●フェイズ67「現代20・21世紀突入」

 21世紀初頭の世界政治は、いまだアメリカ、ソ連を中心とした東西両陣営による二大勢力を中心にして動いていた。20世紀末に再び高まった緊張は数年で沈静化し、再び経済関係を中心に関係の改善が進んでいるが、核兵器を向けあう事を中心にした対立が続いていることは間違いなかった。アジアの隆盛、中東産油国の躍進、電子化による大きな変化、原理主義、新興国の躍進、様々な要因も加わっていたが、約半世紀の間横たわっていた流れを覆すには至っていなかった。

 20世紀終盤頃になると、20世紀後半の多くの時代と違い問題は米ソを中心とした二大勢力によるイデオロギー対立だけではなくなっていた。
 これは、東側諸国が共産党体制そのままに市場経済だけを受け入れた事だけではない。
 南北格差や南北対立という言葉に象徴される、西側諸国と主にそれらの国々の旧植民地だったアジア、アフリカ諸国との間の経済的格差は、徐々に深刻さを増していた。これは世界経済のグローバル化によって、一部の国を除いて格差はむしろ開きつつあるほどだった。
 そして南北格差、資源問題、先進国からの独善的な近代化に対する反発が、イスラム教徒の中から「原理主義」というやっかいな宗教的イデオロギー問題を浮上させつつあった。
 ただし、いまだ続く政治的イデオロギー対立の構図が、原理主義という新しい潮流をある程度抑えていた。核兵器で敵支配層ごと皆殺しという対立構図を前にしては、誰もが正直とならざるを得なかった。
 とはいえ問題は皆無でもない。無宗教を政策とするソ連は敵視され、またイスラエルを支援するアメリカも敵視されていた。さらに西ヨーロッパ諸国も、労働移民として受け入れた中東、北アフリカ地域のイスラム教徒との対立が少しずつ深まりつつあった。
 それでも世界は、いまだ大きな軍事的緊張を維持しているため、それ以外の問題に関わることは少なかった。
 一方では安定と発展に向かっている地域もあった。
 「BIS(ビズ)」といわれる、ブラジル、インド、南アフリカの3カ国は、領土、人口、市場、近代産業、または地下資源で大きなアドバンテージを発揮するようになり、新興国として頭角を現しつつあった。他にも資源や労働賃金の安さを武器にした新興国がいくつも頭角を現しつつあった。一部の産油国も、オイルマネーを武器にして隆盛しつつあった。遅れて出発したチャイナも、様々な国内外の問題に直面しつつも前進を続けていた。
 一部の先進国に偏っていたGDPについても、アメリカ、EU、北東アジアが80%以上占めていた割合は、10%近くも減少していた。それだけ世界経済の規模が大きくなり、グローバル化が生産地を拡散していた。このGDPの変化こそが、世界規模での市場経済化を発端とするグローバル化がもたらした最大の変化だった。

 一方世界規模での軍事面、安全保障面での一番の問題は、米ソ及び米ソの影響が強い国以外での核兵器の保有と開発が進んでいる事だった。
 2010年現在での核兵器保有国は、アメリカ合衆国、ソビエト連邦、イギリス連合王国、フランス共和国、竜宮連合王国、インド共和国、中華人民共和国、イスラエル共和国、パキスタン・イスラム共和国の9カ国だとされている。しかし人類全体での技術向上に伴って、中東の国々を中心として核開発疑惑はもはや日常茶飯事となっている。核開発能力を持つという点でいえば、西ヨーロッパ、北東アジアの多くの国々に言えることで、これらの国は敢えて持っていないに過ぎない。旧枢軸陣営という十字架を背負うため未だ非核を続ける日本などは、原発用に蓄えられた形の膨大な量のプルトニウムによって、その気になれば1000発の原爆を即座に保有できるとされている。
 しかもアメリカにとっては、先進国でありそれぞれの地域の中核国でもあるフランスと竜宮が、主にアメリカと一線を画す向きを強めていることも問題だった。
 そして西ヨーロッパ、東アジアの動きはより大規模なものとなっていった。

