■フェイズ39「近代16・二つの竜宮」

 1939年5月3日のクーデターにより、竜宮本国は竜宮救国党、実質的には軍事クーデターを行った播将軍率いる軍の一部によって短期間の間に掌握された。しかし、竜宮は彼らの望んだ強固な一枚岩や挙国一致体制に進むことはなかった。
 形式的には属領もしくは自治地域の新竜領に公子(皇太子)が玉璽付きで現れてしまい、クーデター軍が現国王を退位させる前に、公子に禅譲が行われたという発表が行われた。
 クーデター軍は、玉璽と禅譲の書類は偽物で皇太子は、竜宮の団結を嫌う一部の反逆者とそれに荷担したイギリスとアメリカの共謀によってさらわれたのだと、主に国内に向けて発表。突然の話しを前に混乱する竜宮国民に対しては、新たな指導体制のもとで一致団結することを強く求めた。
 一方の公子側だが、公子がまだ幼く本国の政府要人の殆ども本国に残されたままのため、短波ラジオなどで竜宮及び世界に向けて自らの正当性を訴えても、感情面はともかく実質面でその力は弱かった。しかも彼らのいる場所は、本国ではなかった。
 しかし新竜領は、一度他国の実質的支配を受けた土地、本国の食料供給地や各種加工製品の市場、さらにはあぶれ者の受け入れ先として本国から格下に見られるのが常だった。さらには、地理的にも否応なく現実路線としての親英米派が最も強い地域だった。地続きでアメリカ、カナダ(イギリス)ともつながっているため、住民の国際感覚も高かった。このため軍国主義、全体主義、さらにはクーデターそのものへの反発も強く、今回の「国王亡命」と亡命王国の本拠となることに賛同する声の方が圧倒的に多かった。
 一方困ったのは、本国以外の竜宮各領だった。
 新竜領各地は陸路で公子と王の正当性を確認できたし、地理的にも否応なく米英との友好関係を続けざるを得ないので混乱も少なかったが、他は難しかった。同じ北米大陸のアラスカは、新竜領と同列だった。竜宮陸空軍主力といえる瑠姫亜(ユーラシア大陸北東部)の軍は、ソ連という目の前の脅威と向き合っているためどちらかと言えばクーデター寄りだった。またクーデター軍が日本との連携、東亜との連携を標榜していたので、日系人の多いブルネイもクーデターに同調ぎみだった。日本のすぐ側の琉球王国も、近在の力関係から否応なくクーデター側に荷担せざるを得なかった。そして一番困ったのがハワイだった。
 ハワイは17世紀中頃から竜宮領とされ、18世紀半ばには竜宮の属領という形で自治政府(副王領=対外的には公国)が成立していた。
 しかし竜宮での産業革命の進展以後は、北米大陸と竜宮を結ぶ拠点として開発が進められ、良港であるオワフ島の真珠湾は貿易港、軍港としての整備が進み、ハワイ自身の開発も急速に進んだ。
 とはいえ、1930年頃の総人口は60万人程度しかなかった。
 砂糖産業やパイナップルの産地、交通の中継点としての産業はあったが、合わせて1万数千平方キロメートルの小さな島々では自立できる経済を作ることは難しく、他の地域から離れているので発展も限られていた。
 しかしハワイには海軍の拠点が建設されており、本国、新竜、アラスカ、琉球、ブルネイと並んでハワイは竜宮海軍の6大拠点の一つとなっていた。
 そしてクーデター時、このハワイの真珠湾には、付近で演習中だった竜宮海軍の本国艦隊が臨時寄港した。この艦隊は竜宮海軍の半数以上が参加した大規模な艦隊であり、初夏好例の大演習を行っている最中だった。

