●フェイズ64「第二次世界大戦(58)」

 6月7日午後2時半頃、満身創痍となった巡洋戦艦《フッド》が戦場から待避を開始した頃、イギリス本国艦隊は同航戦となりつつあったアメリカの旧式戦艦群を何とか追い抜こうとして、さらにてかわして戦線を突破しつつあった。
 当然ながらアメリカ艦隊の焦りは強かったが、それが仇となって水雷戦隊と巡洋艦部隊はイギリス本国艦隊の部隊との戦いにのめり込んでしまい、敵の撃破よりも回避と突破を優先したイギリス側にイニシアチブを握られっぱなしだった。
 だが、イギリス艦隊を混乱させる連合軍の援軍が、上陸船団の展開する方向から到着する。
 到着したのはPT部隊。つまり高速魚雷艇部隊だ。
 同部隊は上陸船団の支援としてランプ装備船、ドック型輸送船などで運ばれてきて、周辺に展開したばかりのところを、救援要請を受けて戦場に突入してきた者達だった。
 なおPTとはパワー・ボートの略称で、元は戦前のイギリスでブリティッシュ・パワー・ボート社が英海軍に提案したものを、一部改正の上でアメリカ海軍が導入したものだった。つまり、この海戦の前哨戦を戦ったイギリスの高速魚雷艇と、元は同じということになる。しかし戦時の贅沢なアメリカらしく、魚雷4本を搭載するなど重武装で、最初から速力40ノットが発揮できる大馬力エンジンを搭載したタイプが建造されていた。初期の同型艦はカリブの複雑で浅い海で活躍したが、戦場が欧州に移動してきたため、再び戦場に姿を見せたのだ。カリブの海での戦いでは、ケネディ一族のジョン・ケネディが艇長となって活躍したりもしている。
 この場に駆けつけたのは23隻と全てではなかったが、駆逐艦などの合間から突然姿を見せて突進してきたので、艦隊の先頭を突進していたイギリス本国艦隊の駆逐艦群を一定程度ながら混乱させることになる。
 そしてこのPT部隊の参入で、戦場の雰囲気は緩やかながら変化始めた。イギリス本国側の混乱を逃さず、アメリカ艦隊は徐々に混乱から立ち直り、隊列を立て直し、整然と敵艦隊への攻撃を再開するようになったのだ。
 こうなると、前側面と後ろ側面から水雷戦隊に圧迫された形になったイギリス艦隊は、思うような進路に進めなくなる。今までの戦いで既に多くの駆逐艦が沈むか撃破されているため、合計30隻以上の駆逐艦と20隻以上の魚雷艇を全て止めることは不可能だった。巡洋艦も相手巡洋艦との戦いに忙殺され、阻止する余力はなかった。

 そして護衛を丸裸とされてしまうと、戦艦は意外に脆い。将棋やチェスでの、王将やキングの駒と同じだ。
 戦艦には、駆逐艦など水雷部隊の撃退のために副砲や両用砲が装備されているが、それも敵と相対している側の砲は今までの砲撃戦でかなりが破壊されていた。火力は既に半分程度しかなく、圧倒的な数の差もあって接近を阻止する事は難しかった。しかも相手は単に大型で戦闘力の高い駆逐艦と言うだけでなく、かなりの駆逐艦が長距離攻撃も可能な酸素魚雷を装備していた。酸素魚雷のことはイギリス海軍も警戒しており、だからこそなるべく水雷戦隊を接近させないようにしていた程だった。
 そして徐々に焦りを強めるイギリス本国艦隊に、今までの幸運をの返済を求めるような一弾が飛び込んでくる。
 《コロラド》が放った8発の16インチ砲弾のうち1発が、旗艦《ライオン》に命中した。《ライオン》は今までの戦闘で4発の戦艦級の主砲弾を受け、うち1発は50口径16インチ砲弾だった。だがイギリス生まれの優れた装甲は耐え抜き、機関は全力発揮可能で主砲戦能力は維持していた。4万トンの新鋭戦艦は、流石に伊達では無かった。
 しかし、イギリス海軍で《ネルソン級》以後の新造戦艦及び大改装した旧式戦艦には、共通した欠点といえなくもない弱点があった。今までの戦艦なら、必ず備えられていた強固な装甲で囲まれた司令塔を持たないことだった。この改訂は、基本的には時代を先取りするものだった。戦艦が戦艦と撃ち合うだけの時代が終わったことを、イギリス海軍はいち早く受け入れていたという事だからだ。それでも、それなりに防御された艦(艦橋)の中枢部に司令部施設はあったが、戦艦の砲弾を弾き返すほどの防御力は無かった。加えてイギリス海軍の軍人達は、先達達のように海風を感じられる航海艦橋で指揮を執りたがる傾向があった。
 この時艦隊司令部は、航海艦橋ではなく戦闘艦橋で指揮を執っていた。そしてそのすぐ側に16インチ砲弾が飛び込んで、真下の防御甲板で炸裂した。防御甲板は性能通り16インチ砲弾の侵入を阻止して、真下にある機関部を守り通した。だがその上にある艦橋構造物までは守ってくれなかった。
 そして砲弾が炸裂したときの爆風と破片の多くが、司令部に突入してしまう。
 司令部は全滅では無かったし、艦の首脳部は航海艦橋にいたため何とか無事だったが、とても艦隊全体の指揮が継続ができる状態ではなくなった。

