●革新期1
 ・1960年代(前半)

 概要
 日本本土の総人口は1億500万人台。世界に先駆けて、完全な高齢化社会に突入して社会保障支出は巨額なものとなったが、人口は何とか安定曲線に移行していた。域外からの移民も質の高いものだけに限って受け入れているため安定していたが、主に近隣諸国からの密航が後を絶たず日本政府は対応に追われていた。それも日本が、世界から飛び抜けて発展しているからだった。
 世界は主にヨーロッパとその植民地地域と、日本・アメリカを中心とする環太平洋圏で二分されていたが、世界全体による国際組織に事欠いているため、世界レベルでの様々な問題の対策が後回しにされていた(※国際連盟(LN)は一応存続していた。)。
 また日本は、市場や資源として必要がある場合は友好関係を結んで手厚く援助もするが、必要がなければ半ば自己満足の人道援助以外ではほとんど手出ししなかった。しかもヨーロッパは、自陣営の維持運営のため植民地維持に汲々としており、日本の影響国となったアメリカもニュー・モンロー主義を盾にますます自国本位となって、単純な経済進出以外では人道的援助以上の行動は取らなかった。
 つまり世界の光と影にあまりにも大きな落差があったが、世界各地同士の交流が限られているため誰も気にしなかったし、影の側の人間は気づくことすらできなかった。
 世界の識者の間で「国際連盟」に代わる国際機関を作ろうという動きもあったが、ヨーロッパ諸国と環太平洋諸国の対立、ヨーロッパ列強と植民地の格差などがあって実現しなかった。
 一方では、日本とアメリカが中心となって「環太平洋連合(URP、リムパック・ユニオン)」(本部:ホノルル)を設立した。ヨーロッパも正式に「ヨーロッパ連合(EU)」を作って対抗した。しかしURPが独立国家間による国際組織なのに対して、EUはヨーロッパ諸国と植民地による組織という大きな違いがあった。
 そして世界は二分されたまま、互いのイデオロギーを宇宙にぶつけるが、その宇宙で画期的な発見が行われたと人々は噂した。1960年代半ば以降、人類の技術進歩が急速という速度を越えて高まったからだ。

「先端技術開発」(1960年代前半)
 デジタル技術の向上と光回線技術によって、1950年代半ばから急速に発展しっていた「電脳世界」が一般化した。まずは社会資本の整っていた日本で、次いでURP諸国に瞬く間に広がっていった。簡便な操作が可能なコンシューマー用オペレーションソフトが普及を大きく後押しした。
 また十年ほど前に初期型が登場した携帯端末の小型が急速に進展。こちらも環太平洋地域を中心にして、急速に普及した。
 医療では、ヒトゲノム解析の第一段階が終わり、iPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究と開発が試験段階に入った。
 全ての科学技術の基礎となる理論科学でも、いくつもの発見と進展が見られ、日本は世界を完全に置き去りにしつつあった。

「軍事開発」(1960年代前半)
 日本は、非核型ミサイル防衛システムの初期型を完成した。人工衛星などによる監視網と、陸海空(+宇宙)の各種迎撃ミサイルと大型機搭載のレーザー砲台による迎撃装置により迎撃網が組み上げられ、飽和攻撃でない場合の弾道弾迎撃装置によって日本の圧倒的優位はさらに強化された。この防衛システムは日本にまずは配備されたが、順次アメリカ、ロシア、オーストラリアなど各国が急ぎ導入していった。特に、高速で移動可能な大型機搭載のレーザー砲台が好評だった。当然ながらヨーロッパ連合が軍拡を呼び込むとして強く非難したが、今までの攻撃的兵器に比べてはるかに平和的だとして、日本などは意に返さなかった。実際、核兵器の自主削減まで行ったので、文句を言っても空しい響きがあった。
 一方ではロシア人同士が、ユーラシアの奥地で大軍を並べて真面目に睨み合っていたが、それは先進国列強の間では例外的事例だった。
 アメリカは日本に戦争で負けて以後は、自衛戦力以外揃えようとは考えず、核兵器すら日本の庇護下にあった。しかもなまじ国力が大きいだけに、「自衛戦力」だけで十分にヨーロッパ連合の脅威となっていた。《エンタープライズ号》は、この時期に原子力空母として復活を遂げていたほどだった。
 そして日本とヨーロッパの間には巨大な大陸か海洋が横たわっているので、弾道弾以外では直接張り合うことは極めて難しく、どちらも実際の戦争の可能性についてはあり得ないと考えるようになっていた。
 そうしたところに日本側がまともな弾道弾迎撃網を作ったので、ヨーロッパ連合の焦りはかなり大きくなった。核兵器と弾道弾こそが、日本と張り合うための唯一の力であり手段だったからだ。

