●その13 北米大戦 前半

・10月24日、「暗黒の木曜日」
・北軍が「正当なアメリカの回復」を理由に南軍国境を総攻撃。初日から、激しい砲撃戦と制空権獲得競争が行われる。しかし互いに地上侵攻は行われず。
・「第二次南北戦争」勃発。米南との二国間攻守同盟により英が参戦、日英同盟に従い日本も宣戦布告。協商各国も北軍との交流を最低限とし、特に貿易はほぼ断絶。各陣営が旗幟を露わにせざるを得ず、後の外交文書では「世界大戦」と呼称される。
・英と日は、南部と共に「連合軍」を編成。各国との外交を活発化。同時に東アジアの安定化と中南米諸国の取り込みを画策。

 ※各陣営
・協商連合=英、日、米南、仏、伊、西、ベネルクス、中華
・新三国同盟=独、墺、土
・北方枢軸=露、米北、後清

・初戦は、北軍が奇襲に成功して南軍大西洋艦隊が壊滅。南軍東部沿岸の海上封鎖開始。しかし長大な野戦要塞化された国境線では、初日から砲撃戦を主体とした要塞戦と塹壕線となり戦線膠着。一週間の砲撃後に北軍が進撃を開始するが、南軍の徹底した防御戦により攻撃側の北軍に大損害。南軍部隊は世界中の友好国の兵器の博覧会状態となり、南軍陣地に突撃した多数の北軍将兵がその犠牲となる。
・世界中の列強で程度の差こそあれ戦争体制への移行が始まる。また南軍は、欧州各国並びに日本に大量の戦争物資を発注。日英でも自国需要のため戦時動員始まる。欧州各国と日本では戦争特需が発生。

・11月、
・北軍、英国の参戦に伴いカナダ主要部に電撃的侵攻。北軍は南軍と全面激突していると見せかけ、秘密裏に機動予備を北部国境に移動。
・兵力差(三倍以上)と機械力を大規模に用いた電撃的奇襲攻撃となったため、在カナダ英軍は一週間で戦線崩壊。南軍への攻撃は、国境線配備の戦力での攻撃でしかなかった事が判明。北軍の巨大な軍備が初めて確認される。
・同じく太平洋戦線でも、加州に北軍の奇襲攻撃発生。しかし加州日本軍はこれを撃退。逆に有利な地点まで進撃。日本の反北軍感情が大きく上昇。加州政府は総動員を発令。
・「東太平洋海戦」
・日本は艦隊決戦に勝利。北軍は太平洋方面での作戦も失敗。いち早く日本が大規模な艦隊を北米大陸西岸に派遣したため。戦闘後に日本北米艦隊は、カナダの英連邦軍と共に劣勢な北軍を海上封鎖。太平洋での通商破壊封じ込めが狙い。
・ロシア、外交や貿易面など北軍寄りの姿勢を強く示していたため、連合軍だけでなく独、墺、土の新三国同盟が非難。東欧での対立が再び表面化。協商連合は新三国同盟に接近。ロシアは、対ドイツの協商関係の履行を各国に求めるも不調。日本もロシアとの関係を冷却化。逆に協商各国は、ロシアに北軍との関係希薄化を求める。フランス、イタリアが各国の窓口となる。
・後清、北軍資本の影響が強いため北軍支持。中華民国内の親清派軍閥ばかりか共産党支援も強め、中華民国が後清の姿勢を非難。中華民国には協商側が付き、万里の長城を挟んだ対立深まる。
・北軍、対戦国に対して通商破壊戦開始。太平洋、大西洋各地で商船の損害が発生。日英海軍は対応に追われる。

・12月、
・年末に日本本土からの増援が続々とカリフォルニア及びバンクーバー入り。南軍では「東洋からのクリスマスプレゼント」と言われる。カリフォルニアでの初期動員もほぼ完了。西海岸での戦力差が圧倒的に北軍不利となり、北軍中西部諸州に大きな動揺。

 1930年
・1月
・カナダに英本土からの本格的な増援の第一陣が到着。しかし北軍の潜水艦に増援船団が大損害を受ける。北軍は、事実上の無制限通商破壊を実施。国際非難高まる。
・北軍、南軍都市部を初めて爆撃。飛行船多数を使用。「空中艦隊」と呼称。地上を砲撃する空中戦艦や、艦載機を搭載する空中空母も登場。無制限通商破壊に加えて無差別爆撃まで実施。国際的に北軍が「悪」だと断定される。
・南軍、報復としてボルティモアを初めて戦略砲撃。超長射程列車砲による戦略砲撃始まる。ワシントン前面のポトマック河では砲撃合戦が始まり旧首都ワシントンの周辺部が荒廃(中枢部は双方手を付けず)。
・「ロンドン会議」。
・ロンドンで北米大陸での戦争早期終結のための国際会議開催。北米以外の各列強が出席。実際は、戦争を北米大陸以外に波及させないのが主な目的。

