●フェイズ123「1980年代の日本軍(1)」

 1980年代の日本は復活期にあった。もしくは、近代化以後の三度目の隆盛期にあった。
 1970年代前半の苦境から大きな変革を自ら実施して、血と膿の両方を絞り出した上で刷新と改革を実現した。そして改革が人々の目の前に明確に見えるようになっていた時期が、1980年代だった。1980年前後から以後約四半世紀を、日本の高度経済成長期という経済学者や専門家も少なくない。
 そして1980年半ば頃からは、1975年に一旦は大幅に軍縮された日本軍の復活期であり90年前後は最盛期ともなった。このため74年の改革解放は、日本軍視点で見ると単にスクラップ&ビルドしただけと言われることもある。
 なお、改革によって70年代半ば以降に国民所得が大きく向上を始め、追って税収も伸びていった。このため75年から抑えられるようになった軍事費でも、80年には10年ほど前よりもずっと多い額の予算を獲得できるようになっていた。おかげで、軍および軍関係者の心配に反して、80年代に入ると軍の再建と言える拡大は順調に推移していくようになる。
 そして75年の大規模な軍縮だが、無駄な軍事力の整理と近代化という点で良性に働いていた。スクラップ&ビルドと言われる所以もここにある。
 そしてまた軍事費が経済の負担となる前に冷戦構造が崩壊して軍縮に進んでいく為、1980年代終盤から90年代序盤は、第二次世界大戦後の日本軍が最も充実した装備と編成を持った時期になる。

 日本での1980年代の軍拡は、久しぶりの民主党政権である中曽根政権が成立した事が追い風になったと言われる。
 中曽根政権は「日本列島不沈空母」と「新八八艦隊」をかかげて、自由主義陣営のアメリカの盟友として軍拡に邁進していった。
 だが、日本での軍拡の再始動は、土建業から始まったと言われる事がある。
 日本全土で核シェルターの建設が熱心に行われるようになったのが、1970年代に入ってからだったからだ。
 核シェルターの必要性が注目されたのは、世界が破滅寸前までいったとされる1962年の「キューバ危機」においてだった。
 この事件で核兵器と全面核戦争の脅威が認識されたため、アメリカ、ソ連そして主に西ヨーロッパ諸国で核シェルターの建設が熱心に行われるようになる。スイスや北欧スカンディナビア諸国で、全国民を収容できる核シェルターの建設が開始されたのも、キューバ危機が実質的な発端となっている。
 そうした中で、日本の核シェルター建設は他国に比べて遅れていた。理由は単純で、社会資本の建設がまだまだ先進国に及んでいない日本では、核シェルターより作るものがあったし、資金面でも十分な核シェルターを作るだけのゆとりがなかったからだ。
 流石に政府、軍の一部設備では核シェルター建設が行われたし、軍の核兵器対策は進められた。しかし一般の核シェルター建設は遅々として進まなかった。
 それが転換したのが、1970年代半ばの大規模な改革によってだった。今まで日本の社会をがんじがらめにしていた、旧態依然としていた規制や既得権益の多くが吹き飛ばされ、また政府が公共施設建設時の核シェルター建設の推進を決め、地方自治体と民間に対しても重構造の建造物(大型マンションや商業施設)を造る際に助成金を出して、核シェルターの建設を促した。合わせて全面核戦争への対応として、国民の避難訓練も今までより熱心に行われるようになった。これは政府にとって、経済再建のための土建業の発展を促すための方便の一つだったのだが、これが大きくヒットした。

