●フェイズ11「次なる世界に向けて」

 国際連盟再編以後、世界はそれなりに平穏だった。しかし、完全に平穏だったわけではない。
 アジアでは、中華民国内では汪兆銘(汪精衛)の死後に出口のない内乱状態が再発していた。ヨーロッパでは、ドイツとポーランドが国境問題を加熱させつつあった。東ヨーロッパの中小国家間でも、対立や摩擦は激化しつつある。社会主義国家ロシアと他の国々との対立もある。列強と各植民地の関係も、年を経るごとに悪化の一途を辿っていた。
 しかし「日中紛争(支那事変)」の影響で、国家間の戦争は避けるべきだという感情が欧米諸国で再び台頭し、戦争が起こる気配は表面上なかった。
 欧米を中心にして、かつての戦乱、混乱の元凶である植民地帝国主義、保護貿易主義については、多少は改めるようになった。英連邦の改変による白人連邦諸国の完全独立がその象徴だろう。加えて、インド、エジプトでも自治権は拡大されている。そして世界各国の話し合いにより、自由貿易に関しての話し合いも少しずつ実を結ぶようになっていた。
 ドイツやイタリア、日本などの「持たざる国」の工業国が1930年代ほど騒がなくなったのは、そうした世界各国の努力と歩み寄りの結果でもあった。世界が「グレート・ウォー」と1929年の大恐慌からようやく立ち直ったからこそ、歩み寄りと壁の高さを下げる動きが出来たとも言えるだろう。
 1940年代の世界経済の平均成長率は平均3〜4%で安定し、欧米を中心にして戦乱なき世界、安定と発展という考えが広まりつつあった。しかし一方では、ある種の逼塞感と停滞感も存在した。その原因の一つは、日本にあった。

 日本帝国は、1940年代前半で唯一大規模な戦争を起こした列強だった。大規模な軍隊の編成、国内の戦時体制などを「グレート・ウォー」以来初めて行った国となった。
 そして「グレート・ウォー」がそうだったように、戦争により日本の軍備は大きく前進して近代化され、また大規模な投資と戦争の結果、新しい技術、戦術が誕生した。
 戦術面だと、陸軍の機械化部隊、海軍での空母機動部隊がそれぞれ誕生して運用された。空軍力による、大規模な戦略爆撃も実施された。また、電波で相手の動きを捉える技術と手段も誕生・発展した。日本では空軍こそ設立されなかったが、航空隊の規模は大きく拡大された。少なくとも1945年段階では、日本は世界最強の空軍力を保有するようになっていた。
 諸外国でも、理論面、技術面では日本より進んでいた事は多いのだが、実際兵器や部隊として使える形にまで持っていったのは、殆どの場合日本軍となった。多くの事が、莫大な軍事予算を投入する事態、つまり大規模な戦争がなければ出来ないことだからだ。
 兵器の開発も同様で、平時予算では出来ることは常に限られていた。しかし日本は、限定的だったが大規模な戦争を行い、軍隊に莫大な投資を実施した。
 この結果、日本陸海軍は1945年に世界に先駆けて、2000馬力の空冷エンジンを搭載した航空機の実戦配備を開始する。航空先進国のアメリカですら、全く出来ていない快挙だった。加えて、戦争中に日本の航空産業は大きく拡大し、航空各社の規模も大きくなった。輸送機、旅客機開発も大きく進み、アメリカほどではないがヨーロッパ各国に匹敵するほどの性能を有する機体が、各航空メーカーで開発・生産されるようになっている。川西飛行機が生産した、民間用の「三式大艇(晴空)」は世界水準を大きく上回る旅客用飛行艇だった。
 しかし当時の日本は、好意的に見ても新興国だった。戦争を経ても先端技術、一般量産技術のほとんどが欧米に及んでいなかった。2000馬力の空冷エンジンを開発・量産したと言っても、周辺技術が追いついていないのが日本の現状だった。何しろ、航空エンジンを作る工作機械の大半は、依然として欧米製だ。
 地上兵器でも、日本陸軍は戦車を中心にした先進的な機械化部隊を縦横に用いることで、中華民国軍を一方的に粉砕した。だが、その装備を見ると、機械的には実に心許なかった。輸送の多くを担うトラックは、国産品だと採算度外視の高精度製品を使った一品生産で、大量生産品とは言い難く、しかも実質的な数の主力はアメリカから輸入された車両だった。
 戦闘の主力となったと言われる戦車も、「九七式中戦車」は確かに列強水準に到達した戦車だったが、それ以上ではなかった。機械的信頼性も、戦闘力に遙かに劣ると言われるアメリカの「M2軽戦車」以下だった。戦車の性能なら、依然としてフランス製、イギリス製の戦車の方が性能は高い。軍備制限が解除されたドイツにも、すぐに追い抜かれると言われていた。
 それでも、中華民国軍がロシアから輸入した戦車と日本の「九七式中戦車」、「九五式軽戦車」が実戦を経験することで日本のアドバンテージは増えていたし、戦車同士の戦いを想定した新型車両が日本陸軍では開発された。紛争中に投入された「一式中戦車」も、他国と比べるとかなり優れた点も見られるようになった。他国の戦車は、基本的に歩兵支援用の戦車だという点を考えると、日本軍の先進性は疑うべくもない。
 しかし工業大国のアメリカは、相変わらずの軍事費圧縮のため、まともな戦車を開発していなかったので比較が難しい。戦車を比較的熱心に開発していたのは、フランス、イギリスぐらいで、ドイツは1945年にようやく規制を解かれて開発が始まったばかりだった。ロシア、イタリアは既に日本より工業力で劣るようになっていたので日本の方が上回るようになっていたが、要するにその程度だった。
 日本の軍備のうち、世界が本当に恐れているのは海軍力だけだった。満載7万トンを越える超巨大戦艦、多数の高速空母などは、間違いなく世界最先端の兵器だったからだ。
 そして世界全体で見ると、「グレート・ウォー」以後大規模な戦争をしたのが新興国の日本であって、もっと強大な列強でない事が一つの問題だった。
 民間技術はともかく先端技術、軍事技術の多くについては、「グレート・ウォー」以後緩やかな進歩に止まっているというのが科学者や一部技術者の意見だった。
 一部先鋭的な意見を採用すれば、莫大な投資環境が存在していれば、1945年の時点で核分裂反応を利用した革新的な爆弾もしくは動力炉が発明、開発されていると言うことになる。航空機の開発も、2000馬力級空冷エンジンではなく、当時ドイツなど一部で研究が行われているに止まっていたロケット又はジェットエンジンが既に実用化されているとされる。また経済学者は、1940年代に「グレート・ウォー」に匹敵する戦争が勃発していれば、世界の総生産高は少なくとも150%、最大200%の増加もあり得るという予測数字を示した。
 大規模な戦争とは巨大な生産と浪費が行われ、新規技術も開発されることは「グレート・ウォー」でも立証されているとはいえ、これは余りにも飛躍した考えと言えるだろう。

