●●革新期3
 ・1980年〜

 概要
 日本本土の総人口が、1億4000万人台を突破。80年代後半になると遺伝子デザインされた最初の子供達が成人し始め、次世代のより高度な能力を遺伝子レベルから与えられた子供の誕生も始まった。またこの頃になると、革新までに生まれた日本人の遺伝子レベルでの後天的改良もほぼ終わり、日本人の革新はほぼ完了した。
 連動して日本人一般の身体レベル、知的レベルが大きく向上して、日本の技術的恩恵が受けられない地域との決定的な格差が発生しつつあった。日本人にとって一般的な身体能力ではあっても、運動選手同士となるとオリンピックなど国際競技があまり意味を成さなくなっていた。そもそもマイクロマシンで完璧な体調管理を行っている時点で、競う以前の問題だった。このため一時期の日本を中心に、革新世代による運動競技というものを分類して行わなくてはならなかった。
 知能指数の平均値も、予測通り120以上を記録するようになった。記憶する教育を機械的に「脳に刻み込む形」にしている事を加えれば、他国人との格差は決定的だった。国際的な交流や商業の場でも、その差は十分に実感する事ができた。今や日本人の誰もが、世界の国際公用語複数を日常的に話すことができたし、多数の文字を普通に読み書きできた。当然だが、文章は原文で読み、外国作品の字幕や吹き替えも必要なくなった。副産物として、異文化のボーダーレス化が進んだりもした。
 教育全般では、世界の大学レベルが日本の高校レベルで、世界の大学院レベルが日本の一般大学レベルとなっていた。しかも高校までが義務教育化され、日本の大学進学率は80%近くを示していた。高学歴者という言葉は、特進を使って短期間に大学院まで進んだ者を指す言葉となっていた。もっとも高学歴よりも、知識より実地で技術を学んだ者の方が尊敬されるようになっていた。大学進学率が80%なのもそのせいだった。博士はともかく修士よりも、伝統芸の免許皆伝や各種技術一級免許の方が尊ばれたりした。

 驚異的な知的レベルの向上に平行して、日本の国力、経済力、技術力も大幅に高まっていた。
 一方では、日本人の海外移民や永住、渡航に対しても、安全などを理由に一部で規制が強化されていた。
 また日本の友好圏の中でも先進国だったアメリカやオセアニア地域、ロシア王国では、日本とほぼ同じ技術革新を開始すると、まずは教育の革新と平行して、医療革新と長寿化、遺伝子設計が国家規模で開始される。しかし実際国家規模で行ってみると、予測された以上に莫大な資金と高度な国家体制、医療施設、大量の新規技術を学んだ医者と技術者が必要であり、日本からの技術導入を行ってなお日本よりも多くの時間と労力がかかることが分かった。貧富の差を主な原因とする革新の格差によって、流血を伴う混乱が発生した国もあった。
 しかも、日本に続いた国々ですら十年近く技術や社会資本の大幅な底上げを行ってこれなのだから、他の先進国はまだしも後進地域や未開地域での人の革新は当分ありえないだろうということが実感された。最低限の施設と人材を揃える資金だけで、その国が何度も破産してしまうほど資金がかかってしまうからだ。そして日本が段階的と言った意味も、そうした国では理解された。一度に地球規模で行ったりしたら、大混乱ですべてが失敗する恐れが予測されたからだ。
 しかし一方では、日本からのガンワクチンや血管新生因子などの低価格での普及と提供によって、世界中で各種ガンと成人病、心臓疾患、脳疾患が激減した。糖尿病も、恐れるレベルの病気としては殲滅に向かっていた。日本人一般のように高度な健康管理を受けてしまえば、肥満は自らで選択できるファッションやスタイルの一つでしかなくなった。当然だが、減量(ダイエット)という言葉も自然消滅した。そればかりか、自身の外見年齢すらかなりの幅で操作出来るようになっていた。
 その他の疫病の革新的な治療も進み、先進国の人口増加率と平均寿命は、高い技術と資金を必要とする長寿化をせずとも大きく向上した。
 また副産物として、各種覚醒剤の治療と無力化も進んだ。日本人のように長寿化処置を受けた人間では、既存の覚醒剤そのものが無力化されて効力を失い、覚醒剤と似たような事は疑似体験や体内のエンドルフィンノ制御で安全に可能となる。このため、裏社会での覚醒剤市場が暴落するという一幕もあった。