 地方自治体と土建業者は、助成金欲しさに競って核シェルター付きの建造物を建設するようになり、巨大団地(ニュータウン)が建設される際などは、公共区画に大規模な設備が作られたりもした。しかも核シェルターは重構造なので、品質の高い建設用鉄鋼、コンクリートが必要となるため、他産業への波及も通常より大きくなった。
 こうして大規模マンションといえば、一緒に建設された広場や公園、地下駐車場に隣接して核シェルターがあるのが一般的風景となっている。
 また日本と他国の違いとして、日本の場合は地震など大規模な天災の際の避難施設としても使えるようにしている場合が多かった。これも合わせて政府から補助金が出ていたからだが、企業の場合は消費者への利益還元や社会貢献という向きから、自主的に行っている場合もあった。
 政府、地方自治体での建設だと、大規模建造物、地下施設、地下鉄、トンネル工事とのセットが基本だった。新規の地下鉄も、あえて深めの深度に作られたりした。地下鉄、地下道などでも、構造物全体を避難場所として活用できるように深めに作る事が多かったり、水害対策と兼用の扉も頑丈に作られるのが一般的だった。
 政府、軍の施設の一部には、民間も使える施設が作られ、中にはまるで秘密基地のような施設もあった。皇居や国会議事堂、首相官邸、軍の司令部などの地下は接続され、周辺一帯が迷宮のような地下要塞になっているとも言われた(※一部は事実と言われる)。大阪の公官庁街も同様の状態にあったという。また、山間部のトンネル脇にシェルターが作られた例も見られたが、山間部のシェルターは攻撃された時に入り口や排気口が山崩れで埋もれる危険もあるため、盛んだったわけではない。それに人口希薄地域に作ってもあまり意味が無かったので、核シェルターと言えば都市や住宅地にあるのが一般的光景だった。
 核シェルターの建設は、日本での社会資本建設の加速、住宅建設の拡大に伴って拡大していき、80年代終盤にピークを迎える。その後、全面核戦争の脅威が大きく低下したとして、核シェルターの補助金制度が廃止されても、災害避難所の分が残った為、他国と違ってその後も建設や整備が一定程度続けられたのも特徴の一つだろう。
 しかし日本の人口が多すぎるため、どれだけ作っても全国民を収容できる施設を作ることは難しく、最盛時でも50%を越えることは無かった。このためか個人で核シェルターを作る場合も少なくなく、土地のある農村や郊外地域では避難所レベルの核シェルター建設が盛んに行われている。そうした核シェルターは、単に小さな丘に洞穴を掘っただけのような簡素なものも多かったが、逆に頑丈に作りすぎて建て替えの際の解体が非常に面倒になるといった弊害も発生した。さらには建て替えの際に、密度の高い鉄筋コンクリートなど、より多くの産業廃棄物を出すことにもなっている。

 日本国内で核シェルターへの関心が高かったように、日本本土が戦争に巻き込まれるとしたら核攻撃以外にないと考えられていた。そうした考えが強いように、日本を守る日本軍は外征軍だった。
 国内での日本軍は、日本人のほとんどにとって、災害救助以外だと避難訓練や政府の一部行事や軍が行う催しで見かける程度だった。他に、兵器や戦争の博物館、記念艦の保存など、国が支援金を出してまでして維持されていたし、三菱、中島などは自社の兵器を展示する博物館も持っていたが、逆に言えばその程度だった。在郷軍人会の影響力は農村を中心に根強く残っていたが、それも時代の流れと共に徐々に薄れつつあった。1980年代は、近代日本軍が作られてから一世紀以上経った時代でもあったからだ。
 その日本軍の仮想敵とされるソ連軍と本土近辺で直接睨み合うのは、オホーツク海方面だけ。同方面には、空軍部隊や国境の島、重要拠点の防衛のために部隊が配備されていたが、オホーツク海方面は冬の気候が厳しく人口密度が非常に低いため、国民の目に触れることはほとんど無かった。
 国内に軍事基地は多数あったが、海外展開する部隊の為にある施設も少なくないため、半ば蛻の殻という場合もあった。
 海外展開するのは陸海空・戦略空軍の全てで、多くが地中海方面に展開していた。それ以外だと、シベリア共和国に若干駐留し、インド洋のディエゴガルシア基地にも、補給部隊など支援部隊が多数駐留した。移動手段の発展にともなってシンガポールの基地は返還されたが、インドネシアの共産主義者を監視するため、スマトラ島に偵察機部隊の基地が置かれていた。
 海軍などは、実戦部隊の3分の1程度は、常に洋上か海外に展開していた。戦略空軍は、辺鄙な場所に基地があるので、国民は国内に基地があることすら知らない場合があった。
 国内待機部隊のうち、地中海に展開する部隊と同じ数が、主に交代用として待機状態で置かれていた。また、近在の満州や支那地域で有事が発生した場合に備えて、即時移動可能な部隊も日本本土に配備されていた。
 1980年代の軍拡が形になった1990年頃の大まかな装備や編成は以下のようになる。
 
 ●日本軍(総数:55万人・即応予備役11万5000人)
  :1986年基準(1990年次編成)
・陸  軍:26万人(即応予備役8万人)
・海  軍:16万人(即応予備役2万人)
・空  軍:10万人(即応予備役1万人)
・戦略空軍:3万人(即応予備役5000人)

