●その12 北米大戦前夜

 1924年
・米北、「排外移民法」可決。有色人種やカリフォルニアからの移民を禁止。米北で人種差別が強まっている事を象徴。逆にカリフォルニアには移民が増加。南部のロサンジェルスでは黒人人口が大幅に増加。移民拡大によりあらゆる産業発展が継続し、長期間の好景気と発展、そして人口増加が続く。多くの文化や芸術も盛んになり、映画文化、ジャズ音楽などが花開く。
・米南、共和党躍進で民主党と拮抗。政治的に不安定になる。

 1925年
・「第二次ロンドン海軍軍縮会議」。予備会談の段階で決裂。北米大陸での対立が原因。欧州諸国と日本は、新規艦艇を建造するも保有量は現状維持を確認。米北は、陸軍の近代化に平行して海軍の大幅な増強を開始。米南だけでなく、英、西などもつられて軍備増強。日本は震災復興を優先したため、27年まで海軍拡張には転じず。
・米北、不景気対策として企業の政府管理をさらに強化。一部の企業は、日領加州(カリフォルニア)、カナダ、米南などへ脱出。
・米北、経済行き詰まりと石油資源問題(石油産業発祥の地アパラチア油田が枯渇(大幅な採算割れ))、政治の全体主義化によって北米大陸で緊張状態が強くなったことを印象づける。
・中華、孫文没。
・日本、「普通選挙法」。世界で初めて婦人参政権認める。

 1926年
・石油資源国とそうでない国との間の問題が発生。特に対立関係にある米北と米南の対立が再び悪化。
・(初期産油国:米南、英、露、蘭、墨、ルーマニア、日)
・※日本は、カリフォルニア、ボルネオ、樺太、国内油田を保有しメジャーの仲間入り。メキシコの開発も英米南と共同出資。
・米北、中間選挙で共和党がまたも議席を伸ばし8割以上を獲得。
・米南、米北の危険さを世界に訴える。
・欧州世論は、米北の全体主義化、米南の自由主義化、加州の万民平等(八紘一宇)傾向を政治の危険な先鋭化として忌避。
・米北、米南は軍備増強を開始。北米への移民が、徴兵と世情不安を忌避して、カナダ、カリフォルニアに流れる。

 1927年
・独資本が、アラブ領内(南クルド)で大油田を発見。
・加州、総人口1500万人突破。日系は依然として過半数割以上で8割以上が有色人種。近年十年ほどの南北対立の激化に伴い、北米双方からの移民が激増。年3%の人口増加が今後四半世紀続くと予測される。加州での工業化など経済・産業の発展により、欧州からの移民も増加。加州と中南米の資源国との交流も活発化。日本と米南の中間点という立地を強い要因とする経済の好調もあって、カナダを超える『北米国家』として浮上。日本でも日本領加州自治国としてよりも、『加州フロンティア』という呼び名が定着。

・中華、「上海クーデター」。蒋介石が南京政府を樹立。
・米北、諸外国に自由市場制の導入を強く要請。各国は、米北自身の強い保護貿易主義撤廃と南北での軍備削減会談が先だと対応。米北は後清への進出を強化。事実上の宗主国であるロシアに不快感。日英は警戒感を上昇。
・日本、他国に遅れるが同年に海軍拡張を予算通過。新鋭戦艦8隻、旧式戦艦の改造8隻、航空母艦8隻を中核とした『八八八艦隊計画』と発表。反日的な国が非難。米北はさらなる軍拡を翌年度に予算通過。

 1928年
・協商連合、北米大陸での各国の軍備増強に強い懸念を表明。米北は、伝統のモンロー主義を盾に内政干渉と強く反論。日英などは北米地域の自領域の軍備増強で対抗。北米での対立激化。
・中華、北平(北京)占領。共産党以外の中華民国をほぼ平定。
・後清、北方軍閥の張作霖の亡命を受け入れ。中華民国は、後清の後ろにいるロシアを強く警戒。英日などとの関係強化。
・この頃の後清は、皇帝だけが満州族で、国民は漢民族、軍隊はロシア、経済は米北と言われる。しかし十年以上混乱がなかったため内乱が続いた中華民国よりも安定し、産業、軍備も比較的充実。人口も中華中央部からの移民により激増。自信から中華民国との対立を深める。
・11月
・米北、選挙で共和党が圧勝。他の少数政党が形骸化。共和党はハーバート・フーヴァーを候補とする大統領選挙で「マニュフェスト・ディステニー」、「正当なアメリカの回復」を旗印とした。
・米南、民主党と共和党の大連列成立。ダクラス・マッカーサーが大統領に選ばれる。彼は最年少での統合参謀長推薦を断り大統領選挙に出馬する。だが米南伝統の軍人系政治家で、米北の圧力を退けられると強く期待される。米北への恐れで国民が団結。事実上の挙国一致体制へ。

 1929年
・1月、

・米北、フーバーが大統領就任。「正当なアメリカの回復」をアメリカが神から与えられた使命と就任演説で改めて発表し、軍事費の大幅増額を決定。各国が懸念を表明。当初は、軍需傾倒の積極財政であり、数年前から行われている不景気対策の延長だった。
・米南、民主党のダクラス・マッカーサー就任。「アメリカの理想」を守ることが南部の使命だと演説。米北の「マニュフェスト・ディステニー」、「正当なアメリカの回復」を膨張主義、帝国主義、政策自体を全体主義的だと強く批判。米北が反発。
・2月
・米北、「セント・ヴァレンタイン・デーの虐殺」。
シカゴで大規模な暴動。白人と黒人のぶつかり合いで、両者に多数の死傷者。政府は黒人を意図的に弾圧。暴動が米北を揺さぶるための米南の陰謀だとして、米北世論も米南を強く非難。米北の全体主義化を世界に印象付ける。ギャングのボスがヒーローに祭り上げられる。
・3月
・南北米の双方が、互いの政府、政策の非難合戦。
・南北米の双方の国境線で警備強化の名目で軍備増強開始。チキンレースとなる。
・4月
・米南、同盟国各国に関係の履行を強く要求。北米大陸、カリブでの軍事的緊張も激化。米北はさらに態度を硬化。各国の北米大陸への干渉を非難。北米大陸での「ミリタリー・チキンレース」が本格化。
・6月、
フランス、ロシアが北米大陸各国の国際会議開催を提案。
・7月、
南北双方、事実上の国家総動員発令。軍の動員はされないが、戦争経済への移行が主に産業面で本格化。
・8月、
キューバで大規模な暴動。ドイツ軍が本土から大軍を派遣。連動して各国も北米への軍備増強進む。
米北が北米大陸の欧州不干渉を盾に強く反発。ドイツと米北の関係悪化。ドイツはキューバの暴動が、米北の政治工作だと発表。
・9月、
・英国と日本、北米大陸に領土を持つ国々が南北米に提言。自らを含めた戦争回避のためのあらゆる努力を求める。
・日本、南北米で軍の動員が行われた場合、カリフォルニア自治国(加州)への本国からの大軍派遣の用意があることも合わせて表明。米南は好意的ながら、米北は強く非難。
・英、カナダ政府の軍及び政治の独自裁量権を強める。
・10月、
・「モントリオール会議」。英仏仲介の南北外相会談が物別れ。
・米南(以後南軍)、カナダで兵士の動員開始。米北(以後北軍)も総動員を発令。



●その13 北米大戦前夜