●そして飛躍へ

「ザ・デイ・アフター 21世紀到来」

 西暦2010年、イノヴェーションの開始から約半世紀、カミング・アウトから約20年が経過した。
 日本本土に籍を置く人の数は1億60000万人台を突破し、周辺地域を含めた日本全体の総人口も2億3000万人(世界人口の約4.5%)に達していた。事実上自然死のない状況なのに、総人口の3分の1が革新世代となっていた。気の早い世代が続いた場合は、既に孫の代の革新世代が誕生し始めていた。この時代の日本では、子供は富を生み出す存在へと再び返り咲いていたのだ。
 人口のうち80%近くが労働人口で、自動化が極端に進んだ科学技術のおかげで工業生産力の拡大は今までとは比較にならないぐらい増大したが、新たな産業や開発を担うための労働需要はまだまだ存在していた。自動生産のほとんどを始め、多くの産業や奉仕をロボットが担うようになっていたが、人手はまったく足りていなかった。依然として革新が続いている影響だった。
 日本国民全体の人口増加率は依然順調だったが、政府は真剣に人のクローニング(複製)を考えていたほどだった。既に人工子宮も開発されていた事が、これを後押ししていた。国民の間にも、人間と同じ外見のロボット(アンドロイド)を無軌道に作るぐらいならという意見も極めて多かった。このため、人と同じ外見のロボットの製造を規制する法律と、使う側の社会規範が作られるようにすらなっていた。これに反発したのは、性風俗産業と一部偏執的な愛好家ぐらいだった。人に使役させるだけなら、必要以上に容姿を人間に近づける必要はほとんど存在しなかったからだ。
 また人口増大により居住環境が日本列島では狭くなっていたが、日本はいっこうに気にしていなかった。
 日本の海外自治領として維持されていた極寒のアラスカや赤道近くの東部ニューギニアのジャングルも、日本の手にかかればすぐにも自然と調和の取れた現代の理想郷に変化していった。環礁一つない太平洋上にすら、巨大なメガフロートの白亜の水上都市(オーシャン・コロニー)がいくつも存在した。本土以外に住む日本人の数も非常に多くなった。注意すべきは、地震などの自然災害だけだったが、それすらほぼ正確に予測でき、さらには人工的に回避できるようになりつつあった。既に日本人達は、天候、地震すら制御していたのだ。台風などは、季節の風物詩として人工的に産み出したりしていたほどだ。
 空を見上げれば、衛星軌道やラグランジュポイントには幾つもの巨大基地や植民衛星が展開していた。月面都市も既に百万都市の単位で、しかも複数建設されていた。火星にも木星の衛星のいくつかにも、かなりの規模の有人基地が存在して人類の最前線に立っていた。金星軌道にも宇宙基地が展開している。木星や小惑星帯のいくつかの星を始めとして、太陽系各地の資源採掘すら始まりつつあった。太陽系内には、多数の核融合プラズマ推進船が行き交っていた。既に地球外で活動する日本人の数は、国民全体の3%(約700万人)にも達していた。
 しかも日本は、友好国との共同事業という形で、オービタル・エレベータ(軌道昇降機)の建設と火星のテラフォーミング計画を実働させつつあった。
 余りにも早い足取りのようにすら思えたが、一度に数段とばしで発展の階段を駆け上がっているのだから、当たり前と言えば当たり前の情景に過ぎなかった。