●陸軍:
 ・直轄・他(憲兵隊、教育隊、実験隊など)
  ・第一弾道弾旅団、第二弾道弾旅団
  ・第一空挺旅団 ・第十一空中突撃旅団
  ・教導団(機械化教導旅団)
  ・特戦旅団(特殊部隊)
  ・対戦車ヘリ大隊×1
  ・ヘリ輸送旅団  他

 ・北部方面軍(北海道、南樺太、千島)
  ・第七機甲師団 ・第九機械化師団
  ・第十一混成旅団(千島)
  ・重砲兵旅団×1、独立戦車連隊×1、対戦車ヘリ大隊×1 他
 ・東部方面軍(関東、東北、東海)
  ・第一機甲師団 ・第二機械化師団 他
  ・第一師団
 ・西部方面軍(近畿、中国四国、九州)
  ・第三機甲師団 ・第五機械化師団 他
  ・第四師団
 ・南部方面軍(台湾、沖縄、南洋諸島)
  ・第六師団 他
 ・欧州方面軍
  ・第二機甲師団 ・第八機械化師団
  ・重砲兵旅団×1、独立戦車連隊×1、対戦車ヘリ大隊×1 他

 ・機甲師団(Armd Div):3個(各機械化歩兵大隊:3、戦車連隊(大隊×2):3、砲兵大隊:6、機械化捜索大隊:1、機械化高射砲大隊:1、ヘリ中隊×1、他)
 ・機械化歩兵師団(Mech Div):4個(各機械化歩兵大隊:9、戦車連隊(中隊×4):1、砲兵大隊:6、機械化捜索大隊:1、機械化高射砲大隊:1、ヘリ中隊×1、他)
 ・歩兵師団(Inf Div):4個(各歩兵大隊:9、戦車大隊:1、砲兵大隊:3、他)
 ・混成旅団(Inf Brg):1個(歩兵大隊:3、戦車大隊:1、砲兵大隊:1、他)
 ・空挺旅団:1個(※パラシュート降下旅団(空挺歩兵大隊:4、砲兵大隊:1基幹))
 ・空中突撃旅団:1個(※ヘリコプター強襲旅団(空挺歩兵大隊:4、砲兵大隊:1基幹))
 ・機械化教導旅団:1個(機械化歩兵大隊:1、歩兵大隊:2、戦車連隊(中隊×4)×1、砲兵大隊:1、機械化捜索中隊:1、他)

 ・重砲兵旅団:3個(各重砲兵大隊×3〜4、ロケット砲兵大隊:1)
 ・独立戦車連隊:2個
 他多数
 ・特戦旅団(歩兵大隊:2基幹)(特殊戦部隊)
 ・対戦車ヘリ大隊:3(3個中隊編成:1中隊=戦闘ヘリ16、斥候ヘリ4)
 ・輸送旅団(大型ヘリ輸送機隊):3
 ・高射旅団:5
 ・飛行旅団:5
 ・偵察隊、救難隊、他

 ※内地限定配備の歩兵師団4個は、有事に予備役召集で兵員を充足。師団の3分の1を士官のみのスケルトン編成。

●空軍:
 ・直轄:
 ・戦闘機:9個飛行隊 ・戦闘攻撃機:8個飛行隊
 ・攻撃機:4個飛行隊 
 ・戦術偵察機:2個飛行隊 ・警戒機:2飛行隊
 ・輸送機:5個飛行隊+戦略輸送航空団
 ・空中給油機隊:2個飛行隊
 ・航空救難旅団、実験団、他

 ・高射砲大隊   :11
  (北海道・樺太:3、本土5、台湾:1、欧州:2)

 西崎 88式戦闘機 紫電改:50(増勢中)
 中島 83式戦闘攻撃機 疾風:75(増勢中)
 西崎 78式戦闘機 紫電:175
 F-4 ファントムII改:125
 中島 76式攻撃機 嵐竜:100
 各種戦術偵察機(RF-4など):36
 電子作戦機(各種合計):14
 情報収集機(各種合計):22
 西崎 85式空中警戒管制機:8

 86式空中給油機(84式中型輸送機の空中給油機型):16
 三一式空中給油機(民間機改造型):24
 C-130輸送機:40 
 三菱 84式中型輸送機:64
 西崎 76式大型輸送機:36 
 他の輸送機:24