「宇宙開発」(1960年代)
 1960年代初頭にヨーロッパ連合は月面に人類を送り込んだが、全ての面で日本とは比較にならなかった。日本は恒久的な巨大基地を月面や月軌道に持っていたが、ヨーロッパは月面に数日滞在するのがやっとだったからだ。
 既に世界規模で核爆弾の一定の禁止条約が結ばれ推進装置として原爆を使えないため、衛星軌道もしくは宇宙空間に送り込める物量が一気に低下していた事も、双方の宇宙開発の格差に影響していた。無論禁止したのは、日本が圧倒的という以上に優位である核弾頭迎撃システムと核爆弾推進技術を封じるためだったが、ヨーロッパが被らねばならない不利益も小さなものではなかった。しかし核爆弾推進船の建造には、国を傾けるほどの予算を傾注しなければならないので、ヨーロッパにとって二度はない以上それほどの気にもならなかった。
 ただし日本は、いち早くお椀形状の往還型大型宇宙船を開発。地球軌道と月での開発を、以前にも増して精力的に行った。
 両者の話し合いというより日本の譲歩により、南極同様に月面及び月軌道の領有や独占、さらには軍事力の持ち込みはできなくなったが、単なる調査や資源開発は問題なかった。
 そして地球軌道と月双方に百人単位で人間を滞在させている日本の、宇宙での優位は揺るぎなかった。月面では、持ち込んだ機材や工場施設によって月面資源の採掘や精錬、さらには資材や製品の生産まで始まり、格差は広がるばかりだった。月以外での月軌道の開発や、『月面都市』の建設すら始まっていた。月面広く分布する鉱石内の酸素に加えて、同様に地中の水資源も発見されたため、月での開発は衛星軌道よりもむしろ順調だった。打ち上げが簡単な月面から、地球軌道に人工衛星が投入されるという事まで行われるようになった。
 十年以内に、月面人口は一万人を超えるだろうと言われていた。
 そうした中で、一つの大きすぎる『発見』があったと言われた。

★「革新(イノベーション)」(1960年代後半)

 1963年から64年になると、日本で革新的な研究論文や新技術の理論、新たな物理概念、新規技術、さらには新技術製品などが爆発的な数と規模で発表され始めた。
 後に「革新」と言われる変化の始まりだった。