 「司令部壊滅。指揮ハ次席指揮官ガ執レ」
 被弾した《ライオン》からの信号がイギリス艦隊を駆けめぐり、指揮権は次席指揮官が座乗していた《キング・ジョージ5世》に移される。
 先頭を進む《ライオン》はまだ十分に戦闘可能だったが、これでイギリス本国艦隊の空気が変化してしまう。多くの将兵が、艦隊司令部の弔い合戦と考えるより、自分たち攻勢が終末点に到達したのではと考えてしまったのだ。
 もともと作戦上でのイギリス本国艦隊の目的は、十重二十重の敵陣の突破ではなく、囮となって全ての敵を引きつけることにあった。だから現状で追いつめられているのは当たり前で、突破できたとしても船団を潰すだけの戦力が残るとは考えられなかった。
 しかも自分たちを叩きつぶす筈の日本艦隊は、ドイツ艦隊に向かって、あろう事かドイツ艦隊を壊滅させたと考えられていた。希望はフランス艦隊だが、艦隊規模から出来ることも限られているのは分かり切っていた。そして自らは、囮としての役割を中途半端にしか果たせず、強引に敵陣突破を図るも戦力は枯渇しつつあった。
 つまり作戦は失敗したのだ。
 だが、この時点で撤退すると言っても非常に難しかった。
 戦場はすでにノース海峡に入って、ベルファストの沖合にさしかかりつつあった。
 米英の艦隊は海峡のそれぞれれ端の方に陣取った状態で、後ろからは米艦隊の本隊が追撃していた。前に敵はいないが、連合軍の上陸船団まではまだ100キロも先だった。このまま24ノットの速度で戦闘が続いたとしても、2時間半かかってしまう。そしてそんな長時間も高速発揮しながら進むことは、燃料の関係から難しかった。本土直近だったが、大型艦はともかく30ノット以上で走り回っている駆逐艦が燃料不足に陥る可能性があった。そして旧式戦艦群を振り切ったとしても、後方から追跡している《アイオワ級》戦艦群に追いつかれてしまう。そしてさらに後方の主力戦艦群も、30キロほど後方に位置して追撃していた。それらを振り切るには、高速発揮を続けるしか無かった。
 そして仮に全ての敵を振り切っても、その前にも連合軍の上陸支援する戦闘艦艇が死守線を張って待っていることは確実だった。さらに、作戦目的の船団も攻撃しなければならない。その間、戦闘速度を緩めることは許されなかった。そして全てをはね除けた後に、素早く撤退しなければならなかった。例え全滅覚悟でも、作戦として最初から帰還を考えないわけにはいかないからだ。
 また、撤退すると言っても、回れ右をする事は不可能だった。何しろ後ろには、アメリカの主力艦隊が退路を塞ぐ形で追撃してきている。狭い海峡内なので、他に進める場所も無かった。
 そして本来なら進む以外選択肢が無いというのが実状だが、戦場が本土近海なので逃げ出せる場所は皆無ではなかった。しかしこの場から離脱できても、今後の戦況を考えると二度と出撃できなくなる可能性が非常に高かった。
 この時点で英本国艦隊が向かえる撤退方向は、上陸地点の反対側、つまりグラスゴー方面だった。
 グラスゴー方面なら、現時点から北北東に進路を取ってクライド湾に入ればよかった。しかも現在の艦隊の位置から北北東に敵はいなかった。それに連合軍も、本来は上陸作戦で忙しいので、逃げる敵を執拗に追いかける可能性は低いと考えられた。加えてグラスゴーは、入り組んだ海岸線の奥深くなので逃げ込むには好都合だった。
 しかし、その後は沖合を封鎖されるだろうし、激しい空襲で残存艦隊は撃沈もしくは無力化される可能性が高かった。だから次席司令部では、撤退論と共にどうせ艦隊を失うのなら突撃して差し違えるべきだという意見も強かった。だが、指し違える前に全滅する可能性の方が高く、将兵を無為に死なせるべきで無いという常識論の方が勝った。日本風に言えば、死を決意するのはともかく、必ず死ぬのは邪道ということになるだろう。