 日本は、自国の発展と新規技術発展と宇宙開発にはいくらでも人材と資金が必要だとして、友好国の技術的底上げと人材育成を積極的に支援した。新技術のパテント料を元手に設立された巨大な公共基金もフル活用された。
 そして自国民以外の者でも、テロやスパイ、思想などの審査をクリアした後はどんどん宇宙へと送り出し始めた。また多少技術漏洩しても、それほど気にしなかった。一部を持ち帰ったところで、絵に描いた餅に過ぎない場合がほとんどだからだ。日本の発展と繁栄は、最新最高の頭脳と世界のGDPの3割以上の力を長期間投入して、はじめて実現できたものだからだ。少なくとも現時点では、貧乏国に革新は無理なのだ。
 また「新規技術産業実現計画」は第二次、第三次計画に入り、初期の段階で基礎技術研究とされていた分野の多くで革新的な進展が見られた。
 この中には、無尽蔵に生産され始めた電気エネルギー生産の副産物とした、海水と大気(主に二酸化炭素)を材料とした食料工場の稼働や人工食糧の大量生産も含まれていた。工場で人工的に大量生産されたタンパク質、デンプン、糖分の大量生産化は、食品添加物や家畜の飼料を中心に爆発的に拡大した。また一部の単細胞生物を使った大量培養も一般化して、食料生産を補うようになっていた。これらは、長年低迷を続けていた日本の食糧自給率を劇的に向上させた。ただし北米やオーストラリアなど食料輸出国への手前、当面日本での利用は限定的とされた。タダ同然の人工食料や単細胞食材は、人口抑止政策や家畜による環境破壊阻止と引き替えに、農業国や貧困国家へ大量に援助されるようになった。これにインドなどが応えて、インドでは強力な国家政策として革新への動きが推進されるようになった。
 世界各地で不足が指摘されるようになった水資源に関しても、安価で簡便(それでいて日本以外で生産不可能)な濾過装置が安価に販売されるようになって、海に面する国を中心に解消に向かっていった。各種工業、鉱業汚染についても、その処理技術はもはや魔法と同義なほど高度となった。

 また日本政府が大きな力を入れ続けていた宇宙開発についても、基礎技術の大幅な底上げによって大きく進展した。日本は火星への有人探査と有人基地設置も難なく成功させ、月軌道では有人による大規模な小惑星帯探査船や木星探査船の建造も始まった。火星には100人単位の人間が暮らすようになり、火星の間には定期航路が開かれ、かつての南極ほどの難易度の場所となっていた。宇宙飛行士も、自らのことを「船乗り」と呼ぶようになりつつあった。
 地球軌道や月で活動する人類の数も一気に10万人の単位にのぼり、日本は新た産業が次々に勃興・発展して、次なる発展段階に入っていた。地球軌道は太陽光発電、月面はヘリウム3や宇宙で使う鉱物資源の鉱山として、かつてない賑わいを見せるようになった。
 さらに日本は、静止衛星軌道上に巨大な「鏡」の集合体の建設を開始した。場所は日本洋(Jオーシャン)とまで言われるようになった太平洋上で、太陽側は太陽光発電装置だが、設備全体が地球に降り注ぐ太陽光を調節する機能を持っていた。これにより、四半世紀ほど前から懸念され始めていた地球温暖化現象が人工的に制御されるようになり、二酸化炭素を人工珊瑚などに封じる技術共々、地球環境の大幅な改善が期待された。加えて日本を始めアメリカなどでの核融合への基幹発電の転換は、二酸化炭素排出量を劇的に低下させつつあった。日本では電気自動車が当たり前で、ガソリン車は環境破壊の段階を通り越えて贅沢品で、希少的価値を持つ存在となりつつあった。環境保全や森林保護でも新たな技術が次々に実行され、環境保護、自然保護も大きく進展した。

