●フェイズ18「第二次世界大戦(12)」

 1941年4月に入ってすぐ、日本海軍による水上艦艇を用いたベンガル湾での通商破壊戦が激しさを増した。欧州枢軸側が掴んだだけでも、大型巡洋艦や軽空母が出撃していた。潜水艦や航空機の報告も多く上がっており、攻撃が激しくなった事を伝えていた。
 しかしアッズの艦隊は安易には動けなかった。

 当時アッズには、イギリス、イタリアの東洋艦隊主力が駐留していた。防空のため空軍の戦闘機大隊もいた。哨戒用の飛行艇もあった。しかし艦隊が出撃してしまうと、艦隊の防空を担うべき艦艇は戦闘機を補充した軽空母《ハーミス》だけだった。イギリス東洋艦隊は本国に戦況を伝え、インド防衛のために本国の空母を出来れば2隻、最低でも1隻派遣するように要請した。しかしイギリス本国は、カリブでの戦況が激しさを増している事を重視し、インドでは現状維持と艦隊保全を命令した。それでも増援は全く送らなかった訳ではなく、艦載機としてまだ生産が進んでいなかった「シーファイア(スピットファイアの艦上機型)」を送り、駆逐戦隊の増援に加えて《ダイドー級》軽巡洋艦2隻を派遣して、艦隊防空力の増強を行っている。
 イタリア海軍の方は、積極的な作戦を採ることがないまま東南アジアで戦艦1隻、重巡洋艦3隻を失ったことに大きな衝撃を受けていた。他にも軽巡洋艦を複数失っており、イタリア海軍は保有巡洋艦の4分の1を一度に失っていた。戦艦2隻(《アンドレア・ドリア》《カイオ・デュイリオ》)を損傷のため本国に帰還させたのも、これ以上有力艦艇を失いたくないと言う考えからだった。そして本音なら東洋艦隊丸ごと本国に帰投させるか、最低でも自国植民地のソマリア辺りまで後退させたかった。だが、欧州枢軸内でのイタリアの立場上できないので、撃破されないためにも増援を派遣せざるを得ず、大型の軽巡洋艦4隻を中心とする艦隊を増援で派遣していた。
 しかし全ての艦艇をアッズに固めて置いて(隠れて)おけるわけもなく、特にイギリス海軍は護衛任務で巡洋艦や駆逐艦の3分の1程度はインド洋各地に展開していた。イタリア海軍も、駆逐艦一部は護衛や哨戒に出していた。軽空母《ハーミス》を哨戒任務に出す計画もあったが、貴重すぎる空母を危険にさらすことが出来ないため、哨戒機で代替されることとなった。
 ちなみにアッズ環礁は、モルディブ諸島の一番南に位置しており、セイロン島やインド半島南端から南南西におおよそ1000キロメートル離れていた。このため戦術的には孤立無援の場所で、環礁内に陸地も少ないので、飛行場こそ置けるが大規模な航空隊や陸軍部隊の駐留は無理だった。
 誰にも知られていない事が、アッズ環礁の最大の価値だった。しかし大規模な艦艇や航空機の動きが、その価値を台無しにしてしまった。

 4月5日朝、アッズ環礁に停泊するイギリス軍艦艇のRDF(レーダー)が、あり得ない方角から迫る飛行物体のエコーを捉える。数はPPIスコープの一角が真っ白になるほどで、極めて大規模な航空機の集団が密集して飛行していることを伝えていた。
 数は推定で小型機が200機以上。さらに30分程度の時間を置いて似たような規模の編隊の影も捉えられた。これはシンガポールの攻防戦でも見られた事なので、何が飛来しつつあるのかは即座に分かった。
 あり得ない方角から日本の空母機動部隊が出現したのだ。
 武部鷹雄中将率いる第1航空艦隊は、枢軸側からも厳重に警戒されていた。だが戦時のため枢軸側が情報を得るのは非常に難しく、しかもこの時の日本海軍は欺瞞情報を多数出した上に、《赤城》の無線手を別の場所(日本本土)に置いて無電を打たせるなどといった不必要と思えるほど欺瞞工作を実施している。
 そして実際の行動では、最後の補給を洋上補給で受けた後にオーストラリア大陸の近くからインド洋に出ると大きくインド洋を迂回し、アッズ環礁の南西方向から攻撃隊を送り出した。だからこそ、欧州枢軸側が予想していなかった位置から艦載機を発艦させることが出来たのだ。
 まずは日本艦隊の構成を見ておこう。