 かくして、イギリス本国艦隊の次席司令部は、残存する全艦隊に撤退信号を発すると共に、全ての友軍に対して「艦隊司令部壊滅。残存戦力ハ、ぐらすごー方面ニ撤退ス」と電文を発した。
 この時点で午後3時半少し前。
 2時間ほど前まで英本土北部に進んでいた全ての連合軍艦隊は、残存艦隊が全て撤退していた。イギリス本国艦隊からはフランス艦隊の様子は分からなかったが、仮に進んでいてもこの電文で独自に待避すると考えられた。
 そして撤退を決意したが、進路を変更したことはすぐにもアメリカ艦隊に察知された。そしてアメリカ海軍は、「獲物」に成り下がることを宣言したに等しい敵を逃す気は無かった。また、撤退を決めたイギリス本国艦隊には、先ほどまであった気迫は霧散していた。後世からも、本当に全滅してでも突進を継続するべきだったという意見も少なくない。燃料と弾薬が尽きるまで戦い続ければ、万が一の可能性ながら連合軍の上陸船団を攻撃できる可能性もあったからだ。
 しかしそれは既に予測や「後世の研究結果」でしかなく、現実としてイギリス本国艦隊は全滅よりも撤退を選んだ。
 そして勝利の女神に自ら顔を背けた者に、戦場は無慈悲だった。
 撤退を決意した時点で、イギリス艦隊の戦艦隊列にはアメリカ軍の水雷戦隊が2方向から猛烈な勢いで迫っていた。それを阻止するべき重巡洋艦は決戦前に大きく傷ついて、《ノーフォーク》を残すのみだった。水雷戦隊も今までの戦闘で激減しており、しかも魚雷艇と一部水雷戦隊との戦闘に巻き込まれて、自らの戦場から抜け出せなくなっていた。
 そこに2方向からの統制雷撃戦が開始される。
 アメリカ海軍が距離1万5000メートル以上離れた場所から雷撃をすることは珍しく、しかも2つの水雷戦隊が統制雷撃戦を行うことは前代未聞だった。このようなことは世界中でも珍しく、日本海軍の水雷戦隊が辛うじて演習で実施したことがある程度だった。2方向からの統制雷撃戦は、余程の好機がなければできないからだ。しかも20隻以上の参加となると、最初で最後だった。同乗していた日本海軍の連絡将校が、羨望の眼差しで見ていたほどだったと言われる。
 アメリカ軍の大型駆逐艦群が遠距離から放ったのは、もちろんだが日本生まれアメリカ育ちの酸素魚雷。連合軍水雷戦隊の、もはや必殺武器だった。しかもイギリス本国艦隊はほぼ一方向に向けて転進の最中で、アメリカ艦隊の魚雷は扇状に2方向から45ノット以上の雷速で突進した。
 一般的に遠距離雷撃の命中率は非常に低い。しかしこの時は、以上のような有利な条件が並んでいた事と、イギリス艦隊がアメリカ艦隊がこれほど多数の酸素魚雷搭載艦を投入しているとは考えていなかったので、この距離での大規模雷撃はないと考えていた。アメリカ側駆逐艦が雷撃運動を見せても、多くが欺瞞行動と考えた。その証拠にアメリカ側の水雷戦隊は、待避もせずにその後も全速力で追撃してきたので、尚更イギリス側の予測を肯定した。それでも遠距離用の酸素魚雷は皆無ではないと考えたので、若干の進路変更を実施する。
 しかしそこがイギリス艦隊の不幸だった。
 2方向のうち片方の魚雷を避ける進路は選んだのだが、より遠くリー提督の第二艦隊の水雷戦隊が放った酸素魚雷の予測進路に、斜めからながら腹をさらしてしまったのだ。

