●フェイズ133「欧州の海軍事情」

 キューバ危機、インドネシア戦争を経た後の世界は、海軍力の整備で変化が見られるようになっていた。
 東側はソ連がほぼ単独なのに対して、西側はアメリカを中心に日本、西欧諸国が連なっているのだから、国力の差からソ連が不利になるのは自明の理だった。
 いかにソ連が軍事費を投じようとも、陸海空軍そして核戦力の全てで西側と対抗するのは難しかった。このためソ連は、贅沢で必ずしも必要ではない面を削った。その筆頭が、海軍の大型水上艦艇だった。1960年代になると戦艦、空母の稼働率は大きく落とされ、半数以上が事実上の予備役とされた。
 一方では、有力な洋上戦力が西側に大きな脅威を与えているのも確かなので、空母の方は最低限維持し、さらにはアメリカに対抗するという政治目的もあるので新規艦艇の開発、建造も可能な限り行われた。
 しかしソ連の大型艦整備には困難が伴っていた。

 ソ連の大型艦は、ドイツにある建造施設で半数以上が建造された。特に超大型艦は、ドイツの負担で無理矢理施設を作らせたので、ソ連国内での建造は事実上不可能だった。そしてドイツが独立復帰するまでは、ソ連がドイツの施設と資金を好き勝手に出来たが、再独立させて以後は流石にそうもいかなくなった。何かとドイツに気を遣わなくてはならなくなり、少なくともドイツ人の金で贅沢な艦艇を作ることはできなくなった。1955年以後に、ソ連で新規の大型艦艇の建造が低調になった最大の理由は、ドイツの金を自由に使えなくなったからなのは間違いない。
 また超大型艦の多数整備は、ソ連に大きな負担をもたらした。
 ドイツの施設を一部使えるが、主にソ連国内にもドック、岸壁、桟橋など多種多様な整備施設を作らなくてはならなくなったからだ。このためアルハンゲリスクには、330mの巨大戦艦が入れる巨大ドックが苦労して建設されたりしている。
 一方で、ドイツの旧ヴェルヘルムス・ハーフェンであるコモソモリスク・ポールトは、イギリスなどに脅威を与えるソ連海軍の拠点ではあるも、北海の奥という旧ドイツ時代と同じ不利な位置にあるため、かけた経費ほど西側諸国に脅威を与えてはいなかった。ブリテン島という不沈空母が健在な限り、脅し以外で戦略的価値は限られていたからだ。
 このためソ連海軍の主力は、結局白海かバレンツ海の冷たい北極の海に置かれていた。そして寒い環境は、艦の老朽化、劣化が早く、ただでさえ低いソ連の艦艇保持能力に悪影響を与えていた。

