■フェイズ17「近世6・初期の新大陸の竜宮人」

 竜宮人が北アメリカ大陸に至ったのは、1377年の事だった。
 新王国成立前の戦争に敗れた王統軍の一派が、未知の世界に一縷の望みを託して脱出したものだが、海流と風のおかげもあって逃亡者が予測したよりも容易く陸地に至ることが出来た。しかも先に脱出した例を知っていたため、ある程度の準備を行った上で脱出できたので、かなりの規模と様々な文物や人材を持ち出すことに成功していた。
 とはいえ、出発時に二十数隻、千数百名を数えた船団は、三分の一近くが何らかの理由で脱落しており、新天地を踏むことが出来たのも1000名ばかりに過ぎなかった。他には、食料代わりに積み込んだ山羊や鶏などがかなりの数生き延びていた。他にも、犬と牛、馬が十数頭ずつ、豚、羊が数十頭ずつ残っていた。鼠については言うまでもないだろう。他にも、新天地を求めての旅だったので、鍛冶の道具をはじめかなりの量の様々な道具も載せられるだけ載せていた。武器もその中に含まれており、武器は追いかけてくる筈の竜宮の勝者に備えたものだった。一方で船の数に対して人数が少ないのは、家畜を始め多くの文物を積み込んでいたからだった。蓄積した知識を次世代に伝えるべく、書籍を多数積載していたりもした。様々な技術者や職人も、強引に連れてきている例もあった。
 つまり彼らは、即席の武装移民船団であった。
 そして彼らは、追っ手に備えることよりも、まずは現地で生き延びることをから始めなくてはならなかった。

 幸い食料(保存食)は船旅で一年分以上積み込んでいたので、現地で狩りや採取、できうるなら農業を行えば、何とか生きていけると考えられた。やって来た人々も、約三割が貴族や士族などの支配階層だったが、三割程度が一次産業従事者と各種職人達だったため(※残りのほとんどは船乗り)、何もない場所からでも生活の再構築ができなくもなかった。
 新天地で撒くための様々な種籾もあったので、土地を開墾して穀物が得られれば生活のための基盤を築くことが可能だった。また心強かったのは、当座の船での食料としてかなり積み込んでいた山羊や鶏の多くを食べずに新天地に持ち込めた事だった。数はそれぞれ200頭(羽)以上もあり、山羊のもたらす乳と鶏の卵、そして肉は初期の貴重な蛋白源となった。また荒れ地でもどこでも暮らしていける山羊の強靱さと柔軟性は、何よりの助けとなった。双方ともになるべく肉にせずに繁殖に努力が傾けられた。
 しかし問題は山積みだった。
 まずは人の問題だった。当面の食い扶持を確保するためには、全ての人が食料生産と住環境の整備に従事しなければならなかったが、旧支配階層の人々が当初それを嫌がったからだ。しかし追っ手もかからず、生き抜くためには背に腹は代えられないと分かると、少しずつ新たな生活に挑んでいく事になる。拒もうが、他に選択肢が無かったからだ。あまりにも何もしようとしない者には、見せしめとして罰が下されたりもした。そしてそうした事を可能とする指導者や指導層を持っていた事が、このときの竜宮人にとっての大きな幸運であった。
 しかし問題はさらに沢山あった。現地で暮らしていくためには、恒久的な食料の確保、住居の建設、さらに進んで集落の建設、農地の開拓など生活の基礎を最初から作らねばならなかった。
 幸いにして農業は何とかできそうな気候だが、竜宮と比べるとかなり寒い土地だった。雨量も決して多いとは言えなかった。また大きな熊(灰色熊)や大きな犬(灰色狼やコヨーテ)なども出没するので、竜宮に比べると自然の危険も大きかった。代わりに、鹿などの大型の草食獣が狩りの獲物とできたし、川には無数の鮭なども遡上した。森には木の実なども豊富だった。北米大陸北西部は、その気になれば採集狩猟だけで定住できるほど自然資源の豊かな土地だった。
 しかし豊かな自然の有る場所に、人が居ないわけがなかった。
 初期の竜宮人にとって最大の敵にして最大の支援者だったのは、現地の先住者たちだった。