 他、救難機、練習機、仮想敵機、連絡機、実験機、ヘリ部隊は割愛。

●戦略空軍:
 三菱 85式戦略攻撃機 剣山 :12(+予備機若干)
 三菱 一五式戦略攻撃機 轟山 :80(+予備機若干)
 中島 三二式攻撃機 北斗 :20(+予備機若干)
 中島 76式司令部偵察機 景雲改 :12(+予備機若干)
 轟山・空中給油機型 :8

 他、連絡機、実験機、空中給油機など

●海軍(各部隊):
 ・直轄:
 ・第一艦隊(西太平洋) ・第二艦隊(地中海) ・第三艦隊(インド洋)
 ・第四艦隊(沿岸艦隊)
 ・潜水艦隊
 ・水陸両用艦隊 
 ・練習艦隊
 ・(海軍)航空隊
 (・沿岸警備隊)

 ・主要艦艇:
 戦略原子力潜水艦(SSBN):9(薩摩型:3、長門型:6)
 攻撃型原子力潜水艦(SSN):26(瑞穂型:6、高千穂型:16、吾妻型:4)
 攻撃型潜水艦(SS):6(朝潮型)
 大型空母(CV):4+1(蒼龍、飛龍、鳳翔、翔鶴、+《白龍》)
 支援空母(CVL):4(天城、葛城、白根、鞍馬)
 イージス巡洋艦(CG):4(金剛、比叡、榛名、霧島)
 原子力ミサイル巡洋艦(CGN):2(夕張、大淀)
 打撃巡洋艦(CCA):2(大井、北上)
 ミサイル巡洋艦(CG):4(青葉、衣笠、加古、古鷹)
 防空駆逐艦(DDG):20(睦月型:14、天津風型:6)
 汎用駆逐艦(DD):20(初雪型:12、朝霧型:8)
 海防艦(フリゲート)(FF):18(旧式艦転用)
 哨戒艇:6(北方用)
 掃海母艦:1  掃海艇:16
 (※沿岸警備隊の巡視船、巡視艇は割愛。)

 通信指揮艦:1(大鷹)
 練習空母:1(雲龍)
 練習艦:2(香取、鹿島)
 潜水艦母艦、潜水救難母艦、ミサイル追跡艦、情報収集艦、音響測定艦、海洋観測艦、敷設艦、砕氷艦、訓練支援艦、試験艦、など他多数

 大型高速支援艦:2(速吸、神威)
 大型補給艦:6  給兵艦(弾薬補給艦):2
 大型給油艦:4  小型補給艦:3

  ・揚陸艦艇(水陸両用艦隊):
 強襲揚陸艦:3  ドック型揚陸艦:5
 大型戦車揚陸艦:8  大型兵員輸送艦(給兵艦):12
 貨物輸送艦:8  弾薬運搬艦:6
 ※強襲揚陸艦、ドック型揚陸艦以外のほとんどは、事前集積任務用。

  ・海軍陸戦隊:
 第一特別陸戦旅団(歩兵3個大隊、砲兵1個大隊、装甲車1個大隊(戦車隊含む)、基幹)
 長距離偵察隊(旅団編成の特殊戦部隊)

  ・海軍航空隊
 空母航空団(各3個飛行隊):4(固定翼機中心。各約70機)
 支援航空隊:4(垂直離着陸機、ヘリ中心。各約30機)
 揚陸飛行隊:3(ヘリ中心。各約30機)
 対潜航空隊:4(各中型の対潜哨戒機:20機)
 対潜航空隊:2(各ヘリ:20機)
 他、救難飛行隊など

  ・(海軍航空隊運用機種)
 戦闘機  :三菱 82式艦上戦闘機 旋風
 攻撃機  :愛知 三〇式艦上攻撃機 天狼
 垂直離着陸機:AV-8B ハリアーII
 警戒管制機 :A-E2 ホークアイ
 対潜哨戒機 :川西 二五式対潜哨戒機 蒼海改
 
 飛行艇、輸送機、艦載型小型輸送機、練習機、仮想敵機、連絡機、救難機、
 対潜ヘリ、掃海ヘリ、輸送ヘリ、攻撃ヘリ などは割愛。ヘリは70%以上が川崎(西崎)など国産。

 ※大型空母、新世代の防空巡洋艦などが整備中。
 ※戦略原子力潜水艦は次世代型に更新中。
 ※戦艦の近代改装が進行中。
 ※別組織として、海上保安隊(海上警察)がある。

