●フェイズ57「第二次世界大戦(51)」

 連合軍のイギリス本土「奪回」作戦は、大きく3つの段階に分かれていた。
 第一段階は、辺境沿岸部の制空権獲得の目処を付けること。これは、1945年4月一杯続いた空母部隊による空襲でほぼ達成された。イギリス空軍の攻撃部隊が艦隊攻撃に出てこなかったのは予想外だったが、大きな問題はないと考えられていた。
 第二段階は、イギリス本土中枢に進撃するための橋頭堡もしくは前線拠点の確保。そして第三段階は、イギリス本土中枢への強襲上陸とそしてイギリス全土の解放となる。
 そして1945年6月、第二段階が発動される。
 作戦名は「オペレーション・アイスバーグ」。日本名「氷山作戦」となるが、バーグはゲルマン系つまりドイツ系の「山」という意味がイギリスに伝わって出来た言葉だ。北の海から押しよせる氷山になぞらえた作戦名だと一般的には言われるが、穿った見方をする者は欧州枢軸に対する当てつけとして作戦名に英独合わさった言葉を採用したと言った。もっと酷い者は、欧州枢軸をいずれは溶けて無くなる氷山に例えたのだと言った。
 もっとも、作戦名自体は単純な順番だったとする説も多い。
 そして連合軍は、自らが立てた押し迫る戦争スケジュールに動かされるままに目標に従って動きだした。

 1945年5月24日、連合軍の大艦隊が北アメリカ大陸北東部から出撃した。空母機動部隊は英本土各所への空襲を繰り返してから帰投してすぐの出撃だが、全てが織り込み済みのため補給と最低限の整備、乗組員の最低限の休養、さらには新規艦艇の迎え入れと艦隊の再編成まで行われていた。一連の空襲で艦艇の損害が無かったのが、うれしい誤算なぐらいだった。伊藤とキンメルの艦隊は、さらに陣容を分厚くしていた。
 5月27日には、その先発していた空母機動部隊の前衛部隊が、英本土北部沿岸各地を再び空襲した。そして28日、電撃的に襲来した高速艦艇で編成された船団に運ばれた自由イギリス海軍の海軍コマンドと陸軍の1個旅団が、英本土北部のヘブリディース諸島に上陸を開始する。自由イギリス軍のみが上陸したのは、そこが英本土の一部だからだ。
 遂に連合軍は、英本土に一歩を記したのだ。
 本来なら、この時点で英本国空軍は全力で迎撃を開始するべきだが、北部のレーダーサイト、空軍基地が壊滅状態から立ち直っていないため、機体とパイロットがあっても北からの攻撃に十分対処出来なかった。またその機体とパイロットも、連合軍がコーンワル半島に侵攻してくる可能性がある程度高いと予測していた為、一部戦力の再配置から始めなければならなかった。
 それに枢軸側の大前提として、艦隊と空軍の共同攻撃までは戦力温存が強く命じられていた。単独で戦っても各個撃破されることは、今までの戦いで嫌と言うほど痛感させられていた。そして乾坤一擲、存亡を賭けた戦いなので、一度に全ての戦力をぶつけなければ意味が無かった。
 この戦いは、文字通りの決戦だった。