 各種科学雑誌はもとより、何とか中立を維持していたノーベル賞委員会が呆れるほどの質と量であり、また革新的という以上の技術群だった。連動して新規技術の発明や商品化も次々に行われ、日本列島は異常な興奮に包まれ、関連企業の株価は天井知らずとなった。円の価値も、日銀とアメリカ中央銀行が何度も大規模な市場介入したほど暴騰した。何しろ新規技術をすぐにも実現できるのは、世界で最も高度で他国に懸絶した工業技術と生産基盤、社会資本、社会基盤を持っている日本だけだからだ。他国に輸出しなくても、新規産業のもたらす内需だけで巨大な利益と雇用が生まれると予測された。
 そしてそれらの新たな科学技術や理論・発明は、月面からもたらされたのだと言われた。月面に重要な『何か』があることを日本人は知っていたため、急ぎ月面に大挙して押し掛けて、その『何か』を持ち帰ってきたのだと言われた。
 日本政府は、今までの主に宇宙空間での革新的な技術開発の成果が一気に実を結んだものだと最初説明したが、それにしても発展が急すぎた。
 故に一部の空想力がたくましい人々は、日本のどこかに月面で発見されたのと同じものもしくはその断片が残されていたので、その知識を活用することで日本は簡単に発展できたのだと言ったのだ。特にヨーロッパ諸国で、そうした声が大きかった。
 確かにそう考えれば日本の約一世紀の間の異常な発展も多少は辻褄が合うし、ほとんど回り道することなく世界を置き去りにしている日本の発展にも合点がいった。百年以上前の近代化と開国前がどうなのかはよく分からないが、開国して以後の日本の発展は常に世界から飛び抜けて、事実上の一段飛び状態だった。世界の列強が何とか競争について行っているのも、日本から漏れてくる技術や理論をフィードバックしているからに過ぎない。
 加えて言えば、日本を動かしている人々、科学者、学者などの多くが日本人らしくない妙にあか抜けた外見を有している事も、そうした議論の対象となった。最も極端な話しでは、日本を動かしているのが「異星人」だというものまであった。
 もっともそうした空想や妄想よりも大切なのは、日本が異常なレベルの高度技術開発とその実現、さらには量産化に成功したということだった。
 これは日本及び日本圏内、さらには環太平洋連合の人々にとってはめでたい事だったが、ほとんど敵対状態となっているヨーロッパ陣営にとっては悪夢以上の出来事だった。公開された理論や技術だけでも高度すぎるのに、公開した以外のさらに高い技術を持っている可能性が極めて高いからだ。
 もっとも、恩恵を受けることが物理的に難しい後進地域の人々にとっては、どちらにせよ異世界や宇宙人同士の出来事に等しかった。植民地支配や混乱の続くチャイナやアジア、アフリカの多くが、いまだ国内の近代化には緒もついていないのだ。
 ただ今回の日本人は、自分たちで技術を独占するのではなく、まずは自分自身、次いで友好国、さらには全世界に技術を公開、移転、普及する用意があると提案した。特に革新的な医薬品、医療技術に関しては、分け隔てなく世界中に普及及び販売すると断言すらした。
 新たな発見や開発が自分の力で得たのではなく、拾い物であることをカミングアウトしているようなものだった。でなければ、そんなに簡単に計り知れない価値のある先端技術とその製品を他国に供与すると言い出すわけがなかった。
 しかし日本人は、新規技術の源泉については自助努力という政府発表を行う以上のことはなく、日本人の個々人も噂レベル以上で違った事は言わなかった。まるで日本人達にとっては、そんな事は些細なことにすぎないという風ですらあった。
 そうして世界中の注目を集める日本だったが、新たな国家プロジェクトを発動させる。

 

「第一次新規技術産業実現計画」(1965年)
 日本政府は、1964年10月10日に重大な決定を行う。
 今後十年間で、新規に発見・発明された技術の開発と発展、そして広範な普及を計画したのだ。
 ただし新規技術を実現し、広範に普及するためには、莫大な資金、充実した社会基盤、高度な先端技術、そして豊富な人材を必要とした。発表された様々なもののほとんどは、日本以外ですぐに実現するのは短期的にはとても無理なものだった。とあるヨーロッパの科学者は、日本は百年先を進んだ技術の実現を目指していると言った。
 一方では、日本の影響が強いアメリカやロシア王国、オセアニアの一部が技術面などで準じる事ができると考えられた。アメリカなどは、まずは既存の日本に並ぶ為の大規模な公共投資と企業投資が、経済実態を無視してまでして開始された。また日本に基盤として何が必要なのかを問いただして、既存の開発や今後不要になる生産、教育までが後回しにされるという異常事態に入った。また技術者や医者の育成と教育もカリキュラムごと変更されていった。
 似たような動きはロシア王国の中枢部、オセアニア地域などでも始まり、その他の日本の友好国でも大なり小なり始まった。一部の国では、自国の金持ちや特権階級用に莫大な資金を投入して日本と同じ施設が作られる動きも出た。
 一方でヨーロッパ陣営の軍事警戒レベルが極大に達したため、日本と長年敵対状態にあったヨーロッパ陣営が何を行うかを慎重に見守った。