・第1航空艦隊 :指揮官:武部中将
第1航空戦隊 CV《赤城》CV《加賀》
第2航空戦隊 CV《蒼龍》CV《飛龍》
第4航空戦隊 CVL《龍驤》CVL《龍鳳》
第5航空戦隊 CV《翔鶴》CV《瑞鶴》
第10戦隊  FA《秋月》FA《照月》FA《涼月》FA《初月》
第3戦隊   BB《金剛》BB《榛名》
第11戦隊  BB《比叡》BB《霧島》
第12戦隊  CL《大淀》CL《仁淀》
第4水雷戦隊 CL《矢矧》
 第2駆逐隊、第4駆逐隊、第9駆逐隊、第24駆逐隊

・補給部隊 :
第2護衛戦隊 CL《長良》
 CVE《大鷹》、第3護衛隊、第11護衛隊
 戦闘補給艦《高崎》《剣崎》《足摺》《塩屋》
 高速給油艦《速吸》《風早》
 高速給油船、合計4隻

・遣印艦隊  :指揮官:小沢中将
第3航空戦隊 CVL《鳳祥》
第7戦隊   CL《最上》CL《三隈》CL《鈴谷》CL《熊野》
第9戦隊   CL《大井》CL《北上》
CL《由良》(第2水雷戦隊分隊の臨時旗艦)
第2水雷戦隊 (一部)

・第6艦隊  :指揮官:清水中将
第1潜水戦隊 AS《大鯨》
 第1潜水隊、第2潜水隊、第3潜水隊、第4潜水隊
第2潜水戦隊 AS《黒鯨》
 第5潜水隊、第6潜水隊、第7潜水隊、第8潜水隊
第4潜水戦隊 AS《さんとす丸》
 第18潜水隊、第19潜水隊、第21潜水隊
第5潜水戦隊 AS《りおでぃじゃねいろ丸》
 第28潜水隊、第29潜水隊、第30潜水隊

 遣印艦隊は臨時に編成されたもので、第二艦隊などから抽出した艦艇で編成されていた。この艦隊はアンダマン海やベンガル湾での通商破壊戦が主な任務で、42年に入る頃から活動を開始しており、この時の任務では陽動を担っていた。
 随伴していた空母は、この出撃が実戦最後となった世界初の正規空母《鳳祥》だった。枢軸側は《鳳祥》を今までの日本海軍の艦隊編成から第4航空戦隊と考えていたが、これは日本軍が意図した欺瞞工作ではなく、枢軸側の情報不足と思い込みが原因だった。
 潜水艦隊である第六艦隊は、インド洋全般での通商破壊戦と情報収集のために活発に活動していたが、今回の作戦では1個潜水戦隊が直接作戦に参加していた。
 補給部隊の護衛を行う第2護衛戦隊は、第1航空艦隊を行う支援艦隊を護衛するために動員されたもので、空母よりも貴重を言われた各種補給艦艇を含めた臨時の艦隊だったが、後の大規模補給部隊のはしりとなった。
 そして第1航空艦隊だが、第4航空戦隊が臨時で編入され、しかも各大型空母は予備の航空隊を甲板一杯になるまで満載していた。このため第1航空艦隊が運用する機体数は500機を越えており、運用の限界に挑んだ戦いでもあった。
 第一次攻撃隊は、6隻の正規空母が各36〜45機、軽空母が各12機を出したので、総数は276機にもなる。第二波も180機で、合わせて450機もの大攻撃隊だった。機数、密度共にこの戦争が始まって最大規模で、日本海軍の決意を見せる攻撃だった。
 また第1航空艦隊に《金剛型》戦艦が4隻全艦参加しているのは、万が一イギリス側が事前に気付いていて攻撃を受けた場合に備えての事だった。それ以前の問題として、敵地深く攻め込むので護衛は多いに越したことはなかった。