 1970年代になると、ソ連海軍は1950年代に建造した空母《キエフ》、空母《ミンスク》の大規模近代改装を実施。ようやく蒸気カタパルトの実用化に成功して、西側陣営に大きな脅威を与えた。
 しかし、その当時から蒸気カタパルトの能力には疑問が持たれていた。運用している機体の搭載状態が、軽量な場合が多いことが分かっていたからだ。実際、蒸気カタパルトの能力は日米の空母に比べて推定で最大80%程度しかなく、大型機をフル装備で出撃させる事は不可能だった。畜圧能力にも問題があり、連続発射能力も低かった。さらに、改装から5年もすると稼働率のさらなる低下や故障が多くなっていた。
 そして何より問題だったのが艦載機だった。
 ソ連は空母専用の艦載機を開発・製造した経験がなく、最初に建造したときも空軍の機体を若干改造したタイプを運用した。しかしそれでは能力不足で、スターリンの期待とは裏腹に西側の空母に全く対抗できなかった。このため、一時期はヘリを運用する対潜空母のような役割にすら落ちていた。
 しかしカタパルト開発のある程度の成功によって、かなり重い機体も運用できるようにはなった。だが機体そのものは、空母の建造に間に合わなかった。開発は行われたのだが、様々な要因が影響して成功しなかったのだ。
 このため既存の空軍機からの改修を図る。
 1950年代は「Mig-19」を改造した「Mig-19M」を配備した。
 同機体は元の機体から機体強度を高め、車輪数を増やして着陸脚を強化し、格納庫に多数搭載できるように主翼を畳めるようにした。
 しかし機体に無理がかかりすぎて、性能はかなり低下してしまった。しかも空母艦載機としては行動半径が小さいため、機動部隊としての能力を発揮させられるほどではなかった。
 また攻撃機は、空母に乗せられる機体となると、当時のソ連軍には空軍機でも適当な機体が無かった。このため、実質的に第二次世界大戦にドイツ軍が使った機体の改良型に過ぎないため、ソ連の空母は実質的に攻撃力としての能力はかなり低かった。
 西側の機体のコピー機の開発も行われたが、ソ連が目指した「スカイレイダー」、「流星」のコピー機の開発も成功とは言い難く、西側から小馬鹿にされるだけだった。
 1970年代には、何とか主力艦載機に据えた可変翼機の「Mig-23」を改造した「Mig-27M」も、西側に当初与えた衝撃をから見るとかなりの過剰評価だった。
 「Mig-23」自体の性能は悪くないのだが、艦載機化の改造で重量がかさんで性能が低下した。しかも艦載機化したのが戦闘攻撃型の「Mig-27」だったので、実質的には艦上攻撃機であり空中戦能力は限られていた。
 ソ連は、アメリカが「F-14」の配備を自分たちの猿真似だとプロパガンダを行ったが、「Mig-27」と「F-14」の性能差は歴然だった。日本の「天狼」艦攻にすら負けると言われたほどだ。
 それでも、それなりの性能の固定翼機を艦載機化した効果は小さくなく、西側に与えた心理的な脅威という点では十分な成功だったと言えるだろう。

 加えて、新型空母によって早期警戒機(AEW)が運用できるようになった効果は非常に大きく、遂にソ連が空母機動部隊の有機的運用が可能になったと騒がれた。機体が「ホークアイ・スキー」と小馬鹿にされたコピー機体であっても、あるとないでは全く事情が違うからだ。
 この結果、西側諸国は英本土近海や北大西洋上に展開もしくは展開可能な空母の数を増やさざるを得なくなり、アメリカ海軍の主力も北大西洋を強く指向するようになった。イギリスも、無理を押して空母を新造する事となった。
 反面アジア、太平洋は日本の負担が強まったのだが、1970年代後半は特に日本海軍が勢力を減退させていた時期なので、西側では危機が叫ばれてもいた。
 またソ連は、1982年に新型空母を建造する。これが《ノヴォロシースク》で、遂に西側の攻撃空母に並んだと言われた。
 大きさは全長305m、満載排水量6万トン程度と日米の空母に比べると少し小さいが、形状も日米の攻撃空母にそっくりだった。新造時から蒸気カタパルトも装備していた。
 しかも同艦は量産体制に入っており、5年に1隻のペースで建造が進んでいる事も1番艦就役頃には判明していた。
 一方では、戦後最初に就役させた空母《モスクワ》、《レニングラード》は、1960年代には大きな近代改装することなく事実上の予備役となり、西側が気が付いたら解体して消えていた。揚陸作戦に使うコマンド母艦に改装する案があった事が後年分かったが、艦の規模が大きすぎて改装費と運用コストが折り合わず改装も計画だけで終わっている。
 ほぼ同じ空母をイギリスが1970年代まで運用した事とは、大きな違いと言えるだろう。だが、同級が早期に姿を消したのは、建造段階で問題があったのではないかと言われている。