 一度目の魚雷命中予測時刻を過ぎても、命中を示す大きな水柱は1本も立たなかった。だが、そのすぐ後、少し遅れて扇状に殺到したアメリカ製の酸素魚雷は、その航跡を殆ど敵に察知される事無く交差進路に到達。
 次々に巨大な水柱を奔騰させていった。
 勝敗が決した瞬間だった。
 この時被弾したイギリス本国艦隊の戦艦は、実に6隻。他に少し遅れていた駆逐艦1隻にも命中。駆逐艦は、竜骨がへし折れて二つによじれながら轟沈していった。当然だが、巨大戦艦達も無傷では済まなかった。
 小一時間の激しい戦闘でも、《フッド》の脱落のみで済んでいたイギリス本国海軍の戦艦達は、新たな殿だった《ハウ》を残して全艦が強力な酸素魚雷を被弾した。扇状だったので集中的に命中した戦艦は無かったが、どの艦も1〜3発の魚雷が命中。2発で1トン近い高性能爆薬が、船の最も弱い水面下で炸裂した。しかも炸裂したのは、アメリカ海軍が大戦中盤から投入した爆発威力の高い高性能爆薬だった。
 この被弾で、判定中破に陥る艦艇が続出。しかも魚雷の被弾までに、各戦艦はリー提督とデイヨー提督の戦艦合計20隻と激しい砲撃戦を展開した。リー提督の艦隊とは反航戦なので戦闘時間は比較的短かったが、それでも16インチ砲弾を多くの艦が被弾した。そしてそれよりもずっと多く、旧式の16インチ砲、多数の14インチ砲、12インチ砲弾を受けた。さらに8インチ、6インチ砲弾を被弾した戦艦も少なからずあった。小口径砲は近距離で多数を被弾しない限り問題はないが、戦艦の砲弾は通常同等の敵の場合の戦闘限度は、第一次世界大戦の頃で25発程度と言われる。それだけ受けたら、どれほど防御を固めた戦艦でも、戦闘力を失うとされていた。第二次世界大戦時のアメリカ海軍では、7〜8発程度で同等の敵なら戦闘力を奪えると想定していた。
 しかし逆を言えば、分厚い装甲で鎧った戦艦とはそれほど強固な存在だった。いかに頑健かは、第一次世界大戦のドイツ巡洋戦艦が立証し、第二次世界大戦で何度か発生した戦艦同士の戦いでも同じだった。超近接状態となる夜間戦闘は例外だが、幸運もしくは不運の一撃がない限り、戦艦を砲撃だけで仕留めるのは非常に難しい。
 この時のイギリス本国艦隊も同様で、どの艦も最大で判定中破に止まり、戦闘力を完全に喪失した戦艦は無かった。砲撃力を殺がれた艦は少なくなかったが、直接の被弾よりも故障により砲撃不能となった砲の方が多いほどだった。
 だからこそ魚雷が恐れられるのだが、この時はまさに恐れていた事態が一度に、しかも大量に発生した。
 被雷した各戦艦では、水面下の多くの箇所が破壊されるか、応急処置も間に合わず浸水箇所が拡大した。そして大きく傾いた艦は逆側に注水するしかなく、短時間でさらに多くの海水を飲み込んだ。海水を飲み込むだけなら、戦艦には多くの予備浮力があるので問題も少ないのだが、多くの艦では被弾でボイラー区画か機関区画の一部が浸水していた。さらに運の悪い艦は艦前方に被弾し、高速で進むと隔壁が破れてさらに浸水が悪化する状態のものもあった。それでも舵やスクリューがやられた艦がないだけマシだったが、たった一撃で艦隊は満身創痍だった。
 この被弾を前に《キング・ジョージ5世》の次席司令部は、撤退に最低限必要な速力18ノットが維持できる艦だけでも離脱するように緊急命令を出す。残る艦も、回避と艦の保全に全力を傾けつつ、どこでもいいのでブリテン島北部の入り江の奥地への待避を命じた。最悪の場合は近在の海岸への座礁も許可した。
 既に駆逐艦の随伴も半数以下だし、損傷艦をかばって撤退することは不可能だった。

 そして臨時旗艦となっていた《キング・ジョージ5世》は、大量に海水を飲み込んだ巨体を苦しげに反転させ、敵の迎撃に移った。これには、既に撤退がままならない《ライオン》、《サンダラー》も従える限り従った。
 米英の艦隊決戦の終幕は、まずは手負いの獣となった戦艦3隻と水雷戦隊の戦いとなる。戦艦は榴弾で駆逐艦や魚雷艇を攻撃し、駆逐艦と魚雷艇は接近の隙をうかがった。やがて旧式戦艦群と一部巡洋艦が追いついてきて砲撃を開始。さらに《アイオワ級》戦艦4隻が、十分な距離まで追いついて砲撃は激しさを増した。戦艦が迫ってきた時点でイギリス側の戦艦も戦艦を標的に変えたが、既に戦いは一方的だった。大きく損傷して速度が落ちた戦艦は、既に獲物か標的でしかなかった。
 最後には《モンタナ級》戦艦を中心とする本隊も追撃に参加し、多数の砲弾とさらなる魚雷を受けて、3隻のイギリス本国艦隊の戦艦達は本国の側で波間に没していった。
 結局、イギリス本国艦隊で生き残ったのは、撤退に成功した戦艦4隻、巡洋戦艦1隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻(ハント級含む)だけだった。
 沈められた艦は約半数だが、生き残った艦は駆逐艦2隻を除いて大きく損傷しており、もはや再戦を望むべくもなかった。主な艦艇が逃れたグラスゴーは造船の街だが、現状ですら半ば敵制空権下にあるので、もはや修理もままならないとも考えられた。
 イギリス本国艦隊の撤退からの敗走で、勝敗は完全に決したのだ。
 しかし、この日の戦いは誰もが状況把握に困るほど各所で行われており、戦いがまだ続いている場所もあった。