 彼らの上陸した周辺部は、後にセイリッシュ諸族、カイユース諸族、チマクム族、チヌーク族、ヌトーカ族などと呼ばれる事になる褐色の肌を持った先住民族たちが、一万年以上もの長きに渡って新石器時代的な暮らしを営んでいた。彼らは農業もなく、金属器も使用していなかった。
 そうした人々のうち、付近の海で漁労を中心に生活していた先住民とは上陸当初から接触があり、お互い武器を用いずに交流に苦労しながらも物々交換を主体にした交流が行われた。また彼らが持ってきた現地には存在しない道具と食料の一部と連れてきた山羊と鶏の一部(主に乳製品と卵)を交換で、彼らが居住すべき空間と狩りの権利を得ることができた。特に鉄製品と竜宮産の各種酒類は非常に好評で、以後簡単に先住民の文物や協力を得ることができるようになった。
 加えて生き延びるという以外の意欲しかない竜宮人の無心さが、相手の警戒心を下げることにもなった。また様々な知識を与えた事が、友好関係の構築に大いに役立った。当時彼らが持ち込んだ技術は、東アジアでは後れたものでしかなかったが、新大陸の辺境では革新的な技術ばかりだった。農業、牧畜、文字、数字、政治的組織、車輪、そして製鉄。全てが現地には存在しない革新的な技術ばかりだった。
 一方では、現地での狩猟や採取の方法、猛獣に対する対処法など現地で生きていくための知識や知恵を教えてもらう事もできたので、彼らにとってはそうした知識は何よりの助けとなった。
 しかし相互交流は、主に先住民の側に大きな悲劇を発生させてしまう。
 竜宮人が持ち込んでしまった、ユーラシア大陸伝来の各種疫病、天然痘、インフルエンザ、風疹、百日咳などは先住民に全く免疫がなかった事から、破滅的なパンデミックによるジェノサイトを引き起こしてしまったのだ。しかも当時の船というものは生活環境が悪いのが常であり、旅立つときは何ともなくても船の中で発病することが多々あった。
 そして新大陸に到着した時点でかなりの病気を発病している者が存在したことが、即座に悲劇を発生させた。特に、船団からはぐれて難破後に別の場所に漂着した船は、全滅寸前の状態での新大陸到着となった。それは船全体に重度のインフルエンザが蔓延していたからだ。当然ながら悲劇の発生源となった。
 当然新参者である竜宮人が疫病のキャリアー(保菌者)として疑われ、初期の友好的な接触から一転して、周辺の先住民の多くが避けるようになった。彼らのテリトリーに近づくだけで追い払われるようになり、ついには戦闘にまで発展していった。そしていざ戦闘となると、竜宮側に組織的戦闘経験者が多かったことと、何より鉄の武器と防具を有するという圧倒的な差が、勝敗を一方的なものとした。
 しかし一方では、竜宮人が持ち込んだ様々な先進技術、今までにない穀物とそれを栽培する技術、新たな家畜の価値を認める部族もあった。そして竜宮人は、とにかく他に行く当てもないので先住民との融和と、少し後になると壊滅状態になった部族や集落の取り込みに必死になった。戦争によって服従させるという選択肢もあったが、それは関係が極度に悪化したごく一部を除いて行われることはなかった。最低限の自衛行動は取ったが、まともに全ての先住民を敵にしたら、とてもではないが太刀打ちできないからだ。
 初期の竜宮人のうち、戦える男子の数は僅かに500名程度しかいなかった。戦争で敗北した逃亡者なので男ばかりが目立ち戦闘経験も豊富だったが、この程度の数では最初はともかく後々の事を考えるとどうにもならなかった。
 鉄の武器と防具という、先住民に対して圧倒的優位に立てる文明の利器を持っていたが、補給体制どころか生活基盤すら存在しない初期の段階では、最低限の自衛以外で戦闘は選択できなかった。武器や防具を失った場合、補充が非常に難しいからだ。

