●フェイズ61「第二次世界大戦(55)」

 1945年6月7日の夜が明けた頃、連合軍は敵が戦艦多数を擁する主力艦隊を橋頭堡と船団にぶつけてくることを予測していた。イギリス海軍の主力艦隊が、これ見よがしに迫っているから間違いようのない「予測」だった。
 しかし、これこそが囮ではないかという意見も強かった。本来なら夜間に上陸地点に到達して攻撃し、闇夜に紛れて逃げるのが定石だからだ。もしくは、深夜に危険度の大きい海峡突破をするべきだ。それを白昼堂々突破して、昼間のうちに艦砲射撃を仕掛ける積もりに見えたからだ。この場合、夕闇と共に去って闇夜の中逃走することが出来るので、メリットがないわけではない。だが、それでもより危険度が高かった。
 だからこそ連合軍の空母部隊は、勇敢に突撃してくる戦艦部隊を無視して、敵空母と航空戦力の撃滅に全力を傾けた。戦艦こそが、戦力分散させるための囮と考えたからだ。だが、放って置くわけにもいかないので、対応する戦力も準備した。
 迫り来るイギリス主力艦隊に対しては、少しばかり感傷的に連合軍も主力艦隊で迎え撃つこととなる。感情的には、昼間砲撃戦を臨むべく挑戦状もしくは白手袋を叩きつけられたと解釈したし、現状では空母部隊や空軍機の空襲のため、空母艦載機に暇がない可能性が高いからだ。それに連合軍は、枢軸海軍が戦艦部隊をぶつけてくると当初から想定していた。自分たちが敵の立場でも、同じ事を考えたからだ。特に日本海軍の将校達は、枢軸側の考えを正確に「予測」していた。「キャプテン・マッド」と呼ばれた神大佐などは、お国言葉丸出しで「他にあり得ませんど」と断言していた。
 そして日米海軍の指揮官たちは、できるのなら艦隊決戦がしたかった。自らの願望と敵への礼儀を満たすには、それが一番だからだ。

 連合軍の主力艦隊は、大きく3つあった。アメリカ海軍のリー提督率いる第24任務部隊。デイヨー提督率いる第61任務部隊。日本海軍の宇垣提督率いる第二艦隊だ。さらに自由イギリス海軍は、自分たちのなけなしの戦艦を割いて万が一の事態に備えていた。これ以外では、日本の空母機動部隊に高速戦艦が随伴しているだけになる。
 だが、戦艦部隊だけで迎撃するわけではなく、イギリスの主力艦隊に対しては付近に展開していた潜水艦部隊に攻撃命令を下していた。

 ポーツマスを出発した時、イギリス海軍の戦艦部隊は以下の陣容だった。

・A部隊(主力艦隊)(指揮官:ホランド大将)
 BB《ライオン》BB《テレメーア》BB《サンダラー》BB《コンカラー》
 BB《キング・ジョージ5世》BB《アンソン》BB《ハウ》
 BC《フッド》
 CG:《ノーフォーク》CG《サセックス》CG《ロンドン》
 CL:2隻 DD:9隻

 A部隊とは、大戦が始まってから一番最初に設立された艦隊の事であり、本国艦隊の主力艦隊を意味していた。これはドイツとの戦争が始まってから変化がなく、艦艇が入れ替わりながらも維持されていた。
 そして1945年の初夏のこの時、A部隊は開戦以来最大級の戦力となっていた。駆逐艦と巡洋艦の数は少なかったが、少なくとも戦艦の数では最大級となっていた。しかもほとんどが建造から5年以内の新鋭戦艦ばかりという状態は、第一次世界大戦以来の出来事だった。
 そして本来なら勝つために進むのだが、彼らはむしろ負けるために進んでいた。もし仮に勝つような事があった場合は、余程の偶然と奇跡と神の恩寵が積み重なったという事でないのなら、作戦自体はむしろ失敗していた。彼らが負けるほどの戦力を連合軍がぶつけてくるのが、作戦の前提条件だからだ。それほど刹那的な出撃であり、英国最精鋭のA部隊は正々堂々負けるために戦場へと向かった。
 枢軸海軍内でのこの作戦立案に際して英本国海軍は、「本国防衛の為の艦隊決戦の名誉を譲るワケにはいかない」、「貴国には得意の輸送船狩りをお任せしたい」と言ったと言われている。
 対するのは、主にアメリカ海軍だった。
 全ての新鋭戦艦で固めた第24任務部隊が主力で、すぐ後ろには第61任務部隊が敵からは島のレーダーの影になるように展開していた。
 迎撃場所はノース海峡の南側。ここを突破されるとむしろ連合軍が窮地に陥るが、狭い海峡では迂回やすり抜けることが難しいので、大軍で進路を塞いで集中砲火を浴びせれば十分に勝利できると考えられていた。撃滅ではなく後退に追いやれば連合軍の勝利なので、尚更勝算は高いと考えられていた。
 ただし海峡の両岸は敵地であり、またイギリスにとっては中庭のような場所なので細心の注意を払って布陣していた。