●核戦力
 日本の核戦力は軍令参謀本部直轄で、運用は戦略空軍の機体と海軍のSSBN(戦略原子力潜水艦)、一部の巡航ミサイル搭載兵器、艦艇に限定されている。
 1975年までは、地上配備の大陸間弾道弾(ICBM)、中距離弾道弾(IRBM)、準中距離弾道弾(MRBM)も装備していたが、75年の軍縮でICBMは全廃。IRBM、MRBMも核弾頭装備は全廃し、さらに旧式化に伴い順次削減。戦略核戦力は、潜水艦発射弾道弾(SLBM)を搭載するSSBNと巡航ミサイル(ALCM)搭載の重爆撃機、艦艇に集約された。
 核弾頭数は、抑止力としてソ連の10%を目標としており、1975年までは各種合計で3000発を保有していた。その後ソ連が異常なほどの核軍備の増強(※最盛時6万発)を行った事と、日本は75年の軍縮と軍の統廃合により大幅に減少。兵器技術の進歩に伴う生残性と命中率向上が主な理由だが、1980年代で各種合計で最低でも2000発を保有していた。だがこの数字は、これは戦略型の大型弾頭のみの数字と言われる。
 当時は、弾頭の80%以上が威力の大きい戦略核弾頭つまり水爆と見られており、残りが戦術攻撃に使う原爆弾頭になる。命中精度の向上に伴い威力は低下していたので、80年代には戦略型で爆発威力200〜300キロトン程度の弾頭が主力となりつつある。弾頭の小型化によって、多弾頭型の弾頭数も大きく増やすことができた。逆に、維持が面倒なメガトン級の大型弾頭は、抑止力としての最低限の保持以外はほとんど姿を消していた。各軍に配備されている戦術核は、5〜10キロトン程度が主力になる。それでも米ソほど多彩な核弾頭は保有していない。
 日本のSSBNは、基本的に聖域化されている日本海(特に日本本土寄りの海域)に、護衛の潜水艦と共に任務に従事している。特に弾道弾の射程距離が大きく伸びて命中精度が向上した70年代半ば以後は、日本海の配備が固定化した。このため日本海に面する舞鶴軍港(警備府)がSSBNの母港化され、人目に付かない舞鶴の新区画に専用の停泊施設がある。また大湊軍港(警備府)にも、SSBNの副施設が存在する。当然だが、どちらも陸戦隊の精鋭部隊によって厳重に警備されており、一般人が許可なく敷地内に立ち入ることはできない。

 巡航ミサイルを搭載するSSN(攻撃型原子力潜水艦)と水上艦の一部、大型空母の一部艦載機にも核兵器が搭載可能だが、装備、配備についての情報は非公開とされている。
 以前は、大陸弾道弾以外にも中距離弾道弾、準中距離弾道弾も保有していたが、75年の軍縮と高性能巡航ミサイルの配備に伴い核弾頭搭載型は廃止されている。
 戦略空軍が運用するミサイルは、基本的に空中発射型の巡航ミサイルで、1970年代後半からALCM(空対地巡航ミサイル)化をさらに進めている。ALCMの一斉発射は、冷戦時代のソ連にとって非常に大きな脅威とされていた。
 初期型は全て単弾頭だったが、1970年代には米ソ同様にMIRV(多弾頭弾)型のSLBM(潜水艦発射弾道弾)を装備するため、弾頭数は米ソに次ぐ数を装備している。
 日本の核軍備の特徴は、戦略爆撃機とSLBM以外の核兵器のかなりが戦術核だが、地上発射型の核兵器を装備していない点にある。そして陸軍、空軍からは、核兵器が取り上げられた形になっている。
 核搭載ミサイルは重要な国防に関わるため、できる限り国産が目指されており、日本の場合は巡航ミサイル先進国としても知られている。80年代でもアメリカのトマホーク巡航ミサイルに匹敵する「82式巡航ミサイル(雷切(ライキリ))」(Type-82 CM (RAIKIRI))を装備する。
 SLBMについては、国産ではやや抑止力に不安があるため、アメリカのトライデントミサイルを導入するかで1980年代は議論が重ねられていた。

 日本軍全体の中で、イタリアを中心とした地中海に大規模な駐留軍を置いており、ソ連及び東側陣営への抑止力の役割を果たしている。しかし日本本土から遠く離れているため、独自行動も可能な統合司令部が設置され、4軍が指揮下に置かれている。