 当時竜軍海軍は、どちらかと言えば全体主義政権に対して批判的だった。軍拡による海軍増強は有り難い話しだったが、海軍自身は自分たちが海上交通防衛のための軍事組織だという意識を常に持っていた。1隻の贅沢な戦艦よりも、数隻の巡洋艦や護衛艦艇の方を喜ぶと言われるほどだった。
 6大海軍列強になったのだという意識も皆無ではなかったが、強大なアメリカ、日本双方の大海軍を前にしては、そんな意識も現実的でないことぐらい簡単に理解できた。新たに建造した《剛毅級》条約型戦艦も、自らの節度と相手に侮られないことを目的として建造が進められ、日本ほど過剰な能力を盛り込んではいなかった。竜宮海軍とは、そういう風潮を持つ海軍だった。
 しかし国内では、民族主義、全体主義の風潮が強まるに連れて、日本と連携することで英米に対抗するという考えが主流となりつつあった。竜宮と日本を合わせれば、アメリカ、イギリスの片方に匹敵する海軍になるという論法である。
 しかしこれこそ愚かしい論法であり、新竜領で国境をアメリカ、イギリス(カナダ)と接しているため、一定以上の知識と見識を持つ竜宮人はアメリカのでたらめじみた工業力、国力を良く知っていた。事実を知らないのは、本国の小さな世界から出たことのない過半数以上の国民達だった。
 そして竜宮海軍としては、ソ連、共産主義の膨張を押さえつけるという一点でのみ日本との連携を求めはしたが、それ以外では竜宮の全体主義政権も日本で進む軍国主義も嫌っていた。日本海軍そのものとの関係は、建軍以来個人も含めて比較的良好だったが、軍事クーデターの五・一五事件以後は関係も冷却化していたほどだった。

 そしてクーデターを迎えた訳だが、海軍の殆ど全ては蚊帳の外か被害者で、クーデターに参加した者は現状に不満をため播将軍に賛同した若干数に止まっていた。しかも首都昇京にあった海軍長官と海軍司令部はクーデター軍に押さえられているため、組織として動くに動けなかった。
 このため本国艦隊は、新たな正式命令がないとして、まずは緊急措置として演習を直ちに中止して最も近いハワイ真珠湾に入った。艦隊は戦艦3隻、空母2隻、重巡4隻を中心とした大艦隊で、不景気の影響と海軍予算不足で就役の遅れていた新鋭戦艦(条約型戦艦)を迎え入れたばかりだった。
 同艦隊司令部は、まずは無線で本国と新竜領双方に問い合わせたが、両者の言っていることは全く違っていた。本国のクーデター側は命令系統としての正当性は自分たちにあり艦隊には直ちに本国に帰投しろと言うが、新竜領は現在の本国の軍事組織に王の信任はなく正当性がないのでしばらく動くなと言った。
 そこで、新竜王国に駆逐艦の護衛を付けた重巡洋艦を派遣した。公子の存在と玉璽、公子への禅譲を確かめるためだ。同時に本国にも、ハワイにいる飛行艇で使いが出された。そして一悶着あった挙げ句の結論は、現クーデター政権に王国としての正当性が存在しないという事だった。しかし分かったからと言って、どう動くべきかの結論は出なかった。クーデター政権は、竜宮本国を実行支配していた。
 一方で、本国艦隊が王の信任を受けてクーデターを鎮圧するという事は、この時点では出来なかった。竜宮は立憲国家であり、王には国の権威はあったが軍の指揮権がないからだ。しかも本国艦隊将兵の家族の半数以上が本国にいたので、本国と袂を分かつという事も心理的に難しかった。
 そしてこの本国艦隊を巡って、本国のクーデター軍と新竜の公子派が駆け引きを行うも、事態は膠着状態に陥り竜宮の誰もが竜宮王国を形作る法の網に絡め取られ迂闊に動けなくなっていた。
 そこに大きな外交変化が訪れる。
 「ノモンハン事件」の発生だ。