 ヘブリディース諸島は、英本土の先にある細長い諸島だが、北にありすぎること、地形が険しい事、気象条件が悪すぎることなどから、殆ど人の住まない場所だった。飛行場を作れる場所など無いが、それでもイギリス軍のレーダーサイトや監視哨が各所に置かれていたが、全て先月の爆撃で「地図のシミ」となっていた。アイスランドからの重爆撃機の空襲が散発的に続くため再建もできておらず、その再建も本土を優先したので後回しにされていた。僅かに守備隊が再配置されていたが、大規模な上陸をされることは想定外だったため、ほとんど何も出来ずに、降伏するか荒れ地の奥地へと逃れるしかなかった。
 連合軍の目的は、何カ所か波の静かな入り江を確保する事にあった。これから始まる大作戦で損傷した艦艇を一時避難させ、進出した工作艦で応急処置するためのものだった。そしてそうした場所を占領する以上、本格的な大規模上陸作戦が始まった事は間違いなかった。
 しかしイギリス本国は、北で地形も厳しい北端の島々に最初に上陸してくるのは、ほとんど想定していなかった。しかしこれで、連合軍の侵攻がノースアイルランド又はスコットランド方面と確定したので、それだけが救いと言えた。それまでは、アイルランド参戦の謀略はもちろん北部への攻撃はあくまで陽動で、連合軍の本命がコーンワル半島かもしれないという考えを棄てきれなかったからだ。
 もちろん、連合軍の本命はノースアイルランドまたはスコットランドだと考えられていた。だが、既に戦力差が大きく開いている現状では、連合軍は回りくどいことをせずコーンワル半島に強襲上陸を仕掛けてくる可能性も棄てきれないとも考えていた。そのための謀略や陽動攻撃と考えると、辻褄も合ってくるからだ。
 また、ノースアイルランドまたはスコットランド方面に攻めてくる際の拠点の一つとして、ヘブリディース諸島に襲来する事も一応は想定されていたが、4月半ば以後の空襲で可能性が多少は下がったと判断された。コーンワル半島方面を激しく空襲した規模が陽動とは思えなかったからだ。無論、陽動のため空襲を繰り返したと言うのが真相であり、イギリス本国軍でもそう言う見方は強かった。自分たちが英本土を攻略するのならば、ノースアイルランドから手を付けるからだ。
 だが、可能性がゼロではない以上、コーンワル半島方面の防衛を無視するわけにもいかなかった。北に戦力を集めすぎたところに不意を打たれたら、一瞬で奪われてしまいかねないからだ。
 とはいえ、イギリス本国軍は連合軍を過大評価しすぎていたとも言えるだろう。もしくは、海で隔てられたノースアイルランド、防衛も難しいスコットランドより、平地が多く中央からの増援も送り込みやすいコーンワル半島方面に攻めてくることをイギリス本国軍が期待していたとも言える。この事は、切り札の一つでもある「グロスター・ミーティア」ジェット戦闘機が運用できるコンクリート製滑走路を持つ飛行場が、コーンワル半島にも多かったことから伺い知ることができる。歴史上でも、追い込まれた側が自分たちの都合で防衛計画を進めることは良くあることだった。
 とにかく、連合軍は英本土侵攻の第一歩として、いささか地味ながらヘブリディース諸島に第一歩を記した。
 そしてこれで、イギリスのみならず全ヨーロッパに警報が鳴り響いた。戦史などでは、戦いを告げる角笛が鳴り響いた瞬間とも言われる。

 欧州枢軸陣営は、1945年初夏から初秋までのどこかで、連合軍がイギリス本土に侵攻してくると予測していた。そして、どこに侵攻されても簡単に防げないことも分かっていた。だからこそ、反撃の手段となる機動戦力である海軍整備に力を入れ続けていた。消耗した空軍の回復にも務めた。
 そして連合軍はやって来た。
 北部から侵攻してきた以上、次の目標はスコットランドの北西部に位置するアイラ島と考えられた。アイラ島はアイラ・モルト・ウィスキーで有名な島だが、ノース海峡の北の入り口にあり、戦略的に重要な場所にあった。そしてこの島を占領して海峡の制海権を得ると共に、アイルランド島またはブリテン島北部上陸の前線拠点とすると見られていた。
 このためイギリス本国軍も、万が一の事態に備えてこの島には一定程度の守備隊を置いていた。とはいえ、総面積600平方キロメートルで英本土のような平坦な地形なので、あまり守備隊を置ける環境でもなかった。海岸線の長さを考えたら全ての場所の水際で撃退するのは無理で、上陸に適した限られた場所とその後背に守備隊を置くしかなかった。その戦力も、本命ではないので大部隊を置いても仕方ない。最悪無視され、存在価値のない遊兵と化してしまう。このため1個師団が守備についているだけで、1944年に入ってから一時増援された工兵と共に各地に砲台や防御陣地を作っていた。
 そして中途半端にしか守られていないアイラ島に、連合軍の上陸部隊が出現する。