 この攻撃隊をイギリス軍のレーダーは、距離約200キロメートルで日本軍の編隊を捉えたが、この時の日本軍機の巡航速度は時速300キロに達しており、列強最速だった。このため発見から攻撃まで40分しか時間がなかった。それでもイギリス軍は、環礁内の飛行場から「スピットファイア」戦闘機隊(約30機)を迎撃に送り出し、艦艇も緊急出航を開始した。特に発進が急がれたのが空母《ハーミス》で、これは早く外洋に出て搭載する艦載機を発進させようとしたからだった。
 しかし、環礁から出る際の先導は駆逐艦が果たさなければならなかった。日本軍がアッズの場所を知っていて奇襲攻撃を仕掛けてきた以上、沖合に潜水艦が伏せていると考える方が自然だったからだ。最悪、哨戒から漏れている水上艦隊が水平線の向こうまで迫っている可能性すらあった。
 そしてイギリス海軍が予測したとおり、アッズ周辺には既に4隻の日本軍潜水艦が潜伏し、偵察を行うと共に攻撃の機会を伺っていた。だが枢軸側も対潜用に駆逐隊が常に1隊警戒に当たっているので、潜水艦の攻撃は安易に仕掛けられなかった。
 だがこの時は、日本軍の雲霞のごとき数の艦載機こそが脅威だった。わずか40分では、全艦隊の出撃は不可能だし、それ以前の問題として停泊のためボイラーの火を緩めている艦は動きだすことすら出来ない。このため対空戦闘が全艦隊に命令された。しかしアッズ環礁は、10キロ×6キロほどの楕円に近く、環礁内で大艦隊が動きながら対空戦闘ができるような余地は無かった。
 
 約35分後、日本軍の大編隊がアッズに姿を現す。
 これまでにアッズを出撃できた枢軸側艦艇は10隻に満たず、環礁内は環礁から出ようとする艦艇で混乱していた。
 そして日本軍編隊を阻止しようとした「スピットファイア」隊だったが、まずは戦意旺盛な制空隊に挑まれてしまう。一部が制空隊を何とか突破するも、さらに護衛部隊に阻まれて攻撃機、爆撃機には手が出せなかった。戦闘機の数でまず違うし、なぜか多くの機体が不利な格闘戦を挑んだので、この戦闘では敵戦闘機を引きつけただけに終わった。
 そして約200機の攻撃機、爆撃機が編隊ごとの攻撃を開始する。この攻撃隊は魚雷を搭載せず、全ての機体が爆弾を搭載していた。環礁内での雷撃が不可能もしくは難しいと判断しての事だった。
 しかし一式艦上攻撃機「天山」は、戦艦の主砲弾を改造した秘密兵器扱いだった800kg徹甲爆弾を搭載している機体が約半数を占めていた。一式艦上爆撃機「彗星」も500kg徹甲爆弾を搭載しており、開戦時に比べて攻撃力は格段に向上していた。
 アッズへの爆撃は、多くの機体が上記新型機に機体変更された上で実施された。旧型機もまだ配備されていたが、この時は多くは第二次攻撃隊に属していた。そして約200機の攻撃機、爆撃機は激しい対空砲火を浴びせるも身動きがままならない欧州枢軸東洋艦隊に、運んできた爆弾を望むままに浴びせかけた。

 この時アッズ環礁には、以下の艦艇が停泊していた。

 戦艦
英:
《ヴァリアント》
《ロイヤル・ソヴェリン》《リヴェンジ》《レゾリューション》《ラミリーズ》
伊:
《リットリオ》《ヴィットリオ・ヴェネト》《ジュリオ・チュザーレ》
 軽空母《ハーミス》
 重巡洋艦
 英:《ドーセットシャー》《コーンウォール》
 伊:《ゴリツィア》
 軽巡洋艦 英:6隻 伊:6隻 
 駆逐艦  英:11隻 伊:7隻
 潜水艦  英:2隻 
 他、駆潜艇、タンカー、臨時工作艦、輸送船など13隻(ランチなど除く)