 イギリス本国艦隊A部隊の進撃は、順調とは言えなかった。
 イギリス海峡を抜けてアイリッシュ海をブリテン島に沿って進んでいるとき、複数の潜水艦からの襲撃を受けた。
 A部隊の行程は、全部で約1000キロ。18ノットで真っ直ぐ進んだたとして約31時間かかる。途中で潜水艦を警戒したジグザグ航行を行わなくてはならないので、2時間ほど余計に時間がかかってしまう。そして6月7日の昼から、できれば午後6時くらいに敵上陸船団に攻撃を開始するスケジュールで進むので、6月6日の朝にポーツマス沖で陣形を整えて進軍を始めていた。
 だがこの行程だと、危険の大きいアイリッシュ海(=北大西洋に隣接した海)は主に深夜に通過しなければならなかった。夜間だと目視監視が難しく、沿岸から飛来する友軍の対潜哨戒機もレーダー監視しかできないので、どうしても守りが手薄になってしまう。そしてそこを、連合軍の潜水艦が突いてきた。
 戦艦はブリテン島寄りに隊列を組んでいたので無事だったが、主力で一番外側の巡洋艦が餌食となった。
 アメリカ海軍の精鋭《ガトー級》潜水艦複数によるレーダーを用いた遠距離雷撃により、《サセックス》と《ロンドン》が相次いで被弾。特に《サセックス》は潜水艦魚雷、しかも高性能火薬を搭載した酸素魚雷が4本も命中したため、ほとんど轟沈といえる時間で沈んでしまった。《ロンドン》は2本で済んだので撃沈は免れたが、何とか自力航行できる程度にまで速力が落ちてしまう。しかたなく護衛に駆逐艦1隻を割いて引き替えさせたが、これで3隻の艦が沈むか脱落してしまう。
 A部隊は、その後すぐに潜水艦を振り切るため増速して海域を突破し、友軍機もさらに数を増して支援したので、さらに損害を受けることは無かったが、先が思いやられる損害だった。だが6月7日は、進撃自体は静かに行われた。連合軍は偵察機こそ送り込んできたが、それも防空任務の友軍機が追い払った。覚悟した空襲もなく、その日の昼を迎えることが出来た。
 しかし、連合軍は攻撃を諦めたわけではなかった。
 まるで西部劇のガンマンのように、彼らは偵察機という決闘状を送りつけてきて、自分たちは決闘場で待ちかまえていたのだ。

 7日の午後2時頃、両軍の戦闘機部隊が敵の偵察機や、連合軍の護衛空母から飛び立った少数の攻撃機などを追い払う中、互いに接近する。周辺の空域では、そこかしこで両軍の航空機が激しい戦いを繰り広げていたが、ノース海峡の南側は比較的静かだった。
 場所はノース海峡の南の入り口付近。ここにアメリカ海軍のリー提督率いる第24任務部隊が重厚な陣容で布陣していた。しかも最初から「T字」を描く形で戦艦部隊が位置しており、巡洋艦戦隊、水雷戦隊はすぐにも突撃できる構えだった。まさに「待ちかまえていた」という表現が相応しい状態だった。
 ただし、海峡の北東から南西に抜けるように移動していたので、英艦隊の動き方によっては反航戦になる可能性の高い陣形でもある。海の広さがないので仕方ないが、これがワナにも見える動きだった。
 そうして遠望できたアメリカ艦隊を見て、イギリス艦隊の司令部ではため息に近いうなり声が漏れた。アメリカ艦隊が想定よりも強化されている事と、アメリカ艦隊しかいない事だ。
 枢軸側の目論見としては、日米双方の主力艦隊がこの場にいなければならなかった。米主力艦隊と共に日本艦隊が整然と隊列を組んでいる状態こそが、英主力艦隊が想定していた敵の陣形だった。それが作戦全体の成功条件だからだ。
 しかし確認できる限りでは、アメリカ海軍の尖塔のような艦橋を持つ戦艦の隊列しか見えなかった。
 だがそれだけで、自分たちを圧倒する戦力だった。

 アメリカ海軍第24任務部隊(指揮官:リー中将)
BB《モンタナ》BB《オハイオ》
BB《アイオワ》BB《ニュージャージ》
BB《ミズーリ》BB《ウィスコンシン》
BB《インディアナ》BB《サウスダコタ》
BB《アラバマ》BB《マサチューセッツ》
BB《ワシントン》
CG《ボルチモア》CG《ボストン》CG《ピッツバーグ》CG《セント・ポール》
CL:3隻 DD:18隻