 鳴り物入りで建造された戦艦の方は、1960年代中頃から事実上活動しなくなり、一旦は70年代中頃に予備役もしくは保管艦となった。たまにプロパガンダ映像には登場していたが、それだけと言えばそれだけだった。
 だが、日本海軍が1980年代に近代改装と現役復帰を決めると、軍拡の原則に従って東側の盟主であるソ連も戦艦の復活と近代改装を決める。しかし予算など様々な問題から、ソ連単独では、西側に対抗できるだけの戦艦は用意できない事から、その役割の一部を同盟国に負担させた。その国は、皮肉にも赤いドイツだった。
 ドイツがドイツで建造されたソ連の戦艦を、ソ連から供与された事になる。
 ドイツに供与されたのは戦艦《ベラルーシ》。
 艦名を《カール・マルクス》と変えて、ソ連から全面的な技術供与を受けるた上で、徹底した近代改装を実施する。そして改装規模は日本海軍に匹敵すると宣伝されたが、ソ連版イージス・システムといえるスカイウォッチは開発自体が間に合わなかったり、最新のCIWSの供与が間に合わないなど完全とは言い難い。また機関換装や環境構造物の刷新なども行わない簡易改装に近い為、日本での戦艦改装と比較する事は無理というのが一般評だ。
 それでも巨大で長射程を誇る「SS-N-19 SSM(P-700) グラニート」対艦ミサイルを32発も搭載するなど、強大な攻撃力が付与されていた。対空ミサイルもVLS方式の当時の最新型が搭載されており、誘導装置の多さもあってミサイル巡洋艦並かそれ以上の防空能力も備えていた。しかし機関の全面換装までは行われず、パーツ交換程度に止めている。また当然だが、核弾頭は搭載されていない。

 ソ連でも、戦艦《ウクライナ》と世界最大最強とされる戦艦《ソビエツキー・ソユーズ》、《ソビエツキー・ルーシ》の2隻が近代改装に入った。3隻を整備することで、常に1隻を洋上に配備する計画だった。
 しかしソ連での戦艦改装は手間取った。当初ソ連は《ウクライナ》の改装は同型艦を供与、改装するドイツにさせようとしたが、ドイツで行う場合は《マルクス》の次となるので、西側との軍拡競争に遅れるとして断念せざるを得なかった。
 また、ソ連の施設だと1隻ずつしか改装できない上に、ドックが整備用も兼ねているため大型空母の通常整備などに長期間影響を与えることが確実だった。だが、西側との競争には勝たなくてはならないため、改装が半ば強硬されることになる。
 結局、1988年に《ソビエツキー・ソユーズ》の改装は何とか完了した。
 同艦はソ連海軍の沽券に賭けて改装されたため、ドイツの《マルクス》よりも高度な装備が施された。
 レーダーシステムは当時完成したばかりのスカイウォッチで、CIWSも機関砲と対空ミサイルを合わせたハイブリッドタイプの新型(コールチク)とされた。また雄大な船体には、《マルクス》の二倍近い装備が搭載された。
 それでも日本のような機関換装まで行われなかったが、これは当時のソ連には相応しい新型機関が用意できなくなっていたからだった。それでも艦橋構造物が一新したこともあり、世界最強の戦艦の復活として世界中から注目を集めた。