 これら艦艇のうち、環礁の外に出られたのは全体の約4分の一程度の11隻。戦艦は全艦が環礁内で、外洋に出た軽空母《ハーミス》が、日本軍潜水艦を警戒しつつ懸命に艦載機を発艦しようとしているところだった。また防空巡洋艦の《ダイドー級》2隻も環礁の外に出て、射撃しやすい位置での対空射撃戦を展開できるように動いていた。
 そして既に何度も実戦をくぐり抜けている第一航空艦隊の精鋭達は、打ち上げられるやや統制の取れない対空砲火を無視するかのように次々に爆弾を投下していった。
 最初に狙われたのは、環礁の出口の内側近辺にいる艦艇だった。脱出を阻止し、後続を環礁内に閉じこめる為だ。次に狙われたのが、環礁から少し離れた場所にいた軽空母《ハーミス》だった。狙われた理由は言うまでもないだろう。そしてこの時点で、枢軸東洋艦隊に全力発揮出来る艦艇は、通常の警戒配置に就いていた駆逐艦を除くと、外洋に出た半数程度しかなかった。動力となるボイラーの圧力を上げるのには一定の時間がかかるためだ。それに、日本軍にとって環礁内の艦艇は後で攻撃すればよく、日本軍攻撃隊の先鋒はまずは特定の艦艇に集中攻撃を実施した。
 800kg徹甲爆弾は半数程度しか無かったが、通常の800kg爆弾は主に環礁出入り口近辺の駆逐艦や巡洋艦に投下され、急降下爆撃は《ハーミス》への逆さ落としを開始した。この《ハーミス》を攻撃したのが高橋少佐率いる急降下爆撃隊の精鋭で、艦載機発艦を止めて回避運動を始めたばかりの華奢な軽空母に投弾し、4個中隊36機のうち実に30機が命中。命中率83.3%という驚異的な命中率を記録した。排水量1万トンと少ししかない《ハーミス》が耐えられる攻撃ではなく、500kg徹甲爆弾は艦内深くで次々に炸裂して短時間で沈没した。一説では、爆撃がまだ続いている時点で実質的に沈没しているほどの大損害を受けたと言われている。実際問題、500kg徹甲爆弾を30発も受けたら巨大戦艦ですら致命傷となる打撃で、旧式軽空母が爆撃の途中で沈む方が自然だ。
 800kg通常爆弾を抱えた水平爆撃機隊も十分に任務を果たし、脱出に躍起になっていた枢軸東洋艦隊を大混乱に陥れた。27機による投弾でイタリア海軍の駆逐艦1隻が撃沈、2隻が至近弾を浴びて大破、イタリア海軍の巡洋艦1隻が中破した。そして4隻全てが、出入り口付近で立ち往生してその後の環礁脱出を難しくさせてしまう。800kgもあると、通常爆弾でも装甲の薄い艦艇には大きな効果が見られた。
 その後は、800kg徹甲爆弾を抱えた水平爆撃機隊以外だと、作戦通り一部が飛行場に急降下爆撃を行った以外、既に外洋に出た艦艇に対して集中爆撃を仕掛けた。
 そして水平爆撃機隊は、まだ環礁内にいた8隻の戦艦に狙いを定める。800kg徹甲爆弾を搭載した「天山」は36機。各正規空母で専門の水平爆撃の訓練を積んだエキスパート達だった。彼らは、水平爆撃による精密爆撃の厳しい訓練をくぐり抜け、さらに中華戦線、マレー戦線でも実戦経験を積んでいたので、この当時だと世界最高の技量を持つ水平爆撃機の集団だった。命中率は固定目標だと30%を越えており、この数字は通常の三倍に達していた。
 そしてこの時も、激しい対空砲火をものともせず、上空3000メートルから次々に環礁内の戦艦に向けて投弾した。編隊ごとでの攻撃だったので狙われたのは6隻の戦艦で、主にイギリス東洋艦隊の戦艦が目標となった。これは対空砲火が弱かったからだと言われる事も多いが、丁度爆撃しやすい位置にあったからた。