・2月、
・北軍、カナダ方面で不要になった戦力をシフトして、南軍の東部戦線(主戦線)に対して大規模な本格的攻勢。しかし総動員を終えた南軍の防衛線を突破できず。また南軍が、開戦初期の攻撃で判明した弱点を克服していた事も影響。北軍に南軍の倍以上の人的損害が発生。戦闘は要塞を中心にした塹壕戦よりは歩兵中心の運動戦となるが、結局交通の要衝を互いが譲らないため戦線は動かず。近代戦の恐ろしさを実感。
・初期の動員数は北軍650万人、南軍350万人。それぞれ総人口の約一割に当たるが、戦線を形成する塹壕戦を行うには互いに兵力不足と認識。これに加州の80万人、カナダの50万人が加わる。北軍の戦力は各地に分散しており、数イコール戦力と言えなかった。
・長い国境線をひとつながりの戦線とするも、大きくテキサス、ミシシッピ、アパラチア、そして東部沿岸(メインステージ)の4つの戦場を中心に戦線を形成。大規模戦闘が行いにくいロッキーでは小競り合い程度。西海岸地域では、初期の戦闘以外は双方ともに航空偵察程度でフォニー・ウォーと呼ばれるが、南軍中西部の防衛は日本軍が負担。
・「伊墺平和条約」。
・ロンドン会議中に、オーストリアが自らの国家連邦化の過程の一つとして、「未回復のイタリア」に関してイタリアへの売却という形で応じる事が決まる。オーストリアのイタリアとの関係回復と、国内でのイタリア民族の切り離しと動員費用捻出が目的。戦争回避の努力と欧州各国の歩み寄りの象徴とされる。

・3月
・「ダイナモ作戦」。英軍、ハリファックスよりニューファンドランド島に撤退。英海軍の総出撃のため北軍阻止できず。カナダ中部でも英軍は北西部の奥地に押しやられる。北軍はカナダ中枢部を完全占領。南軍に動揺。ロンドン会議は、全会一致で北軍を侵略国家として非難決議採択。
・英、カナダ防衛及び奪還のため、志願制から選抜徴兵制度に移行。英での動員開始に欧州各国が緊張。
・北軍、『星条旗』をアメリカ合衆国の国歌に制定。愛国心による団結を強化。全体主義傾向強まる。

・4月、
・「ロンドン条約」締結。南北戦争早期終結で一致。また欧州各国での戦時動員に関する取り決めが決まる。
・仏を中心とする非参戦の欧州各国が、改めて南北戦争参戦国に停戦と平和会談を提案。受け入れさせるために、一部の国では北米周辺部への軍備増強も開始。北軍は強く非難。
・北軍、飛行船による空中艦隊に壊滅的打撃を受ける。以後半年近く南軍への戦略爆撃を停止し、固定翼の重爆撃機量産を開始。

・5月
・「無制限通商破壊宣言」。北軍、北米大陸並びにカリブ海に向かう船舶への無制限攻撃を宣言。潜水艦を用いた通商破壊戦を大規模に開始。欧州各国に強い反発。
・イギリス、軍の動員強化とカナダへの大幅な兵力移動増加を決定。北軍との全面対決を閣議決定。
・イギリスの戦時動員にドイツが動員の予備命令発令を各国に通達。ロシアが強く警戒。連鎖的にオーストリアがロシア、イタリアがオーストリア、フランスがドイツへの警戒を強め欧州での戦乱の機運が上昇。特にロシアと新三国同盟の関係が悪化。日本でも動員強化が開始。各国とも「ロンドン条約」を守り通知や相互連絡を密にしたため、欧州戦争のような連鎖的戦争にはならず。取りあえず教訓が活かされる。

・6月、
・ロシアと新三国同盟、東欧での事実上の大軍同士の睨み合い始まる。しかし各国の自制と東欧の新たな緩衝国家が効果を発揮。
・北軍はロシアの動員支持を表明。英仏日を中心とする協商側が新三国同盟と歩み寄り、ロシアは態度を硬化。ロシアは対北軍の戦争特需で湧く中で、「ノーザン・アクシズ」への傾倒を強める。

・7月、新三国同盟とロシアが初期動員をほぼ終了。以後大軍同士が睨み合う状態が長らく続き、互いに国庫と国力をジワジワと圧迫。
・夏頃、通商破壊の被害激増。北米に足場を持つ日英は共に海上護衛強化を本格化。欧州各国も南部への貿易や援助のための軍を強化。北軍の海上封鎖体制へ移行始める。日本海軍、船団護衛と潜水艦制圧に航空母艦を活用して効果を上げる。