・「計画の概要」
 計画全体は新規技術の普及を目指すたものとする。計画の区切りは5カ年として、第一次計画では医療技術を最優先とする。理由は、革新のために必要な予算(費用)と人的資源を確保するため。医療の革新が実働すれば、日本人労働力は実質二倍近くに拡大し、国費に占める社会保障予算が劇的に減少する。さらに税収の大幅な増額も見込める。
 また平行して、技術普及のための教育の革新も推し進め、新規技術者の早期大量育成を行う。

 ・医療の三本柱
【遺伝子技術関連】

 DNA、蛋白の解析及び加工技術を元に、人為的な遺伝子設計を行った後の生命の誕生を実施。既に数年間の実証実験、臨床試験が行われていたため、技術の多くは完全に実用段階にある。既に1964年には、最初の遺伝子設計新生児(デザインベビー)が誕生している。
 第一段階は、今まで通りの人類の完成と安定を目指す。しかし人として最高度の完成を遺伝子設計段階で目指すため、通常よりも20%程度全ての能力の平均値が上昇すると見込まれる。
 第二段階では、より高知脳で、低酸素、放射線、低温、高温に強い人体へと遺伝子設計段階で処置を行う。ただしこちらは長期の実証実験期間が必要なため、実施に至るまでにかなりの時間がかかる見込みとなる。
 なお、少しの外科的処置により、後天的にある程度の対応が可能。周辺技術の開発も並行して行うので、世代間での差別はかなり是正される予定。
(※副産物として、遺伝子設計段階で容姿や外見を人為的に操作できるようにもなるが、こちらの方が市民には好評だった。また出生率が一時期の出産活況以上に上昇する事になる。一方では、各種一神教倫理観から当初は否定される事が多かった。特に一部の宗教から反発が強く、日本に対するテロ行為にも発展した。また、人が如何に高度化しても、SFに出てくる念動力のような超能力や超人のような身体能力を獲得するわけではない。)
【医療の変革】
 第一段階は、各種ガン、心疾患、脳血管疾患の医学的完治の実現。このための汎用ガンワクチンと高度な血管新生因子の早期実用化と普及、さらに再生医療研究を促進する。合わせて既存の病気の死因としての撲滅を目指す。これらは既に量産可能な段階にあり、予算投入と同時に広範な実施が可能。
 第二段階は、再生医療の促進。欠損及び障害のある身体の一部、臓器再生の実現。また人工臓器や義手・義足技術の大幅な技術向上。最終的には難病者と身障者のほとんどが、障害と病から解放される。技術面よりも費用面が当面のボトルネック。脳障害も、脳科学と教育の革新と合わせることで高度な治癒が可能。
 第三段階は、人工臓器や義手・義足の生体以上の能力の実現。またこれは産業や軍事にも応用可能。完全な擬人(機械人=サイボーグ)化技術と人造人間(アンドロイド)化技術へと発展予定。こちらも当面はコスト面がボトルネックとなる。
 なお、これらの技術に関しては、人道的見地から国家や陣営、地域を問わずに普及を目指すものとする。
【長寿化】
 「医療の変革」の別系統として、体内に新規に開発される微細技術を応用したマイクロマシンを常駐させて、個人レベルで健康管理を徹底する。ただし完全に病気を駆逐するのではなく、人間本来の抵抗力や免疫力などを維持するために、一定のレベル以下の病気や症状に対しては病気が発病するように設定される予定。
 同時に、同じマイクロマシンを用いて、老化酵素の駆逐もしくは細胞修復による老化停止と身体の若年状態の永続化を実現。
 日本政府は、全力を挙げて早期実施を予定。まずは年齢順に高齢者を対象に行い、順次国民全てに実施。
 これらの実現により当面(約半世紀ほど)は老化という文字はなくなり、ホモ・サピエンスの寿命は理論上二倍近くに伸びる。事実上の不老長寿の現実化となる。あらゆる身体的病気の撲滅と乳幼児死亡率の革新的低下を相乗すれば、最長寿命は180才を越え、平均寿命は160才以上に達する予定。加えて120才程度までは、外見だけでなく中身も20才程度の若い肉体を保持出来るようになる。
 副産物として、現在の老人の社会復帰を実現。また老人介護もほとんど消えて、潜在的労働力は飛躍的に向上する。18才以上から140才以下の全て、つまり国民の8割近くが実質的な労働力として利用できる事になる。一人当たりの労働期間も約三倍に跳ね上がり、個人当たりの知的、技術的蓄積が進み人的資源確保もより容易となる。