 しかし一方では、技術の革新が新たな問題ももたらしていた。単純労働型生産に対して、大きく進歩した大量の自動機械が生産を担えるようになり、自動機械を用いた生産単価は最も遅れた途上国で生産するのと代わらない程度になっていた。これにより日本企業の海外進出は、自国が消費する製品に対しては大きく停滞し、日本と世界の貿易不均衡をさらに拡大していた。さらに人間社会内で活動する労働ロボット、補助ロボット、奉仕ロボットが多数出現して、単純労働やいわゆる3K労働の多くを担い始めていた。日本の町中には、様々なロボットが溢れるようになった。ロボットの中には、人間と見分けのつかないロボット(アンドロイド)も普及するようになった。その中には、実質的に性産業に従事するものまでが出現して(セクサロイド又はガイノイド)、様々な理由と付加価値を付けた上で個人所有のものが爆発的に普及した。ロボットを使った犯罪、ロボットの盗難が新たな社会問題となった。
 また新規産業として、自動生産ロボットの権利を持つ事で所得を得る産業構造が生まれつつあった。しかもゆくゆくは、超安価な電力を中心にしたエネルギーと自動機械群の生産と奉仕により、人は生産労働に従事しなくてもよくなるローマ市民のような社会が実現可能との試算も出た。一定レベル程度の文明的な生活を維持する程度なら、人が働く必要はなくなると予測されたのだ。しかも、そう遠くない未来に。
 このため政府や企業などでは、人を怠惰にさせないための研究と政策が熱心に研究されるようになった。
 一方で、他国から日本への労働移民の意味は、高価値労働者以外でほとんどなくなっていった。

 物理面以外でも、機械化は進んでいた。特に電算機、電脳を利用した技術の発展と普及はめざましく、「マトリックス」と呼ばれる高度な仮想電脳空間が日常化して、現実世界とは別の新たな仮想世界を作り上げていた。しかし肉体からの逃避を促す傾向が強すぎるため、国家規模での法規制が早々と電脳空間の管理という形で実施され、国家権力と違法者や犯罪者との虚々実々の追いかけっこが日常となりつつあった。
 そうした中で、国内では産業構造と労働人口移動の大転換が始まった。一次産業、二次産業の自動化の進展で、三次産業従事者が一時的に異常増加した。二次産業の主力も先端産業と職人芸を必要とする産業、研究開発分野に集中するようになり、新たな教育システムを用いた日本人全体の再教育と産業界の再編成が大きく進展した。飲食業や一部のサービス業のように、産業分野によっては法律で自動化が規制される動きもあった。その一方で人の手を使うもしくは使わせることが、贅沢のステイタスと言われるようにもなりつつあった。完全な奉仕職種であるバトラーやレディメイドですらが、一般的な職業として脚光を浴び始めたほどだった。
 一次産業でも自動化が進んだのだが、人の手で自然に農作物を作りることが、生産・消費双方での一種の贅沢とされ人気職種となりつつあった。農家や緑豊かな郊外など、自然環境溢れるところでの生活も、新たな贅沢となった。無論、高度な文明の支援を受けた上で、という付帯条件が付く状況での贅沢であった。
 また一方では、付加価値産業や伝統産業、手作業以外に代わりが難しい産業への就職傾向が強まり、大量生産や単純労働は機械が行うものという価値観が生まれつつあった。伝統工芸のための専門学校や大学がいくつも設立されたり拡張された。科学や技術、先端、伝統、分野、方面を問わず一芸を極めることが、日本人の新たな価値判断基準となりつつあった。能や歌舞伎などの古典芸能も、芸能界での大幅な復権を遂げた。
 なお、遺伝子設計と健康管理の副産物だった容姿の洗練化により、日本人の間で外見が重視されなくなり、モデルや役者、芸能界の大きな変化が見られるようになったのも80年代後半に入った辺りからだった。何しろ、ティーンエイジャーのほとんど全てが、かつてのモデルやアイドルを越える神々しいまでの容姿だったからだ。
 そして神々しいまでの容姿が半ば一般的になると、少なくとも日本国内では単純な外見にあまり価値がなくなっていった。無論無価値にはならず、決定的な世代間の格差は存在した。後天的な遺伝子改良や万全の健康管理だけでは、容姿の洗練化に限界があったからだ。また一時期は子供の誘拐が激増したりもしたし、日本人の海外での誘拐も多発したため、日本人の渡航禁止や規制が行われた国も多かった。

 80年代も半ばになると、日本で始まった革新は日本の友好先進国の間でもようやく広まり始めた。北アメリカ、オセアニア、ロシア王国地域では、幾つもの障害を強引に乗り越えて大きく進展した。また一方では、これらの国々がそれまで奨励していた移民の受け入れを厳しく規制するようになる。日本でのように単純生産や単純労働の自動化が進めば、国内での低賃金労働者の多くが不要になるし、新技術の恩恵を受けるためだけに移民してくる者に莫大な国費を投じることは避けるべきリスクだったからだ。