 6月1日、巨大な戦艦が何隻も並んで、盛んに艦砲射撃を実施。上空には白黒の「侵攻帯」を付けた無数の航空機が舞い、蛇の目だけを付けたイギリス本国空軍を蹴散らした。上陸に先駆けても、甲板上に無数のロケットランチャーを並べた火力支援艦と、ギリギリまで近づいてきた駆逐艦が、手当たり次第に上陸地点を叩いた。そしてアメリカ海兵隊1個師団が、今までの戦闘よりもさらに洗練された装備と戦術を有した多数の水陸両用車両を先頭にして上陸を開始する。M11を先陣とした小型艇の挺団は、もはや見慣れた光景ですらあった。
 上陸予想地点なのでそれなりに陣地と砲台があったが、多くを破壊された上に制空権、制海権は絶対的なため、守備隊はほとんど何もできなかった。それでも残る火力を海岸に迫る敵に向けるも、火を噴いた途端に連合軍の砲撃や爆撃が集中して沈黙していった。
 北大西洋上の沖合には無数の空母が展開しているため、ようやく再配置が進んだイギリス本国空軍は反撃の糸口が掴めない状態だった。そして連合軍の侵攻部隊を攻撃するには海軍との連携が必要不可欠だが、海軍は敵の主力侵攻部隊が現れるまで出撃しない方針だった。これはイギリス本国海軍のみならず、ドイツ、フランスなど欧州枢軸全体の方針でもあった。一撃で決定的成果が得られる出撃でなければ、ようやく再建された海軍主力部隊をすりつぶす意味がないからだ。もちろんだが、欧州枢軸各国の海軍の出撃準備は急ぎ進められ、欧州枢軸始まって以来の大艦隊が姿を見せつつあった。
 そして彼らが撃滅するべき敵の侵攻部隊が、遂に姿を見せたからだ。

 6月5日、連合軍の巨大な侵攻船団がアイルランド島北東海域に姿を見せる。そして彼らの侵攻速度を考えると、上陸場所がほぼ確定できた。スコットランド中枢地域に上陸するのなら、もう一日早く同じ海域に進出しているべきだったからだ。アイラ島に上陸したことでスコットランド上陸の可能性も高まったが、それならさらに内陸よりの島にも早い段階で手を出していると考えられた。
 だが、スコットランドに上陸してくる場合も想定しなければならないため、戦力の配置は中途半端にならざるを得ない。仮にスコットランドに上陸を許した場合、南部のブリテン中心部とは高地で隔てられたスコットランドを前進拠点として、空と海だけでなく陸でも前線を構えなければならないが、その場合イギリス本国の方がより不利になると予測された。もちろん、補給や制空権の面で連合軍が不利な要素も強まるが、相対的な戦力差から連合軍が危険を冒してでもスコットランドに来る可能性は否定出来なかった。
 だが、船団の位置と速度から考えると、潮位が丁度良くなる6日の早朝までに船団がスコットランドの上陸予測海岸の沖合に展開することは不可能だった。速度を上げれば可能だが、それをするには船団が巨大すぎるし、そもそも船の速度的に無理だった。つまり7日のスコットランド上陸を予定していると考えられるが、それにしては位置が中途半端だった。
 そしてスコットランド上陸という予測に足を引っ張られていた為、イギリス本国軍は本命の防衛のための動きが遅れざるを得なかった。