 そして革新論者の中で最も危険な意見が、植民地帝国主義の終焉だった。
 1910年代に起きた「グレート・ウォー」により帝国主義にヒビが入り、世界で最も広大な勢力圏を有したイギリスは、1931年のイギリス議会におけるウェストミンスター憲章(Statute of Westminster)で、「英連邦=ブリティッシュ・コモンウェルス (the British Commonwealth) 」を成立させている。
 各地の独立運動も盛んになったし、「グレート・ウォー」の結果ヨーロッパでの民族自決は進んだ。
 1930年代又は40年代に大規模な総力戦が起きれば、これと同じ事がさらに拡大された形で発生する可能性が存在したというのだ。
 もっとも、こうした理論と意見には決定的な点が欠落している。そもそも「グレート・ウォー」のような戦争が起きる可能性が、世界のどこを見ても存在しないという事だ。
 確かに、世界に混乱をもたらしかねないファッショ(全体主義)はある程度台頭したが、一部国家での事象に止まった。社会主義よりも遙かに急進的な共産主義という政治的概念は、余りにも危険過ぎるため政治的に台頭する前に衰退していった。
 実際発生した最大規模の戦争も、日本と中華民国との間の局地戦争に過ぎない。世界の列強のほとんどは揺らぐことはなく、平和を維持し続けた。それが20世紀を半分越えようとしている現在の結果であり、今のところの結論である。
 世界は多少寄り道をしながらであるが、賢明な選択をとり続けている。今後も同じだとは限らないが、「グレート・ウォー」ほどの巨大な戦乱が安易に起きる可能性は低いし、起きそうになれば世界中の国々が阻止しようとするだろう。
 それが近代社会であり、世界規模化が進んだ世界の姿である筈だからだ。
 そうした視点から見れば、日本帝国と中華民国の戦争こそが今後のテストケースであり、世界の潮流からは少し外れていたと見るべきだろう。





●あとがきのようなもの