◆オーストラリア連邦
正式国名 オーストラリア連邦共和国
総人口 3600万人(百万単位以下四捨五入)
日系人構成比率 63%
首邑 キャンベラ
元首 英国国王
首相 内閣総理大臣
国家形態 立憲君主制



●特徴
地理
 南半球のオーストラリア大陸の全てとその周辺のいくつかの島々より構成されている。
 大陸は、北部の亜熱帯地域、中央部の乾燥地域、南部の温暖な地域に大きく分ける事ができる。
 また、東海岸に山脈があり、そのため東海岸全体は比較的温暖で、大人口をかかえている。
 大陸全土にさまざまな豊富な地下資源があり、その開発が急速に進んでいる。

政治
 総主権は大英帝国にあり、元首は英国国王で、オーストラリア自体には内閣総理大臣があり、これを中心にした立憲君主制度を布いている。
 政治形態は、英国本国を基本としているが、憲法がしっかりと制定されているのがその違いとなっている。
 また移民の国なので、その風土は自由の気風が強く、地方自治にも大きな権限が与えられており、それが国民の多数を占める日本的なものを守っている地域も多々存在する。


文化
 国民の半数以上が日本人と日系人で占められているが、総主権は英国の手にあるためやや複雑で、民衆レベルの文化は日本文化主導で、政府レベルでの文化は英国主導となっている。また、日本人とともに多数移民してきている、インドネシア人も無視できない勢力を持っており、この国の多面性を広げている。
 公用語は、英語と日本語、インドネシア語が認められている。
 なお、17世紀以前の先住民族の文化は、伝統芸能レベルでしか残っていないし、その多くが日本人と同化してしまい、純粋なアボリジニ人はほとんど残っていない。


産業
 18世紀半ばより、日本人により北東部を中心に農業が発達したが、19世紀に入ると各地に色々な資源が発見されてからは、そちらに開発の重点が移され、20世紀に入るまでは、英国、日本に対する資源供給地域として機能していた。
 20世紀に入り、国内の近代産業も少しずつ興っていたが、第一次世界大戦を契機として、英国の後方拠点として大きく発展し工業化に成功、以後南半球唯一の工業国家として発展している。しかし、その産出される資源があまりに多い事から、依然として英国、日本に対し、たくさんの資源が輸出されている。
 また、農業も南部の平原を中心に盛んで、これらの多くも輸出されている。
 このため、非常に豊かな国となっている。


歴史
 1500年代以前は、先住民アボリジニが狩猟・採取による生活を続けていた。
 その後、パプアやインドネシア、中国などとの交易が始まり、オーストラリア大陸が世界に知られるようになっていく。
 1521〜32年頃、オーストラリアを最初に訪れたヨーロッパ人(白人)ポルトガル人が「発見」したが、たいした注目も浴びずそのまま過ぎる。
 16世紀後半にアイヌ人がこの地を訪れたが、交易相手や物産をほとんど確認できないので、取りあえず北部に拠点だけ築くが、ほぼ放置される。
 1600年代に入り、日本人が全太平洋に進出し、改めてこの大陸を発見し、「大和島」と命名。
 その後オランダが進出しようとしたが、これが日本人の目をこの地に向けされる事になり、日本は軍事力をもってオランダ人を撃退。以後、領土下を宣言する。
 1715年に日本、大和島(オーストラリア大陸)移民が開始される。そして、1732年には、大和島(オーストラリア大陸)移民が本格化する。以後一世紀近くかけて大陸北東部地方を中心として日本人による大規模移民と開発が始まる。
 1770年イギリス人探検家キャプテン・クックが現シドニー郊外のボタニー湾に上陸し、東海岸を調査、1785年その一帯を「ニュー・サウス・ウェールズ」と名づけ、英国王室による領有宣言したが、その後日本人が多数進出している事がわかり、以後同地域は共有の雑居地となる。
 1788年に英国による本格的な入植が始まる。
 1824年のペナン沖海戦とその後の日本との交渉の結果、大陸全土が英国に割譲され、以後オーストラリアと改名され、1829年正式に英国の領有宣言が出される。
 以後も日本、英国双方の移民を許していた事から、移民と開拓が続き、両者は混在しつつも特に大きな問題に発展する事なく共存関係が築かれる。
 1901年オーストラリア連邦成立。イギリスの自治領となる。
 その後、第一次世界大戦を契機として、英本国からの逃亡資産もあり、工業化など産業の発展が促進され、大戦を終える頃には工業化に成功。
 大戦後は、英連邦の一部でありながら、ある程度独自外交を展開し、南太平洋最大の「国」として発展を続けている。特に大戦後は大きな軍備が建設され、注目を集めている。


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