国内警備に配備される。さらに総力戦の場合は、後方警備用にさらに多くの予備役兵を動員することも計画されていた。また、国外派遣能力は空軍輸送機部隊に頼っているため、重装備部隊の移動を不得意としているが、これはアメリカ以外のほぼ全ての国に言えるので、特に欠点とは言えないだろう。その代わりに、国内には高速道路網が張り巡らされ、民間輸送力の動員も戦時計画には含まれていた。ソ連地上軍の全軍が攻めても、大興安嶺山脈突破は不可能と言われていた。
 部隊編成で特徴的なのは、やはり重機甲師団になるだろう。これはある種名誉称号ではあるのだが、精鋭部隊の証であり最優先で最新装備、強力な装備を有している。しかも満州陸軍の場合は、部隊編成自体も大きい。通常の機甲師団は戦車連隊3個(9個大隊基幹)、機械化歩兵連隊1個(3個大隊基幹)を中核として編成されるが、機械化歩兵連隊が2個と一つ多く、軍団直轄が有する様な多連装ロケット大隊を有する(※通常は中隊程度)。部隊規模は、ソ連など東側編成だと小さな軍団ほどもあり、満州陸軍はこの部隊を集中運用して反撃や機動防御戦に投入する予定でいた。
 しかも満州帝国の戦車部隊は規模が大きく、連隊=大隊=中隊の編成を取っている。小隊が4両、中隊が4×3+2=14両、大隊が中隊×4=54両になる。そして戦車連隊の車両数が「54×3+4(本部)=166両」にもなる。機甲師団は連隊を3個有する上に、装甲騎兵連隊も戦車中隊を有するので、合計516両の戦車が所属している。まさに、ソ連陸軍との正面からの殴り合い以外考えていないと言えるだろう。
 重機甲師団の編成は大きく以下のようになる。

・第1重機甲師団
 ・師団司令部 ・司令部中隊
 ・第1011戦車連隊(戦車大隊:3、機械化砲兵大隊:1)
 ・第1012戦車連隊(戦車大隊:3、機械化砲兵大隊:1)
 ・第1013戦車連隊(戦車大隊:3、機械化砲兵大隊:1)
 ・第36機甲歩兵連隊(機甲歩兵大隊3、機械化砲兵大隊:1、他)
 ・第78機甲歩兵連隊(機甲歩兵大隊3、機械化砲兵大隊:1、他)
 ・第1011機械化砲兵連隊(機械化砲兵大隊:2、機械化重砲兵大隊:1、ロケット大隊:1)
 ・第1装甲騎兵大隊(戦車中隊:1、装甲車中隊:2、オートバイ中隊:1)
 ・第1011機械化工兵大隊(自走架橋、装甲回収車、装甲工作車両など各種装備)
 ・第1011機械化高射砲大隊(対空戦車:36両、短SAM装甲車:24両)
 ・第1011ヘリ中隊(偵察ヘリ:8、攻撃ヘリ:4、多目的ヘリ:6)
 ・支援連隊(整備、輸送、衛生、他)
 ・通信大隊、NBC大隊、憲兵中隊、他

 見て分かるとおり大規模な編成を有しており、師団の兵員数は定数で25000名にもなる。
 弱点は航空戦力と言われるが、中隊以上の戦闘ヘリ部隊などは軍全体で集中運用を前提として別組織で存在している。1個師団だけで分派される時には、適当な支援部隊を付ける事になっていた。
 連隊ごとに大隊砲兵を有するのは、この時代ではソ連軍など東側の陸軍と似ている。だが、連隊砲兵の主装備がやや旧式化していた105mm自走榴弾砲のため、1980年代だと火力不足が指摘されていた。このため近代化が急ぎ行われていたが、結局冷戦崩壊までに間に合わなかった。
 とはいえ師団の中核は、やはり戦車だった。


●フェイズ122「満州帝国軍(2)と周辺国」