●第一部 備考

 ※備考1:北軍と南軍

アメリカ合衆国:北軍、米北、合衆国、アメリカ、ヤンキー
アメリカ連合国:南軍、米南、南部連合、ディキシー

 国力差
1861〜1915/北:南=4〜5:1

 工業生産力(世界=100%)
1860/北:南=15:2 (日本:6)
1880/北:南=16:3 (日本:6)
1900/北:南=18:4 (日本:7)

1910/北:南=20:5 (日本:8)
1920/北:南=20:5 (日本:9)
1930/北:南=19:6 (日本:9)
1935/北:南=12:5 (日本:11)

 工業力は、南北分断により特に北部が南部という市場を失った事による停滞が長引いた。いっぽう南部では、独自の工業を持つ事への機運が高まり、石油開発で南北の経済格差もかなり緩和されている。

 ※人口と移民について
・1861年の総人口
北部/2200万人  南部/900万人(うち黒人350万人)
加州/250万人

・1930年の総人口
北部/6500万人  南部/3100万人
加州/1500万人

※史実での1821から以後百年間の北米への移民者は約3360万人。

 アメリカは主にヨーロッパからの移民により、人口増大が急速だった。しかし、南北戦争と南北分断による混乱のために停滞期が続き、カナダ、オーストラリア開発の進展で欧州移民の一部の流れが変わる。またヨーロッパからの北米移民のかなりが、政治的に安定したカナダに流れた。移民がアメリカ南北を避けたのは、アメリカ南北双方が徴兵制を持ち、両国が深い対立関係にあったためだ。
 しかし、アメリカ南北とも移民者で兵役を受けた者に対する市民権取得の制限を緩めるなどして移民の増加に努めた。そして工業や産業の発達、欧州での貧富の格差や差別の横行によって北部への移民はそれなりに順調だった。一方、時代の変遷により奴隷の使用が無理になってきた南部では、プランテーション維持のため安価な労働力としての移民者の獲得を熱心に行うようになる。流れとしては、南米大陸に近い。このため南部では東欧系、イタリア系の移民が増え、北部のアングロ系、ゲルマン系圧倒的優位とは違う人種的特徴が出ている。加えて南部は、身分制度においても欧州的雰囲気が強く残っている。貴族はいないが、農村領主が地方を事実上支配していた。
 また日本領カリフォルニア自治国では、メキシコ時代から流れてきた日本移民が依然として過半数以上の勢力を持っている。他の主流民族も、ネイティブとアフリカ系、華僑など有色人種が多く、白人は全てを合わせても2割に満たない。しかも白人のほとんどが人種差別を否定するリベラル派によって締められている。また西部沿岸独特の気風もあって、東部とは違う雰囲気を持つようになっている。
 なお、国家が統合されていれば流れていたであろう欧州各地からの移民者は、南北分断によってその一割以上が他の地域(主に現英連邦諸国のカナダ・オセアニア)を移民先として選択している。

※備考2日本帝国の領土と人口

 国土:
本土  : 約38万平方キロメートル
台湾  : 約3.7万平方キロメートル
樺太  : 約7.6万平方キロメートル
南洋  : 約6.5万平方キロメートル
アラスカ: 約172万平方キロメートル
ブルネイ(ボルネオ島):約56万平方キロメートル
(※ブルネイ島: 約72万5,500平方キロメートル)
新奄美大島(パプア島):約77万平方キロメートル

合計: 約361万平方キロメートル

 カリフォルニア自治国:約90万平方キロメートル
 (カリフォルニア:42万3971平方キロメートル)
 (西ニューメキシコ:約48万平方キロメートル)

 他、上海、天津に租界あり。

 合計は、日本本土の約12倍に達する。

 総人口:約6900万人(1930年統計・加州除く)
 人口の過半は、日本列島の本州、九州、四国に集中している。日露戦争後に北海道、台湾、関東州が伸びている。樺太やアラスカは、北に位置しすぎていて人口が極端に少なく開発も始まったばかり。ブルネイやニューギニアもジャングルが多く人口は希薄。
 人口ピラミッドは新興国のためピラミッド型で、1940年代には一億人を突破見込み。
 カリフォルニア自治国は、総人口約1600万人。8割が日系を中心とする有色人種。黒人、ネイティブ、中華系も多く、白人は有色人種を認めるリベラリストが主流。メキシコからの流入も増加中。
 人口増加率は日本が2%、加州が3%。
 日本は、最短で1946年には総人口が一億人を突破予測。
 同時期の加州は2700万人。1949年に3000万人を突破予測。

●第二部「北米三国志」