 一方で世界の総人口は、20世紀の間に頻発した戦争や紛争と、主にヨーロッパ諸国の過酷な支配などの悪影響と、日本が一部の友好途上国に行った開発援助という名の実質的な人口抑止政策によって、ようやく50億人を突破したに止まっていた。その中で日本の持つ優れた技術の恩恵を十分に受けられる人の数は、日本国民以外だと約6億人ほどにまで増加していた。地域別に見ると、北米大陸、オセアニア、ロシア王国、ごく一部の東アジア諸国、そして西欧と北欧の居住者となる。他の地域では、様々な理由から当面どころか長期間恩恵を受けることは不可能だろうと判断された。革新に必要な一人当たり年間所得は、最低でも2万5000円(=ドル)なければ難しかった。日本人の所得などは10万円(対世界GDP比45%)にも達している。
 そして、それぞれの国や地域に様々な高度技術基盤と豊富な資産が存在しなければ、日本がいくら高度な技術を援助や供与しても、そのほとんどが自力では絵に描いた餅でしかなかった。日本が一方的に供与や貸与するだけなら、実質的にはかつての植民地以下の隷属状態と言えるだろう。何しろ日本抜きに生存すらできなくなり、生きるという根本的な面から日本に依存せざるを得なくなるからだ。
 このため状況が理解できた国々は、日本などからの手助けを借りながら、段階的な所得と技術や向上を図っていく事になる。現在進行形での西欧と北欧がそれに当たる。中米、南米、アジア地域の多くでも、手厚い援助を受けながら懸命の努力が図れていた。
 ただし幸いな事に、日本を中心とした革新的な技術発展のおかげで、今までとは比較にならないぐらい簡単に生活や所得の向上が図れるような新文明社会が、日本を中心にして形成されつつあった。早ければ四半世紀以内には、日本の友好国のほとんどで革新が達成されるだろうとすら予測された。今現在世界最貧国待遇の国でも、例外ではなかった。アマゾン奥地の原始社会ですら、その気になれば二世代・半世紀で最先端の文明人に仕立て上げられる技術文明社会が、日本を中心に到来しつつあったからだ。
 その中での問題は、革新を図ろうとする国全体、国民全体で高い向上意識を持っていなければ、簡単に精神的堕落をしてしまうという点だった。より高見を目指すか堕落するかは、技術だけではどうにもできないからだ。
 一方で日本人を始め日本の恩恵を受ける人々は、自分たちについてこない人々を見限り始めた。そして自らの努力の多くを、さらなる技術の発展とその先端部である宇宙開発に向けるようになっていた。果てさえ分からない宇宙こそが、日本人の目的地だった。

 なお、ヨーロッパ連合、中東、アフリカを中心とする反日国家連合は、21世紀を迎えた頃でも頑固な対立を続けていた。国家や民族のアイデンティティー維持のためと、理不尽な感情的反目により対立を続けざるを得ないからだった。そして日本とは全面核戦争すら行ったため、対立と反目によって市場すら二分されたに等しい状況が続いていた。また中華地域はようやく分裂と混沌から前に向き始め、一部の地域では日本との対話と交流が再開されつつあったが、依然として先進地域とは断絶していた。
 本来こうした状況は、本来なら世界規模での経済活動に大きな支障がでる筈だった。事実ヨーロッパ連合は苦労していた。中東やアフリカの一部を半ば無理矢理抱えていたのも、必要な資源確保のためだった。しかし日本は、いっこうに気にしなくなっていた。
 今まで地球各地から産出されていた各種資源は、自力での獲得や循環によって取得が可能となっていたからだ。
 核融合炉の人工太陽の炎が作り出す廃棄物循環装置によって、全ての廃棄物を簡単にかつ安全に処分できた。そしてその廃棄物の中から、超超高温での電磁分解によっていかなる物質でも無駄なく原子レベルで回収可能となっていた。それでも足りない資源は、海洋からの濾過採取で十分に採算可能となっていた。黒潮の上に建設された巨大な海上都市は、単なるレジャーランドやニュータウンではなく、巨大な資源採掘用の濾過装置だった。
 近い将来の予定表には、核融合廃棄循環システムのさらなる進歩によって、人為的な原子核変換により全ての物質(原子)が欲しいだけ得られるという記載があった。既に実験が月軌道で行われていた。さらに遠くない未来には、相対理論的世界における「質量」さえ存在すれば、いかなる世界でも生存できる技術が実現されると予測されていた。遠い空間同士を物理的につなげるワームホールを作り出したり、真空からワット・エネルギー(電子や陽電子など)を生み出す(抽出する)技術すら理論面では解明されつつあり、既にSFや夢物語ではなくなりつつあった。
 革新的な科学技術は、二世代以上の革新を続けているため、既にそこまで進歩していた。しかも依然として向上中だった。日本にしてみれば、発展が忙しすぎて他国と争いなどしている時間はどこにもないというのが正直な心情だった。
 また、地球環境の人工的な保全と回復により、地球規模での自然環境も多くの地域で安定したため、温暖化や気象変動すらが駆逐されつつあった。その気になれば、地球規模での気象操作すら可能だった。逆を言えば、地球規模での環境破壊も可能なわけで、今や地球の命運そのものを日本が握っているに等しいとも言えた。この時代、日本が有する気象制御装置そのものが、核兵器を遙かに上回る最強の戦略兵器だった。
 エネルギー資源については、核融合発電と衛星軌道の太陽光発電によりほとんど無尽蔵かつ極超低価格で獲得可能だった。その気になれば、タダ同然の電気を使って大気中の二酸化炭素と水から、地下から採掘するより安価に石油や天然ガスを作り出すことも既に造作もなかった。食料が足りなければ、海と大気を材料として安価な電力により人工食料が生産可能だった。人工食糧を使って、他の動植物を生産・飼育する事も選択肢としては問題なかった。実際、世界の食料生産の3割は人工食料が担っていた。単細胞生物食料品の生産と供給も順調だった。このため一部の地域では、無理な農作物の栽培を自粛させ、環境保全を前提とした農業への転換も行われつつあった。