 そうして数年が経過すると、もはや周辺の先住民は疫病の蔓延と大量死で未知の世界からやって来た新参者にかまわっている場合でもなくなり、先住民の人口密度が大きく下がった事も重なって、両者はしばらく距離を開けて暮らすようになった。
 そして十数年が経過すると、両者の違いが明らかになっていた。
 周辺部の先住民はパンデミックがある程度沈静化するも、酷いところでは9割以上が死亡して、コミュニティーの維持すら出来ないほどに衰退したところもあった。記録には残されていないが、多くの部族や一族が統廃合された。死に絶えた部族も数え切れないと考えられている。しかもパンデミックの波は、その後北アメリカ大陸をドーナツ状に広がっていき、竜宮人や竜宮人の近辺の部族の知らないところで悲劇を拡大生産し続けていた。このパンデミック・ウェイブは、ロッキーの人口過疎な地域での停滞を挟んで着実に広がり、約半世紀かけて東海岸まで無慈悲に達した。
 なおこうした疫病の波は、主に新大陸の竜宮人の狩人や交易者達が新大陸北西部を中心にして動き回って、各地の先住民と接触を持った事が主な原因だったと考えられている。主に一カ所にまとまって住んでいただけでは、疫病の広まりはあまり発生しなかった可能性が高い。また、竜宮が持ち込んだ家畜を媒介として疫病を発生させ続けたことも原因の一つとなった。
 そして16世紀初頭にヨーロッパ人のもたらした疫病が北アメリカ大陸に上陸するまでに、先住民のおおよそ8割を死に至らしめる事になったと言われている。このため、北米大陸に至ったヨーロッパの人々は、長らく新大陸は人口の少ない場所だと勘違いしたほどだった。
 一方では、疫病の被害を生き延びた人々とその後生まれた子供には、ヨーロッパ人が持ち込んだ同種ながらさらに強度の高いユーラシア本土の各種疫病に対するある程度の免疫を獲得しているため、その後は程度レベルのパンデミックしか発生しないようになっていた。
 これは16世紀末頃から、北アメリカ東岸に本格進出し始めたヨーロッパ人の苦労を、大きく引き上げる結果になったと分析されている。パンデミックから遅いところでも100年が経過しているため、壊滅を逃れた地域では人口も急速に回復しつつあったからだ。この間の北アメリカ大陸北部の人口変動は、14世紀末までは約2000万人いたものがコロンブスがカリブ海に至る百年後には200万人にまで激減し、白人が北米に進出し始める16世紀末には400万人にまで回復していた事になる。19世紀になる頃には、中央平原の部族はほぼ勢力を回復するまでになっていた。
 これこそが、近世までの竜宮人が世界史上で最も影響を与えた一撃と言われる変化であった。半ば偶然による竜宮人の新大陸到達がなければ、現存する北アメリカ大陸のインディアンの数は半数以下になっていただろうと分析されている。
 もっとも、白人とアメリカ先住民の間には圧倒的な力の差があったので、先住民が敗北の歴史を積み上げる事自体に大きな変化はなかった。流浪の竜宮人にすら破れるような文明しかないのだから、世界最先端の暴力的で騒がしい文明の持ち主であるヨーロピアンにアメリカ先住民がかなうはずもなかったのだ。