 1999年、欧州通貨統合が実現して、「ユーロ」が誕生した。ユーロの流通開始は2002年で、イギリスなど三カ国を除いたEU参加国が自らの通貨をユーロへと変更した。
 1992年のEU誕生以後一番大きな変化であり、東ヨーロッパ諸国に与えた影響は大きかった。
 東ヨーロッパでは、市場経済化に続く変化を求める声がいっそう高まるようになり、共産主義もしくは社会主義体制に固執する各国政府が対応に躍起になった。盟主ソ連も例外ではなく、ソ連の場合はそれぞれの共和国の自治拡大やさらなる解放を求める動きへの対処に追われることになる。こうした混乱は、東側陣営の結束及び影響力の低下をもたらした。ハンガリーのように、西側資本を大規模に受け入れる事で国の制度が事実上民主化してしまった国も出てきていた。また、新たな情報通信媒体であるインターネットの普及も、東側陣営の民主化に向けた民衆の心理に大きな影響を与えている。
 しかも東側陣営の国々の多くは、既に一党独裁と中央官僚専制が制度面で疲弊、腐敗する傾向が1980年代から強まっていた上に、市場開放後に富の偏在を産んでいたので、反発は徐々に民衆と事実上の一部特権階級の対立へと向かいつつあった。だが、ソ連を中心とした政府の多くが、下層市民へのサーヴィスの提供を続け支持を得る行動を最低限は行っていたので、そうした動きはまだ決定的なとは言えなかった。

 一方で欧州に追いつき追い越せがスローガンとなっていた東アジア地域は、北東アジアを中心にさらに拡大しつつあった。
 1985年に「東アジア自由貿易協定」が結ばれた頃は、まだ日本と竜宮以外に経済面で大きな影響力を持つ東アジアの国はなかった。しかしこの頃に隆盛を開始した新興国は、21世紀に入る頃にはかなりの国力を獲得するようになっていた。特に満州合衆国、ベトナム共和国が保有人口もあって国力拡大が大きく、その後ろを韓国など他の東アジア諸国が続いていた。人口面で大国になることが不可能な台湾、極東共和国も新興国としては十分に発展しており、東アジア経済の一翼を担うようになっていた。
 周辺部に押される形で日本、竜宮の経済も堅調で、情報通信、航空宇宙産業を中心にして新規産業の発展と開拓に力を入れている状態だった。
 日本、竜宮が中心の「EASEA(イーセア)」は、宇宙ステーション開発の初期の役割を終えたとして、宇宙開発の主軸を商業利用の衛星打ち上げと月面に向けていた。イーセア参加国も、初期は日本と竜宮だけだったのが、1980年代には北東アジアの全てが参加するようになり、ベトナム、シンガポール、ブルネイなど東南アジア諸国の参加も増えていた。参加国家の数はヨーロッパのESAに匹敵し、予算規模は日本、竜宮の国家姿勢のためソ連を既に上回り、アメリカに迫る規模に増えていた。
 21世紀に入ると次世代の大型ロケット開発が開始され、その目標は明確に月面を指向していた。
 そして経済協力、宇宙開発など様々な面での協力関係の強化が、一つの形に結びつく。それが2004年に発足した「東アジア連合(EAU)」の誕生だった。
 EAUは、EUと同様の組織を目指すもので、10年後を目処に通貨統合も目指されていた。ただ、統合通貨の名称の候補が各国バラバラであり、特に漢字を祖とする言葉は避けるべきだという意見が大きいため、かなり抽象的な名もしくは中性的な名が用いられると言われている。ユーロに対してアジアという名も候補に挙がったが、アジアは地域として広すぎるためこれも候補としては外れている。現時点では、東アジアという言葉を盛り込んだ抽象的なものか、金や銀を表す古い言葉を復活させて用いるのではないかと言われている。