 ※遣欧軍(欧州駐留軍)(統合司令部:ローマ)
 ・陸軍:欧州方面軍(ベローナ)
 機甲師団×1、機械化歩兵師団×1、重砲兵旅団×1、独立戦車連隊×1、対戦車ヘリ大隊×1
 高射旅団×1、飛行旅団×1 他

 ・海軍:遣欧艦隊(ツーロン)
 旗艦:通信指揮艦《大鷹》
 空母機動部隊(CV:1、CVL:1、CG:2、DDG:4、DD:3 SSN:2 AOE:1 艦載機:約100機)

 ・空軍:欧州航空軍
   第2航空団飛行群(リボルノ)
  西崎 88式戦闘機 紫電改:25
  西崎 78式戦闘機 紫電 :25 ※改変予定
   第3航空団飛行群(シチリア島)
  中島 83式戦闘攻撃機 疾風:50
  西崎 85式空中警戒管制機:4
  他、輸送機、連絡ヘリなど
 ・高射砲大隊:2

 ・戦略空軍(シチリア島)
  三菱 一五式戦略攻撃機 轟山 :20(18+2)
  中島 76式司令部偵察機 景雲 :4

 以上、あくまで大まかな編成や数、兵器をまず見てもらったが、非常に多彩な兵器を有しているのが分かる。兵器の種類の豊富さは米ソに次いでおり、国産兵器の多さが目立つのも特徴になる。日本が国産兵器を使わない場合は、主にアメリカ軍の兵器が日本製よりも優れているか、日本にはない場合に限られている。しかし、高度化、高性能化に伴う兵器開発コストの上昇から、年々日本の国産兵器の比率は下がっており、NATO規格などの名目で主にアメリカ製兵器、装備の導入が進んでいるのが実状となっている。
 この点に70年代後半以後の満州のような貿易摩擦は、80年代の日本はほとんど無縁であり、兵器導入に関するそうした噂は悪意によるものでしかない。
 しかし、アメリカからの導入は特に航空機関連で顕著で、日本の航空機メーカーはアメリカよりも早く企業の規模縮小や吸収合併が進んでいる。中には、軍需から手を引いた企業もある。1976年に川西飛行機と川崎重工の飛行機部門が、発展的に合併して西崎飛行機になったのが有名だろう。また愛知飛行機は、70年代半ばの軍縮に耐えられず他社に事実上吸収合併されている。しかしこの愛知の合併には一悶着あり、最初は順当に三菱が吸収合併すると見られていた。だが愛知は、中島から可変翼機の技術を買い入れるなど、戦後は航空機専門メーカー同士という事で中島との関係も深めていた。そこに長年の三菱優位の関係、さらに三菱の権高な合併交渉に嫌気がさして、中島飛行機の傘下に収まっている。
 その中島飛行機は、他にも立川飛行機を合併しており、1980年代には日本の大規模な飛行機メーカーは三菱、中島(中島・愛知・立川)、西崎(旧川崎、川西)だけになっている。しかも3社のうち三菱、中島は軍用機中心のため、アメリカほど国内軍需がないので経営に不安を抱えていた。このため中島飛行機は、徐々に他業種に手を広げて総合メーカーとしての事業拡大を進めていたほどだ。
 この時期の西崎だけが、民間用の旅客機、貨物機メーカーとしてアメリカのボーイング社に並ぶほどの世界的な成功を納めつつあり、日本の航空業界にとっては明るい話題となっていた。しかし西崎の成功は三菱との国内競争に勝利した上でもあるため、西崎と三菱の対立とも言えない関係は一層悪化もしていた。
 陸軍と海軍の兵器、装備のほとんどは国産だが、日本全体で火砲、銃器の開発の苦手が克服しきれていないため、欧米からの導入、ライセンス生産が多い状態が続いている。特に銃器は、国産は他国に一段劣るものが多かった。またミサイル兵器の開発では、年々アメリカとの差を開けられており、ソ連に対向するためアメリカからの導入が進んでいる。電子装備の一部も同様だ。特にシステマティックな兵器開発はアメリカが最も得意とするため、アメリカから導入する流れが徐々に一般化しつつある。
 それでも長年兵器開発に大きな力を割いてきていたおかげもあり、アメリカ製兵器導入に際してもアメリカとの共同開発や技術提供も行われているので、アメリカへの一方的な依存にはなっていない。
 アメリカも日本抜きの世界の軍事的な覇権維持、西側全体の防衛体制の維持はもはやあり得ないので、日本の意向を尊重する向きが強い。


●フェイズ124「1980年代の日本軍(2)」