 《ヴァリアント》は新造戦艦のように徹底した近代改装が施されていたので、この時の攻撃では「新型戦艦」と誤認され、そして攻撃対象となった。他のイギリス戦艦は《ロイヤル・ソヴェリン》が水平爆撃の対象となり、イタリアの戦艦は新型の《リットリオ》《ヴィットリオ・ヴェネト》が目立つ概観もあって狙って攻撃対象とされた。
 そして36発のうち実に11発が命中。長門型、高雄型が使用する徹甲弾を改造した800kg徹甲爆弾は、戦艦の主砲弾が上面から命中するのと同じ打撃を命中した戦艦に与えた。そして《ロイヤル・ソヴェリン級》戦艦は、古い設計のため水平防御が不十分で、《ヴィットリオ・ヴェネト級》戦艦も弾薬庫上面はともかく、他のバイタルパートはこの時期の他の列強の戦艦と比べるとやや軽防御だった。機関部の防御甲板は100mmでその上に12mm+36mmの甲板が張られているので、合計値だけ見ると15インチ砲弾(もしくは16インチ砲弾)を防げるように見えるが、合算値ではあまり意味が無かった。そしてこの時も、800kg徹甲爆弾は《リットリオ》の防御甲板を貫いて着弾し、機関部を破壊した。近代改装された《ヴァリアント》も防御甲板は127mmで自らの砲に対する対応防御は持っていたが、16インチ砲弾級の徹甲弾が真上から命中することは考えられていなかった。大幅な近代改装をしていない《ロイヤル・ソヴェリン級》では、話しにもならなかった。
 被弾した6隻の戦艦は、大型徹甲爆弾に次々に貫かれた。しかし、全ての爆弾がバイタルパートに命中するわけでもなく、戦艦の中枢部を貫いたのは4発だった。しかしそれは4隻の戦艦が、大損害を受けたことを示していた。弾薬庫に被弾した戦艦は無かったが、多くが機関部を打ち抜かれて、運が悪い艦はボイラー爆発を起こして大損害が発生していた。そしてこの時点で3隻の戦艦が、全力発揮不可能な損害を受ける。
 環礁外での爆撃は、《ハーミス》の例を見るように急降下爆撃隊が猛威を振るった。特に《ハーミス》同様の打撃を受けたのが重巡洋艦《ドーセットシャー》《コーンウォール》で、江草大尉率いる急降下爆撃隊は環礁外で最も大きな艦へ集中攻撃を実施した。そして31発、86%の命中率を出した。
 それ以外は、多くが駆逐艦でボイラー圧も十分に上がっている艦が多く、攻撃した機体数も多くは無かったので、それほど大きな損害は受けなかった。それでも10%を越える命中率を示し、外洋に出ていた10隻近い艦の半数以上が被弾した。
 東アジアで何度も取り逃がした欧州枢軸側の艦隊は、たった一度の空襲で半壊状態だった。

 そして第一次攻撃隊が去る頃に、第二次攻撃隊180機が出現する。戦闘機は36機だったので、140機以上が攻撃機か急降下爆撃機だった。そして攻撃機の半数が外洋に出ている艦を仕留めるために魚雷を搭載していた。とはいえ、魚雷が確実に使える環礁の外には、大型艦がほとんど見られなかった。唯一、攻撃の合間をぬって環礁の外への脱出に成功した戦艦《ラミリーズ》が、この時の雷撃隊の主な攻撃対象となった。
 魚雷を搭載していたのは36機で、このうち30機が《ラミリーズ》に殺到。まだ速力を十分出せない低速旧式戦艦に、それこそ前後左右から魚雷を浴びせかけた。最終的に命中したのは23本と言われるが、一度に多数の魚雷が命中したため正確な数は判明していないほどだった。《ラミリーズ》は雷撃により短時間のうちに艦内全てが浸水し、短時間でうずくまるように沈んでいった。
 残る6機の雷撃機は、一か八かの賭けで環礁内の中心部で立ち往生している戦艦への雷撃を試みた。
 上空から見れば海の色からある程度の水深が分かるので、危険を冒して一度環礁上空をフライパスした後に進路を定めて雷撃を実施した。この努力は報われ、雷撃したうち5本が見事に雷跡を描いて目標へと到達し4本が炸裂した。雷撃を受けたのはイタリア海軍の《リットリオ》で、既にボイラーの3分の1が破壊されていた事もあって急速に傾き、艦長は他の艦を押しのけるように浅瀬へと最後の航海を行い、その場で大破着底した。
 雷撃機以外の100機近い攻撃機と急降下爆撃機は、環礁内のコレと思った目標に次々と投弾した。逃げ場を失い回避もままならない枢軸東洋艦隊は、とにかく対空砲火を敵機に浴びせかけて投弾を逸らせる以外に出来ることは無かった。すでに制空権は完全に奪われ、救援を要請したが救援が来ると言っても1000キロメートル彼方のセイロン島では、何も期待出来なかった。
 日本軍機は思うがままに爆撃を行い、まだ環礁内に30隻以上いる艦艇やその他10隻程度の雑艦、輸送船にまで爆撃した。攻撃隊が立ち去った時、すでに枢軸東洋艦隊は満身創痍だった。