 タダ同然の電気、安価な食料、高度な医療、安価な医薬品、高度な教育とそのシステム、産業育成、インフラ整備を一つのセットとして、友好圏内の途上国と貧困を駆逐しつつあった。飢えも貧困も紛争もテロも、平等で無尽蔵な物質文明の大攻勢を前にしては歯が立たなかった。問題は一部頑な宗教であったが、人々の多くは豊かになってしまえば寛容へと自らの心を入れ替えた。無論全てがそうだったわけではないが、99%以上の人々から無視されれば、自然淘汰の中でイレギュラーはいずれ消えていくしかなかった。
 日本が海沿いの途上国に派遣した『文明改造船団』の来訪は、歴史上のいかなる侵略や進出よりも確実に、現地の文明と文化を超高度消費社会へと塗り替えていく先駆けだった。日本人はこれを『21世紀の白船』と呼んだりもした。
 後進国という名も、「更新国」と揶揄されたほどだった。一世代を経て高度な教育が国民の間に広まる頃には、途上国は相応に充実した社会へと脱皮していた。二世代後には、平均的な先進国への門戸が開かれていた。プログラム通りに到達できるか、到達後にそこで堕落するか、自力で維持できるか、さらなる高見を目指すかは、その国の国民や民族次第でしかなかった。事実、到達に時間のかかっている国も、国民が堕落していった国も既に見られていた。それでも先進国と後進国などという差を表現する言葉すらが無用な時代が見えつつあった。無論日本は、そうした落ちていく国の対しても、様々な面でサポートを行った。日本人達は、自分たちの方を向いてさえくれれば、たいていの場合寛容であり、気軽に手助けできるだけの余裕を持ち合わせていた。
 そして無資源国だった日本こそが、今や世界最大の資源とエネルギー、人工食糧の供給国だった。この状態は、各国の社会資本や資産の蓄積が進む四半世紀先まで変わらないと言われた。しかもその頃には、日本はさらに次の次元に進んでいるだろうと予測された。科学技術面と宇宙開発での圧倒的な優位が、それを可能とするからだった。日本にとって地球という空間は、既に居住空間や保養地という以上の価値は存在しなくなりつつあった。
 しかも日本が消費する研究開発費は、世界のおおよそ6割を占めていた。一番に追いかけるべきアメリカは、半世紀前に日本との戦争に破れて以後は心理面で保守的・後進的となって安寧に浸ったため、国としては日本の後ろを追いかけるのが精一杯で、ここ二十年ほどは高価値な人材流出も深刻だった。
 そうした世界では、世界のGDPの8割以上を占める環太平洋連邦の先進各国にとっての開発や開拓、資源獲得と言えば、ほぼ間違いなく地球以外での事を指していた。地球で得られる希少な資源は、人的資源を別にすれば天然の食料品や自然環境と動植物だけとすら言われたほどだった。既に日本最大(=人類最大)の発電所、演算装置、建造施設は月面か月軌道にあった。ある日突然地球が滅びても、日本人だけは生き残ると言われたほどだった。

