■フェイズ42「近代19・太平洋戦争2」

 太平洋方面での戦争の転換は、枢軸側の楽観的予測よりも早かった。
 アメリカを中心とする連合軍は、マーシャル諸島沖海戦(連合軍呼称)での敗北を受けて当面は守勢防御を決定した。
 しかし南太平洋で枢軸の大きな脅威を受けるオセアニア地域を守らねばならず、当面のハワイへの増援と防衛を自由政府軍にほぼ任せた形で、アメリカ軍による南太平洋方面の戦力増強が急がれた。海軍に大きな損害を受けた上に、巨大なアメリカの生産力がまだ本領発揮に遠かったため、全ての戦力が不足していたからだ。
 そしてこの中でハワイの重要性が増した。
 ハワイを失えば、南太平洋への補給ルート上の最も重要な中継点が遮断される。そればかりか、西海岸が直接の脅威にさらされるのだ。
 このため自由政府軍は、手持ちの海空戦力のほぼ全力をハワイに集中した。ハワイ=北米西海岸の海上交通線では、枢軸軍潜水艦隊と連合軍護送船団による地味であるが熾烈な戦闘が展開された。アメリカ軍も徐々にハワイに戦力を蓄積するようになり、次の枢軸軍の動きを迎えることになる。一方では、自由政府軍を中心に、竜宮本土を中心とした通商破壊戦も活発化し、枢軸側商船隊にも少なからぬ損害が出るようになっていた。
 こうした状況での枢軸軍の目的は一つ。連合軍とは逆にハワイを攻略することだった。幸い先の海戦で大勝利を得たおかげで、数字上の戦力バランスは大きく優勢だった。ようやく損傷艦艇もある程度復帰し、航空隊の再編成もある程度完了しつつあった。そして水上での戦力差が決定的に開いている今こそが、ハワイを攻略する最大にしてほぼ唯一のチャンスだった。
 また竜宮本土に対して連合軍側が仕掛けている長距離機による嫌がらせのような空襲、潜水艦などによる通商破壊から守るためにも、ハワイの攻略は重要だった。このため南太平洋、インド洋での戦線拡大は先送りされた。

 そして7月末、再び大艦隊が編成される。
 艦隊は続々と竜宮本国や中部太平洋の日本軍拠点に集まり、まずは7月25日に奇襲的にほぼもぬけの殻だった中道島が占領された。連合軍は、現時点でここの守備は不可能と判断していたため、急ぎ撤退可能な小規模な偵察部隊を置くのみだった。
 そして初期の戦闘から脱落しなかった、太平洋方面の海上戦力の全てがハワイ作戦に注ぎ込まれた。
 しかも枢軸側にとっては、今回の作戦を行うと以後半年間は燃料事情のために大規模な海上戦闘が不可能になるため、乾坤一擲、一か八かの賭でもあった。
 用意された戦力の中核は空母機動部隊と竜宮本土南部から出撃する長距離爆撃機部隊で、戦艦は既に上陸支援任務程度の役割しか与えられていなかった。何しろ相手は先の戦闘で多くを沈めてしまっていたからだ。ただし中部太平洋海戦での損害がよそ以上に大きかったため、急ぎ補充された艦載機部隊の訓練度にかなりの不安が伴っていた。
 そして開戦から敗北一方の連合軍だが、日本海軍とは比較にならないぐらいに戦力が不足していた。空母の数は強引に修理したり大西洋から引き抜くなどして無理矢理揃えたが、特にアメリカ軍においてパイロットの補充が間に合っていなかった。ハワイには、通商破壊戦での犠牲を省みず増援部隊が送り込まれたが、竜宮本国からの距離を考えれば10万の陸軍と300機の戦闘機程度は全く足りていなかった。
 竜倶本国には、約3000万人の国民が生み出す陸軍力と稼働1000機の航空部隊が存在しているのだ。お互いがしのぎを削っている通商破壊と防衛戦でも、今のところは枢軸側優勢だった。北米大陸西海岸はようやく落ち着きつつあったが、ハワイ航路はまだまだ危険に満ちていた。その上、辛うじて維持されている制海権を失えば、全てが終わりなのだ。