 攻撃開始から約1時間で第一次、第二次攻撃隊は引き揚げたが、これらを収用して次の攻撃隊を仕立てる時間は十分に残されていた。それに空母部隊が距離を詰めてくることが枢軸側も確実と考え、さらには水上艦隊が押しよせる可能性も予測された。このため、既に満身創痍となった枢軸東洋艦隊の出来ることは、とにかく機関部が無事な艦艇を1隻でも多く環礁の外に出して、日本軍から逃すことだった。
 そして既に距離300キロまで迫っていた日本海軍第一航空艦隊は、昼前に1度、午後2時頃にさらにもう1度、100機以上の大編隊を編成してアッズ環礁の枢軸艦隊を攻撃した。
 昼までに3分の1程度の艦艇が環礁の外に出て、いくつかの艦隊に分かれ待避していた。この動きは、常にアッズ上空を舞う日本軍偵察機によって逐一報告されていたが、枢軸側としては「一つの篭に卵を盛る」と揶揄される危険を回避せざるを得なかった。待避した艦隊の幾つかも、相手が空母なので捕捉されると予測されたが、それでも幾つかは生き残ると考えての事だった。だが、日本軍が目標とした戦艦の多くが、依然としてアッズ環礁の中にあった。最初の爆撃で優先目標とされた為、集中的に爆撃を受けたたので、ほぼ全ての艦が身動きできなかったからだ。損害を受けながらも環礁を脱出できたのはイタリアの《ヴィットリオ・ヴェネト》《ジュリオ・チュザーレ》で、イギリスとしては援軍としてインド洋に来ていたイタリアに政治的配慮をした形だが、自らの低速戦艦よりは生存確率が高いという冷徹な計算もあっての事だった。
 そして残された艦はさらなる爆撃の対象となり、大型艦のほぼ全てが被弾して十分に行動できなくなった。
 しかし日本軍攻撃隊が立ち去ってからが、枢軸側にとっての勝負だった。空母艦載機は基本的に夕方から翌朝まで活動できないので(自分たちのソードフィッシュだけが例外)、その間に脱出できるだけの艦を脱出させ、損害を少しでも軽減しようとした。
 だが夜になると、今度は環礁の外で待機していた1個潜水戦隊丸々が集結していた潜水艦の出番だった。当然、枢軸側の駆逐艦による掃討が実施されたが、既に損害を受けた上に分散して離れている艦も多いため、4隻の稼働可能な駆逐艦しか夕方以後のアッズには残されていなかった。
 これに対して日本海軍は、合計9隻の潜水艦をアッズに派遣して、うち1隻が脱出したイタリアの戦艦を追いかけた。残る8隻が、夜を迎えると群狼戦法のように連絡を取り合って攻撃を開始した。ただし夕方の時点では6隻で、残り3隻は順次夜中に戦列に参加している。
 日本軍の攻撃に対して、本来なら対潜水艦戦に優れたイギリス海軍なら撃退できたかもしれないが、既に傷つき疲れさらに数も少ないので、脱出する多くの艦を庇いきれなかった。
 夜間の攻撃で巡洋艦2隻、巡洋艦1隻、タンカー1隻、その他1隻が損害を受け、日本側は1隻が撃破されたに止まった。日本側の戦果が参加潜水艦数のわりに少ないのは、イギリス軍駆逐艦の奮闘もさることながら、日本側が脱出した艦艇の追跡という当初与えられた任務に対しても忠実だったからだ。また環礁の出口で嫌がらせのような待ち伏せと雷撃を仕掛けることで、アッズから艦艇が出られないようにしたことも、単純な戦果を少なくしている点で忘れるべきではないだろう。
 そしてさらに、第一航空艦隊から飛び立った水上機が夜間偵察に時間を空けず訪れて度々照明弾を投下したことも、枢軸軍艦艇の脱出を大いに阻害した。この夜間偵察では、一種の航空巡洋艦である《大淀》《仁淀》に搭載された多数の「零式水上観測機」や「零式水上偵察機」が活躍した。