 連合軍の目標は、ノースアイルランド。
 上陸地点はアイルランド島の北東部で、占領したばかりのアイラ島のノース海峡を挟んで向かい側の辺りだ。この辺りなら辛うじて大部隊が上陸できる砂浜や海岸が広がっており、そしてノースアイルランドは平坦な地形なので、上陸して橋頭堡を作ってしまえば、短期間での全地域制圧は比較的容易いと結論されていた。本土から孤立している上に、配置されている戦力が限られているからだ。加えてノース海峡にさしかかるので、上陸地点の波の高さも許容範囲と判断されていた。
 連合軍がノースアイルランド侵攻で軍事的に注意するべきは、上陸地点に殺到してくると予測される枢軸側の海軍と空軍だけだった。そして何より、軍事的以上に注意するべきは政治的問題だった。
 ノースアイルランドは、イギリスの歴史上、政治上で極めてデリケートな場所だからだ。加えてアイルランドと国境を接しているため、国境近辺での戦闘行為は慎重に行わなくてはならなかった。英連邦自由政府も、ノースアイルランド侵攻は何度も中止を要請したほどだ。だがチャーチルは、逆にノースアイルランドから英本土に進むことこそが、正統なイギリス奪回の道筋と考えて賛同し、反対する人々を説得した。
 ノースアイルランド侵攻に際した連合軍の戦略目的は、可能な限り確実かつ迅速に英本土中枢部進撃のための前進拠点を確保すること。特に多数の空軍部隊を展開させる為、安全な拠点として機能するノースアイルランドを求めた。連合軍としては、ノースアイルランドで空軍部隊を本格的に作戦行動開始させた時点で、英本土奪還もしくは解放は成功したも同然で、あとは時間がどれほどかかるかという事だけだった。そしてそれも1945年内には決着が付くと見ていた。同年9月には、ブリテン島への上陸を予定して準備が進められていた。
 なお同時期、南フランスでも本格的反攻作戦が開始され、ロシア戦線でもソ連軍が大規模な夏季攻勢の準備を進めていたので、欧州枢軸各国はイギリス本土救援に海軍以外を出すことは不可能と判断されていた。
 1945年6月は、連合軍の総反攻の時だった。
 そして枢軸側は、戦争全体の決定的破局を避けるため戦わねばならなかった。特に、イギリス本国政府の動揺と焦りは強かった。何度も言うが、ノースアイルランドはイギリスの政治上で、極めてデリケートな場所だった。仮にアイルランドが参戦しないとしても、ノースアイルランドを連合軍、わけても本国政府にとっては反逆者の英連邦自由政府が支配すること事は、断固として受け入れられなかった。政治的には、ブリテン島に侵攻される方がまだマシというほどの場所だった。だからこそイギリス本国政府は、総力を挙げて敵侵攻部隊を攻撃することを枢軸各国に伝え、海軍主力部隊の総力出撃を極めて強く、脅してまでして要請した。そしてドイツ総司令部も、この戦いで連合軍を撃退できなければイギリスが戦争から脱落し、欧州枢軸の戦争経済の瓦解が一層進むと考え、海軍に総力を挙げた出撃を命令した。
 ヒトラー総統は「死力を越える力を出し尽くして戦う以外、勝利の道はない」と檄を飛ばした。

 枢軸各国の海軍は、戦争が中盤にさしかかる頃、戦争に間に合うように連合軍に対抗できる大型艦艇を多数建造した。そしてそれらの多くは、1944年秋から45年春にかけて就役し、少ない燃料と時間の中で訓練に明け暮れていた。
 そしてその艦隊が、ついに動きだす。
 以下が1945年6月初旬の編成になる。

 ・イギリス本国艦隊(ホランド大将)
・A部隊(主力艦隊)(ホランド大将)
 BB《ライオン》BB《テレメーア》BB《サンダラー》BB《コンカラー》
 BB《キング・ジョージ5世》BB《アンソン》BB《ハウ》
 BC《フッド》
 CG:《ノーフォーク》CG《サセックス》CG《ロンドン》
 CL:2隻 DD:9隻

・W部隊(空母機動部隊)(艦載機:約300機)(ソマーヴィル大将)
 CV《オーディシャス》CV《イーグル》
 CV《イラストリアス》CV《ヴィクトリアス》
 BC《レナウン》
 CL:4隻 DD:8隻

・Z部隊(空母機動部隊)(艦載機:約300機)(フレーザー大将)
 CV《インプラカプル》CV《インディファティガブル》
 CVL《コロッサス》CVL《グローリー》CVL《オーシャン》
 CG:《ケント》CG《サフォーク》
 CL:3隻 DD:6隻

 ・ドイツ大艦隊
・空母部隊(艦載機:約230機)(シュニーヴィント上級大将)
 CV《アトランティカ》CV《パシフィカ》
 CV《グラーフ・ツェペリン》
 CVL《ザイトリッツ》
 CG《プリンツ・オイゲン》CG《アドミラル・ヒッパー》
 CL:1隻 DD:6隻