 ノースアイルランド北部沖合では、突進するフランス艦隊と断固阻止に出た自由イギリス艦隊が激戦を繰り広げた。そして一時は、イギリス本国艦隊からの突撃電報を受けて、フランス艦隊が突撃を強めようとする。しかし、突撃しつつ自由イギリス艦隊の脇をすり抜けようとしたところを見透かされ、少し南下できただけで突破は出来なかった。
 その間、双方の損害は山積されていったが、我慢できなくなったのはフランス艦隊の方だった。彼らは、敵味方双方のイギリス艦隊のように全滅を決意した戦いをしていなかったので、根負けした形だった。
 その後フランス艦隊は、進路を突然北西に変更。一路を北大西洋沖合を目指した。
 これを自由イギリス艦隊は、ある程度追撃を続ける。
 そしてフランスの戦艦は後方に主砲を装備せず、しかも今までの戦闘で副砲も多くが使用不能になっていたので、ひたすら逃げるしか無かった。しかし戦艦の速度差があるので、いずれ逃げ切れるという楽観論がフランス艦隊にはあった。
 だがこの追撃戦には意味があった。
 自由イギリス艦隊は、フランス艦隊を北に向かうような追撃を行い、これは一見フランス艦隊を追い払う為のようにも思えた。しかし約30分経過すると、それが間違いだったことをフランス艦隊は知ることになる。
 先ほどまでドイツ艦隊と戦っていた日本艦隊が出現したのだ。
 彼らの右前方に出現したのは、日本海軍の重巡洋艦《妙高》《羽黒》と第一水雷戦隊の一部だった。
 日本海軍第二艦隊は、艦隊の半分がドイツ艦隊の追跡と残敵掃討を行い、速度が速い有力な艦艇を抽出して自由イギリス艦隊の援軍に向かわせていた。しかし距離が100キロ近く離れていたので、フランス艦隊が撤退のため転進したことで、ようやく追いついたのだ。
 日本艦隊出現で、フランス艦隊は大いに焦った。
 フランス艦隊は、既に激しい戦闘でレーダーの多くが破壊されるか感度が落ちていた。このため目視とほぼ同時に日本艦隊の接近を察知したのだが、その方向はフランス艦隊が逃走経路に選んでいた方向に近かった。自由イギリス艦隊から少しでも速く離れるためだったが、それが裏目に出たのだ。
 そして今度は北西ではなく南西に向かわないといけないが、そうなると一度自由イギリス艦隊に接近を許して、少なくとも戦艦からの遠距離砲撃は覚悟しなければならない位置だった。
 しかし日本の水雷戦隊の後ろに、さらに大きなレーダーエコーを4つも捉えた以上、フランス艦隊に選択肢は無かった。
 そしてフランス艦隊は転進してしばらくすると、追いついてきた形の自由イギリス艦隊が砲撃開始する。しかも自由イギリス艦隊よりも遠くから、水平線の向こう側から多数の砲弾が飛来する。日本艦隊の抽出部隊の本隊となる《高雄型》巡洋戦艦4隻の砲撃だった。距離は3万5000メートル近く、まぐれでなければ当たる距離ではないが、フランス艦隊を混乱させる効果はあった。
 以後フランス艦隊は、隊列維持を諦めて回避に専念した待避を開始し、散り散りの逃走を開始する。
 だが、回避に専念したため、砲雷撃による損害は避けることができ、連合軍を悔しがらせた。しかし、バラバラに逃げたフランス艦隊各艦に安息はまだ訪れなかった。アイルランド島を回って、フランス北西部のブレストに逃げ込むまで、気を許すことは出来なかった。事実、フランス艦隊の逃走に対して、連合軍は追撃を命令していた。

 追撃命令を受けたのは、周辺を哨戒していた潜水艦と、逆に枢軸側の潜水艦を狩るために展開していたハンターキラー部隊だった。連合軍としては、万が一分散したフランス艦隊が、各個に通商破壊戦に出るかもしれないと考えての事だった。
 実際、フランス艦隊が分散した海域から100キロほど離れた場所には、北アイルランドに向かう中規模な船団が移動中だったりもした。
 この追撃での武勲艦の1隻は、米潜水艦《シーライオン》だった。同艦は、アイルランド沖合での哨戒行動中にフランス艦隊の追撃命令を受けた。そして深夜に少し遠距離で遭遇する。
 この時《シーライオン》が出会ったのは、《ダンケルク》、《ストラスブール》と駆逐艦1隻。ソナーで駆逐艦が警戒しているのが分かったため、迂闊には接近しなかった。フランス側も、潜水艦の存在を察知したため、振り切るために増速して急ぎ海域を立ち去ろうとした。
 そこに後方から《シーライオン》が浮上。すぐさま搭載レーダーによる測定と今までの情報を元に、潜水艦にとっての超遠距離雷撃を実施した。同艦は《ガトー級》潜水艦の改良型の《カリブ級》で、日本の潜水艦と同様に酸素魚雷を主武装としていた。
 遠距離からのレーダー測定による隠密雷撃と酸素魚雷の相性は抜群で、1944年中頃からアメリカ海軍は多くの戦果を挙げていた。特にノルウェー、イタリアの沿岸部を航行する輸送船の攻撃で効果を発揮し、比較的安全に攻撃を行うことで反撃されたり攻撃前に制圧もしくは撃沈される事も格段に少なくなった。
 《シーライオン》もそうした攻撃に熟練しており、この時は持てる限りの魚雷10発を次々に交差予測地点に向けて放っていった。
 そして40ノットで2万メートル以上進んだ時、不意打ちの形で最初の魚雷が命中。続いてさらに命中が続き、合計3発の魚雷が命中した。この時点で敵駆逐艦からの反撃を警戒して待避したが、撤退中のフランス艦隊に大打撃を与える事に成功していた。
 《ダンケルク》には魚雷2本が命中。随伴していた駆逐艦にも1本が命中し、駆逐艦は命中直後の誘爆により短時間で沈没した。《ダンケルク》は、命中当初は辛うじて致命傷を免れたと考え、とにかく待避を優先した。
 しかし砲撃戦でかなりの砲弾を被弾していた事が遠因となり、雷撃命中による破壊と衝撃で各所の傷や亀裂が広がり、徐々に各所の浸水が増加。北の海の早い夜明けを待たずに波間に没してしまう。
 これ以外でも、いつもは潜水艦狩りをしている護衛空母の艦載機が、単独で撤退中だった重巡洋艦《アルジェリー》を空襲によって行動不能に追い込み、自沈させている。
 戦艦《ジャン・バール》と《ストラスブール》、その他半数ほどがブレストまで帰り着くことが出来たが、駆逐艦1隻を除いて全艦大きく損傷しており、フランス艦隊も壊滅した。
 しかし、撤退すらままならない艦隊もあった。