 そしてこの年、数十年間のさらなる技術革新の結果、衛星軌道上の太陽光発電所に隣接する巨大な粒子加速装置によって物質の反転化つまり「反物質」の精製に成功した。
 日本人は、ネクスト・ステージへと至ったのだ。
 極超音速投射兵器のさらなる高度化と一般化もあって核兵器は一気に陳腐化し、日本は太陽系規模での戦略的破壊兵器を手にした。また核融合よりも巨大なエネルギーを手にしたと言うことは、外宇宙へ今までより遙かに簡単に足が伸ばせることを意味していた。
 さっそく日本人達は、亜光速航行が可能な無人探査機と巨大な外宇宙探査船建造に乗り出し、惑星を持っている近隣の恒星系へと旅立たせた。超超高性能望遠鏡による観測調査も、今までとは比較にならないぐらい熱心となった。新しいエネルギーの獲得により、太陽系以外が観測地から開拓地に格下げ(格上げ)されたからだ。
 銀河全体の8割を占めると言われる赤色矮星の近隣調査も開始された。質量(惑星)とそれなりの熱さえ存在すれば、そこは新天地足り得る可能性が存在するからだ。
 しかし流石に手間と時間がかかるため、取りあえずはまだ赴いていない冥王星やオールトの雲などにも船を向けてみた。ついでにのように、より詳細な太陽系マップも作ってみた。日本のイデオロギーは常に宇宙を目指していたのだから、反物質爆弾などの兵器開発よりも宇宙開発を重視するのは当然の選択だった。
 西暦2010年、もはや日本と日本の対立国との差は、異星人と地球人の差に等しくなっていた。競い合うどころか比べることすら愚かしく、遂に翌年の2011年にヨーロッパ連合も日本の軍門に事実上降った。
 これは、環太平洋連合が中心となって設立した新たな国家機関「国家連合(UN)」という形で現され。