・主力艦隊(クメッツ上級大将)
 BB《フリードリヒ・デア・グロッセ》BB《グロス・ドイッチュランド》
 BB《テルピッツ》
 BC《シャルンホルスト》BC《グナイゼナウ》
 AC《リユッツォウ》AC《アドミラル・シェーア》
 CL:2隻 DD:7隻

 ・フランス大西洋艦隊(艦載機:約90機)(ジャンスール大将)
 CV《ジョッフル》CV《ペインヴェ》
 BB《ジャン・バール》
 BC《ダンケルク》BC《ストラスブール》
 CG《アルジェリー》CG《フォッシュ》CG《デュプレ》
 CL:4隻 DD:11隻

 この他に低速の旧式戦艦や軽巡洋艦などもあったが、高速打撃戦力の全てが結集されていた。戦艦、巡洋戦艦合わせて17隻、航空母艦15隻、重巡洋艦12隻、総数100隻以上にもなる。そして大型艦艇は、就役から1年に満たない新鋭艦ばかりで、中には2ヶ月前に就役したばかりという艦艇もあった。順に見ていこう。
 イギリス本国海軍の《ライオン級》戦艦は、当初予定では基準排水量4万600トンだったが、防御力の強化、対空装備の増強、艦橋構造物の変更など様々な変更の結果、4万4500トンまで増加した。4番艦の《コンカラー》は、防御力をさらに強化したので1000トン以上増えている。
 全長は248.2メートル、13万馬力で30ノット発揮できた。しかし30ノット出した場合は波が静かで軽荷状態なので、実際は28ノット程度で、燃料弾薬を満載したら27ノットが精々だという説もある。しかし荒天には非常に強い船体を持っており、船の安定性も高かった。これは本国近海の荒海に対応したものだった。
 主武装は、新型の45口径16インチ砲3連装3基9門。旧式の《ネルソン級》とは違う新開発の砲で、威力はかなり高められていた。
 長い伝統を誇るイギリスが産み出した最後の戦艦だが、連合軍での評価は《高雄型》以上《アイオワ級》以下程度になる。しかし同型艦が4隻揃っているというのは十分に脅威だった。
 空母は《オーディシャス級》。基準排水量3万6000トンの大型空母で、排水量だけなら日本の《大鳳型》と同等。飛行甲板に装甲を施した重防御空母で、全長が245メートルだが幅も広めに取っているので安定感がある。搭載機数は約100機だが、通常は90機程度で、飛行甲板への過積載で110機まで搭載できた。この時の出撃では過積載で臨んでいる。同型艦は《オーディシャス》《イーグル》《アーク・ロイヤル》《イレジスティブル》の4隻あるが、《アーク・ロイヤル》《イレジスティブル》はまだ艤装中のため間に合わなかった。
 軽空母《コロッサス級》は、戦時用の簡易建造空母として計画されたが、当初計画では速力が遅すぎると判定されて、機関を強化した設計変更を行った。合わせて様々な改訂を行った結果、当初1万3000トン程度の予定が3000トンも増えていた。このため軽空母と言うより中型空母に近いが、防御力に難点があるなどの欠点から軽空母に分類されている。同型艦は、《コロッサス》《グローリー》《オーシャン》になる。
 他に商船改造の簡易護衛空母が数隻と《ユニコーン》があったが、《ユニコーン》は航空機整備用の空母として計画されて低速のため、この戦いには参加しなかった。