 これに対して、アメリカ海軍の戦艦復活はいささか地味だった。アメリカは世界最大の海軍を有しており、主力となる攻撃空母と原子力潜水艦も十分な数を保有していた。日本海軍のように、空母の護衛艦艇の不足もなかった。
 そこで保管艦状態の各戦艦を調査した上で、《アイオワ級》戦艦4隻の現役復帰を決める。
 より強力な《モンタナ級》《改モンタナ級》をすぐにも現役復帰させなかったのは、表向きの理由は速力が十分ではないので空母機動部隊に随伴できないからとされた。ならば日本海軍のように徹底した近代改装すればよいとマニア達は論陣を張ったが、それはマニアの無責任な遠吠えでしかなかった。
 しかしアメリカが18インチ搭載砲戦艦を復活させなかったのは、何をしたところで日本、ソ連が蘇らせた戦艦より劣る艦にしかならないという判断があったからだ。ならば戦艦さえ洋上あれば良く、それならば高速発揮できる《アイオワ級》の簡易改装で十分と判断されたのだ。
 だが、国民からのアメリカ最強の戦艦を最新の装備を施した上で復活させるべきだという声を無視することはできず、レーガン大統領の鶴の一声によって他国より数年遅れで《ルイジアナ》《ニューハンプシャー》の大規模近代改装と現役復帰が決められる。
 このため一時徹底改装や航空戦艦化が噂されていた《アイオワ級》は最低限の改装に止められ、トマホークSLCM、ハープーンSSMの大量装備を行うも、全てランチャー型で船体内を大きく変更することは無かった。他の改装もCIWSの増設と電子装備の最低限の換装ぐらいで、戦艦としての復活と言うよりも対地支援艦程度の改装でしか無かった。
 だが、それだけに復帰決定から再就役までの期間は短く、他国よりも早い1986年から毎年1隻が現役に返り咲いていった。政治的には十分な成功と言えるだろう。
 《ルイジアナ》《ニューハンプシャー》は大規模な近代改装が定められたため、イージス巡洋艦2隻の建造を取りやめて装備を流用して進められた。しかし、機関、主砲はそのままとされており、日本ほど徹底した改装ではなかった。防空能力も流用した《タイコンデロガ級》と同程度なので、《大和型》より劣っていた。
 だが別の一面から見れば、主砲は換装しなくても十分な威力があると考えられていたからであり、日本と違って斥候艦として使う想定も無かったので過剰な防空能力は不要だった。アメリカとしては、結局のところ国民にアピールできるイージスを搭載した戦艦で十分だったのだ。
 ソ連、ドイツ、アメリカの動きを受けて、イギリス、フランスでも一時期対ソ連用に念のため保管しておいた戦艦の復活が一時取りざたされた。しかし両国共に戦艦の改装よりもする事が有るため断念している。
 結果、1980年代末頃には6の戦艦が最新装備に身を固めて現役に返り咲く。《大和》《武蔵》《ルイジアナ》《ニューハンプシャー》《ソビエツキー・ソユーズ》《カール・マルクス》の6隻(+《アイオワ級》4隻)が、装備も新たに世界の海に再び放たれることとなったのだ。
 これを軍事専門家の一人は、かつての「ビック7」にかけて「ビック6」と呼んだ。またソ連で遅れて改装が進んでいた《ソビエツキー・ルーシ》《信濃》《甲斐》を加えて、「ビック9」と呼ばれることがあった。

 一方でイギリス、フランスが重視した洋上戦力は、各種原子力潜水艦を除けば空母だった。国威発揚にもなるし、何より色々な用途に使えたからだ。
 フランスは1950年代に早くも戦艦に見切りを付け、大戦中に建造中だった《ガスコーニュ》を1956年に建造中に近代改装した上で就役させている。またフランスは、国防を理由として《インディペンデンス級》軽空母(フランス名《ラファイエット》)を早々に導入しており、大戦を生き抜いた空母《ジョッフル》と共に空母機動部隊を再編成している。
 しかし大型の《ガスコーニュ》が就役するまではレシプロ機の運用が限界であり、《ガスコーニュ》の就役でようやくジェット機運用能力を獲得した。
 しかし満載5万トンに迫る大型空母の運用は、当時のフランスにとっては重荷だった。《ジョッフル》と《ラファイエット》は《ガスコーニュ》の就役と共に退役させ、さらには戦艦《リシュリュー》も予備役とせざるを得なかった。
 そしてフランスは空母1隻だけでは常に戦力を維持する事が難しいので、2隻目もしくはできれば3隻目を建造しようとした。しかし1960年代のフランスには、空母を新造するだけの余力が無かった。このためフランスは空母1隻のままで、不十分な洋上戦力で我慢しなければならなかった。フランスが次の空母を建造するのは、1980年代を待たなければならなかった。
 艦載機の方は、国産機の開発は陸軍偏重の海軍の予算不足もあって失敗続きで、アメリカの「F-8 クルセイダー」、「A-4 スカイホーク」、「A-7 コルセアII」などを搭載した。このためフランス海軍にとって、艦載機の自力開発は念願であり続けた。

