■長編小説「虚構の守り手」

●第二章「混沌」(1)

  一九四四年十一月十六日 四国沖

「全艦、第二戦速。取り舵二十度」
 海の男特有の銅鑼声が闇の中響きわたる。
 号令により、戦艦「大和」および、付き従っていた一個駆逐隊で構成された小さな艦隊は、黒潮の荒波が強まっている四国沖の海を切り裂いて進んだ。
 四国沖は、帝国海軍にとってはホームグラウンド、かみさんの腹の上よりも勝手知ったる場所だった。最低限の命令さえ下せば、あとは熟練した乗組員たちがそれぞれの艦艇と、複雑な運動を必要とする艦隊を手足のよう操っていく。それは管弦楽団のようであり、訓練されたマスゲームのようでもある。
(だが、それは相手も同じ事)
 「大和」艦長有賀幸作大佐は、強気の仮面をかぶりながらも、出来ることなら戦闘を避けたいと願っていた。
 だが、これから相対する人物の説得するにしても、その手段もはがゆいほど限られていた。しかも、戦闘を決断すべき時は刻一刻と迫り、だいいち相手が、なぜ今回の愚挙に賛同したのか不明だった。
 相対速度で時速七十キロメートル以上。二十キロあまりの距離など十数分。夜間砲撃戦を行うなら、今すぐに命令を出しても遅いぐらいだ。
 艦橋に詰める者たちも時間がない事を知っており、有賀に視線を注いでる。
 視線に押されるように彼も決意を固めた。
「全艦砲雷撃戦用意。ただし、こちらから絶対に発砲するな。それと全ての通信手段および連絡手段で『停止せよ、今なら間に合う。馬鹿な真似はするな』と打電し続けろ。近づいたら発光信号も指示する」
 有賀の命令に部下達が動き、命令を終えた通信長が周りに聞こえないように問いかけてきた。
「先行する「雪風」は発光信号で説得を続けているようですが、逆に説得の信号を送ってきているそうです」
「そうか。まったく、アメ公みたいな近距離無線があれば相手の声も直に聞けるになあ。せっかく停戦したんだ、技術協力や供与があれば真っ先に全艦艇に揃えたいもんだな」
「はい、全く同感です」
 二人の小声の会話の間も、「大和」は戦闘準備を着々と整えていた。各所からも伝声管や電話を使って次々に報告が届く。そして報告を受けた有賀が、さらなる命令を発した。
「第四戦速まで増速。距離一五〇(15000メートル)以下まで詰めるぞ。そうすれば相手もむやみに撃ったりできまい」
 だが、それはこっちも同じ。しかもこちらから撃たないということは相手以上に不利だな。
 心の中で言葉を続けながらも、接近により相手が躊躇してくれるのならと、淡い期待を抱かずにはいられなかった。
 何しろ彼らの逃亡先には、自らの乗艦を修理する施設はない。つまり、できるなら無傷のまま突破したいはずだから、向こうも可能な限り交戦は避けるはず。
(畜生、冗談じゃないぞ。世界最強の「大和」と「武蔵」が最初に砲火を開く相手が互いに向かってだなんて)
 交戦の可能性を考えると、むしょうに理不尽な気持ちになった。
 なぜ皇軍相打つ事態になったのだろう。
 何が悪かったのだろうか。
 だが、理由を考える時間は、相手が与えてくれなかった。

「敵艦発砲! 斉射を確認! 距離一六〇(16000メートル)」
 見張員が絶叫した。しかも見張員は相手を敵と断言している。
(畜生、どいつだ、命令を出したのは。鉄砲馬鹿か、それともチョビ髭野郎か!)
 心の奥深くで悪態をつきながらも、反射的に自らの刃を抜き放つことを命令する。
 だが、頭の片隅は理不尽な怒りと混乱が渦巻いていた。しかしそれも「武蔵」が放った、いや「大和級」戦艦が「敵」に対して放った最初の砲弾が、「大和」の周囲に落ちるまでだった。