 以上が編成で、戦艦だけの隊列と巡洋艦の隊列、駆逐艦の隊列に分かれていた。しかも艦艇の全てが、大戦が始まってから就役した新鋭艦艇で編成されていた。しかもこの戦いに際して、アメリカ海軍は期待の新鋭戦艦を、当時のアメリカにしか出来ない建造速度で間に合わせていた。欧州枢軸はまず間に合わないと考えていたのだが、アメリカは過剰な人員と資材を投じて、3交代24時間体制の建造で巨大戦艦を作り上げたのだ。
 アメリカが送り込んできたのあ、《モンタナ級》戦艦だった。
 全長280メートル、基準排水量6万500トン。主砲は《アイオワ級》にも搭載されている3連装の50口径16インチ砲が4基12門。両用砲の数は他と変わらないが、新型の54口径砲を搭載していた。何より本クラスの特徴は、その防御力にある。《アイオワ級》は排水量の問題と高速戦艦という面を突き詰めたため、装甲防御力は十分ではなかった。だが本クラスは、自らの強力な16インチ砲弾に対して万全の装甲が施されていた。それどころか、部分的には日本海軍の46cm砲にも対応できるほどだった。枢軸側の16インチ砲に対しては言うまでもない。
 最高速力は27ノットに抑えられていたが、アメリカ海軍伝統の重武装、重防御型戦艦の完成型と言えるだろう。本クラスは5隻計画されており、残り3隻は主砲を48口径18インチ砲連装4基8門として、防御力、機関出力を強化した形で建造が進められていた。これら3隻は後期型、《改モンタナ級》または《ルイジアナ級》と呼ぶ。
 なお《モンタナ》は45年2月、《オハイオ》45年5月に就役したばかりだった。《オハイオ》は細部の工事を残したままで、戦闘ギリギリまで工員が残って一部工事を続けていたほどだ。乗組員の訓練も、建造半ばから完成した場所から開始され、一部は他の艦や実物大模型を使っての代替訓練までしていた。このため選抜されたとは言え乗組員の練度に若干の不安を抱えていたが、レーダーも最新鋭を搭載していたので砲撃精度の甘さは技術力でカバーできると考えられていた。
 また、最新鋭レーダーを多種多数搭載しているのは他の戦艦も同じで、性能はイギリスと同等か勝るほどだった。つまりイギリス海軍に対して劣る点は全く存在しないわけで、アメリカ海軍、いや連合軍はイギリス海軍の主力艦隊の迎撃はアメリカ艦隊だけで十分と考えての布陣だった。
 だが、戦場では何が起こるか分からないので、念のための後詰めとしてデイヨー提督の艦隊が敵から伏せるように配置されていた。日本艦隊がこの場にいないのは、連合軍としては当たり前だったのだ。
 しかしイギリス艦隊は、当たり前だと納得するわけにはいかなかった。全ての敵を引きつけてこその囮であり、囮の役割が果たせていないからだ。このため戦闘方法の変更が行われた。本来なら敵を引きつけつつねばり強く戦う予定だったが、この場にいない戦艦部隊も引き寄せないといけないので、損害に構わず敵陣奥深くに突撃することとされた。目の前の艦隊を突破さえすれば、後詰めの敵艦隊も出てくるだろうとこの時のイギリス艦隊も予測していた。
 一方の連合軍というよりアメリカ海軍は、豊富な戦力を活用してイギリス艦隊の包囲殲滅を企図していた。あえて反航戦を挑むような布陣も、最終的には敵の退路を断つためだった。反航で交差した辺りで後詰めの第六艦隊の戦艦部隊が島の影から出現して前を塞ぎ、その段階で主力艦隊は敵の後方に向かって突進して後ろに回り込んでしまうのだ。それをより確実とするため、巡洋艦群を戦艦隊、駆逐戦隊双方から分離して独立させていた。
 英艦隊も、二つの艦隊を相手取る可能性は考えていたが、英艦隊には突撃して少しでも多くの敵を引きつける以外の選択肢はなかった。
 かくして、英艦隊の増速と共に海戦の火蓋が切って落とされる。

 双方が敵影を認めたのは、水上捜索レーダーによってだった。このため、最大で50キロ近く離れていた。いや、ポンド・ヤードの単位を使う二つの国が相対しているのだから、約28海里と表現するべきだろう。
 距離がありすぎるので、まずは双方接近するしかなかった。互いに速力は26ノット。艦隊が隊列を組みながら出せる最高速度だった。相対速度は52ノット(約時速93.4km)なので、1分間に約0.87海里(約1560メートル)距離が詰まる事になる。
 そして距離が23海里まで狭まった段階で、ブリテン島とアイルランド島の昼間にあるマン島の島影から、次々に光点が映し出される。速度は40ノット以上で、個々の反応は中型機程度。しかし空中ではなく、水上レーダーが影を捉えた。つまり水上艦艇であり、これほどどの速度を出せる高速艇といえば、高速魚雷艇しかなかった。