 そして環太平洋地域での大きな革新の波は、他の地域にも大きく影響し始めた。
 核融合発電の日本での大規模な商業発電が開始されて、本格的に燃料資源の大幅な価格下落が始まっていた。また原子炉関連の小型化技術と効率化、核燃料リサイクル技術が運用技術共々革新的に進展した。他にも、安価な太陽光発電が核融合発電より早く大規模な商業利用が開始された。超伝導技術の発展により蓄電や伝導、動力技術が飛躍的に向上し、多くの動力が安価に生産される電気へと置き換えられていった。
 これらの変化によって、日本では地下燃料資源の需要が激減した。石油需要は、各種加工品や潤滑油としてだけ必要なものとなった。しかも日本は、目の前の太平洋から自国で必要な資源を安価に濾過採取するようになっていた。ウランなど重金属、重元素の一部は、すでに輸入が不要だった。濾過採取の為の巨大施設が、洋上にいくつも建造されていた。アメリカなどでも、日本の技術援助で同じ施設が建設されるようになった。そして産業転換できなかった産油国など燃料資源国は、実質面で軒並み没落を開始した。特に他の有力産業がなかったもしくは育てられなかった中東産油国の没落が本格化して、ヨーロッパ連合の支配がいっそう強まった。
 平行するように、環太平洋諸国による海洋と月面での資源採掘と地球軌道開発が大きく進展した。太陽系宇宙こそが、新たなフロンティアとなりつつあった。そして物質面で満ち足りた環太平洋諸国は、自らの勢力圏以外の関心を低下させ、他国の事にあまり気を遣わなくなった。
 地球規模での資源収奪や経済活動の維持が必要なければ、国家戦略上として国際的影響力の確保や人道面以外で援助する必要性がないからだ。地下資源を求めた場合、特にそうだった。外交的価値、軍事的価値、市場価値などがあれば別だが、製品の購買力もない後進国の市場価値などこの時点では知れていた。
 半ば自己満足だった、後進地域に対する一部の人道主義者以外の援助や支援も大きく減った。それにもともと人道援助は、ヨーロッパ連合の支配下の植民地や後進地域に対して多くが行われていたので、一度関心が下がるとあとは見向きもされなくなった。
 報道がされなくなれば、市民にとっては異世界のできごとであり、存在しないも同然だったからだ。また支援の後援団体だった企業にとっての利点が減れば、支援しなくなるのが摂理だった。

 また、日本人を中心対象とした海外でのテロや犯罪が多くなると、日本人などの側からの反発も強くなり、なおさら援助や支援、協力の密度を低下させていく事になる。そしてさらなる反発を招くという悪循環を続けていた。特に特定宗教から一方的で理不尽な反発を受けたと解釈した日本人達は、あからさまにそうした人々との接触を自ら断つようになった。もともとそうした地域とは資源輸入はもちろん貿易や交流自体が希薄なので、日本人の行動を実質面で非難する国も少なかった。
 また日本人を攻撃する側では、日本での変化こそが燃料資源の大暴落を起こしたとは言っても、日本そのものは自分たちを搾取している訳ではないし、単に自力で豊かになって一方的な行動を取るだけなため、経済面だけでは今ひとつ攻撃への熱意は低くならざるを得なかった。その代わり、日本人の発展そのものが、絶対者への冒涜や敵対行為だとして反発が大きくなった。
 そして日本人達は、自分たちが不干渉を決め込んでもなお攻撃してくる相手には、徹底的に反撃する姿勢を見せたため、負の連鎖の法則に従い対立とテロは続いた。ただし、犯罪者、犯罪者予備軍が日本の勢力圏に入ることは物理的にほぼ不可能なため、俗に言う「原理主義」勢力について多くの日本人は感心を抱かなかった。多くの日本人にとっては遠い世界の出来事でしかなかったし、日本政府もそうなるように最大限の努力を傾けた。
 一方では、ヨーロッパ世界が大きく東西で分裂したため、ベネルクス三国より西側の西ヨーロッパ諸国、スカンディナビア半島を中心とした北欧諸国との交流は俄然活発化した。環太平洋諸国の市場として観光地として注目され、有り余った生産力と資金、そして技術がヨーロッパ共同体や西ヨーロッパ、北ヨーロッパと言われる地域になだれ込んで、それらの地域を根底から変えていった。
 しかしヨーロッパ世界の変化は、ドイツから西ロシアにかけてのヨーロッパ連合の態度をますます頑なにさせた。また見向きもされない途上国や資源国の多くでも、環太平洋諸国への怨嗟の声は徐々に大きくなり、その盟主となった独露との対立はむしろ先鋭化した。
 しかし一人だけ未曾有の繁栄に湧いている日本を筆頭とする環太平洋諸国は、自らの影に入れられた地域のことにあまり目を向ける気はなかった。
 日本ではこの頃の変化と活況を、後に『バブル』と呼んだ。それほど一方的な差が開いた時代だったと言うことだ。