(※医療と長寿は特に急がれ、1966年に試験運用開始。1968年に日本中で実働。3年以内に日本国民の98%以上が基本的処置を受け、日本人の自然死が実質的に激減。1970年以後から2020年までは、不慮の事故と自殺が日本人の死亡原因のトップとなる予定。また68年には、新生児の遺伝子設計が一般化。人の人為的な革新が始まる。)

 ・軍事の三本柱
【レーザー兵器の汎用実用化】

 実用化されたばかりの対弾道弾レーザーの技術を革新的に向上。最終的にはあらゆる兵器に搭載するが、並行してレーザーを回避不可能な飛行兵器の存在が陳腐化。レーザー砲開発は特に重視される。当面は技術面で実用性の高い赤外線レーザー、自由電子レーザーを主軸とするが、ゆくゆくは核融合動力を利用したX線レーザーを主に宇宙空間で導入予定。
【電磁砲の実用化】
 超伝導技術の応用で電磁加速砲の実用化を目指し、レーザー兵器を補完する実体弾兵器とする。こちらも秒速300キロメートルの弾道速度となるため、飛行兵器の回避は事実上不可能となる。また低加速砲の導入により、質量兵器としても利用予定。
【隠密兵器の実用化】
 レーダーなど探知装置に探知されない兵器の開発促進。電波を拡散する素材や、姿と熱源そのものを消してしまう熱光学迷彩技術の開発を促進。

※【衛星軌道からの投射兵器研究】
 宇宙空間での物理的破壊兵器持ち込みは世界的に禁止されているので、当面は概念研究に止める。しかし宇宙機による短時間展開を可能とする準備は同時に進める。
 投射兵器には、極度の高速運動エネルギーを与える実体弾兵器を予定。
 ただし、地上配備の弾道兵器の一部は、実体弾兵器への変更を開始。マッハ20以上で移動するタングステン弾芯が数十本も降り注いだ場合、よほどの強度か深度でない限り、目標とされた人工物が破壊を逃れることは不可能となる。局所的な実質破壊力は、通常の核兵器を越える。
 また当兵器はピンポイント兵器ともなるため、日本の目指す国防には合致していた。

・その他
【脳科学の発展と教育及び知能開発の革新】

 ・脳メカニズムの解明に伴い、新たな教育システムを構築する。大脳に記憶を直接刻み込む事で、『記憶』という行為に対する労力を格段に軽減させる。並行して催眠教育技術の向上に伴い、さらに教育と記憶行為の簡略化の発展に転用。
 ・人間の五感と脳のメカニズムの解析と再生医療の組み合わせによって、脳及び五感の障害を後天的に治癒。再生医療、擬人化技術などと連動すれば、身障者の95%以上を健常者にできると試算。
 ・体内マイクロマシンのオプションとして、記憶インターフェースや各種通信機能、記憶機能を追加。ただし技術開発と実現のため、完全な実働は次段階とする。

【宇宙開発】
・当面は基礎技術と既存進出場所の開発に傾注。
・既に計画が進んでいた他惑星への有人探査などは次の段階とする。
・核融合発電関連技術が実現し次第、月面での開発の促進と核融合推進動力の実現に向けて動く。
・次世代の宇宙機として、飛行機型の往還航空機を開発。連動して地球低軌道と月軌道を結ぶ新たな宇宙船も開発。

【演算装置】
・既存電算機の能力向上。
・量子電算機(量子電脳)の開発促進。
・既に日本列島及び月面基地で稼働している電算機のさらなる能力向上と、量産化を目指す。
・高度な電算機の普及により、全ての技術分野においての利用と開発促進を促す。