 英海軍の高速魚雷艇は「MTB」とそのままの略称で呼ばれ、第二次世界大戦の初期にドイツと戦うために整備された。その後敵が日米となったが、主にカリブ海では有効な戦力と判断され、開発にも力が入れられた。
 戦闘機エンジンをデチューンしたものを搭載するなどして速力を強化し、主にアメリカがPTボートと呼ぶ同種の艦艇を投入してきたため、武装も強化された。そしてカリブ海やインド洋の一部、中東などで運用され、大きな損害とそれなりの戦果を得ることができた。しかし戦線がヨーロッパに移ってくると、役割が変化した。沿岸防衛用兵器として、主に英本土防衛に役立てようとしたのだ。しかも英本土の北部は氷河期の名残で地形が入り組んでいるため、小型艇の潜伏場所を置くには向いていた。また小型艇なので北大西洋の荒波で運用することは、特に冬季にでは自殺行為だが、内海や沿岸部なら十分な機動力も維持できると見られていた。何より本土沿岸は、勝手知ったる海だった。そうして多数が建造され、各地に設置された擬装施設に配備されていった。
 しかし連合軍も、欧州各国が沿岸防衛用として魚雷艇を重視していることは先刻承知していた。地中海でも、イタリア海軍などから何度か痛い眼を見ていた。このため、空襲で事前に基地ごと破壊していった。また、高速魚雷艇は、装甲が皆無で対空火力も貧弱なので、航空機が天敵だった。それを見越した機体も、出来る限り配備した。戦闘機だと対地攻撃機としても注目された「F4U コルセア」にロケットランチャーを装備して哨戒、撃滅させた。空母のない艦隊には、既に役割を終えつつある兵器と見られていた水上機が多数配置された。上陸作戦の為には、主に特設艦だが水上機母艦も多数動員された。このため日本海軍では、高速水上機母艦を軽空母に改装するべきではなかったのではないか、という議論まで起きた。
 しかし高速魚雷艇はあくまで支援兵器であり、撃退する機体も連合軍にとっての重要度は低かった。そのためアメリカでは専用機などは用意されず、日本で開発された水上爆撃機の「彗雲」(の改良型)を追加発注することで凌いでいる。「彗雲」は大元の日本海軍でも、かなりの数が配備されていた。自由英連邦軍など各国でも使われ、連合軍で最も使われた水上機の一つとなった。
 「彗雲」は水上機ながら急降下爆撃も可能な上、翼に20mm機銃を装備するなど攻撃力が豊富だった。エンジンを強化した後期型は、ロケットランチャーも搭載できた。だからこそ高速魚雷艇狩りに重宝され、加えて急降下爆撃能力があるので対潜哨戒にも使えるので、カリブ海での戦いから連合軍で愛用された機体だった。
 ノース海峡の戦いに際しても、搭載機能を保持していた各戦艦、巡洋艦に搭載されていた。着弾観測の必要性が大きく低下してたが、この作戦では魚雷艇対策として多くの艦船が一度は降ろした「彗雲」を搭載していた。アメリカ軍では、「彗雲」用に水上艦艇用のカタパルトを開発して装備したほどだった。
 この戦闘でも50機近い彗雲が配備されており、海戦前から3分の1が翼にロケットランチャーを装備して戦闘哨戒任務についていた。そして敵魚雷艇部隊出現の報告を受けると、各艦のカタパルト上で発進待機していた「彗雲」が、次々に放たれていった。

 英海軍の高速魚雷艇「MTB」部隊は、もともとノース海峡近辺に配備されているものは殆ど無かった。スコットランド北部の部隊は多くが壊滅状態で、生き残りは南西部のコーンワル半島に多数が配備されていた。ノースアイルランドは沿岸の地形が単純なので隠蔽場所がなく、一部の港湾などに配備されていたが数は少なかった。そして連合軍の英本土侵攻が明らかになった段階で、急いで配置転換を開始した。この移動は主に夜間に行われたが、海路で間に合わないものは基地にクレーンと戦車用の大型トレーラーを送り込んで、陸路でブリテン島を横断して想定戦場の近くの沿岸まで運ばれていた。
 数は資料によって様々だが、約50隻程度あった。中には、ドイツ製の「Sボート」の姿も見られた。
 なお「MTB」は複数の種類があり、この時も一つの種類ではないが、基本的には45cm魚雷を2本装備している。アメリカ海軍だと4本装備の重武装が基本だが、これはアメリカ海軍が贅沢なだけで、2本装備が各国でも一般的だ。
 ともかく、戦艦同士の砲撃戦を目前にして、俄に高速魚雷艇と水上機の戦いが始まる。
 英本国海軍の魚雷艇は、対艦用にも使える6ポンド砲と機銃1丁が基本武装だが、この頃には連装機銃2基程度乗せるのが基本スタイルだった。しかしあくまで魚雷が主武装で速度が命なので、大型の機銃は搭載されず、20mm砲かアメリカ製の不法ライセンス生産(※アメリカは参戦後に枢軸側のライセンスを停止していた。)となるM2 12.7mm機関銃が搭載されている事が多かった。
 そして魚雷艇と水上機の戦いだが、圧倒的に魚雷艇が不利だった。遮蔽物のない開けた海を、敵艦隊に向けてひたすら突撃するより他無い魚雷艇に対して、「彗雲」の方は思い思いの好位置からロケット弾か機銃を見舞った。しかも2〜3機の編隊(各艦ごとのチーム)で1隻ずつ確実に仕留める戦いを行ったため、魚雷艇部隊は確実に数を減らしていった。
 しかし数が多すぎるため、全てを撃沈することは出来なかった。
 そして魚雷艇部隊がアメリカ艦隊の駆逐戦隊の一部に近づく頃、戦艦同士の砲撃戦が遂に始まる。ある意味駆逐艦の先祖帰りした任務に回帰したわけだ。そして本来なら空に向かう40mm機関砲なども迎撃に回すため、魚雷艇は攻撃する間すら与えられず粉砕されていった。