 ドイツの新鋭艦は、《フリードリヒ・デア・グロッセ級》戦艦と《アトランティカ級》空母になる。どちらも欧州最大級の大型艦であり、ヨーロッパの盟主としての威信を賭けたドイツ期待の大型艦だった。特に新しい機械好きのヒトラー総統の期待は大きく、ネームシップの進水式と就役式に参加して得意の弁舌を振るったほどだった。
 《フリードリヒ・デア・グロッセ級》戦艦は、全長277.5m、全幅37.0m、基準排水量5万2600トンの巨体を、16万5000馬力で30ノット出すことが出来た。船体の大きさだけなら、日本の《大和型》を凌ぎ世界第二位となる。同型艦は《フリードリヒ・デア・グロッセ》と《グロス・ドイッチュランド》の2隻。
 本クラスの最大の特徴は、動力がオール・ディーゼルだった事だ。本クラスでは4基の大型ディーゼルを一組として、合計12基で3軸のスクリューを駆動するシステムを持っていた。これは後の一般商船で多用されるマルチプル・ユニット・システムの元祖でもあった。そして航続距離は破格の長さがあり、16ノットで19000浬の航続距離があった。またボイラー、タービンを搭載しいないことで乗組員の減少にも大きく成功し、しかも多数の潜水艦運用で培った船員を転用できるため、戦後の乗組員不足の補完効果も持っていた。また、この規模の大型艦としては、3軸推進も珍しいと言える。
 主砲は47口径16インチ砲。威力はアメリカの50口径16インチ砲とほぼ同等の威力で、連装砲塔なので射撃速度は約20秒と非常に速かった。しかし早く射撃できると言うだけで、実際は着弾観測射撃をするのであまり意味は無かった。だが、ドイツの照準性能は世界一級で、レーダーもイギリスからの技術導入もあって非常に性能は高かった。砲撃能力については、世界第一級の性能と言って間違いないだろう。
 特徴にして欠点は、防御力にあった。ドイツは、自国で生産されるヴォータン装甲が、他の国々の装甲の一割以上高い強度を持つとして特に不安を持っていなかったが、特に後世批判されることが多い。航空攻撃や雷撃にも効果がある伝統の重防御構造なのは優位な点だが、後生に伝わる図面通りでは各部主要装甲の厚さが十分ではない。また、構造自体が少し古くさいので、特に遠距離砲撃戦での防御力が弱いと見られている。中距離砲撃戦が前提でその場合は全然違うと言われることも多いし、実際に沈みにくいことは確かなのだが、やはり建造経験が足りないと見るべきだろう。そして大戦中に改善しなかったのは、ドイツ建造界の後進性もしくは怠慢を象徴しているとも言える。
 《アトランティカ級》空母の方は、ある意味開き直っていた。イギリスから《オーディシャス級》の図面を購入して、自らの《グラーフ・ツェペリン》空母と掛け合わせた急増の設計だった。基準排水量3万9000トン、全長も251メートルと《オーディシャス級》よりも少し大型だが、完成度はあまり高くはない。二つの特徴を取り入れようとして失敗している部分が多々見られるが、建造経験の少なさを考えると、ドイツとしては短期間で世界最大級の大型空母を比較的短期間で建造した事自体が、むしろ快挙と言えるだろう。
 同型艦は《アトランティカ》と《パシフィカ》の2隻。搭載機数も、元となった《オーディシャス級》とほぼ同じだが、パイロット、整備員、高空参謀は全て空軍からの出向のままで、ハードよりもソフト面の問題はそのままだった。
 フランス海軍は、44年秋以後に新規に就役した大型艦はないが、建造中に戦艦から空母に途中で変更した《ガスコーニュ》が艤装段階にあった。就役すればヨーロッパ最大級となるが、元となる戦艦の建造開始が遅かった事と、フランス自体が工業力を衰えさせていた事から、目標期日までに完成させることが出来なかった。しかし、工員の未熟から完成度が甘く、この戦いに間に合わなくて良かったと言われることも多い。