 ドドドッ!
 何百発も雷が落ちたような形容しがたい音の暴風と、満載七万トン以上の巨体を木の葉のように弄ぶ衝撃が、夜間指揮のためスタッフが詰めていた第二艦橋を襲った。分厚い防弾ガラス越しにきた衝撃波も格別だった。
(大丈夫、直撃はない)
 圧倒的破壊力を前にしても、開戦以来常に最前線にあった戦士としての思考が、有賀に冷静な判断をさせる。同時に、兵器の一部となることも強要していた。
「損害報告!」
「こちらも発砲急げ!」
 もう、余分な思考を弄ぶことなく、口と頭脳は次々に目の前の戦いを構築していく。数十年にわたる訓練と実戦経験の発露といえば聞こえが良いが、ただの条件反射とも言えた。
 そして有賀の戦士としての態度に応えるかのように「大和」も発砲した。
 戦闘開始当初から、四十六センチ砲の安全距離を切っている。先端部を灼熱化させた砲弾が届くまで三十秒ぐらいしかない。最初に一撃を浴びせかけた方が勝負を決めるだろう。
 何しろ口径四十六センチ、重量1460キログラム、初速780メートル/秒、45000メートル/トンオーバーの運動エネルギーなのだ。
 たとえ日本刀並の強度と柔軟性を与えられた410ミリの特殊合金の装甲を施していようとも防げるものではない。
 双眼鏡を掲げた有賀の目にも、音速を遙かに超える速度で先端部を赤黒く発光させた砲弾が、闇夜にも鮮やかに低い弾道を描いて十六キロ先の闇の塊に向かっていくのが見えた。
 相手が自らの爆炎の中から第二射を放つのも。
 相手の発砲の瞬間、「武蔵」の姿がクッキリ浮かび上がった。しかしその時、彼女の砲口がこちらをにらみつけているように感じた。戦慄に近い感覚、そう野獣に喉元を噛みつかれるときの感覚とはこんなものだろう。
 だから有賀は叫んだ。
「次は当たるぞ! 応急班は準備しろ!」
(そう、相手は意外に熟練している。やはり、直前の訓練の成果か?)
 叫びつつも有賀の思考は、冷静な分析も忘れなかった。
 そして、予想した以上の衝撃が襲来する。
「っ!!」
 直撃だ。最初とは比べものにならない衝撃と轟音が全艦を襲った。
 これこそが四十六センチ砲弾の破壊力だった。
 だが、「大和」は屈していなかった。相手が世界最強のモンスターなら、こちらも全く同じ姿をしたモンスター、しかも長兄だ。
 「大和」は、命中しなかった砲弾が作り上げる真っ赤な水柱の間を縫って健在な姿を見せる。艦の中央部から黒煙を吹き上げていたが、力強さは全く失われていなかった。
 その証しに、自らも圧倒的破壊力を誇示するように主砲が火焔を噴き出す。
 距離の問題からかまだ敵砲火に襲われていなかった護衛の駆逐艦から、一瞬歓声があがったほど絵になる景色だった。
 しかし命中弾を浴びた「大和」艦内では、それどころではなかった。被弾した部所では、阿鼻叫喚の地獄絵図すら現出していた。
「損害報告!」
「右舷探照灯、衝撃で全損。負傷者発生」
「右舷高角砲、二番、三番大破。死傷者多数」
「敵砲弾一発が右舷中央部装甲帯を貫通。第二主機室全損。死傷者不明」
「右舷発電用ディーゼル損傷。機能低下」
「了解。速度も落ちるな……オイ、「武蔵」以外の連中は何してる! 同行している「扶桑」や「山城」はこちらに発砲していないのか!」
 有賀は、あることに思い至った。距離一六キロメートルで、なぜか「武蔵」以外の艦が発砲していないのだ。
「見張りより報告、「武蔵」以外の発砲を認めず。他の艦は「武蔵」よりさらに西方を航行、増速中。まもなく二四ノットに達します」
「先行する「雪風」からも同様の報告が上がりました。なお、「雪風」は別隊列を追跡中」
 報告は他からも色々上がってくるが、全てが「大和」と「武蔵」の一騎打ちという状況を告げていた。
「本艦を「武蔵」が足止めしている間に、他が逃走を図るつもりでしょうか」
「普通に考えたらあり得んだろうがな。本艦と「武蔵」は帝国海軍の新たな象徴だ。俺が指揮官なら、「扶桑」と「山城」を囮にしてでも逃がすよ。……奴ら、最初からこっちを叩く自信があるって事だろ。それにしても一騎打ちとは、舐められたもんだな。それとも大した度胸だと誉めるべきかな。オイ、次は当てろよ!」
 砲術長は答えの代わりに発砲。第三射が送りだされた。訓練不足とはいえ、そろそろ相手を捉えてもいいころだ。
 しかし、「大和」の砲弾が「武蔵」を襲う前に、相手からの第三射撃が襲いかかった。
 有賀は、迫り来る灼熱した塊を正円で見た気がして、そこで意識が途切れた。