「中期防衛力整備計画」(1982年〜)
 国防及び友好諸国の防衛という観点もあって、技術革新の波も否応なく軍事面に押し寄せていた。
 また革新の中での社会変化で、軍人は肉体と知力、精神力が問われるやりがいのある人気職種となっていた。この傾向は、警察や消防などにも見られる傾向だった。負傷や死亡に対しても、様々な肉体強化措置や高度な装備によって、革新が押し寄せていた。極端な話し、死亡しても短時間内なら脳さえ無事に残っていれば何とかなるというレベルに到達しつつあったので、危険職種に対するハードルを大きく押し下げていた。
 なお、新たに登場し始めた兵器群は、ヨーロッパ連合にとってもはやサイエンス・フィクションの世界から飛び出してきた兵器ばかりだった。
 ヨーロッパ連合が起こした全面核戦争のせいで、宇宙空間の軍事利用禁止という条約は有名無実化しており、今や衛星軌道、月軌道、第五安定軌道(ラグランジュ5)には日本軍の戦闘用軍事衛星が日常的に展開するようになっていた。主にレーザー砲を搭載した迎撃衛星と宇宙機雷と呼ばれる超高速の破片をまき散らす攻撃衛星だった。戦略攻撃用の対地マイクロウェーブ照射衛星までもが存在した。人間単体への攻撃という精密攻撃はこの頃はまだ無理だったが、大型爆撃機程度の精度と規模の攻撃が、衛星軌道から可能となった。かつての「爆撃」は、今日では衛星軌道からのものを指すようになっていた。大気圏内で行われる攻撃は、全て単に「攻撃」と言われるようになった。
 そうした変化もあって、軍用軌道基地「たけみかづち」「ひのかぐつち」を根城とする軌道往還機型の軌道兵器の配備も始まった。高加速弾道兵器も、地上配備のロケットではなく軍事用衛星に設置されるようになった。その方が遙かに効率がよいだからだ。しかもこちらは、装甲車程度に対するピンポイント攻撃も可能となった。
 空軍(エア・フォース)はもはや軌道軍(オービタル・フォース)となっていた。さらには、軌道間や惑星間を警備もしくは防衛するための艦艇すら登場し始め、「空間軌道兵器」を搭載する「宇宙空母」や「宇宙戦艦」の建造計画すらが持ち上がっていた。宇宙塵を避けるための流線形態と後部から噴射されるプラズマジェットは、新時代の船の象徴と言われた。
 そして量子を軍事利用した演算装置や、次世代の捜索・探査兵器が登場すると、軌道上からの監視と攻撃により、全ての遠距離攻撃手段が担えるようになっていた。地下や海底深くか入念に熱光学擬装を施さない限り、逃れることは不可能だった。
 一方地上(地球上)の軍備は大幅に削減されたが、宇宙からいくらでも偵察と攻撃が行えるのが理由だった。それに地上配備の防空用レーザー砲、高加速レールキャノンの前には、対視覚、対電子、対熱対策が施されていない大気圏内しか飛行できないような兵器には、ほとんど価値が無くなっていた。むしろ地上を這うように進むローター機やV-STOLの方が、空中機動兵器とし有効と判断されて新たに開発と配備が進んだ。軍用航空機と言えば、戦闘用軌道機(バトル・オービタル・プレーン)と輸送機、一部偵察機を指すようになっていた。
 陸戦兵器も、「倍力服」や「装甲服」、「強化服」と言われる全身を装甲で覆った上で怪力を発揮できる兵士、一般的に「装甲兵」と呼ばれるものが主体とされた。装甲兵の機動用装甲車はともかく、従来型の戦車が新規計画されることはなくなった。歩兵の価値は依然として存在したが、戦場での能力は重装甲車並となっていた。
 当面の価値があまり変わらなかったのは、新装備を受領した各種重砲兵ぐらいだった。正面戦闘では、装甲兵の持つ携帯火器で全ての地上兵器を撃破できたからだ。新時代の「戦車」と言えば、低空を這うように進みレールカノンやレーザー砲、効率的な気化爆弾を搭載した新型の装甲ヘリや装甲V-STOLの事だった。当然だが、衛星軌道上から丸見えな兵器には何の価値もなかった。一方では、低軌道から地上に軌道降下する強襲装甲兵部隊が設立され、歩兵の最精鋭部隊に位置づけられた。これらとは別に発展したのは、屋内戦闘を主眼にしたいわゆる特殊戦部隊で、小型軽量の装甲服や肉体そのものの機械化によって強化された兵士達によって編成された。