 イギリスは、フランスに次いで戦艦の保有を諦めた。加えて、1960年代になると空母の保有数を大きく絞った。
 第二次世界大戦後のイギリスは、大型空母《イーグル》《アーク・ロイヤル》《イレジスティブル》、軽空母《コロッサス》を保有していた(※貸与空母除く)。
 さらに1960年代前半には、大戦中に建造中だった艦をそのまま近代改装した、軽空母《アルビオン》《ハーミーズ》を就役させた。《アルビオン》《ハーミーズ》は、第二次世界大戦後半に建造が開始されるも、大戦中に就役せずにしばらくそのまま建造は中断された。しかし大型空母の維持に大きな負担を感じていた為、2隻に可能な限り新技術を投じた上で完成させることした。規模は少し違うが、日本海軍と少し似ていた。
 この状態で「キューバ危機」を乗り切り、そして戦時建造で艦の状態も悪かった《イレジスティブル》と《コロッサス》を退役させ、4隻体制とする。それでも厳しいため《イーグル》の近代改装を諦めて退役させざるを得なかった。これで残り3隻となる。
 しかしそれはイギリス海軍にとって、反転攻勢のための作戦でもあった。だがそれも簡単では無かった。
 イギリスの新造空母計画は、1963年に承認された。
 基準排水量5万4500トンの大型空母を、順次4隻整備して在来艦と置き換えていく予定だった。キューバ危機の余韻もあるため、イギリスにとってソ連海軍を抑えるために是非とも必要な戦力と考えられた。
 しかし当時のイギリスは国力、国威共に低下しており、他の軍備を整えながらの空母建造に議会も難色を示した。しかしソ連の脅威は強く、英本土さらには西ヨーロッパ世界を守るためには、北大西洋の制海権確保が絶対事項だった。この件は、同盟国のアメリカなども意見を同じくするもので、アメリカは技術導入することで援護射撃を行った。イギリスとしては完全な自力開発が望ましかったが、背に腹は代えられない状態だった。

 そして計画は、縮小されながらも続行することになる。
 組み直された計画では建造数を2隻に絞った上、さらにコマンド母艦になる予定だった旧式軽空母を出来る限り使い続けることで戦力を補完する事とされた。
 1965年に予算承認され、1966年から1番艦、5年後の1971から2番艦が建造を開始する。
 艦名は《クイーン・エリザベス》と《デューク・エディンバラ》。イギリスの伝統を受け継ぐ名が与えられた。
 全長271m、基準排水量5万4500トン、満載排水量6万8000トン、機関出力は13万5000馬力で最高速力は28ノット。形状は日米の攻撃空母とほぼ同じで、大きく張り出したアングルド・デッキを備え、右舷側に2つのエレベーターを備え、艦首と左側のアングルド・デッキにアメリカから技術供与を受けたスチーム・カタパルトを装備していた。
 搭載機数は初期計画では50〜60機だったが、搭載する機体の変化で若干減少していた。「F-4 ファントムFG.1」と国産の「バッカニア」を中心に予定していたが、1970年代になるとAEWは自前の機体では旧式化していたので、アメリカの「E-2 ホークアイ」を導入する事となった。
 しかし2番艦が就役する頃になると、ファントムもバッカニアも少しばかり旧式化することが問題視された。攻撃機のバッカニアは多少旧式でも運用可能だが、80年代にもなってファントムを使うならば大規模な近代改修が必要だった。このため新型艦上戦闘機もしくは艦上戦闘攻撃機の導入が考えられた。
 しかし自力開発の能力は主に開発費の面でないので、海外機からの候補選定が行われた。しかし70年代半ばだと、日米も似たり寄ったりなので、開発中や導入間近の機体を候補とした。候補はアメリカの「F-14」か「FA-18」、日本の「77式 旋風」になる。このうちファントムと同じ戦闘攻撃機は「FA-18」。他の二つは戦闘機で、航空隊の規模が限られる英海軍としては戦闘攻撃機が欲しかった。それに母艦規模などの制約から「F-14」は大きすぎるし、日本機の導入には共用性などの問題があり、選択肢は最初から「FA-18 ホーネット」しかなかった。
 そしてアメリカとの間に契約が結ばれ、80年代半ばから「FA-18」が導入される事になる。
 しかしそれまでは、「F-4」など既存の機体で頑張るしかなかった。そうした中で、自力開発に成功した世界で唯一と言って良い実用化された垂直離着陸戦闘機の「ハリアー」は、艦上機型の「シー・ハリアー」として世界に先駆けてイギリスの軽空母(コマンド母艦)に搭載された。
 軽空母《アルビオン》《ハーミーズ》も、1970年代に揚陸作戦に使用するコマンド母艦として改装する際に、垂直離着陸戦闘機を運用するように改装された。この改装は、日本の支援空母や小型の空母を保有する国、保有したいと考えていた国にとって大きな影響を与えた。