 竜宮本土のクーデター軍は、「ノモンハン事件」を千載一遇の機会と捕らえた。日ソの国境紛争を純粋なソ連の軍事的脅威にすり替え、ソ連の侵略阻止と日本との連携を訴えようと画策した。この宣伝は本国やアジア側の竜宮領には効果的であり、5月中の「第一次ノモンハン事件」での日本軍の「敗北」が大げさに伝えられると、国論は反ソ連、東亜連携に大きく流れた。
 クーデター軍は、日本政府とも交渉を持ち、満州への義勇軍派遣、兵器や物資の供与を約束した。
 なお竜宮は、満州には既にかなりの利権と在留邦人を持つため、1938年には満州国を承認した上に大使館を持ち、多数の武官(軍人)も派遣されていた。このため満州での情報を掴むのも早く、この時の義勇軍派遣も迅速に行うことができた。
 そして竜宮軍は、いち早く1個機械化旅団を多数の支援部隊付きで満州奥地に送り込んだ。同時に北東ユーラシア地域でのソ連国境の軍備も増強してソ連軍を牽制した。
 7月から8月にかけて「第二次ノモンハン事件」が起きるが、これは大規模な機甲部隊同士の戦闘となり、両軍に多大な犠牲が発生した。
 ちなみにこの時竜宮陸軍の機械化部隊の主力戦車は、イギリスのヴィッカーズ6t軽戦車とその自国発展型の「33式戦車」だった。国産戦車の総合性能はソ連の同ヴィッカーズ系列のT-26よりも若干高く、当時の軽戦車としては重装甲が特徴だった。また主に瑠姫亜地方での運用を考えていたので、寒冷地対策がなされた上に空冷ディーゼルエンジンを搭載していた。当時は、無駄に贅沢な軽戦車とも言われた。
 また全体主義政権成立後は、ソ連に対抗するため自力での開発以外にもヨーロッパ先進国からの戦車導入を積極的に行った。そして自力での戦車開発に手間取っていたため、第一次世界大戦以後交流が深まっていたフランスから、最新鋭と言える「ソミュアS-35」200両の輸入を受けることができた。ただし完全輸入のみが認められた上にフランスでの生産の遅れと、フランス側の竜宮政権への不審もあって、結局予定の半数程度しか輸入はできなかった。ノモンハンの戦闘では、1個中隊が竜宮軍唯一の「中戦車中隊」を編成して奮闘している。また、日本軍よりも防衛軍としての性格の強い竜宮陸軍全体が、日本軍ばかりか世界的に見ても重武装で、弾薬も多く持ち歩いていた。何しろ竜宮陸軍は、基本的に本土防衛以外では、北辺の地であるルキアでロシア人と対峙する事しか考えていなかった。しかも北辺の地は世界で最も寒い土地のため、主に陣地に籠もった要塞地帯の防衛が主任務であり、「北辺の防壁」と言われるような軍隊が陸軍の主体だった。機械化部隊は贅沢な玩具という向きが強かったが、そうした防衛的な面から陸軍全体から見ると小規模だった機動戦を行う部隊も、半ば自動的に重武装となっていた。

 ノモンハンでの戦闘そのものは、日本軍の戦略的敗北だった。
 この当時はソ連軍全体の犠牲は不明だったが、戦略的に敗北すればそれは完全な敗北であった。
 竜宮義勇軍は1個機械化旅団で、最終的には後方支援部隊を含めて5000名を近くになったが、日本軍同様に大きな損害を受けた。対装甲車両戦闘では日本軍よりも奮闘したぐらいで、前線にも踏みとどまったが、本気を出した陸軍大国相手では竜宮陸軍が力不足なのを実感させられる戦闘でしかなかった。個々の質はともかく、とにかく物量が違いすぎるのが実感された。全体の戦術も、ソ連軍は優秀だった。竜宮陸軍の戦車運用も、一部の阻止戦術は優秀だったが歩兵直協が主軸だった。
 そして日本軍、竜宮義勇軍敗北が伝えられると、竜宮国民の多くの反ソ連感情、ソ連に対する恐怖心は高まり、勝利による支持獲得を目指したクーデター軍の意図とは違うものの、大きな追い風となった。
 しかも戦闘がまだ終了していない1939年8月に「独ソ不可侵条約」がソ連とドイツの間で結ばれると、一層クーデター軍への支持が集まった。逆に、竜宮とドイツとの関係が希薄なままだったので、竜宮国民の反ドイツ感情やドイツへの失望感はむしろ高まることになった。こうした二律背反の中でクーデター軍への支持が高まったのは、歴史的な反ロシア感情と同時に、本国人は英米への感情的反発も強かったからだった。
 そして、この時日本の首相は「複雑怪奇」と言って退陣したが、既にルビコン川を渡っている竜宮のクーデター軍としては、目の前の道を押し進むより他なかった。