 そうした中で、一部の開発者、技術者達が夢見た巨大人型兵器は、この時点では出現しなかった。
 様々な理由を付けて実際試作してみたりもしたのだが、費用対効果が低い汎用作業機械としてならともかく、地上兵器としてはまるで役立たずの「かかし」に過ぎなかった。とにかく前方投射面積が広いことは致命的だった。空を飛べるような機体も試作されたが、空力特性から見てどうしようもない存在だった。
 熱光学迷彩を施せば使い道も作り出せたが、あえて作り出すほどの費用対効果が得られるものでもなかった。装甲兵程度の大きさの無人兵器は数多く導入されたが、装甲兵が装備する火力を防げる防御力を越えない限り、大き過ぎる兵器は地上で無用の長物だった。一部の開発者は、驚くべき事に「格闘戦能力」を得難い特徴と言ったが、大型兵器同士が格闘戦を行うゼロ距離になるまで戦闘をする状況自体が確率論上で極めて稀である以上、こちらも費用対効果の点で認められなかった。
 ならばと、宇宙空間や月面でも試験運用してみたが、一部での汎用性の高さは友好と判定されるも、現行の軌道兵器の方が遙かに使い勝手が良かった。人型を構成するための稼働部が多いというだけで保守整備に多大な負担がかかり、蛮用に耐える機械として失格だった。逆に人間と似た大きさの汎用ロボット、アンドロイドは軍用でも有効と判断され、積極的に兵器体系に組み込まれ、後に威力の大きさのため問題視されるようになった。
 結局試作された大型ロボットのうち数機は、次世代兵器の各種実験に使われ、一部が技術博物館行きとなった。しかし巨大ロボットに異常な熱意を燃やす人々は諦めず、軌道機からトランスフォームする兵器を提案するなど、その後も妄想を現実とするべく奮闘する事になる。

 海では、水上艦は中小の各種警備用の艦艇が主体となり、各種潜水艦が完全に主力となった。大型艦水上艦で残されたのは、災害救助など幅広い任務に対応できる各種揚陸艦艇や補給艦だけとすら言え、これすら最低でも熱光学迷彩の能力が付与されていた。革新前に建造された原子力空母も、炉心交換や耐用限界を迎える前に姿を消し、水上艦としての核融合空母は登場すらしなかった。
 代わりに日本海軍は、超伝導推進の核融合潜水艦の多数整備を打ち出し、中には「潜水空母」や「潜水強襲揚陸艦」すら存在した。海に隠れる「忍者海軍」や「潜水軍」としてしか、戦闘部隊としての海軍に意味がなくなりつつあった。計画の中には、満載排水量10万トンもの巨大潜水艦すら計画に含まれていた。ただし、これすら数が限られるようになった。
 空軍に至っては、先にも挙げたように大気圏内しか飛べない戦闘用飛行機がほとんど意味を失い、防空軍と低軌道軍と化しつつあった。
 それが時代の革新が生んだ、軍備の変化だった。

「カミング・アウト」(1988年1月)
 日本政府は、重大な発表があると全世界に向けて放送した。そして放送のちょうど丸一日後に日本国首相が行った発表は、かねてから内心ある程度予測されていたものだったが十分驚愕に値した。
 放送とは『真実』発表だったからだ。
 無論日本政府が1853年に最初に発生して以後の『真実』を暴露したのではなく、自らに都合の良い話を作り上げて発表を行った。