【基礎技術研究】
 その他、新たに開発された技術を用いて、様々な分野の技術開発と実現を目指す。ただし、まずは実現の為の準備段階を進める。実用化や量産化は、次の段階での実現や普及を目指す。

・多方面での微細技術(ナノ・テクノロジー)の向上と実用化
・常温超伝導技術の実現
・核融合発電の実現
・宇宙送電技術の実現
・太陽発電技術の向上
・新規交通手段の実現(電磁鉄道、水素自動車など)
・環境改善技術(エコロジー)の向上
・循環技術(リサイクル)の向上
・意思伝達・情報伝達技術の向上
・自動翻訳技術の向上
・単純労働の自動化技術の向上
・擬人(人型ロボット)技術の向上
・自動生産機械技術の向上
・電脳空間技術の向上
・全ての分野での電脳化促進による効率化の実現

(※科学技術庁の付属研究機関(1988 年設置)の「科学技術政策研究所」が1999年に発表した、「21世紀科学技術の展望」から多くを拝借しました。)

「革新戦争」(1967年)
 ヨーロッパ連合は、日本が月面で『発見』した未知の文明の技術の存在を確認したと発表。日本政府に対して、全人類に対する無条件での開示と技術の提供を要求した。
 日本側はヨーロッパ連合の発表については語らず、新たに開発した技術や理論を独占する気はなく、段階的に広めると再度説明した。医薬品など軍事的に無害な分野については、日本自身の利害を無視してまでして一部の即時情報公開も行った。
 しかし話はまったくかみ合わず、世の中も『発見』には大きな疑問符を投げかけた。今までの人類の歴史から常識的に考えれば、異星人や超文明を持った古代人などいるわけないからだ。そんなものは、オカルトとサイエンスフィクションの世界の中だけで沢山だった。
 しかしヨーロッパ連合は、日本が最も重要な部分を独り占めして、さらに技術指導などの名で世界の覇権を確立するための方便だと反論した。特に日本が月面に至ってから5年以上も情報を公開せず研究・開発していた事が、日本独占の確たる証だとした。
 ヨーロッパ連合の発表に喜んだのは、一部のオカルト及びSFファンだけだった。ほとんどの人々は、日本の技術発展が異常なほど早いのは既に日常であり、今更何を頓珍漢な事を言っているのかと考えた。日本人の知識人などと会った事のある者などは、特にそうした傾向が強かった。それほど日本の知識人達は、この一世紀の間優秀であり続けた。