 そして民衆からの追い風を受けたクーデター軍は、ついに強硬手段に出る。
 王権の停止と新政府の樹立である。
 宣言は1939年8月20日に行われ、国号は「竜宮国」と自らの政体については何も冠しなくなった。
 王権と貴族など特権階級の称号と特権が剥奪され、身分制度の撤廃も宣言された。また国民には、社会保障制度の充実や女性にも参政権を与えるなどの約束が掲げられていた。議会は衆議院だけが残され、貴族院は廃止され一院制となった。一時停止された議会と政党の活動も、順次戻されることが約束された。
 しかし実体は軍部を中心にした独裁体制で、結局まともな民主選挙も議会が開催されることはなかった。このため当初は国民の多くが支持するも、徐々に民心が離れることになる。
 一方で軍の権限が肥大化し、国自体も総動員による挙国一致へと大きく傾き、ソ連とアメリカ、イギリスへの敵意を露わにし、日本など枢軸側との連携を急速に強めていった。
 中でも竜宮独裁政権が敵視したのが、分裂した同胞だった。
 クーデター後、新竜領に逃れた公子を中心にした勢力(以後、保守派)は、自分たちの陣営造りと本国の政治権力の奪回を目指して活動していた。しかしクーデター側(以後、軍事政権)が遂に強硬手段に訴えるに至り、形式上では流浪の民となった。
 新たに本国に成立した「新政府」も、全ての竜宮国民、竜宮領の団結と合流を訴え、アジア方面の多くが否応もなく合流していった。
 しかし新竜領は、自分たちの生き残りのためにアメリカ、イギリスと敵対することは絶対に選択できなかった。新政府の方針に従えば、ゆくゆくは新竜領は戦場となり、最終的にはアメリカ、イギリスに軍事占領される事は決定事項に等しいからだ。これは、軍事政権がどれほど言葉を用いても、新竜領の民衆は見向きもしなかった。
 そして保守派の活動に、イギリス政府を中心にして急速な接近が行われ、次なる世界的な大事件の勃発が、竜宮の分裂を決定的なものとした。
 言うまでもないが、第二次世界大戦の勃発だ。
 これによりヨーロッパは戦乱の時代へと再び入り、ドイツ、イタリアと防共協定という事実上の同盟関係を結ぶ日本に対する重石が必要となった。しかしアメリカ、イギリスから一定の重石になると見られていた竜宮は、クーデターで国家が分裂した上に力を持つ本国が日本に強くなびいてしまい、今度はこれを押さえつける存在が必要となった。
 こうしてアメリカ、イギリスと新竜領の保守派双方の思惑が合致して、「正当な」竜宮王国は新竜領に設置されることになった。臨時王都は冬霞市に置かれ、諸外国の協力の下で軍事政権に奪われた政権と領土の回復を行うと宣言した。
 新たな国王には、公子(王子)だった明晶(メイショウ)が就いた。幼い王の後見人には、新竜領主(新竜王=大公爵)、公子と共に行動していた名門貴族出身の侍従長、そして公子とは腹違いの珠翠(シュスイ)公主(王女)が就くことになった。
 この時明晶王はまだ11才、珠翠公主は16才だった。ただし竜宮王家では、男女を問わず15才で成人と見なされるので、この時公主が後見人の一人に選ばれていた。何しろ本国の王族や大貴族のほとんどが、身分と権威を剥奪された上に幽閉状態で人材不足だった。
 ちなみに、この時二人の王族に宝石に関連する名前が付けられたのには、少しばかり歴史的な理由があった。
 竜宮人の中で、はるか太古の民族移動の時に最初に訪れたのが、氷河期が終わり北米大陸に渡り損ねてそこで行き場を失なった北の民だった。この北の民は、陽光の少ない北の住人のため瞳の色素が薄い場合があり、古い竜宮人の血を持つ者ほどその血が現れることがあった。二人の瞳も緑がかっており、竜宮では緑を権力や神聖さの象徴と見る向きがあるため、特に王族の緑の瞳は尊ばれる傾向が強かった。翡翠が尊ばれるのもこのためだ。しかも明晶王が虹彩異色症、つまり左右の瞳の色が違う(右:緑、左:薄茶)ことは、さらに尊ばれた。また公主の血統には、大航海時代に竜宮にやってきて才能から重用され貴族にまで成り上がった渡来スペイン人の血が含まれていた。既にスペイン人の血は8分の1程度と言われているが、彼女の外見にはそれが隔世遺伝で強く現れていた。
 そして幼い王と後見人の一人となった若い公主は、流浪の竜宮王国の歩く広告塔となった。
 本土を失い、本土で権威と身分の全てが否定されたので、残された側としては王族を全面に押しだす事が、最も効果的な内政及び外交戦略となったからだ。
 実際、各地の竜宮人、特に保守の立場の人間は、本土で王権、貴族制度が否定されたことに強い不満や不安を持っており、特に権利と権威を失った貴族や士族にその傾向が強かった。このため北米には、移動可能な竜宮人が多数合流した。軍の方も現地軍ばかりでなく、移動の叶う海軍や空軍の一部も新王国に合流した。特に海軍は、貴族将校も多かったので合流者は多かった。
 この中で一番価値があったのは、竜宮本国艦隊の存在だった。
 クーデター後も長らくハワイに居座って動かなかった本国艦隊は、軍国主義となった本国を暴走させないと言う目的のもと、あえて王権の正当性を理由にして王国側への参加を表明した。海軍主力が欠ければ、軍事政権も不用意に英米を敵にしないと考えられたからだ。
 しかし以後二つに割れた竜宮の混乱は続き、どちらも明確に何かに向かうという事はなかった。脅威と見られたソ連も、竜宮の北の僻地に対する火事場泥棒よりも、他の地域への努力に傾注した。