 なお、発表に踏み切った背景には、敵対勢力との軍事力格差が決定的に開いた事と、自らの勢力圏とした側が全体として圧倒的優位な地位に到達したからでもあった。また、技術の恩恵を受けている日本人や友好国の国民ですら疑問に思っている事も多いので、いい加減ある程度辻褄の合う話をするべきだと考えての事だった。
 もっとも、この時代になると、日本人の誰も『真実』や『事実』を知らなくなっていた。首相を始め日本の中枢を担う人々ですら、ほとんど何も知らなかった。
 つまり『真実』の記録は、皇室などの壁を最初に設けて遮断したままの状態が維持され続け、そのうち半ば忘れさられていたのだった。そしてお役所仕事の中で、単なる書類などとして破棄された資料や記録も既に多かった。そして残された断片的情報だけでは、『真実』の全てを説明することが既に不可能となっていた。
 当然と言うべきか、『彼ら』は表だった行動を行わずに不干渉を決め込んでいたし、この頃の日本人達は『彼ら』の存在すら全く忘れてしまっていた。
 そしてその『彼ら』は、自分たちの力を人類が自力で使いこなせるようになるには自らの手で月に恒久的に至る能力を得ることが必要だと考え、かなり古い段階で日本人達にこの事を伝え、そして月に自らのライブラリーのメモリーを埋めておいた。そして『彼ら』は、その時から直接的な干渉はほとんど行わなくなっていた。
 加えて言えば、『彼ら』の言葉を聞き、その事を後世に伝えた人々は遙か昔にこの世を去っていた。
 だが月面を目指せという言葉は一部オーバーテクノロジーの断片と共に残され、日本人達はとにかく月面を目指した。そして日本人の月面到達以後の爆発的発達は、自力で月に至った日本人がそのライブラリーを見つけた事で起きものだった。そして地球上にあった断片的技術情報と、月面で見つかった情報そのものがこの時点の日本人達が知りうる唯一確かな『真実』となっていた。

 ただし、ごく一部の者は残された記憶と記録のおかげで、おぼろげながら『真実』を知っていたし、ほとんどの日本人も自分たちが「少し変」なことぐらいは最初から気付いていた。意図的に気にしないようにしていただけだ。そうだからこそ、自分たちすらおかしいと思っていることに対して、何らかのけじめを付けたかったのだ。
 日本政府の発表内容を単純まとめると、大きく以下のようになる。

 ・1959年に建設された月面の「かぐや」基地郊外の地下数十メートルの地点で、1961年10月初旬に人類文明と連続性のない知的生命体の文明の産物を発見したという事。
 ・連続性のない知的生命体は、恐らくは地球外知的生命体である事。
 ・生存者との接触はなかったが、発見された施設や文物の大きさから、地球人類とほぼ同じ大きさと形態を持った炭素系の生命体である事。
 ・月面に高度な文明の知識を記録した『遺産』が存在することを、百年以上前に日本人が知っていた事。
 ・19世紀、恐らくは19世紀中頃に日本人の一部が異星人の文明と最初の接触を行い、月面に『遺産』が存在することを知ったと考えられる事。
 ・最初の接触をした人々が、その時点で得た分かる限りの知識や技術を伝えるために、何も知らない人々に一芝居打った事。
 ・月面の『遺産』を発掘・解析するためには、かなりの規模と人数を送り込まねばならなかった事。
 ・初期の段階で真実を言ってもかえって混乱を招くため、日本が自力で混乱を沈めることができるだけの力を持つまで発表が控えられた事。

 なお、合わせて、幕末から明治初期に見られた『瑞穂』という存在は、天皇家が中心となって仕組んだ茶番だったと説明された。ただし、当時の賢人達のうち誰が異星人の『遺産』と接触したのかは、当人達の記録が残されていないため不明な点が多いとされた。
 無論、本当の『真実』は別のところにあったのだが、自分たちですら『真実』を知りようがないのだから、どうしようもなかった。月面云々の話しも、気が付いたら伝えられるようになっていたのであって、実際がどうたったのかはほとんど誰も何も分からなかった。
 そして分からないことを無理矢理にでも説明しようと言うところにそもろも無理や矛盾があるのだが、とりあえず地球外知的生命体との接点を持つのが何故か日本であるという点は、日本人にとってはこれ以上ないアドバンテージであり、とりあえず利用できるだけ利用されることになっていた。