 6月7日の黎明から、連合軍と枢軸軍双方の巨大な空母機動部隊は、雌雄を決するべく激しく戦った。
 結果は枢軸側の惨敗だった。
 連合軍側の艦載機が母艦に帰投した夕方6時の時点で、15隻もあった空母のうち3分の2の9隻が既に海の底だった。何とか生き残った6隻の空母も、無傷の艦は1隻もなかった。艦載機運用能力を残していたのは連合軍の目を逃れて損傷復旧に成功した《グラーフ・ツェペリン》1隻だけだった。
 午後5時までに艦載機は去ったが、上空には依然として大型の偵察機が陣取っていた。戦闘機の発着能力を残している空母があったし対空砲もあるので必要以上に近づいてはこないが、レーダーがある以上振り切ることは難しく、少なくとも明るい間は連合軍の目から逃れることは不可能だった。しかもかなり外洋に出ていたので、連合軍の潜水艦すら警戒しなければならない状態だった。
 既に1時頃から実質的な撤退を開始していたが、連合軍の攻撃機が去った午後4時半頃から、損傷艦の本格的な救援、陣形の再編、そして撤退を開始した。
 しかし退くにしても問題があった。損傷艦艇が数多く出ていたからだ。
 特にこの場合の問題は、損害により速力が大きく衰えている場合だ。魚雷を受けて水面下に穴が空いている場合、機関部やボイラーが浸水していたら厄介だし、艦首付近を被弾している場合は速力による水圧を警戒して高速発揮が出来なくなる。また、爆撃も防御甲板を貫かれている場合は、機関部、ボイラーが破壊されている場合があるので、速力発揮の面では厄介だった。
 既に数ノット程度しか速力の出ない艦、全艦火だるまとなっていた艦については自沈や友軍艦艇による自沈魚雷などで処分、沈没していたが、それでも数多くの艦艇が傷ついて、身動きが取りにくくなっていった。
 そして枢軸側の惨状に対して、連合軍が追撃しない可能性は極めて低かった。
 しかも枢軸側艦載機の航続距離の問題から、戦闘開始当初から比較的近い距離で航空戦を実施し、そして午前中一杯は接近しあっていたので、さらに距離が縮まっていた。
 午後に入った段階で既に100海里(約180キロ)ほどで、高速艦が28ノットで進めば、僅か3時間半程度の距離だった。