・9月〜、独領キューバでドイツ軍艦沈没事件。
・ドイツ、北軍のテロだと強く非難して対北軍宣戦布告に踏み切り連合軍に参加。新三国同盟と協商連合が大きく歩み寄り。北軍の孤立感高まり、ロシアは政治的に混乱。欧州への戦乱波及を各国が懸念。

・10月、
・開戦から一年が経過。北米大陸での戦闘は、遮蔽のない平原での運動戦と中小規模の会戦の連続、が結局双方に大損害をもたらすだけに終始する。半世紀かけて作られた南北双方の巨大要塞は一つも落ちず、戦闘に異常なほどの膨大な物資を用いるも完全に膠着化。戦略攻撃である地域爆撃(無差別爆撃)と通商破壊戦のみ活発となる。また南北国境線は、砲撃戦でひどく荒廃。要塞都市以外は月面のような姿となる。
・ニューファンドランドには、北軍の無軌道な破壊に対して英国を始め欧州各国軍がねばり強く進出を強化。「キャメロット」と呼ばれ、反撃の機会を狙う状態が続く。

・11月、北軍中間選挙。北軍全体の「アメリカ統一」機運が高いことを知らしめる。しかしフーバー大統領の支持率は大きく低下。戦争が長期化し、短期決戦で行えなかった事が原因。

・12月、「バトル・オブ・サザンクロス」開始。北軍固定翼機による南軍都市の戦略爆撃を開始。南軍の属する連合軍は、当面は徹底した防空戦と対北軍の海上封鎖で対抗。この頃には、全連合軍の航空機が南軍の空で見られるようになる。
・連合軍の対北軍海上封鎖により、ロシア船が北軍の港に入ることが難しくなる。ロシアは、攻撃を受ければ反撃すると強く警告。しかし実際は、ロシアは連合軍(協商)寄りの姿勢を強めていく。

 1931年
・1月、
英、マクドナルド挙国一致内閣成立。カナダの完全奪回を改めて宣言。欧州各国にも協力求め、北軍占領下のケベック住民の救出を理由にフランスが同調。
・春頃、北軍の大西洋での通商破壊がピークに達する。英独を中心とする海上護衛体制の構築が急ピッチで進み、南軍及びニューファンドランドへの海上交通維持が命題とされる。太平洋ではビクトリア湾の封鎖と沿岸部の継続的な攻撃が効果を上げ、太平洋は連合軍の海となり「天皇の浴槽」と言われる。

・4月、ロシア、北軍との貿易自粛を発表。連合軍の監視を通った人道的物資に限るようになる。代わりにロシアと連合国は相互の貿易の拡大で合意。北軍は翻意を訴えるもロシアは退ける。主な理由とされたのは、北軍の現体制が国家社会主義的であり、ロシアの立憲帝政と相容れないため。

・6月、「フーバー・モラトリアム」。ロシアの実質的裏切りと表面上一向に好転しない戦線膠着から、北軍国内で沈滞機運が蔓延して大統領の支持率が大きく低下。このため次の選挙まで以後のフーバー政権の「猶予期間」と言われるようになる。しかし兵力差から、北米大陸内での北軍の優位は動かず。

・8月、「ノルマンディー号事件」。仏豪華客船が謎の沈没。事故と言われるが、北軍潜水艦による撃沈疑惑が欧州世論を席巻。仏世論が対北軍参戦に大きく動く。

・9月、「満州事変」。後清首都奉天でクーデター未遂事件。ロシアの傀儡政権打倒を標榜した一部国粋主義者と軍人による武力蜂起。クーデターは失敗し、かえって現政権による挙国一致体制が強化。後清は中華民国の謀略だとして、長城線での双方の軍のにらみ合いが強まる。

・11月、中華民国内の瑞金にて中華ソヴィエト共和国臨時政府樹立。中華民国内の混乱が広がる。
・ロシアと新三国同盟の間で、東欧国境線での兵力削減について合意。通告と相互監視により、少しずつ動員解除が進む。

・12月、英、「ウェストミンスター憲章」。北米の戦前への復帰による終戦を提言。合わせてカナダの完全奪回を誓う。

 

※この年の北米大陸での動員兵力総数は、各国合計で2500万人に達する。うち一割は、北米外からの派兵兵力。なおこの年の南北アメリカ、カナダ、カリフォルニアの総人口は約1億2000万人。
※一方、東欧での動員はロシアが600万人、新三国同盟側が500万人程度となる。他日英がそれぞれ300万人程度を動員。中華地域は、正規兵は合計200万人程度。圧倒的多数の民兵を加えた総数は不明。欧州の他の国は、多くても人口の2%程度を動員したのみを維持。全世界での兵力数は5000万人に達する。



●その14 北米大戦 後半