 なお、大国以外の空母だが、戦後からしばらくは主にアメリカが第二次世界大戦中に建造した空母の払い下げとなった。特に軽空母の《インディペンデンス級》は、比較的手頃なサイズなので各国がこぞって手に入れた。
 インドだけは反欧米心理から日本を頼り、日本から護衛空母2隻の供与を受けて、さらには技術指導も受けて来るべき自力空母の保有に備えた。インドとしても国威の面から稼働空母が欲しかったが、当時は国内問題で手一杯で軍備に金をかけることが難しいため断念された。
 最終的に《インディペンデンス級》空母を保有した国は、フランス、オーストラリア、カナダ、アルゼンチン、ブラジル、チリ、スペインの7カ国に及んだ。しかしレシプロ機しか運用できないので、1950年代ぐらいまでの運用が限界だった。
 しかし、世界を見渡しても適当な空母が無かった。アメリカ、日本の中古空母はどれも大型で、最低でも満載3万トン級となる。しかもジェット機運用となると、古いままでも問題があった。このため軍事予算が十分ではない国などは、象徴艦艇としての空母保有を諦めて、古い巡洋艦を海軍の象徴とすることで我慢するしかないのが現状だった。
 だが、国威のため形だけでも空母を保有し続けようとする国は、第二世代程度のジェット機運用が運用できる空母を物色する。と言っても、そうした空母はアメリカ、日本、イギリスぐらいにしかなかった。そして中古として他国に供与や売却となると、アメリカの《エセックス級》しか実質的な選択肢しかない。
 そしてインドネシア戦争に参戦していたオーストラリアが、最初に《エセックス級》の払い下げを受けることを決める。インドネシア戦争中の格安価格だったが、搭載機や予備部品、整備補償とセットなので、アメリカとしてもそれなりに納得できる取引だった。次に《エセックス級》に興味を示したのはインドだったが、結局日本から中古の大型空母を導入して苦労したにも関わらず、その後も日本から空母《瑞鶴》を買った。
 他にはブラジル、アルゼンチン、チリも中古空母を物色したがだが、隣国との軍事バランスに関わる事、何より予算不足から《エセックス級》の導入は断念せざるをえなかった。しかしその後、イギリスが1976年に《アルビオン》を退役させると、購入競争が激化。結局ブラジルが艦載機ごと購入して、さらに軽度の改装を施した上で《サン・パウロ》と名を改めて運用した。
 そして1970年代あたりは、中堅各国で軽空母の需要があることから、アメリカと日本はそれぞれ新造軽空母の試案を兵器市場に紹介する。アメリカは「制海艦」、日本は「支援空母」とそれぞれ仮名を付けた。どちらも似たような要目で、満載排水量2万トン程度の合理的ながら空母としては小さい船体に、自国艦載機を10〜20機程度運用できるように設計されていた。しかし固定翼機を運用するギリギリの大きさで、長期間運用する拡張性は無かった。当然ながら、新型機の運用も不可能だった。そして中途半端な事を示すように、日米共に自らが計画した船を採用することは無かった。
 しかし日本は、この時の計画を原案として支援空母を建造しているので、全くの無駄には終わらなかった。反面、その後の日本の支援空母は原案より一回り以上大きくなっているので、小さすぎたのは間違いなかった。
 アメリカの案も、その後アメリカが改良した「AV-8B ハリアーII」を搭載できるように設計を改めたうえでスペインが採用している。そしてイギリスによって示されたハリアーの運用は、その後各国が軽空母の導入する大きな切っ掛けとなった。
 そして1970年代以後の軽空母の始祖となった《ハーミーズ》は、スキージャンプ台を設けることでさらに垂直離着陸機の運用能力を高め、その状態で戦闘に身を投じることとなる。
 そしてその戦闘こそが、「フォークランド紛争」だった。