 しかし枢軸側は、作戦を急ぎすぎた上に開戦からの勝利の連続でで慢心が広がっており、まるでかつてのアルマダ(スペイン無敵艦隊)のような有様だった。
 決戦日は8月5日。8月7日には枢軸軍のハワイ上陸作戦が予定されていた。
 この作戦で枢軸側は、日本海軍が大型空母《赤城》《加賀》《翔鶴》《瑞鶴》、中型空母《蒼龍》《飛龍》《飛鷹》《隼鷹》、他軽空母3隻を用意した。竜宮軍事政権は軽空母3隻で、日本軍の後方に位置する攻略艦隊護衛の軽空母部隊(鈍足の護衛空母3隻)と共にあった。合計空母の数は17隻で、艦載機総数は800機近くに及んだ。
 これに対して連合軍は、アメリカ海軍が空母《エンタープライズ》《ホーネット》《ワスプ》、竜宮自由政府が空母《黒竜》《白竜》、他軽空母2隻を用意した。合計空母数は相手の半分の7隻で、艦載機総数も同じく半分の約400機だった。
 他に、枢軸側がハワイ攻撃用の長距離進撃可能な機体を200機用意し、連合側がハワイ防衛のための戦闘機300、その他150機を用意した。重爆撃機や飛行艇は北アメリカ大陸から直接飛行して運ばれたため、枢軸側も正確な数字を予測できていなかった。
 そして枢軸側が予測できていないのは敵空母の数に対しても同じで、相手の修理能力を軽視して戦力を低く見積もっていた。

 戦闘は、ハワイ攻略という能動的行動を取る枢軸側の先制攻撃によって始まった。ハワイの軍事拠点と社会資本が集中するオワフ島に、空母艦載機400機の攻撃隊が殺到する。同時に枢軸側の基地機200機による波状攻撃も開始された。
 これに対して連合軍側は、さらに洗練されたレーダーと通信装置を用いた効率的な迎撃管制を実施し、イギリスのバトル・オブ・ブリテンほどでないが有効な迎撃を行うことができた。対する日本艦載機群は通信技術に劣るため、大編隊になればなるほど全体の指揮統制能力が低くなり、全体として効果的な攻撃を行うことができなかった。また、前後して150機の攻撃機部隊が枢軸艦隊を波状的に攻撃し、相手の戦力と神経をすり減らした。
 そしてハワイの予想以上に強固な防御に業を煮やした日本艦隊は、連合軍艦隊が出現(発見)しないことを楽観視して、敵空母用に待機させていた対艦攻撃用の攻撃隊の転用を決意し、各空母で装備の変更が開始された。
 この時連合軍側の空母部隊は、相手の予想外の位置にいた事と天候の助けもあって、まだ枢軸側に発見されていなかった。これを前線の日本軍空母機動部隊では、一部誤認のあった事前情報をもとに西海岸を出撃した米増援艦隊との合流が遅れているものと推測していた。
 対して、ハワイを飛び立った連合軍側の攻撃隊、哨戒機、攻撃部隊の献身的な偵察報告によって日本艦隊の正確な位置と戦力を掴んでおり、放てる限りの攻撃隊を発進させた。
 だが連合軍側の艦隊総指揮官は、攻撃の速度を重んじて中隊や大隊程度の編隊ごとに進撃させた。さらにパイロットの訓練度が低いため、連合軍の編隊は細く長く伸び、しかも迷子になる部隊が続出していた。しかしその事が、大きな幸運をもたらした。
 午前十時頃、日本の空母機動部隊は混乱のピークにあった。
 五月雨式ながら艦載機の攻撃を受けるようになり、ようやく敵空母部隊も発見されたので、慌てて艦載機の再度の装備変更を行っていたからだ。
 各母艦の格納庫内では、収納する時間がないため爆弾や魚雷が危険な状態で置き去りにされ、とにかく攻撃隊を揃えることに最大限の努力が傾けられていた。
 そして敵の攻撃をある程度凌いだと感じたまさにその瞬間、戦史上では「魔の五分間」と言われる僅かな時間に、突如連合軍艦載機群が雲の切れ間から急降下を仕掛けてきた。