 大型艦で最初に火蓋を切ったのは、50口径16インチ砲を搭載していたアメリカ艦隊の一部だった。
 距離は17海里。3万メートルを少し超える距離だ。
 もっとも、遠距離砲撃の命中精度は誉められるものではなかった。これは演習でも今までの艦砲射撃任務などでも明らかになっていた事だが、使用する砲弾重量が大きすぎるため、どうしても遠距離射撃の精度が低下するのだ。《アイオワ級》戦艦の船としての完成度の低さを理由の一つに挙げる者もいるが、この戦いでは《モンタナ級》戦艦も似たような成績だし、戦場も海峡近辺とはいえ内海なので波も荒くないので、純粋に兵器の性質の問題と考えて問題ないだろう。
 とにかく、遠距離での砲撃は当たらなかった。
 しかしイギリス側に焦りを呼ぶ事にはなり、イギリス海軍も予定より早く砲撃を開始する。射撃を開始したのは《ライオン級級》戦艦だが、砲の威力はアメリカの戦艦より少し劣っていた。砲身が45口径で砲弾重量も少ないからだ。だが、《ネルソン級級》のような軽量砲弾ではないので、列強一般の砲弾性能だった。また主砲の発射速度は最大で30秒に1回なので、近接戦だと威力を発揮できる可能性があった。しかし、まず始まったのは遠距離砲撃戦だった。秒速約2キロで約3万メートルを飛翔すると、着弾までに90秒かかる。《ライオン級》が射撃開始した頃だと飛翔時間は80秒程度だったが、発射速度の優劣は関係なかった。それに射撃速度の早さなら、アメリカ海軍も同等だった。
 もっとも、イギリス海軍では射撃レーダーの性能を信じて、いわゆる見越し射撃をする予定もあった。普通は着弾してその数値を反映して次の弾を撃ち出すが、高角砲のようにレーダーの情報だけで射撃するなら、理屈の上では発砲速度そのままの射撃が可能となる。しかし遠距離砲撃は、レーダー情報だけで射撃すると精度が落ちてしまう。様々な情報を複合して、光学照準を加えたた上で射撃するのが常道だった。レーダーだけで射撃するのは、夜間だけに限るべきだった。
 しかし、この時通常の射撃を選択したのは、主砲の機械的信頼性が十分ではなかったからでもある。
 イギリス戦艦の主砲は、この戦争中でも何度も故障していた。と言うよりも、戦艦の主砲は案外故障しやすい。イギリス海軍以外の戦艦も、戦場で頻繁に故障している。特に三連装、四連装砲塔は故障しやすく、各国共に故障には悩まされ続けた。日本海軍でも、《大和型》が艦砲射撃中に故障して砲塔ごと沈黙した事があったりしている。連装砲塔は熟成した技術のため比較的故障しにくいので、防御の不利を受け入れて使用する国が多い理由の一つとなっている。
 そしてこの時のイギリス海軍も、速射によって故障の可能性を高めるよりは、堅実な射撃を選択していた。

 戦艦の砲撃は、一般的には2万5000メートル以下になると命中しやすくなると言われる。しかし戦艦の主装甲は、自らの主砲弾に対して距離2万から3万メートルで防げるように設計されている。ドイツ海軍はもう少し間合いが短いが、これは遠距離戦よりも中近距戦を重視しているためでもある。それに距離2万メートルでも、命中率は非常に低いのでドイツ海軍の選択も間違いとは言えない。
 そしてこの時は、距離約2万5800メートルで最初の命中弾が発生した。命中させたのは《モンタナ》。アメリカ艦隊の旗艦であり乗組員も精鋭が選抜され、先頭を進んでいるため主砲の射撃回数が多かったため、射撃データの蓄積と砲撃の修正が的確に行われたことが報われたからだ。その証拠に3斉射目で挟叉、つまり敵艦を挟むように砲弾が落下している。一度挟叉を出した後は、どちらかが進路を急に変更しない限り、あとは確率論を信じて撃ち込み続ければよい。この時の命中弾も、4斉射目に発生している。
 《モンタナ》が狙ったのは《コンカラー》。
 米艦隊が、《モンタナ級》2隻と《アイオワ級》4隻で《ライオン級》4隻を狙ったからだ。
 そしてこの頃になると、全ての戦艦が砲撃を開始していた。
 この後も砲撃戦が続くが、最も接近した時点で距離はおおよそ10海里(1万8000メートル)。そこを過ぎると後は離れる一方になり、米艦隊は徐々に進路を東寄り、イギリス艦隊に近づく方向に変更する。これは敵への接近を続けると同時に、包囲行動の準備でもあった。