 そして夜明け前、アッズに残されていた艦艇の水上レーダーが、水平線に未確認目標を複数捉えた。駆逐艦を従えた当時世界最強の高速戦艦戦隊の《金剛》《榛名》《比叡》《霧島》と新鋭軽巡《大淀》《仁淀》、軽巡《矢矧》に率いられた《陽炎型》駆逐艦の《嵐》《萩風》《舞風》《野分》だった。
 しかも対空レーダーが、100機以上と思われる大編隊が30分程度で襲来すること伝えていた。機体数が徐々に増えて一定の場所で舞っているので、日本の空母機動部隊本隊がその場所に居ることまでも伝えていた。
 この時点で、アッズ環礁に8隻いた欧州枢軸側の戦艦は《ラミリーズ》が沖合で撃沈、《リットリオ》が大破着底、《ヴィットリオ・ヴェネト》《ジュリオ・チュザーレ》が待避し、残されたのは《ヴァリアント》《ロイヤル・ソヴェリン》《リヴェンジ》《レゾリューション》だが、どの艦も度重なる空襲で最低でも中破の損害を受けていた。《リヴェンジ》《レゾリューション》は既に機関部に重大な損害を受けていたので、環礁からの脱出を諦めて着底を前提とした場所に移動していた。
 《ヴァリアント》《ロイヤル・ソヴェリン》が洋上に出ていたが、夜の潜水艦を警戒したためようやく環礁から出たばかりだった。
 それ以外だと、残存する軽巡洋艦のほぼ全てが爆撃を受けて中破以上の損害を受けていたので、もはや戦闘どころではなかった。追加で派遣された《ダイドー級》軽巡洋艦の《ハーマイオニー》《ボナベンチャー》は、なまじ高い対空火力を発揮して日本軍機を攻撃したため前日の戦闘で目の敵のように攻撃を受け、集中爆撃を受けていずれも轟沈していた。
 駆逐艦は目標から外されている事が多かったので残存艦は多かったが、脱出した艦艇の護衛のためにアッズに残っている稼働艦は僅か2隻に減っていた。
 イギリス側は既に中破かそれ以上に損傷して、戦闘力が大きく低下していた。速力差から逃げることも出来ず、護衛艦艇の数も段違いで、空母艦載機になぶり殺しになるか、砲撃戦を挑むかの選択肢しか残されていなかった。そしてイギリス東洋艦隊司令部が座乗していた《ヴァリアント》は、伝統に則って「発見した敵への突撃」を決定する。
 《ヴァリアント》《ロイヤル・ソヴェリン》と《金剛型》4隻の砲撃戦となったが、勝敗は戦う前から決まったようなものだった。レーダー波を放ち着弾観測機すら既に飛ばしている日本側に対して、イギリス側は既にレーダーや測距装置、照準装置の多くが被弾で損傷または故障していた。イギリス側の砲撃は調整の取れない砲塔ごとの各個砲撃しかできず、日本側は2隻ごとでの統制の取れた砲撃戦を展開した。またイギリス側の2隻の駆逐艦が煙幕を展開するなど懸命の支援を実施したが、《大淀》《仁淀》の6.1インチ砲の釣瓶打ちと水雷戦隊の突撃を受けて敢えなく粉砕された。駆逐艦は回避に専念すればなかなか砲弾は命中しないのだが、あくまで戦艦の支援、艦隊としての行動に徹したので、敵に数発の命中弾を得ただけで蜂の巣の火だるまとなった。
 そして日本軍の大編隊が到着するまでに戦艦同士の戦いも決着が付き、水雷戦隊が介錯の雷撃を実施して幕となった。