 話が少し逸れたが、何とか十数年を過ごした新大陸の竜宮人達は、ようやく人口が回復基調に乗り始めた。
 上陸時の1000名は、3年後には様々な要因、原因により200名近く減少した。後のヨーロピアンの最初期の入植時よりも低い死亡率であるのは、比較的友好的な先住民とのファーストコンタクトと、このときの人々がとりあえず一年以上食いつなげるだけの食料を持っていたことが原因だと考えられている。飢えと寒さの克服こそが、まずは第一だったからだ。
 そして得られたわずかな時間を活用して、開墾と農耕を即座に開始した。初年度は経験を得るだけであまり多くの収穫を得られなかったが、次の年には相応の収穫を得ることができ、とりあえず生き延びる目処が見えてきた。特に始めるためのハードルが他の農業よりも若干低い牧畜業は爆発的に伸びていた。
 そして竜宮人たちは、農業と牧畜の開始によって食料生産が軌道に乗り始めると、ただちに食料生産規模に応じた多産政策に乗りだした。数の少ない女性(出産可能な数は全体の二割程度)は、入植開始の翌年には重労働から解放され子育てに専念した。そしてこの時にできた生活スタイルから、現地の竜宮社会では女性と子供が社会全体から守られるという習慣や風土が強まる事になった。これは現代に至るまで影響を与えることになる。
 その後は、約十年で500名以上の子供が過酷な生活環境を生き延びて加わり、開拓による農業生産と牧畜も比較的順調に拡大した。さらに十年後には、現地での第一世代同士の子供も多数産まれるようになった。
 農業での主な作物は、寒冷地でも比較的容易く育てられるヒエやアワ、それと本来の主食となるであろう各種麦類(最初は大麦が主力)の栽培が精力的に進められた。米は気温、雨量共に十分でないので栽培は最初から諦めたのだが、この点だけは彼らを大きく落胆させた。
 家畜は、最初は数も多く粗食に強い山羊と効率の良い鶏が重視され、出来る限り肉にせずに乳と卵の利用だけにして繁殖に努めた事から、十数年には山羊が五倍以上の規模に拡大していた。これは上陸した沿岸部が、農業よりも牧畜(酪農)に適していたことが影響していた。そして山羊の乳が事実上の主食となったため、一時期は牧畜民の傾向が強まったりもした。家屋近くでの鶏の飼育も、もはや日常だった。
 一方で連れてきた時点で十数頭だった馬、牛、豚は、当初はひたすら繁殖に力が入れられた。そして数が少ない中での頻繁な繁殖により遺伝子異常や劣化なども出たが、数は着実に増加していった。特に保護して飼育した場合に繁殖力が強くなる豚の増加は著しく、四半世紀もすると一般的に食肉されるようになるほど数が増えた(最初は老齢のものだけ食べていた。当然不味い)。
 馬や牛も、数が増えると徐々に農作業や荷物運びなどに使われるようになった。馬や牛などのような大型の家畜も、新大陸北部には全く存在しない文明の産物のため、半世紀ほどして数が増えると周辺民族に対する重要な交易品目とされた。
 羊も数が少なかったが繁殖の繰り返しによって数を順調に増やし、徐々にその羊毛が現地での貴重な繊維原料となった。むろん、乳や肉は蛋白源として利用された。皮も存分に活用され、特に紙の代わり(=羊皮紙)として重宝された。
 竜宮犬は、自らの繁殖と新大陸の種と混ざり合うことで生き残るには生き残ったが、混血によってもはや竜宮犬と呼べる犬はいなくなっていた。そして連れてきた家畜群が増えるまでは、狩りによって得られる鹿や猪が貴重な蛋白源となった。
 また山羊の乳と山羊、鶏の卵そのものは、当初から先住民との間の貴重な交易品となった。竜宮人の集落に近い部族の中には、竜宮の技術を本格的に取り入れて共存する者も現れるようになってくる。
 特に竜宮が文字、数字の概念を現地に取り入れた変化は大きく、車輪の導入と合わせて現地民族に革新的な文明の変化をもたらした。数学が発達し、知識が次世代に伝えられるようになったからだ。一方で竜宮人達も、先住民から生活の知恵や現地での暮らし方を学び、それなりに取り入れるようになっていった。生き延びるためならば、拒む理由はなかった。先住民の生活スタイルのうち、優れていると判断されたものは積極的に取り入れた。
 そうして農地の開拓を主な行動として、少しずつ勢力を拡大する時代が長らく続く。しかし彼らが竜宮本国の事を忘れた訳ではなかった。人の数も増えて少し余裕の出てくる16世紀になると、軍事力の再編成が少しずつ行われるようになった。自らが逃亡者であるという恐怖こそが、新大陸での竜宮人の前進の大きな動機となった。