 しかしヨーロッパ連合は、自国民に日本の行いと今回の技術がいかに現状の科学技術からかけ離れているかを何度も説明した。確かに繰り返しそう言われると、今回の日本の発展は今までとは段違いに早いように思えた。徐々にヨーロッパ連合政府の言葉を信じる人々も増えた。特に日本が全ての先端技術と富を独占する事への反感から、人々の反日機運は盛り上がった。人の誕生や死にまで手を付ける点においては、宗教的な面からの嫌悪感が非常に高まった。
 連動して日本の友好国で日本の恩恵を受けているアメリカやロシア王国、オセアニア諸国などに対する反発も強まった。当然と言うべきか、反発を受けた側の国民の対ヨーロッパ感情も悪化し、徐々に対立状態は加熱していった。
 そうしてヨーロッパ連合の中心であるドイツや西ロシアが、日本に対する態度をより硬化した。逆にイギリスと北欧諸国は、日本との対話と和解を提唱した。ヨーロッパ連合に対して常に中立状態だった北欧諸国は、そのほとんどが日本との「実りある対話」に入った。日本からの技術導入を国民が強く求めたので、動かざるを得なかったからだ。当初世論が固まらなかったフランスは、ヨーロッパ間の関係を取り持とうとしたが、どちらかと言えばイギリス寄りの姿勢を示した。ヨーロッパのラテン系国家の多くも日本との「実りある対話」を望んだ。
 かくして日本と対決する前に、ヨーロッパ陣営で仲間れを起こしてしまう。これが西ヨーロッパで潜在的かつ伝統的だったロシアやドイツに対する警戒感に結びついて反目が増大した。ヨーロッパ連合同士で俄に軍備増強や軍の動員体制の向上などが見られ、急速に不安定化しつつあった。またドイツ、西ロシアは日本に対する準戦時体制を強化する動きを加速させた。ロシア王国も軍の動員をオフレコで進めた。
 そして日本がこの時期に軍事衛星として打ち上げた宇宙機(往還型ロケット)が発端となり、ヨーロッパ連合強硬派(ドイツ、西ロシア)が暴発した。ヨーロッパ各国は、日本の行動が自分たちの核戦力を丸裸にするための高度な偵察衛星打ち上げであり、日本の戦争準備だと考えたからだ。
 そして幾つかの誤解の末に、緊張と対立は軍事力を直接向けあったものに発展する。大西洋上の日米合同の機動部隊は圧力で戦争抑止の行動に出たが、それがかえってヨーロッパ連合を追いつめてしまった。
 レーダーに映らない戦闘機、無人の偵察機や爆撃機、無数の巡航ミサイル、数十の目標を同時に捕捉迎撃できる戦闘艦、40ノットで水中を疾駆する原子力潜水艦などを量産兵器として持ち出されては、正面からでは戦争にもならないからだった。
 そうした中で、北大西洋上で日本艦隊を追跡任務中だった筈のドイツのUボートが消息を絶ち、緊張はピークに達した。
 そして心理的に追いつめられたヨーロッパ連合はついに激発。唯一にして一撃で相手を倒せる可能性を持つ手段に訴えるべく、ヨーロッパ大陸各地と戦略潜水艦から各種弾道弾が一斉に発射され、日本列島や日本の軍事基地を目指した。大西洋上の日本艦隊にも、潜水艦や弾道弾を中心にした集中攻撃が行われた。宇宙空間でも、衛星軌道の「天之浮船」などに対する盛大な核攻撃が実施された。
 第三次世界大戦と呼ばれることもある、日本側呼称「革新戦争」の始まりだった。

 ヨーロッパ連合の全面核攻撃に対して、日本軍は直ちにミサイル発射国のあらゆる核戦力の無力化を開始した。発射準備を捉える依然の物資の移動の段階から警戒レベルを最大級に引き上げていたため、ほとんど即座に動き出していた。
 日本列島や宇宙基地を目指して一斉に発射された数百発の核弾頭装備弾道弾の群は、日本が極秘に配備した低軌道上のレーザー迎撃衛星と、能力が大幅に向上した各種ミサイル迎撃システムに捉えられ、ほとんど届くことはなかった。日本が1940年代から構築していた衛星偵察網は、地下サイロの口が開く段階からその映像を捉え、打ち上げの瞬間から目標を正確に捕捉し、敵弾道弾が発射される前もしくは大気圏を離脱するまでに迎撃を開始した。早いものは、打ち上げの瞬間に基地ごと破壊された。それ以前に、地上の徹底した捜索によって、発射拠点の98%以上が既に特定されていた。分からないのは、運用コストがかかるため数の限られた車両又は鉄道移動型ぐらいだった。
 そしてヨーロッパ連合は、弾道弾の飽和攻撃以外に自らの勝機がないと考えて攻撃を開始したのだが、それすら甘い考えでしかなかった事を思い知らされる事になった。
 衛星軌道の戦いでは、「天之浮船」にはかすり傷一つ付けることができないまま、しかも「ヴィレ・ヌーボー」が1発も打たれることなく降伏を選ばざるを得なくなった。
 北大西洋上の艦隊を目指した無数の弾道弾や巡航ミサイルの全ても、レーザー衛星、艦載機群、空母機動部隊の防空網、そして北米大陸から洋上まで出てきた空中レーザー砲台によって迎撃された。戦闘には、日本と同盟関係にあったアメリカ軍も参戦した。アメリカも攻撃対象とされたためだ。世界各地に展開していたドイツ、西ロシアの各種潜水艦は、潜水艦同士の戦いと立体的な対潜水艦戦でほとんどが殲滅された。特に日本及びその同盟国に5分で弾道弾が届く距離に位置していた戦略潜水艦(主に北極待機)は目の敵とされて、護衛潜水艦共々早期に殲滅されていた。宇宙を攻撃しようとしたものも同様だった。
 日米側の損害は、若干の艦載機と相手潜水艦により、潜水艦、水上艦艇が数隻沈められた程度だった。ただし戦術型核弾頭の炸裂で破壊、撃沈された艦艇や航空機もあり、生き残るも放射能汚染された艦艇もかなりの数存在していた。人員の損失や損害も決して小さなものではなかった。アメリカでも、数発の原爆が地上で炸裂して、大きな被害を発生させた。
 これに対してヨーロッパ連合の海軍力は、洋上に出ていたものは殆ど全て殲滅されていた。生き残ったのは、僅かな数の潜水艦だけだった。宇宙戦力、航空戦力も例外なく攻撃的なものは壊滅していた。