 その日の空襲は、環礁内への再度の爆撃が実施されたが、既に水上艦が到着していたので、抵抗力のある艦への爆撃を実施したあとは、空母機動部隊本隊はアッズを離れて逃走した他の艦艇を追いかけ始めた。すでに全周囲に偵察機も放たれており、1隻も残さず仕留める勢いで空母部隊は艦載機をその翌日まで放ち続けることになる。
 その後環礁では辛うじて砲撃力を残していた《リヴェンジ》《レゾリューション》が、対空砲を打ち上げていたこともあって攻撃隊の目標とされ、《金剛型》4隻が砲撃戦を行うときには砲撃戦能力をほぼ喪失していた。だが魚雷で沈めることも出来ないので、その後1時間近く砲撃と言うよりも艦砲射撃を受けて大破着底の判定となった。
 その他の環礁に残っていた艦艇も、ほとんどが身動きできないので爆撃や艦砲射撃で戦闘力を失い、ほぼ掃討されてしまう事になる。
 その後、4月7日いっぱいまでは第一航空艦隊は周辺を偵察して、発見した逃走中の欧州枢軸側の艦艇を攻撃した。だが二日目の艦砲射撃が実質的な幕であり、ここにイギリス、イタリア合同の欧州枢軸東洋艦隊は姿を消した。
 この戦闘でイギリスは戦艦5隻、軽空母1隻、重巡2隻、軽巡5隻を失い、イタリアは戦艦1隻、軽巡4隻を失った。さらに双方とも駆逐艦も多数失われている。また艦艇以外でも、大型タンカー2隻、大型高速貨物船2隻など、イギリスにとって無視できない損害もあった。だがやはり、大型艦の大量損失が戦略的に大きな問題だった。半年前まで日本海軍に匹敵する戦力と言われた東洋艦隊が、強い日差しの前の氷のように溶けて無くなったので、インド洋での制海権を実質的に失ってしまったからだ。
 空軍で守ればよいという意見もあるが、このアッズでの戦いでも立証されたように、空母機動部隊は望んだときに望んだ場所に圧倒的戦力を投入することが出来る。それに空軍で守るには、インドまで空軍を持ってきた上に戦力を維持しなければならない。そして戦力を維持するためには、海を通ってインドに兵力と物資を運び込むより他無かった。つまり、アッズでの東洋艦隊壊滅は、インドでの枢軸側の戦略的な敗北を決定づける一撃となったのだ。
 この後もインドでの戦いは続くが、インドでの戦闘は欧州枢軸陣営にとって苦行僧の修行ような戦闘でしか無かった。

 なお、アッズでの戦闘は「アッズ環礁攻撃」と呼称され、連合軍は戦果を大いに宣伝して国民の士気を煽り、アメリカの新聞はアクシス(枢軸)東洋艦隊を第二のバルチック艦隊と報じている。そして友軍の日本の第一航空艦隊は「キラー・フリート」と称えられた。「アルマダ(無敵艦隊)」と言う声もあったが縁起悪いと言う意見もあり、よりアメリカらしいニックネームが世界初の空母機動部隊に贈られることになった。
 実際、環礁内がほとんどとはいえ、一度に戦艦6隻も沈めた大戦果でしかも極端なほどのワンサイドゲームは、日露戦争でのツシマ海戦以来とすら言えるものだった。あまりの大きな戦果に、日本側は最初「詳細を調査中」と注釈を付けるなど自らの戦果の大きさに強い疑問を感じていた程だった。
 欧州枢軸側は、最初はあまりの損害の大きさに連合軍の欺瞞だと訴え、事実だと分かってからは損害を正確には伝えなかった。何しろこれで、イギリス本国はアジアに送り出した旧式戦艦7隻全てを失ったからだ。イタリア海軍も、今までに失った戦艦は全体の3分の1の2隻だったが、海軍の規模自体の差から実質的に半壊に近い損害だった。実際イタリア海軍は、損傷艦の多さもあって一時的ながら半身不随に陥った。

 そしてこの戦闘にも、イタリア海軍にまつわる後日談があった。
 その後、呆気なくアッズ環礁を制圧してしまった日本軍は、慌てるようにセイロン島よりも先にこの環礁を占領して基地を開設した。そして大破着底した多くの艦艇を名目上接収したが、その中に比較的状態の良い戦艦があった。戦艦《リットリオ》だ。《リットリオ》は大破着底後に損害による浸水のため動力(電力)が完全に無くなった為、戦闘終盤に対空砲すらほとんど撃てなくなった。おかげで日本軍からの注目も浴びず、徹底した爆撃や砲撃も免れた。乗員の多くも生き残ってそのまま日本軍に降伏した。そして本来ならそこで話しは終わるのだが、シンガポールでの《カブール》の話しを聞いた《リットリオ》の乗組員の多くが自分たちも同じ行動を取ると言いだし、そして《カブール》同様に《リットリオ》の修理を連合軍に依頼した。
 新鋭戦艦の獲得と寝返りは大きな宣伝効果があると考えた連合軍は、《カブール》同様《リットリオ》も再生を決定。日米の工作部隊が、安全となって以後のアッズへ押し掛け、まずは回航できるだけの修理を施し、そしてこちらも日本へと回航した。
 呉では先に《カブール》が修理と改装を受けており、1942年暮れに《カブール》と《リットリオ》は奇妙な再開を果たすことになる。そして既に《カブール》の修理で経験を積んでいた為、意外に早く《リットリオ》は修理され、名前も《イタリア》に改めた上で自由イタリアの旗艦として連合軍に加わることとなる。



●フェイズ19「第二次世界大戦(13)」