 その間、巡洋艦戦隊や水雷戦隊による戦闘も開始された。だが、戦艦より間合いがずっと短くないといけない上に、イギリス艦隊は戦艦の護衛に徹しているため、なかなか砲撃戦は始まらなかった。雷撃戦も行われず、しばらくはアメリカ艦隊が接近するだけで時間が経過する。
 とはいえ、戦闘が本格的に始まれば、アメリカ艦隊が圧倒的に有利だった。アメリカが重巡洋艦4隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦18隻に対して、イギリスは、重巡洋艦《ノーフォーク》と軽巡洋艦2隻 駆逐艦13隻だからだ。駆逐艦の数が増えているのは、夜のうちにリヴァプール方面に配備されていた《ハント級》駆逐艦隊の戦隊が合流していたからだ。《ハント級》は小型の船団護衛用駆逐艦で、本来は商船護衛のためにリバプール方面に配備されていたが、国家存亡の危機ということで駆けつけていた。しかしそれでも、アメリカ艦隊の優勢に変化はなかった。
 互いの距離は、戦艦同士の戦いよりも早く縮まった。イギリス側が接近しなくても、艦隊全体が反航しているので相対速度は非常に速くなるからだ。アメリカ艦隊は既定限界の30ノットでイギリス艦隊に接近を続けて、戦艦同士の砲撃戦がたけなわとなった頃に、ようやく重巡洋艦が距離11海里で砲撃を開始する。重巡洋艦の8インチ砲では限界に近い射程距離だが、距離は縮まる一方なので砲撃する艦艇も時間と共に増えて、次第に砲撃戦の密度も上がっていった。
 しかし雷撃を行う距離まで詰めることはなく、駆逐艦部隊も危険は侵さなかった。もっとも駆逐戦隊の1隊は、「彗雲」との戦いをくぐり抜けてきた魚雷艇への対応に忙殺され、まるで半世紀ほど前の「水雷艇駆逐艦」という駆逐艦の最初の役割に戻ったかのような戦闘を行わなければならなかった。

 最初の砲撃戦は、結局12分強で一段落する。アメリカ艦隊が包囲行動を起こすべく転舵を開始して、砲撃が一旦中断されたからだ。砲撃自体も、多い艦で10斉射したぐらいだった。
 そして両者の戦艦隊列の距離が再び2万5000メートルを超えようと言う時、イギリス艦隊の水上捜索レーダーはノース海峡の北側に別の艦隊を捕捉する。
 この時点で、アメリカ、イギリス共に戦艦は全て戦闘可能だった。主にイギリス側に戦闘力が低下している戦艦はあったが、一度の反航戦程度で屈する事はなかった。さすがは戦艦と言うべきだろう。
 しかしイギリス艦隊は、まだ最初の難関を抜けようとしているだけで、すぐにも予想通り敵の二番手と相対しなければならなかった。
 アイルランド島のベルファスト沖合から南西に進んできたのは、アメリカ海軍の第六艦隊に属するTF61-1。デイヨー少将に率いられた、旧式戦艦を中心とする戦艦部隊だ。

 ・TF61-1(デイヨー少将)
BB《コロラド》BB《メリーランド》
BB《テネシー》BB《カリフォルニア》
BB《ニューメキシコ》BB《アイダホ》
BB《ネヴァダ》BB《オクラホマ》
BB《アーカンソー》
CG《ルイヴィル》CG《ポートランド》CG《ミネアポリス》
CL:2隻 DD:16隻