 連合軍の追撃艦隊は、午後3時頃から各空母群から分離し初めて、午後3時半頃から本格的な追撃に移る。日本艦隊が2群、アメリカ艦隊が1群で、合計で高速戦艦4隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦14隻にも達していた。
 艦隊が3つに分かれていたのは、合流することによる時間の浪費を避けたのと、敵が複数方向に撤退した場合に備えての事だった。
 撤退を開始した枢軸側の各艦隊は、本来なら連合軍の追撃を振り切る事が可能だった。だが多くの損傷艦艇はそうはいかず、全て自沈させるか、見捨てるかの選択肢を迫れていた。そればかりでなく、敵の空襲の最中にはぐれてしまった艦も何隻か出ており、枢軸側の各艦隊司令部が把握できていない艦もあった。
 こうした状態に対して、枢軸艦隊のソマーヴィル大将とシュニーヴィント上級大将は、撤退を支援するための艦隊を編成し、損傷艦は可能な限り撤退に努力することを決める。特に空母と大型艦は、逃げられる限り逃げるように指示が下った。これは、枢軸側が残された艦艇を惜しんでの事だが、自沈させて乗組員だけでも確実に救った方が無難だったと評価されることが多い。
 枢軸側で撤退を支援するために殿(しんがり)を務めるのは、イギリスが巡洋戦艦《レナウン》、重巡洋艦《ケント》と駆逐艦3隻。ドイツが重巡洋艦《プリンツ・オイゲン》と駆逐艦2隻。
 速度が落ちて取り残されている艦艇は、空母《インプラカプル》、《イラストリアス》、重巡洋艦《アドミラル・ヒッパー》になる。また、艦隊主力と共に撤退できた空母は、《イーグル》《コロッサス》《グラーフ・ツェペリン》《ジョッフル》の4隻。ここに挙げた以外の空母は、既に沈んでいた。
 なお、重巡洋艦《プリンツ・オイゲン》と駆逐艦2隻は、殿と言うよりは、重巡洋艦《アドミラル・ヒッパー》を何とか曳航しようとしていた。本国からの命令があったためだ。このため本当に殿を行うのは、巡洋戦艦《レナウン》などのイギリス本国艦隊だった。彼らは空母《インプラカプル》、《イラストリアス》がノロノロと後退するより10海里ほど前面(後方)にあえて展開し、いち早く連合軍艦隊を発見する。しかも連合軍は偵察機で枢軸軍の状況をつかんでいるので、2つの方向から急速に艦隊が迫りつつあった。迫ってきていたのは、戦艦《金剛》《榛名》、軽巡洋艦《利根》《筑摩》に《夕雲型》駆逐艦4隻の艦隊と、戦艦《比叡》《霧島》、重巡洋艦《那智》《足柄》と《夕雲型》駆逐艦4隻の艦隊だった。戦力はどちらもほぼ同じで、速力も24ノットで追撃を行い、接近後は26ノット以上に増速していた。そして日本艦隊は、《比叡》などの方がイギリスの殿を相手にする隙に、《金剛》らが空母にトドメを刺す作戦で突進した。

 イギリス艦隊は、当初は回避に専念しながら損害を防ぎ、尚かつ少しでも時間を稼ごうと考えていた。遅い夕闇までは、あと4時間。それだけの時間を稼がなくてはならなかったからだ。しかし連合軍の動きに対して、見込みが甘かったことを思い知らされる事になる。仮に迫りつつある艦隊を振り切ってもう片方に食いついても、今度は振り切った艦隊が友軍空母に迫ってしまう。このため近くにいるドイツ艦艇に救援を求めるが、ドイツの《プリンツ・オイゲン》からは自らにも別の連合軍艦隊が急速に迫りつつあり、曳航を断念して急ぎ総員退艦後に自沈処理して撤退するという報告を受ける。つまり援軍が来るとしても、自沈処理してからと言うことになる。既に逃れつつある本隊は、敵潜水艦を警戒してこれ以上すり減った艦艇を割くことは難しかった。
 このため殿のイギリス艦隊は、追撃してくる半分の艦隊のさらに半分の戦力を二分するか、目の前の敵だけでも阻止するかの選択肢という、選ぶのも虚しい選択肢を迫られた。そして選んだのは、目の前の艦隊だけでも引きつけて、自らは回避に専念して撤退するという案だった。しかし、引きつけつつ逃げるというのも容易ではない。逃げすぎると、敵が損傷空母の追撃に変更する可能性が高いからだ。そうなっては、損傷空母は総員退艦の時間すら稼げず包囲されてしまうかもしれない。かといって引きつけすぎると、自分たちが避けることが難しくなる。また避けつつ逃げると言っても、各艦バラバラに逃げてもいけない。それこそ、敵を損傷空母に向かわせてしまう事になる。
 敵を迎撃する素振りを見せつつ、その上で避けなければならあいのだ。
 イギリス艦隊に対して日本の追撃艦隊は、高速戦艦と重巡洋艦と駆逐艦に分かれ、その上で全速で追撃してきた。これならば高速戦艦の30ノットに合わせずに追撃が出来るし、敵の逃走方向を狭めることもできる。加えて回避機動を取るのも難しくできる。
 なお、逃げる巡洋戦艦《レナウン》の最高速度は29ノット。追う《比叡》《霧島》は約29〜30ノット。速度はほぼ互角なので、振り切ることは極めて難しい。重巡洋艦《ケント》は31.5ノット、《那智》《足柄》は33.5ノット程度。こちらは日本側はほんの少し優勢だった。