 平和を願う心でも軍事力でも、一個人の野心や宗教でもなく、溢れる物質文明とそれを可能とした高度な科学技術、そして全てをリードした日本人の楽天的お人好しさこそが、人類の緩やかな統合に向けての動きを、取りあえずではあったが可能としたのだった。
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 そうして、時代はさらに急ぎ足で進んでいった。
 西暦2050年には、人類初の恒星間用有人型バサード・ラムジェット船が日本の手によって開発され、人類は外宇宙へと本格的にこぎ出す事が可能となった。
 この頃既に太陽系開発は全域に及び、膨大な物の流れを支えるため地球赤道上には巨大な軌道エレベーターが建設されていた。ラグランジュポイントには、宇宙の船乗りや研究のために、兆の単位のトン数を誇る巨大なドーナツ二つを重ねたような宇宙植民地(スペース・コロニー)が建設されていた。月面は、無数の都市とインフラの建設によって、表面からも瞬きを放つ星となっていた。中には地球から肉眼で見えるものもあった。
 火星のテラフォーミングも、あしかけ半世紀という気の長い大工事が、既に道半ばに差し掛かっていた。この工事では、彗星の巣から持ってきた氷の彗星が投下されたり、巨大な鏡で惑星そのものを熱するなど、それまでの土木技術からは想像すらつかない大規模な工事が行われていた。
 既に火星の惑星表面には海と分厚い大気が形成されつつあり、見た目のスペクトルも赤から青へと変化していた。火星に適応させたDNAを持つ植物も生い茂って、盛んに二酸化炭素から酸素と炭素を分離していた。海も、今は酸素を精製している単細胞植物群によって、青と言うよりは緑に近い。火星各地では、先遣基地やコロニーの建設も並行して進んでいた。地球で一番ホットな話題は、アフリカ大陸程度の表面積の火星への入植に際して土地の分配をいかに行うかだった。現時点では、火星全土を非武装のUN委任統治領として、国、民族ごとの人口などのバランスを見て均等な居住権などを与えるという案が最有力だった。この事をアメリカなど一部の国が、自らの努力と相応の対価を求めていたが、開発に最も力を入れた日本人達は土地を得ることに対して関心が薄かった。
 一方、巨大な発電衛星が同じ軌道に展開する金星の冷却化作業も、発電施設を兼ねた巨大な遮蔽・照射装置の設置と惑星大気への反射物質の散布によって始まっていた。このため金星の表面温度は急速に下がり、平行して気圧も落ちた。惑星大気内に降下した探査装置からの映像からは、止むことのない豪雨が降り注ぐ光景を目にすることが出来た。
 木星の巨大衛星群にも、資源採掘のためのいくつも巨大基地が建設されていた。さらに木星極低軌道で超高速回転する資源採掘ステーションは、宇宙の真空を動力としてヘリウムを採掘する太陽系時代の油井だった。その木星も、半世紀以内に太陽化(赤色矮星化)工事が行われると言われていた。このため、土星での資源採掘が始まろうとしていた。土星の各衛星の開発も急速だった。
 そればかりか、人類の手は太陽系外に伸びていた。
 既に半径15光年以内の恒星系無人探査は既に完了しており、別の太陽系が存在する場所にも開拓の手が伸ばせるようにもなっていた。一部では無人基地や、後の世のための資源採掘及び備蓄基地も設定されていた。現地では、ロボット達が主人である人類が到達するのを迎え入れるべく、忠実に働いていた。未調査星に対する超高性能望遠鏡による観測も、依然として熱心に行われていた。太陽系が確認された近在の赤色矮星に対しても、同様の探査と開発の手が伸びていた。
 なお、幸いと言うべきか不幸と言うべきか、探査した限りにおいて異星人もしくは異星人の痕跡は発見できなかった。いかなる地球外生命体も、残念ながら見つけることはできなかった。人類は、孤独を感じた。

 一方では人類全ての革新がどうにか完了し、人類の総人口は70億人に達してほぼ全ての民族が安定増加曲線に入っていた。うち日本国に属する人の数は、おおよそ3億人だった。数字的には、約300年前(1750年)のそれぞれ10倍程度の数字になったことを示していた。この人口は、ライフスタイルの決定的な変化と住環境の大幅な拡大によって、半世紀後には三倍以上に増加すると見られていた。
 地球上の争いが全て消えたわけではないが、圧倒的という以上の科学技術と超物質文明がほとんど全ての問題を押し流してしまい、日本人の繁栄を揺るがすものは当面現れそうにもなかった。人類全体の革新が終了しても尚、日本の経済力は世界全体の3割近くを占めていた。日本の足場は、すでに日本列島から太平洋へ、そして太陽系全体へと広がっていた。
 なお、いまだ日本での技術の革新は続けられていた。研究と発展こそが、日本の原動力だった。副産物の高度な軍事力は、念のための保険や添え物に過ぎなかった。謎の宇宙人の侵略でもない限り、本格的な戦闘はないだろうと言われた。
 そうした文明の象徴たる新世代の恒星探査船が、ラグランジュ・ポイントに白い巨体を露わにする。
 そして新たに船出した巨大な宇宙船には、約200年前に太陽系に飛来し20世紀後半から日本人の中にとけ込んでしまっていた「彼ら」の姿があった。
 無論目的は、数百光年彼方に本星を持つ「彼ら」本隊との「ファースト・コンタクト」だ。

 しかし人類のほとんどは『真実』を知ることはなく、ファースト・コンタクトが如何なる結果をもたらすかは、まだ人類の誰も予測できなかった。





●あとがきのようなもの