 以上の大艦隊は、基本的に英仏海峡の東寄りの各所に停泊いた。ドイツも近在のヴィルヘルムス・ハーフェンが拠点なので、3国の艦隊は近い場所に居たことになる。これは偶然ではなく、連合軍の不意の空母の大規模空襲を警戒しての事だった。フランスの場合は、大西洋側最大の拠点ブレストから実質的に逃げ出していたし、大型艦建造施設のあるサン・ナゼールも、戦々恐々で建造を続けている有様だった。イギリスにしても、新型空母の《アーク・ロイヤル》《イレジスティブル》などの建造が遅れたのは、造船所が集中するスコットランドのグラスゴーが何度も空襲を受けた影響だった。
 未完成艦の事はともかく、以上の艦隊を用いた基本作戦は、空母機動部隊と空軍の共同攻撃で連合軍の空母機動部隊を撃破、最悪でも封殺し、その間に主力艦隊が上陸地点に突入して上陸船団を粉砕するという攻撃的な内容だった。
 空母15隻、艦載機900機を揃えても、連合軍の空母機動部隊は実戦力で三倍以上あった。だからこそ損害を覚悟した上での攻撃的な作戦以外で、撃退以外の結果はあり得てはいけないと結論されていた。また、この作戦は最低限の机上演習も実施されており、通常の作戦をした場合は何も出来ないまま戦力だけがすり減らされ、目的を何一つ達成できないと結論されたため立案されていた。連合軍は枢軸枢軸軍を押し潰せるできるだけの戦力を揃えた上で攻め込んでくるのだから、通常の方法で勝てないのは道理だった。だからこその刹那的な作戦と言えるだろう。
 艦隊は完全に各国連合とされ、イギリスとドイツの空母部隊はフランス艦隊を前衛として空母機動部隊を編成。残るイギリス、ドイツの水上打撃艦隊が、敵艦隊を押し通って上陸船団を粉砕する事になる。指揮権は、最も多い艦艇を有する英本国海軍のフレーザー大将にあったが、ドイツの指揮官が上級大将という上位の階級になるため、実質的には要請しか出せない状態だった。また、軍人の昇進に厳しい日米と違って大将、上級大将という上級指揮官が多いところがヨーロッパの海軍らしい。
 作戦名は「ラグナロック」。各艦隊のコード名もワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」にちなんでいた。元は「V作戦」の一環として作戦が練られていたが、モロッコ失陥後に「V作戦」は無くなり、新たな連合軍迎撃作戦として作成された。そしてこの作戦も、幾つかの想定が用意されており、今回の作戦は「ラグナロック・ドライ(III)」つまり三番目の作戦と言うことになる。
 やはりと言うべきか、作戦名は作曲家リヒャルト・ワーグナー好きのヒトラー総統の命名で、巨人と神々の戦いを自分たちになぞらえたと言われる。しかし神話の通りに進めば、神々は全滅に近い打撃を受ける事になる。
 そして神々よりはるかに強大な巨人の群れである連合軍だが、僅か2ヶ月前よりさらに戦力を増やしていた。

 イギリス本土への侵攻作戦に際して、全般的な護衛を担う連合軍海軍は、アメリカ海軍と日本海軍の空母機動部隊と主力艦隊が担うことになっていた。自由イギリス海軍も有力な艦隊はあったが、あくまで上陸部隊と共に行動する事になっていた。連合軍として、イギリス本土侵攻の正当性を示すための存在なので、危険の多い場所には配置できないからだ。
 日米の艦隊が空母と戦艦に分かれているのは、北大西洋の天候の気まぐれさと荒々しさを踏まえての事だった。突然天候が荒れて空母が艦載機を運用できなくなった場合、大きな波をものともしない巨大戦艦の群れで上陸部隊と船団を守ろうという事だ。しかし艦載機が運用できないほどの波だと、上陸作戦自体が出来ない場合がほとんどなので、慎重すぎるという意見も強かった。特に空母マフィアと呼ばれる空母機動部隊を重視する軍人達は、戦艦などの有力艦艇は全て空母の護衛に充てる方が有効だと唱えていた。
 そして空母マフィア達だけでなく、多くの者が新時代の海軍の主力と認める空母だが、連合軍はさらに新型を送り込んでいた。しかも日米共に最新鋭の空母を各2隻ずつ用意していた。
 日本の空母は《改大鳳型》として計画された《雲龍型》航空母艦。基準排水量3万8000トンの大型空母で、《大鳳型》よりも設計が簡易化されていたが、見た目と性能は《大鳳型》とほぼ同じだった。《雲龍》《剣龍》《瑞龍》《仁龍》の4隻が計画されたが、《雲龍》《剣龍》だけがこの戦場に間に合っていた。
 アメリカは、破格の巨体を誇る《ノース・アトランティカ級》航空母艦を、早くも戦場に送り込んできた。全長295メートル、基準排水量4万5000トンと、どちらも第二次世界大戦最大級の規模の航空母艦だった。それだけでなく、性能も他の追随を許さず、艦載機総数は当初の予定で136機もあった。しかもこの巨艦は、1、2番艦だけではあったが、僅か2年足らずで起工から就役までこぎ着けている。想像を絶する建造速度の早さであり、だからこそこの戦いに間に合ったのだ。
 しかし計画を急いだので、最初から欠点が見られた。
 船体は既存の設計で最も大きな《モンタナ級》戦艦を流用したため、戦艦としての設計の上甲板を格納庫の甲板として、開放型格納庫の上に装甲化された飛行甲板を設置した。しかし装甲が重いので可能な限り重心を落とした為、開放型格納庫は波が荒いと海水が入ってくる状態だった。そればかりか、酷い荒天だと飛行甲板にまで波が上がってくる事があった。この点は、日本とイギリスが閉鎖型格納庫を採用したのだが、どちらが正かは言うまでもないだろう。
 それでも通常の状態なら、《NA級》は強大な戦闘力を有する世界最大最強の航空母艦だった。この空母の為に、新たにCVBという艦種まで作られたほどだ。
 なお、8隻が第一期として計画され、1944年にはさらに4隻が追加された。だが1945年6月の戦いに間に合ったのは、《ノース・アトランティカ》《プエルトリコ》の2隻だけだった。北米東岸各地の艤装岸壁では、《ジャマイカ》《オリスカニー》《ヴァリー・フォージ》《アンティータム》《バミューダ》《カリブ・シー》の6隻が建造又は艤装中で、45年春以後は3ヶ月に1隻程度の間隔で就役が予定されていた。このため1シーズン・キャリアーと言われることもある。