 統合通貨のことはともかく、EAU参加にはいつくかの条件があった。一つは議会制民主主義制度を持つ国である事、永世中立国でない事、公的債務(国の借金)が一定の比率以下である事、以上3つが大きな条件だった。各国間の所得格差も大きな問題だったが、先進国、新興国は市場開拓のため、途上国は外資を引き入れるために、余程酷い場合を除いて条件には含まれなかった。
 中心になるのは依然として日本で、世界経済の一割のGDPを持つ国なので、これは他に選択肢がなかった。また竜宮も高度な先進国であり高い軍事力を持つため、依然として中心に位置した。特に軍事面での中心は、核兵器を保有する竜宮が務めることになっていた。ソ連軍と向き合う満州合衆国の存在感も大きく増している。
 人口規模はインドネシアなどの大人口国を含めるため、全てを含めると8億人もの一大勢力になる。経済力も、新興国の躍進などのおかげで世界の4分の1を越えるほどになり、北東アジアだけが団結していた頃よりも、世界的に大きな影響力を発揮できるようになっていた。
 域内の交流もビザなしが一般的に取り入れられ、各国間での、外国人労働者や移民、帰化の基準も大きく引き下げられた。一気に人が流れ込むことに対して、日本、竜宮の二つの先進国の間では大きな危惧があったため、移民にはそれぞれ地域が設けた条件を満たすなどの付帯条件が付けられていたが、全体としては域内発展が優先されることになった。
 なおEAU設立に際して、幾つかの問題があった。中でも問題とされたのが、中華人民共和国との関係と、北アメリカ諸国との関係だ。
 EAUの中に竜宮が含まれ、人民中華が参加していないため、域内の領域規模は「半太平洋連合」とでも呼ぶべき状態だった。そして竜宮が北米大陸北西部を有しているため、アメリカ、カナダとの関係をどうするのかが一つの論点となった。しかし主にアメリカの関税障壁とカナダの主要経済圏が太平洋側にないことから、両国はオブザーバーとして必要な場合のみ会議に加わることで決着が付けられた。アメリカは組織の編成そのものに反対していたが、時代の流れを止めるには至らず、東アジアでの影響力を低下させざるを得なかった。
 そして東アジアでアメリカの影響力が下がったことを喜んだソ連だったが、アメリカ並みの経済力を持つ組織がすぐ隣に出来た事になるので、素直に喜べる状態ではなかった。既に時代が単純な軍事力や核戦力で動かせる時代でないため、ソ連としてはアメリカではない組織に対する新たなアプローチを始めなければいけなかった。
 一方人民中華だが、EAUの構想自体が古くからあり、さらに参加資格が民主主義国家であるため、多少の興味を向けるも参加は叶わなかった。それでも参加に積極的に姿勢を見せたり、組織自体を作らせないように運動したり、時には軍事による近隣諸国の恫喝すらしたが、どれも実を結ぶことはなかった。
 東アジア唯一の共産主義国、一党独裁国家というあまりにも異質な国家であるため、市場経済化したぐらいでは周辺諸国から受けいられることはなかった。しかも依然として周辺国との国交問題、国境問題、領土問題を多数抱えすぎている事も、人民中華の参加を拒む大きな要因となった。
 そしてEAUがアメリカや人民中華の反発を受けながらも編成された背景には、アメリカ、ロシア(ソ連)に加えて、2020年頃に総人口8億を越える人民中華の一定割合での隆盛が影響していた。巨大国家に対向するために、小さな国々は団結しなければ対向できない時代が到来しつつあったからこそ、EAUは結成されたのだった。
 あえて強引に言えば、EAUそのものが、四半世紀後の対中華同盟の卵や雛であると言えるかもしれない。

 そして人民中華がかかえる大人口と領土を求める姿勢は、これからも東アジア諸国との間の距離を深めさせることは確実だった。既にEAUの結成当初から、人民中華自身が中心に立った新勢力の構築という道筋と、それに反発するEAUという構図が徐々に現れつつある。
 この事は東アジアの混乱とNATO諸国から受け取られ、ソ連の人民中華への浸透を招くという状態も招いている。
 しかし世界は既に米ソ二つだけの陣営による対立時代でないことを明らかとしたのが、EUとEAUに象徴されていると言えるだろう。
 西暦2009年に世界の総人口は60億人を越えたが、東西両陣営として対立が固定する1950年頃の総人口は、半分以下の25億人ほどだった。
 人口が増えたのは主に、アジア、アフリカであり、20世紀末になる頃には、南米随一の大国であるブラジルも人口大国として浮上してきつつある。
 EAUの膨張などは極端で、北東アジアの国々が全て出そろった1965年頃3億人に届いていなかった人口は、活発な人口拡大が続く東南アジアを加えることで、21世紀初頭には一気に二倍以上に膨れあがっている。
 東南アジアの人口拡大は顕著で、1980年の3億5000万人という数字は約100年前の4倍から5倍に相当する。2005年前後の統計では、5億3000万人にまで肥大化している。わずか四半世紀で、5割り増しも増えているのだ。しかもこの後さらに四半世紀先まで人口拡大は続く予測がされており、東南アジアだけで総人口は最大8億人近くになると予測されている。
 域内人口が約4億人の北東アジア諸国が、連合を作ってなお人の移動や移民に制限を設けるのは当然だろう。

 そうした中で、東アジアでの竜宮の果たす国際的役割は年々低下しており、北東アジアの連携を言っていた頃から竜宮が目指していた、環太平洋での連携に竜宮はシフトしつつあった。
 この事は、2008年のオーストラリアと竜宮単独の自由貿易協定に象徴されていた。情報通信分野での対立が取りざたされたアメリカとの関係も、対立と摩擦の中でも関係は進んでおり、情報と交流の促進こそが竜宮の発展を支えてきたという姿勢を外交面でも示していると言えるだろう。
 そしてそうした複雑な関係を結びつつも国の発展に向けて歩む姿勢を止めないところが、竜宮という国を象徴しているのかもしれない。




●あとがきのようなもの