 日本海軍の空母には、連合軍の急降下爆撃隊が投下した爆弾が次々と命中した。炸裂した爆弾は、各空母の甲板や格納庫に溢れる航空機、航空機の燃料、爆弾、銃弾に誘爆。連鎖的に大火災を発生させていった。
 空母《赤城》《加賀》《翔鶴》《蒼龍》《飛鷹》が次々に火だるまとなり、多くの艦で手の付けれない火災が発生した。
 この攻撃は僅か60機ほどの急降下爆撃機により成し遂げられ、戦争の流れを転換させるほどの歴史的な大事件となった。
 しかし予期せぬ大打撃を受けた枢軸側もまだ戦力を残しており、残存する空母に加えて少し後方の軽空母部隊を呼び寄せ、直ちに反撃を開始した。加えて帰投中の攻撃隊を再度出撃させる事で、当座の戦力面での格差を是正するほどの積極さを示した。最初からこれほど積極的に作戦を運営していれば、戦いは枢軸の勝利に終わっていただろうと言われたほどだった。実際、反撃を成功させるも、既に艦載機戦力が半減した連合軍空母部隊に対して、のべ300機以上の枢軸軍機が襲いかかっている。そして連合軍側も、なけなしの戦力を惜しむことなく投入し、戦火は拡大していった。
 この後の戦闘は熾烈を極めたが、最初に大損害を受けた枢軸側の後退で幕を閉じる。
 そして制空権を得られる目処が立たなくなったため、枢軸軍のハワイ攻略作戦も中止され、戦争そのものまでがこの時転換した。
 なおこの戦闘では、枢軸側は空母《赤城》《加賀》《飛龍》《蒼龍》《飛鷹》と軽空母2隻を失い、他2隻が損傷して壊滅した。17隻投入した内、半数以上の9隻の損害だった。大型艦では《瑞鶴》《準鷹》が何とか健在だったが、艦載機も500機以上を喪失した。連合軍側は《ホーネット》《ワスプ》が沈み、竜宮自由政府軍の軽空母1隻が損傷後に自軍の手により処分された。こちらは損失こそ3隻だったが、投入した7隻の空母のうち健在だったのは2隻で、最後の稼働機はわずか40機、しかも攻撃機はほぼ皆無であり追撃は不可能だった。自由政府軍の大型空母《黒竜》も大きな損害を受けていたが、元が戦艦のため丈夫だった事とアメリカ軍の損害極限技術を導入していた事から、何とか真珠湾まで曳航して沈没を免れていた。

 戦闘の結果、アメリカ合衆国と竜宮自由政府では全ての国民が凱歌を挙げ、日本、軍事政権では報道管制が敷かれ、真実が伝えられることはなかった。
 しかし戦争の転換は確かであり、以後枢軸軍は太平洋での攻勢能力を無くしてしまう。
 さらにこの頃からアメリカ軍の潜水艦戦術の大幅な向上(※欠陥魚雷の改善など含む)もあって、以後枢軸側は劣勢に追いやられていく。特に連合軍は、竜宮本国に向かう船を徹底的に狙い、特にタンカーは目の敵にした。
 逆に枢軸側の通商破壊は、連合側の戦力が整いイギリスから伝えられた対潜水艦戦術によって洗練されるとふるわなくなった。またドイツよりも潜水艦に関する技術面、戦術面で劣っていた事から、1943年春には完全に制圧されるようになった。東太平洋の戦場では、大西洋よりも護衛空母と呼ばれる軽空母が活躍した戦場となった。
 そして連合側は竜宮本国近辺と、南方の南太平洋方面、豪州北東部での航空消耗戦も併せて開始し、枢軸側の消耗を促した。南方では日米軍の戦闘が主で、拠点となる島々を巡って激しい攻防戦が繰り返された。また豪州北東部では、当初枢軸側が圧倒的に優勢だったが、それも枢軸側の消耗により半年程度で攻勢が尻窄みとなった。
 南太平洋では海上戦闘も無数に発生し、両者の間に膨大な犠牲が積み上げられ、「鉄底海峡」という言葉までが生まれた。そして基礎的な面での国力、物量の違いから、消耗に耐えきれない日本側がじり貧となっていった。南太平洋での戦いの初期の頃の中継拠点だったガダルカナルという名の島から日本軍が撤退を決意したのは、自分たちの司令官が戦死した戦いの終わった1943年春の事だった。戦争初期に前進しすぎた事が、逆に日本軍の負担となって消耗を激しくした結果だった。