 追撃戦は、イギリス側が阻止を目的にしてあまり後退しなかったので、すぐにも距離は縮まった。対して日本艦隊は、当初は全速力で突撃を実施した。そして日本艦隊は、距離3万メートルを切るまでイギリス艦隊への直進を続け、距離3万メートルから戦艦2隻が散発的な砲撃を開始する。そしてイギリス側は、ジグザグに逃げている分だけ距離が詰まっていた。それでも空母からは引き離しているので、イギリス艦隊は現状に満足していた。
 しかしこの場合、相手が少し悪かった。大型艦は全てカリブでの激闘を繰り広げてきた歴戦の艦で、練度も戦意も高かった。しかも日本艦隊側は、これが最後の大型艦との砲雷撃戦と考えていたため、尚のこと積極的だった。
 追撃戦が始まってから約1時間後、戦艦同士の距離は2万5000メートルまで縮まったので、日本側が本格的な砲撃を開始。重巡洋艦と駆逐艦はまだ2万メートル程度離れていたため、《那智》《足柄》は滅多にしないリミッターを解除した本当の全速で突進を続けていた。この時の日本側の重巡洋艦の速度は、35ノットを超えていたと考えられる。
 残りの燃料など考えないような日本艦隊の突進のため距離はさらに詰まり、さらに約30分後には駆逐艦以外の艦艇は全て砲撃戦を開始する。イギリス艦隊と《那智》《足柄》の距離は、既に1万5000メートル程度。戦艦同士の距離も既に2万メートル近くで、しかも日本側は二手に分かれて逃げ道を塞ぐ形に進んだ。
 こうなってくると回避に専念するのは限界があり、手数の多い小口径砲すら届くようになると命中弾が発生し始める。だが、本隊はオークニー諸島近辺まで後退したという報告もあったので、殿を務めるイギリス艦隊も本格的な遁走を開始する。
 しかし、無事に逃げることは許されなかった。
 近代改装されていた《レナウン》は、数発の命中弾を受けるも何とか耐え抜いたが、《那智》《足柄》の砲弾が高い角度から命中した《ケント》は、機関部を打ち抜かれて速力が大きく低下してしまう。これで《ケント》の離脱は困難となり、《ケント》は再び回避に専念する動きに変更しつつも、日本艦隊の前に立ちふさがるような動きを見せた。
 囮となったのは間違いなく、日本艦隊はトドメは戦艦に任せて、巡洋艦と駆逐艦はさらに追撃を続けた。1時間に8〜9キロ距離が縮まるので、重巡洋艦でもあと1時間ほどで十分に《レナウン》を捉えられる目算が立つからだ。
 逃げるイギリス艦隊は、相手が格下の重巡洋艦なら迎撃してもよさそうだが、《レナウン》は既に戦闘で砲撃力が衰えているため、万が一の事態を考えて逃げるより他無かった。しかし時間が経てば追いつかれてしまうので、駆逐艦3隻が《那智》《足柄》などの前に立ちふさがり、砲撃、牽制雷撃、煙幕などあらゆる手段で追撃を妨害してきた。しかし撃退するだけの力はなく、《レナウン》を諦めた日本艦隊が本気を出すと1隻また1隻と被弾していった。
 結果、殿を務めたイギリス艦隊は、《レナウン》のみが逃げのびただけで壊滅する。

 そして彼らの壊滅と引き替えに守ろうとした空母だが、戦艦《金剛》などの別働隊の追撃のため早々に撤退を断念していた。
 空母《インプラカプル》、《イラストリアス》のそれぞれには1隻ずつの駆逐艦が護衛に残っていたが、これは万が一の総員退艦に備えての事だった。そして、既に最低限の人数で運用していた各空母から次々に乗組員が駆逐艦に乗り移り、日本艦隊が距離2万5000メートルに迫る頃にはほぼ退艦を完了していた。そして遁走する駆逐艦と動かない空母を目にした日本艦隊も、無用な砲撃と追撃を中止。接近して空母の様子を見ることにする。
 二手に分かれた《金剛》などが接近したとき、既にそれぞれのイギリス空母は艦底のキングストン弁が抜かれて全艦に浸水が進んでおり、曳航は不可能だった。見た目には普通に浮かんでいたが、イギリス人が見捨てた以上、どうなっているのかは明白だった。
 そのまま放っておいても沈むのだが、日本艦隊もその場を離れなければならないので、確実に沈めるべく大型艦による砲撃もしくは雷撃を決定。しかし日本人の心情的には、敢闘した敵手に対して介錯をしてやるべきだと思った末の行動と考える方が自然だろう。実際、そうした手記が多く残されている。
 《インプラカプル》には、戦艦《金剛》《榛名》の近距離からの水平弾道の14インチ砲弾が舷側水面下に多数撃ち込まれ、のめり込むように沈んでいった。《イラストリアス》は、《利根》《筑摩》の砲弾では威力が不足するので、駆逐艦4隻が1本ずつの酸素魚雷を近距離から発射。全弾命中して大きな水柱を上げた。だが、被雷後も少しの間身じろぎもしなかったので再発射を検討中に、急速に傾いて横転。赤い腹を見せながら沈んでいった。

 長い夕闇の中での2隻の空母の最後が、枢軸側が「ラグナロック」と名付けた作戦の最後の情景だった。



●フェイズ64「第二次世界大戦(58)」