 1982年に起きた「フォークランド紛争」は、南大西洋に浮かぶフォークランド諸島を巡るイギリスとフォークランドの紛争になる。アルゼンチンが何故突如フォークランドを占領したのかなど色々と話題はあるが、世界が注目したのは西側の装備をした国同士が正面から戦闘を行ったという事だった。しかも主な戦闘が洋上で行われた事も、注目すべき点だった。
 そしてこの紛争で軍事的に確認されたのは、正規空母の威力と当時の艦隊防空の難しさだった。
 アルゼンチンの予測を大きく上回り、イギリスは即座に行動を起こした。空母《クイーン・エリザベス》を中核とする空母機動部隊と、コマンド母艦《ハーミーズ》を中核とする強襲上陸部隊を編成した。アルゼンチンは、即座に虎の子の空母を持ち出すとは想定していなかったが、こうした行動に出るところがイギリスのイギリスたる所以だった。
 仕方なくアルゼンチンは主に空軍で対抗し、日本から買っていた「隼II改」と「ヤブサメミサイル」でイギリス艦隊を果敢に攻撃して多数の輸送船や護衛艦艇に損害を与えたが、結果としてそれだけだった。
 イギリス艦隊は、五月雨式に少数で低空を進んでくるアルゼンチン空軍機に悩まされるも、早期警戒機「E-2 ホークアイ」の威力は非常に大きかった。主力艦載機は「F-4 ファントムFG.1」のままだったが、女王を根城とする24機の群青色の「ファントム」たちは、「ホークアイ」の導きによって的確な防空戦闘を展開することができた。そしてイギリスがかなり無理矢理出撃させた空母《デューク・エディンバラ》が戦場に到着すると、イギリス艦隊の防空能力は十分な域に達する。
 近接防空火力の少なさは、艦隊が増強されても変わらなかったが、正規空母の威力をまざまざと見せつけた戦いと言えるだろう。イギリスの新鋭空母は日米に比べるとやや小型だったが、1隻で1国の空軍力に匹敵すると評される能力は伊達ではなかった。
 また、支援機として投入された垂直離着陸機の「ハリアー」も、艦隊防空から侵攻部隊の支援攻撃に至るまで多岐に渡って活躍して大きな存在感を示した。
 反面、艦隊内周に入り込まれてしまうと、非常な脆さを露呈した。たった数発の対艦ミサイルによって、イギリス艦隊は少なくない損害を受けてしまっている。

 そしてフォークランド紛争の結果を見た各国は、可能ならば正規空母戦力の強化や増強を図る。無理な場合は、「ハリアー」を搭載できる軽空母の整備へと流れた。また世界中の海軍全般において艦隊防空能力強化の流れが加速し、イージス艦やそれに類する防空システムの導入と、CIWSに代表される近接防空火力の開発と増強が実施されるようになっている。


●フェイズ134「冷戦最盛期と呆気ない終幕」