 そして当然と言うべきか、全ては荒唐無稽な話だと考えられた。少なくとも、そう思う人間の方が多かった。
 突然『真実』を信じろと言われても、なかなか受け入れられるものではなかった。
 だが、日本人が実現した科学技術や学術面での圧倒的という以上の優位を前にしては、現実主義者も押し黙るしかなかった。
 同時に、先人の知識と技術を一人独占した日本に対する、非難、怨嗟、様々な罵詈雑言が浴びせかけられた。
 しかし日本人の多くは、自分たちが偶然に宝くじの一等賞に当たった程度にしか考えが及ばなかった。何しろ、あまりにも当たり前に高度技術が存在しているのだ。海外に行けば神々に匹敵すると言われた体も、国内ではそこら中に溢れていた。若年世代にとっては、同世代の全てが似たようなもので、単純な外見にはあまり価値はなかったほどだ。高い知識や運動能力も、既に日本人なら当たり前以前の事だった。
 既に同じ技術の恩恵を受け始めている友好各国も、ほとんど非難はしなかった。アメリカでは、かつての戦争で日本に負けてよかったとする意見の方がはるかに多かったほどだ。何しろ、日本の次に恩恵を受けているのはアメリカだったからだ。
 だいいち、拾いものだろうが自力によるものだろうが、知識や技術の独占は人類の歴史上で一般的に行われてきた事だった。帆船と銃器を得た白人達が、過去数百年間に世界に対して何を行ってきたかが多くを物語っていた。宗主国と植民地などというものが何故存在するのかがその答えの一端だった。
 
 だが、日本を非難したのは、この半世紀ほど日本と懸命に競争してきたヨーロッパ連合だった。また日本が無視してきた形になっている途上国や他国の植民地の恨みも小さいものではなかった。
 多くの意見は、表面的には立派な反論だったのだが、突き詰めてしまえば新たな技術を無償でもっと世界に広めろ、俺達にリスクなしで寄こせというものだった。
 しかも先に発展している日本などは、これまで受けた恩恵の分だけ世界中に技術と資金を提供して、さらには自分たちの表面上の大義名分のために世界平和にも広く貢献すべきだったという声も少なくなかった。
 これに対して日本側は、様々な反論や理論的な説明を行った。だが、感情的となった相手には、まともな議論は通じなかった。ある程度予測されていた事だが、日本人一般が思った事は、カミング・アウトを『遺産』を見つけてすぐにしなくてよかった、という程度のものでしかなかった。
 なお日本側はカミング・アウトと同時に、新たなる国際機関の設立と技術を広めるために、便宜上日本が中心となって新技術のパテント料を基にした巨大な基金や組織を改めて設けることを提案した。しかし日本と関係の悪い国々は、日本の世界征服やパックス・ニッポニアが成立するだけだと言って聞く耳を持たなかった。途上国はともかく、日本と対立している先進国にとっては、日本と革新的技術が離れて自分たちのものにならなければ意味がないからだ。
 当然両者の対立は激しくなった。
 しかも日本に対する不買運動やテロ、無軌道な傷害事件が起き、日本人や友好国の人間に犠牲者や負傷者が出るに至り、日本と日本の友好各国もせっかく広く開けようとした門戸をすぐにも閉ざすようになった。日本やアメリカなどでも途上国だけでも支援すべきだとする意見が起きたが、途上国が途上国であるのはそれなりの理由のある事だし、だいいちほとんどがヨーロッパ諸国の歴史的な責任だとして、自分たちの勢力下にあるアジアの一部以外では支援の手は伸ばされなかった。それに旧植民地の途上国に対しては、すでに日本に迎合していたイギリスやフランスなど主に西欧諸国が果たすべき責任だと認識されていた。

 結局カミング・アウトの前と後に大きな違いは起きなかったと言えるだろう。
 無論一部の国は日本にすり寄ったりもしたし、逆に日本人に対する反感や反感を行動で示す動きは増えた。だがすべては今更の事だった。無条件降伏状態となったのは、ヨーロッパ連合を完全に見限った南米諸国ぐらいだった。国同士がそれなりの距離で離れていれば、残されたヨーロッパ連合など怖くはなかったからだ。
 そして日本人達は世界のおおよそ7割を抱えて、歩みを早める行動を再開した。日本について来る意思を自ら持った者をその都度迎え入れながら、歩む速度をさらに速めていった。
 現状でも、欲しいものが欲しいだけ手に入れることのできる日本人は、世界の維持、ましてや世界征服などには興味を示さなかったからだ。



●そして飛躍へ