 以上がこのときの編成になるが、旧式戦艦部隊と侮ることはできない。
 戦艦の数は9隻もあり、多くの戦艦が戦争中に近代改装を施されている。しかも最も有力な戦艦は徹底した近代改装が実施され、上部構造物はまるで新型戦艦のように変貌している。当然ながらレーダーなども多数装備しており、戦闘力は大きく底上げされている。しかし欠点もあり、とにかく速力が遅いのがアメリカ海軍の旧式戦艦の欠点だった。その分砲撃力と防御力が高いのだが、機動戦には不利だ。この戦闘で二番手として配置されたのも、敵艦隊を追撃することが非常に難しいからだ。
 しかし戦艦数は多いし、補助艦艇も十分に配備されているので、敵の進路を塞ぐだけなら十分以上の戦力だった。怖いのは《ライオン級》戦艦の16インチ砲だけで、それも既に10%以上衰えていた。そして砲力全体で見ると、単独でも第六艦隊の方がイギリス艦隊を上回っているほどだった。
 だがイギリス艦隊は、この艦隊も越えていかねばならなかった。イギリス艦隊の見るところ、アメリカ艦隊が贅沢な包囲殲滅戦を仕掛けてきたことは、この時点で分かった。となれば、前の敵を押し通る以外に、包囲の網を破ることはできない。しかしそれは敵船団に近づくと同時に、連合軍の過剰な反撃を誘うと事は確実だった。同時に、生還できる見込みがさらに落ちることも確実だった。だが、全ての敵戦艦部隊を引きつけて、出来れば1隻でも多く道連れにする事が、この作戦でのイギリス艦隊の役割だった。そして彼らは、目の前の艦隊を突破すれば、連合軍にとって最後のカードとなる日本の第二艦隊が出てくると予測していた。世界最強の戦艦を有する艦隊を最後に置いておくのは、予備兵力の確保という点からも常道だからだ。
 そして初手でアメリカ艦隊が新鋭戦艦を投入してきたが、現時点で彼らは後方に位置して目の前にはいなかった。
 なお、ノース海峡などに展開する連合軍艦隊の配置について、イギリス本国軍は沿岸からの偵察と監視で確認できたのではないか、という意見が後世に語られることが多い。しかし実際には、かなり難しかった。レーダー妨害がされているし、それ以前に目に付くレーダーは全て破壊さてていた。ならば双眼鏡などによる目視確認となるが、ブリテン島方面に対しては連合軍はほぼ途切れることなく煙幕を展開し続けていた。煙幕は単に艦隊を隠すためではなく、どちらかと言えば上陸作戦全体を隠すためだった。ならば、ノースアイルランドから確認できたのではという意見に対しては、戦場で立ち上る様々な煙や埃のため、視界は非常に悪かった。加えて通信妨害のため、低出力の無線機での連絡も難しかった。
 実際、イギリス軍も現地に敵艦隊の確認を何度も求めたが、有力な情報はほとんど得られていない。「モスキート」や「ホーネット」による強行偵察も実施されたが、上空からでは無数の艦艇の中から目的となる艦隊を探すには、連合軍が展開する海域が広すぎた。
 そしてこの時、イギリス本国艦隊は敵の新手の情報を正確には掴んでいなかった。当然だが、その奥に展開する筈の艦隊についての情報も無かった。分かっているのは、進めば進むほど敵の抵抗が増すという事だけだった。
 そしてそれを現すかのように、新たなアメリカ艦隊が一斉に砲撃を開始する。
 第61-1任務部隊が有する12インチ以上の主砲数は実に98門。第24任務部隊の16インチ砲105門よりは少ないが、二線級の艦隊とは思えない砲撃力だった。しかも16インチ砲、長砲身14インチ砲も多く、イギリス側は個艦レベルでも《ライオン級》以外は劣るほどだった。しかもイギリス側は、既に一戦しているため、戦闘力は10%前後低下していた。その上第61任務部隊は、第24任務部隊から砲撃情報をリアルタイムで受信していたので、姿を現した時点で砲撃準備をほとんど整えていた。
 だがイギリス艦隊は、敵が新たに「T字」を描こうとしているところに、突進していった。まるでトラファルガー沖海戦のヴィレヌーボー艦隊に対して、ネルソンタッチをするようだと言われる突撃だった。
 この突撃には第61-1任務部隊も少し焦りを見せ、予定より少し早く一斉射撃を開始する。
 第二ラウンドの始まりだ。
 イギリス艦隊の後方では、第24任務部隊が後方を遮断するべく転舵を続けており、巡洋艦戦隊、駆逐戦隊が猛追しつつあった。また戦艦戦隊の隊列からは、超高速戦艦の《アイオワ級》4隻が離れて増速しつつあった。
 つまりイギリス艦隊は、短時間で敵の新たな艦隊を突破しなければならなかった。