 ちなみに南太平洋での枢軸軍の終着点は、ポートモレスビーとニューヘブリーデス諸島だった。フィジー、サモアどころか、ニューカレドニアにも進むことは出来なかったのだ。
 一方、ほぼ同時期にハワイから竜宮諸島にかけた地域でも、激しい航空消耗戦が行われた。両者の攻防によって中小規模の海上戦闘が何度も発生し、こちらは地形をよく知っている双方の竜宮軍が主に戦う激戦区となった。中間近くに位置する小さな環礁に過ぎない中道島(正確には中道諸島)は、何度も島の所有者が変わるほどだった。
 そして近代的な総力戦に対して、他の地域から孤立する竜宮本土の困窮は早かった。1943年に入ると、竜宮本土で自給できない石油、食料の不足が激しくなった。石炭を利用した化学的精製で燃料を作ることは可能なので航空戦はまだ何とかなったが、精製できるのが主にガソリンと軽油までなので、船舶を動かす為の重油が不足するようになっていた。また食料の困窮は国民の不満に直結し、配給制だけでは足りずに国民全てに対する大幅なカロリー制限が行われるようになる。当然ながら、もともと盤石とは言えない政権への不満、批判が日に日に強まった。
 しかも軍事政権は国民の不満に対して、戦争と挙国一致を理由にして国民には耐えることを強いた。それでも反発する者は、容赦なく取り締まり、酷い場合は投獄や事実上の強制労働に従事させたりした。
 そこに自由政府のラジオ放送が、竜宮本国の人々の心に染み渡っていった。北米西海岸やハワイからは短波ラジオ放送が行われ、1943年2月に完全奪回(占領)された中道島からは、軍事政権の爆撃にもめげず大出力による通常ラジオ放送が行われた。このため軍事政権はラジオ視聴を酷く制限するようになり、ますます国民の反発は強まった。
 そして泥沼の消耗戦の中で、竜宮に思わぬ転機が訪れる。

 1943年7月、ヨーロッパの連合軍がシチリアに上陸し、イタリアではムッソリーニが解任され、ファシスト党が解散した。
 そしてその上で、9月にイタリアは連合軍に無条件降伏する。
 この事は竜宮本国にとって衝撃的な事件となった。
 この頃までに竜宮本国は既に商船隊が半壊し、国民は強い困窮を強いられるようになっていた。連合軍の通商破壊と機雷のばらまきの為に、海上交通は既に無茶苦茶だった。国中の空き地には甘芋(スイートポテト)が当たり前のように植えられるようになり、国中に配給制が敷かれ、国民一人当たりのカロリー摂取量も年齢別に厳しく決められるようになっていた。各種資源の不足により、軍需生産も大きく低下していた。近代戦争では、石油がなければ何もかもが上手く行かなかったし、竜宮本土で足りない鉱産資源も少なくなかった。また前線に近い南部の竜鱗島、竜雲島、子竜島は連合軍の爆撃にさらされ、民間人にも多数の被害が出ていた。竜宮各地の港には、潜水艦や機雷、航空機に襲われた船や、沈められた船の船員が戦争の悲惨さを人々に教えた。漁業もまともに出来なくなったので、国民の困窮はさらに進んでいた。この頃の竜宮は、自らが小さな島国であることを痛感させられる毎日を送っていたのだ。
 そうした竜宮本土の人々の中に、そろそろ戦争を手打ちにするべきじゃないかという思いが蔓延していた時期でもあった。既に戦争は、自分たちの負けが事が明らかだったからだ。
 この場合幸いな事に、国が二つに分裂している事がかえって希望となった。自分たちの上にいる独裁者と軍事政権さえなくなれば、王様が戻ってきて元通りになるのではないかという甘い考えが急速に広まった。