 日米の新鋭空母が加わった空母機動部隊の陣容は、モロッコ沖、コーンワル半島沖での戦いを越える規模となった。アメリカは大型空母19隻、軽空母9隻、日本が大型空母10隻、中型空母2隻、軽空母8隻の合計48隻にも達した。しかも上陸支援部隊には、護衛空母6隻を中核として編成した支援空母群が4群、合わせて護衛空母が24隻もあった。さらに自由英海軍の空母2隻も加わる。その上、潜水艦制圧を任務としたハンター・キラー戦隊に属する護衛空母多数が、潜水艦制圧や道中の船団護衛を請け負っていた。さらに後方の補給部隊にも、多数の護衛空母までいる。累計すれば、作戦に参加する空母の数は実に90隻を数える。
 艦載機数は、高速空母群だけで日本が1200機、アメリカが2100機に達する。これに上陸支援する護衛空母の艦載機が700〜800機近く加わる。さらに、間接的に船団を護衛するハンターキラーも200機が追加される。そして補充用の航空機が300機程度は、即時に増援可能だった。
 つまり4000機、4個航空艦隊規模の小型単発機が作戦に直接参加することになる。加えて言えば、空母以外が搭載する水上機が全軍合計で約200機以上あり、アイスランドから約200機の重爆撃機、飛行艇、偵察機が支援に当たる。陸軍機の数が少ないので、作戦参加する航空機数はモロッコ作戦とほぼ同じだった。このため連合軍は制空権獲得に少し不安を抱えており、そのため南フランスとの同時作戦となっていた。南フランス方面では、イタリア方面などの支援作戦を含めると約1万2000機の空軍機(各陸海軍航空隊)が作戦参加するため、英本土に他の枢軸国の援軍がかけつけさせないように手配されていたのだ。
 そして制空権の要となる高速空母群は、日本は20隻を4群に再編成し、アメリカは28隻を6群に再編成した。合わせて10群の高速空母群が作戦参加する事となる。
 各空母群は、空母4〜5隻を20〜25隻程度の艦艇で護衛するので、これだけで270隻以上にもなる。そしてこれに、日米共に新鋭戦艦で固めた主力戦艦部隊が加わる。しかし戦艦の出番はあくまで艦砲射撃で、水上戦闘では補助的な役割しかないと考えられていた。当日の海と空の天候は、空母と航空機を運用するのに特に問題がないと判断されていたからだ。しかも夏至が迫る6月初旬なので、北の空は朝の3時から夜の9時頃まで明るかった。
 加えて言えば、イギリス本国空軍は4月に徹底的に叩いているため、実働戦力は連合軍側の半数もないと見られていた。
 英本土の戦いも、連合軍にとっては「約束された勝利」だった。

 そして6月6日黎明から、ノースアイルランド上陸作戦が開始される。



●フェイズ58「第二次世界大戦(52)」