◆南洋諸侯国
政治 主権は天皇にあるとされているが、それぞれの地域は、江戸時代から続く諸侯達がそれまで同様領主として統治しており、そこに新たに明治政府による官僚と議会が持ち込まれ、政治的形態を形作っている。 また、諸侯国として行政単位としてひと括りにされているが、実際はそれぞれの島々や地域によりバラバラに統治されており、古式騒然たる様相を見せている。 近年、この体制にも無理が出てきており、改革が叫ばれているが、もともと暢気な風土もあり、実現にはほど遠いの実状である。 また、人口も少なく政治的重要度があまり高くない地域が多い事から、日本帝国政府も制度改革にあまり熱心ではない。
文化 古来からある先住文化の上に、日本文化がかぶさり、融合して現在の南洋的日本文化が各地に形成されている。 また地域的には、苅麻侯国、マリアナ侯国、パラオ侯国、トラック侯国、軍将侯国、豊南侯国、入武侯国に分かれており、それぞれの侯国において同じ南洋文化ながら微妙に違う色彩を帯びている。
産業 苅麻侯国に大油田と入武侯国銅鉱山があるが、それ以外に大きな産業と呼べるものは少なく、漁業やコプラなどの栽培が行われている以外は、自給自足的な状態となっている。 しかし、苅麻侯国のブルネイ油田は帝国の数少ない国内油田であり、生命線の一つとして非常に重要な位置を占めている。 また、こうした地域格差がある事から、最近では行政的にも分離独立を訴える侯国があり、日本帝国政府はその対応に追われており、分裂は時間の問題と言われている。
歴史 15世紀以前は、西太平洋全域は、各島々に住む先住民族がそれぞれに生活する場所でしかなかったが、16世紀に入り、スペイン、ポルトガルが足跡を印し、またその前後にアイヌが交易拡大を図るべく全太平洋地域へと進出、さらに1595年勃発の文禄の役により日藍によりその支配権が確立され、その後西太平洋地域が日本の江戸幕府に主権が認められ、以後その大半の地域は江戸幕府の直轄地域として統治されていた。 18世紀に日本本土にて移民熱が高まると、これらの地域も土地としては狭いながらもその対象とされ、移民省による開発が積極的に展開され、大侯も封じられそれぞれが江戸幕府の封国のとして成立した。 その後、明治革命で日本帝国が成立すると、この地域の有力者の既得権を認めた上で、一つに統合され、「南洋諸侯国」が成立した。 以後、今日に至るまで、諸侯たちによるゆるやかな統治が行われている。