 イタリア降伏のニュースが入るほんの少し前には、本国では軍事政権成立時に「誘拐され」、その後「逃げ出した」とされていた幼かった公子が15才になって成人の儀式と式典を行ったという宣伝放送が流れたばかりだった。軍事政権は放送を聴くことを厳しく取り締まったが、地下では国民の多くが自由政府のラジオ放送を聞いていた。国内では、地下新聞を発行する者、録音したものをゲリラ的に一般ラジオ放送している者すら出るようになっていた。中には、武装ゲリラを行う者もいた。
 そして王様が戻ってくれば、罰せられるのは軍事政権を牛耳っていた一部の連中だけで、自分たち困窮から解放されるばかりか、勝者である連合軍へと鞍替えできると考えられた。ルキアにいる本来の竜宮陸空軍主力部隊は、本国との連絡がまともに出来なくなっている事に強い不安を持っていた。軍事政権成立以後不遇を強いられている「もと」貴族達は、軍事政権が倒れれば自分たちの復権が叶うと考え、国内情勢を見つつ水面下での活動を活発化させた。
 この場合、日本やドイツなどの同盟国の事が考慮されるべきだが、扱いは小さかった。確かに竜宮人の多くにとっての日本は、民族的には親戚筋といえるほど近い。だが、過去の歴史では戦ったこともあるし、現状での将来への展望を何も持たずに戦争を始めた日本は、正直迷惑なだけという感情が強かった。ドイツについては、国際情勢上仕方なく握手したが、散々自分たちを無視した挙げ句に自分たちを利用している上に、ナチスは人種差別主義者だというイメージしかなかった。竜宮では、ナチスドイツを率いるアドルフ・ヒトラーが書いた「我が闘争」が、原書のまま翻訳されて長い間市販されていた。知識人の多くが、ナチスの実体を知っていたのだ。竜宮人のドイツへの好意的評価は、ロシア人相手に勇戦敢闘を続けているというその一点に置いてのみだった。アメリカ人ではなくロシア人と戦っていたら、軍事政権の人々の考えも大きく違っていたと言われるほど高い評価だった。
 そして国民の多くの意見は、そのまま末端兵士の意見ともなり、将校の多くも現政権と今の戦争に疑問を感じるようになる。
 一方、戦局の急速な悪化とイタリアの降伏は、軍事政権にとっても大きな衝撃だった。しかも彼らは、北アメリカ大陸で自由政府が着実に反抗のための戦力を整えつつあることを知っていた。自由政府だけならどうにでもなるが、アメリカ軍が編成しつつある想像を絶するほどの大艦隊と大軍のことを考えると、とてもではないが対抗できるものではない事ぐらい理解できた。しかし竜宮国民と自分たちの後ろにいる日本軍の手前、弱気なことを言うこともできなかった。
 だが、軍事政権そのものが、ハワイ攻略作戦が失敗して自分たちに不利な長期戦となった時点で、既に戦争そのものをいつ終わらせるのかという点で物事を考えるようになっていた。
 このため1943年頃から、ルキアからアラスカを経由して水面下で自由政府との接触を始めていた。しかし連合軍からは、単なる自由政府との合流だけでなく、指導者や政権運営者、軍需企業関係者への処罰など厳しい答えが返ってきたため、有利な条件を引き出すためにも戦わざるを得なかった。竜宮本土での決戦で敵の意図を一度でいいから挫き、連合軍に大打撃を与えることだけが、軍事政権中枢部の希望であった。
 なお、この時のアメリカ、イギリス側の水面下での解答では、軍事政権に属する軍隊全ての無条件降伏、軍事政権の解体、その上での自由政府への合流などが示されていた。

 そして戦いは、否応なく終局へと向かっていた。


●フェイズ43「近代20・太平洋戦争3」