 しかし日本の領海ギリギリで迎撃された弾頭の幾つかが、到達半ばで爆発(自爆)。日本近海で核爆発を起こして、EMPパルスと放射性物質を辺り一面に振りまき、日本列島に核汚染などの被害をもたらした。
 これで、被災国・被爆国という錦の御旗を得た日本軍は、交戦国の攻撃的な軍事力を徹底的に攻撃した。最低でも30年は開いていると言われた技術格差に加えて、一部近年実用化されたばかりの最新兵器も加わって攻撃した。ヨーロッパ連合軍も残存戦力を用いて再度の戦略核攻撃を含めて懸命に反撃したが、かつてのアメリカ以上にまともな戦争にならなかった。日本の原子力空母や超音速重爆撃機群などは、呆気なく制海権、制空権を確保するとヨーロッパ各地の軍事施設や核兵器関連施設を激しく攻撃した。
 ただし日本側は攻撃に核兵器を一切使用せず、各種精密誘導兵器を用いてばかりいた。特に導入が始まったばかりのタングステン弾芯の極超音速弾道弾が強調され、宣伝通りの凶悪な破壊力を発揮してヨーロッパ連合の戦力をズタズタに砕いた。この破壊力の前には、メガトン級の核兵器に耐えると言われたミサイルサイロや地下司令部などの施設も形無しだった。他にも、通常爆撃では各種燃料気化爆弾が猛威を振るった。日本軍は核兵器は使わなかったが、決して人道的でもなかった。
 ヨーロッパ連合での戦死者は、地上戦をしていないのに10万人を越えるものとなった。
 日本側はこれを新時代の戦争と呼んだが、誤爆や誤認、破壊した施設の放射能漏れはそれなりの頻度で存在しており、ヨーロッパ連合の民間人にも多数の被害を発生させた。
 そして日本は、敵国の核兵器や攻撃兵器、主要軍事基地を破壊すると満足したのか、戦闘が日本の都合で自然終息すると日本側から停戦を提案。ヨーロッパ側もたまらず停戦提案を受け入れた。
 戦闘後すぐの停戦会議では、戦闘状態の終息、国交の回復など若干の関係改善は見られた。しかしヨーロッパ連合は、日本との関係を戦前よりも冷却化した。日本などの言うおめでたい言葉を聞いている場合ではなかったからだ。
 自らの軍事力が消耗しすぎたため各植民地の独立騒動鎮圧や勢力圏、影響国の維持に汲々とするようになり、当面は日本との対決や新規技術獲得どころではなくなっていたのだ。そして日本はヨーロッパ連合諸国の行いを非難し、対立は深まった。
 一方日本国内では、自国の被爆者救済のため医療技術の革新がさらに前倒しにされ、EMPパルスのために破壊された電子機器に対する大きな需要が発生し、かえって景気拡大に弾みをつけた。
 なお日本などではこの戦争を「革新戦争」と呼んだが、一部では「デジタル戦争」などとも言われることとなった。



●革新期2