 新たな砲撃戦は、距離14海里(約2万6500メートル)付近で開始された。アメリカ側戦艦の全て9隻と、イギリス側の前に位置する《ライオン級》が砲撃を開始して、イギリス艦隊の隊列の後方はまだ射撃できなかった。
 イギリス側は水雷戦隊も突撃を開始したが、後から合流した小型の駆逐艦群は、速度が遅いこともあってこの突撃には参加せず、後方に回り込みつつある敵に対する煙幕展開を開始していた。レーダーはまだ万能ではなく、視界を遮る事は有効だったからだ。
 そして新たな砲撃戦だが、明らかにイギリス艦隊が不利だった。陣形の違いによる火力の差もあるが、明らかに砲弾の命中率が違っていた。
 互いに数斉射した砲撃開始5分ぐらいから砲弾の命中が発生するようになったが、最初に命中弾を出したのは《テネシー》か《カリフォルニア》のどちらかだった。アメリカの旧式戦艦群は、自らの火力不足を日本海軍が好んで行う統制砲撃戦で補い、《ライオン級》戦艦に対抗してきたので、この時《テレメーア》に命中したのがどちらの砲弾かは分からなかった。
 しかしこの命中を皮切りに、アメリカ艦隊の砲弾は次々にイギリスの新鋭戦艦群に命中した。
 《ライオン級》戦艦は14インチ砲弾に対しては十分以上の防御力があるので致命傷は無かったが、徐々に損害が積み重なっていった。《キング・ジョージ5世級》戦艦や《フッド》が砲撃に参加しても、イギリス艦隊の不利は変わらなかった。
 そうして約10分が経過して距離が2万1000メートルになったとき、包囲の輪が閉じられる。後方の艦隊の距離は砲撃戦をするにはまだ遠かったが、少なくとも回れ右して逃げることは不可能な状態だ。
 この時までに第61-1任務部隊は、トーゴーターンと同様に敵に対して緩やかな同航戦を行うような進路を取り、イギリス艦隊の後ろからは隊列を整え直した第24任務部隊が一斉に砲撃を開始した。
 アメリカ艦隊から見れば、あとは確率論と時間の問題だった。砲撃する戦艦の数は20隻と相手の2.5倍。水雷戦隊、巡洋艦戦隊も実質3倍以上の戦力差。しかも狭い海域で前後から包囲するという、完璧な陣形だった。イギリス艦隊の戦艦は予想以上に頑健だが、別に沈めなくてもこのままガントレット(袋叩き)にして戦闘力を奪えば、作戦目的は十分に達成できる。敵を沈めて全滅させてしまうかは、もはやロマン(感傷)の問題だけだった。
 この絶望的状況にあって、イギリス艦隊は突撃速度を緩めなかった。まだ致命的な損害を受けた艦艇がほとんど出ていなかったからでもあるが、彼らは作戦目的の多くを達成しつつあり、達成しきるためにも突撃し続け、そして戦い続けなければならなかった。
 さらに奥で待ちかまえているであろう日本の戦艦部隊を自分たちに向けさせて、次の戦いが出来ないまでに砲弾を消耗させてしまう事こそが、彼らの作戦目的だからだ。
 そうした中、イギリス側の希望の灯火がかすかに見えた。
 イギリス艦隊の放った砲弾が、相次いで敵の旧式戦艦に致命傷を与えたからだ。

 これら致命傷は、旧式戦艦であるが故の損害だった。かつてのユトランド半島沖海戦で示されたように、急角度から降り注ぐ砲弾に対して、旧式戦艦は十分な防御が施されていなかった。新鋭戦艦のような外見となった戦艦といえども、防御甲板の強化や変更は行っていない。水平後半も強化した日英の海軍と違い、アメリカ海軍はそこまで必要ないと考えていたからだ。その甲板に、2万メートル以上遠距離から放たれた16インチ砲弾や14インチ砲弾、そして旧式の15インチ砲弾が降り注いだ。
 《カリフォルニア》は艦尾を貫かれて舵が損傷。その場で回転するだけになってしまう。《ネヴァダ》は機関部を打ち抜かれて、速度が急速に低下。どちらも隊列を乱す動きをしてしまい、T字が大きく乱れた。一番の武勲は《フッド》が挙げた。
 《フッド》の主砲は、15インチとはいえ42口径だった。外見が変わるほど近代改装されたが、この点に変化は無かった。主砲仰角を高めても口径が短いので射程距離が短くなる。だが、遠距離から命中した砲弾は高い角度から降り注ぎ、42口径15インチは他より短い距離で高角度で敵艦に砲弾を撃ちかける事ができた。この時はその典型例となり、高い角度で命中した砲弾は《オクラホマ》の比較的薄い防御甲板を全て貫いてしまう。そして第二砲塔横で炸裂した砲弾は、艦内の隔壁を食い破って次々に誘爆を促した。
 数年ぶりの戦艦の轟沈だった。

 一度に3隻の撃沈破は、流石にアメリカ艦隊に動揺をもたらした。イギリス艦隊も既に戦闘力が20%近く下がるほどの損害を受けていたが、まだ脱落した戦艦がない事が、その動揺を大きくした。特に第61-1任務部隊が精鋭艦隊とは言えず乗組員全体の練度に不安を抱えていた事が表に出てしまい、艦列にまで影響した。後ろから包囲の輪を閉じたはずの第24任務部隊も、イギリス艦隊が速度を変えず進撃を続けているから、遠距離から命中率を期待できない射撃をするのみだった。
 イギリス艦隊を率いるホランド提督は、迷うことなく突撃の継続を命令した。
 だがそこに、決定的とも言える一報が届く。

 「ドイツ主力艦隊次席司令部ヨリ全枢軸艦隊ヘ ワレ撤退シツツアリ 敵ハヤマト」

 イギリス艦隊がさらに奥にいると考えていた日本艦隊は、最初からイギリス艦隊を無視してドイツ艦隊を迎撃し、これを撃退した事を伝える知らせだった。



●フェイズ62「第二次世界大戦(56)」