 以後竜宮は、本国の軍事政権が「軍事政権(ミリタリー・ポリティック)」と揶揄して呼ばれ、竜宮王国の方は「自由政府(フリーダム・ガバメント)」とされた。要するに、当時の世界情勢に従って、正義と悪にきれいに色分けされたのだ。
 二つの国はそれぞれの陣営の国々にのみ承認され、完全に分裂することになった。国力的、勢力的にはほぼ7対3で軍事政権が優勢だった。
 そして弱体な自由政府の一番の後援者となったのが、イギリス連合王国とアメリカ合衆国だった。どちらも国家としての冷徹な損得勘定から自由政府の味方をしたのだが、アメリカの場合は少し違った面もあった。
 先にも少し紹介したように、アメリカ国民がすっかり「ナイト・シンドローム(騎士症候群)」に陥ってしまっていたからだ。
 新聞各紙、ラジオも売り上げに繋がるので、連日流浪の幼くけなげな王と可憐な公主を報道し続けた。あまり東洋人に見えないエキゾチックな二人の外見も、報道熱と人気に拍車をかけさせた。しかもアメリカ市民にとっては、同じ大陸に住む他国人という親近感が持ちやすく尚かつ自分の懐が痛まない相手なので、人種差別もほとんど言われることがなかった。
 自由政府が発行した臨時国債も、アメリカ、イギリス両政府が保障したこともあってアメリカで飛ぶように売れ、アメリカ経済界も自由政府を全面的にバックアップした。英米政財界の要人も、頻繁に幼い王のもとを訪れた。竜宮王と公主のアメリカの首都ワシントンの訪問すら簡単に実現した。
 この時のアメリカ国民の熱狂は凄まじく、訪問のために用いられた飛行船「織姫号」は、報道関係者の飛行機や車に追い回された。このため、軍事政権側が送り込んだと言われた暗殺者や誘拐者から王と公主を守るとして、報道関係者を強引に遠ざけねばならないほどだった。無論誘拐や暗殺は嘘であり、軍事政権も流石に自国の国民感情をさらに逆撫でするような愚行には出ていない。
 しかし、いまだ戦争から遠く離れていたアメリカは、すっかり新大陸に逃れてきたか弱い流浪の王様に参ってしまい、市民の声はアメリカの政策にすら影響を与えるようになった。
 ワシントン訪問時の報道でも、幼い王と公主(王女)の人気にあやかるために、ルーズベルト大統領がワシントンに招待したのだと言われたほどだった。

 なお、軍事政権も自由政府もこの段階で戦火を交えるという事はなく、竜宮本国とハワイ、新竜領とアラスカでの静かな睨み合い以上には発展しなかった。
 太平洋が戦火で覆われるのは、もう少し先の事だった。


●フェイズ40「近代17・第二次世界大戦勃発」