 上陸から百年が経つ頃には、現地竜宮人の数は先住民との多数の混血を含めて一万人にまで増加し、同盟関係を結んだ近隣部族を合わせると倍の二万人近い勢力にまで成長していた。最初の入植地には旧王家のロンド(=竜堂)の名が贈られ(※ロンド島、ロンド湾、ロンド平原など)、冬霞(トウカ)という名を与えられた中心の集落には大規模な堀と太い木材で囲った砦のような村となっていた。他にもいくつもの村が建設され、テリトリーも広がっていた。
 新天地到達数年後には見つかった砂鉄を用いた製鉄も日常化して、自分たちで消費するだけでなく、周辺部族との重要な交易品になっていた。草原には山羊などの家畜群が大量に繁殖し、労働力や十分な蛋白源となっていた(※ただし、家畜の比率は山羊は徐々に減少している。)。作物も少しずつ各種麦類の作付けが広がるようになり、人口拡大に貢献していた。
 逃亡者だった彼らは、百年の歳月をかけて文明の再構築に成功したのだった。
 しかし何時まで経っても竜宮本国からの追っ手はなく、とにかく少しでも人口と勢力の拡大に努力を傾ける毎日が続いた。勢力の拡大に伴い周辺部族との諍いや争いも皆無ではなかったが、鉄製の武器を持ち製鉄技術を持っている優位は大きかった。周辺部族の吸収と併合も積極的に行われ、支配地域での彼らなりの竜宮化政策も熱心に行われた。

 そして1652年春、エグゾダスから300年近い歳月を経て竜宮本国からの船がついに到着する。
 この頃までに新大陸の竜宮人は、総人口10万人以上を有する一大勢力となっていた。内陸の盆地地帯に新たな穀倉地帯を作り、初期入植地の沿岸部には広大な牧畜地帯を築きつつあった。また、既にスペインがメキシコ以北の新大陸の多くを得ていたが、東洋系の末裔が新大陸に居ることを知らなかった。しかし現地の竜宮人が大柄の馬を持っていたのは、スペイン人がメキシコに持ち込んだものが野生化し、それが急速に先住民に広まりつつあった結果であった。彼らが持ち込んだ日本馬の派生である小型の竜宮馬は、既にほとんど姿を消していた。
 このため竜宮国のガレオン艦隊を迎えたのは、ヨーロッパを祖とする馬の背に跨った、羊毛製品に身を包んだ竜宮人と先住民の混血のその子孫達であった。
 もはや見かけで竜宮人と呼ぶべき要素は、ある程度黄色人種の特徴を残している以外では、衣服や装飾品の一部に残るだけだった。それでも日本語を源流とする竜宮語に近い言葉と漢字、数字、様々な東アジアの文明を維持していた。
 また初期的な国家の形成にも成功しつつあり、都と呼ぶべき場所には、それなりに立派な木造建築群を中心にして町と呼べるものが形成されていた。石造りの神殿や権力者の墳墓も造られており、本国と変わらぬ信仰を維持している事も伺えた。
 そして冬霞(トウカ・以後もこの名を用いる)と名付けられていた街で、現地に根付いた竜宮の末裔と、新たな国家を作った新しい竜宮が出会う。
 出会いは幸いファースト・コンタクトとなり、両者の話し合いの結果、新大陸の竜宮人達は、かつての罪を不問とする事、名誉を回復すること、新たな文物を伝えること、そして現地での統治権を求めた。彼らは自治こそ求めるも独立は求めず、竜宮の中に戻ることを最初から選んできた。300年間持ち続けた強迫観念が、彼らに竜宮への帰属意識を持たせ続けてもいたのだ。
 これに対して来訪した竜宮艦隊は、ある程度の外交権も与えられていたが、流石に予想外の事態だったため、事実上の人質を残した形で竜宮本国へ使者を送ることとを認め、使者の案内を行うことになった。
 そして翌年、竜宮の土を約三百年ぶりに踏んだ竜宮の末裔達は、本国の発展ぶりに驚愕した。そして驚愕のまま、竜宮国初代国王瑠姫女王より、自らが求めた全てを受け入れられた。さらには現地の代表者に天里果(アメリカ)大侯爵の称号が新たに授けられ、同時に竜宮国天里果領が制定された。他にも現地での徴税権、貿易権、軍事権が皇の承認のもとで天里果大侯爵に授けられた。本国と同じ文明と技術を与えることも認められた。
 引き替えとして、竜宮国に属する事、竜宮本国への交易拠点を提供する事、竜宮からの移民を受け入れる事などを飲まなくてはならなかったが、予想していなかった厚遇であった。

 しかも竜宮からの人の移動は、まずは極寒の地アラスカを目指した。何を差し置いても行くだけの価値がアラスカに生まれたからだった。


●フェイズ18「近世7・黄金郷・黄金狂」