「有賀さん、「大和」艦長就任おめでとうございます」
 背後から落ち着きのある丁寧な声がした。
「なんだ、立花さんですか。立花さんこそこの「武蔵」艦長が決まったそうですね。おめでとうございます……それとも「大和」艦長の座を奪ったことを詫びた方がいいですかな?」
 声の主に、有賀は冗談を声色にのせて応えた。
 それに立花も乗ってくる。こうした余裕こそが海軍の良いところだ。陸軍ではなかかなこうはいかないだろう。
「まったくだ。いちおう私の方が年上なんだからね。それに一番艦てのは魅力的だ」
「そうですな。俺も内装のできがいい「武蔵」の方がどっちかっていうと好みです。上にかけあってみますか、艦長を交代させてくださいって」
 そう言うと二人は馬鹿笑いした。だが、チョットした事でもいいから笑いたい気分とでも言いたげな、少し空虚な笑いだった。
 昭和二十年度の海軍定例の人事異動が終わると、立花と有賀は共に世界最強の戦艦の艦長に就任した。
 片や当然、片や意外という人事だった。
 有賀の艦長就任は、海の男として過ごしてきた彼の経歴を見れば当然と見られた。だが、それまで閑職や目立たない部署に配され出世が大きく遅れていた立花の艦長就任は、表面上は意外として受け取られた。そして「大和」は海軍の象徴として常に実働状態に置かれる向きが強いのに、「武蔵」は色々な理由を付けてロクに運用予定が立てられていない点に、やはり戦争は負けたのだという気持ちを海部内に実感もさせた。
 そんな好対照の二人は、ひととおり笑い終えると、静かに桟橋を歩き始めた。
 今「武蔵」は呉の艤装桟橋にあった。艦橋の周辺部に増設されたばかりの高角砲や機銃の群によって、美しさよりも凶悪さが目立つ外見になっている。いっぽうの「大和」も同様で、一足早く改装の終わった「大和」の方は柱島に停泊している。
 だが、改装を終えた彼女たちは、しばらく開店休業が決定していた。二人の心ここにあらずといった内心の空虚さの理由でもあった。
「しかし残念です。今後一年艦長の任にあったとしても、まともに動かす機会があるかどうか」
 内心を吐露するように有賀が呟いた。一応たしなめるべき立花も、それに乗ることにした。少しぐらい愚痴るのが普通というものだ。
「じゃあアメ公に頼んで、イタリアみたいに連合国に加わって北海に押し掛けるか。今ならまだ欧州戦線に間に合うかもよ」
「冗談言わんでください。そりゃ流石に無理だ。今の帝国にそんな金はありませんよ」
「そうだな。けど貴様の口調を聞いていると、これから訓練もロクに出来ないっていうよりは、戦争が終わったことを嘆いているみたいだぞ」
「かないませんねえ。けど、立花さんこそ残念なのでは? 砲術の影の権威と言われながら、ようやく大和級の艦長に就任したというのに……」
 途中で声が小さくなった有賀だったが、気にする風もなく立花が受けて立った。
「なに、大和級は完成後ほとんど実際主砲を発射した訓練をしていないんだから、他の連中とたいして違いないよ。それに訓練については、絡め手で上にねじ込むつもりだ」
 ハハハ、じゃあ大和の分もお願いします。そう答えた有賀だが、愛想笑いの中で不意に思った事が口から出た。
「ところで立花さん、ご実家が大連にあるとは本当ですか?」
「あ、ああ。実家は片親が大陸での貿易商、もう片方が沖縄からの移民だよ。父は危うく養子縁組させられかけてね。そうなっていたら、私の名字は金城になっていただろうね……」
 立花の言葉尻が、突然の会話の変更にとまどっているようなので、有賀は付け加えた。
「あ、いや大連にご実家があると聞いた事があり、今後大変なのではと少し思いまして」
 立花が、なるほどと得心した。
「例の停戦提案の事か?」
「はい、アメ公は内地以外の多くを手放せと言ってますからね。大陸利権はすべて国府軍に返せというのではと思えて」
「確かに。それは私も同感だな。しかし、政府がそこまで譲歩せんだろ。何しろ民意がある。父祖が血を流し、今では数百万人の臣民が住んでるんだ。講和のすぐ後に内乱が起きるよ」
「そりゃ剣呑だ」
「けど、講和に納得しない奴は多いぞ」
「そりゃ、軍令部の神当たりが動いているって噂もあるし、陸式は例のごとくですが、御上の声には誰も逆らえんでしょう」
「果たしてそうかな? 帝国が力を残していると思っているのに、臣民の多くを路頭に迷わせるのかと思う奴は多いと思うぞ。俺だって、家族や財産は大陸だ。政府が弱腰なら……」
 少し温度の違う立花の声に、有賀は違和感を感じつつ混ぜっ返した。本能的にそうしなければ行けないと感じたのだ。
「立花さん、貴方までそんな事言わんでください。今は我々がしっかりしなければならない時期なんですから。内乱なんて事になったら、それこそ英霊に顔向けできません」
「確かに、皇軍相打つなんて冗談じゃないと思うよ。アメ公に今から突っかかっても、内地を焼け野原にするだけっだてのものね。……有賀、今の言葉忘れてくれ。軽率だった」
 そう言って軽く頭を下げた立花に、有賀はどこか危ういものを感じたが、それ以上問うことはなかった。
 だが心の片隅では、もう少し真剣かつ強く話し合うべきだと心のどこかが警鐘をならしていた。
 だが、そんな筈はない。この後起こることはまだこの時点で全く知らないのだ。
 これは夢だ。少し前の事を忠実に再現した夢にすぎない。証拠に、セミが大合唱するような喧噪が遠くから聞こえてくる。

「……ああ、大丈夫だ」
 耳鳴りばかりする雑音の中から、自分の名を呼ぶ者の声が聞こえたので応えた。
 だが、自分の声がよほど小さな声だったのか、周りがうるさすぎて聞こえないのか、有賀を呼ぶ声は続いている。
 だから今度は大声を出してみた。
「ゴホッ、ゴホッ」
 大声の代わりに出たのは、血を少しばかり含んだ咳だけだった。
「艦長ご無理なさらず。内臓が傷ついている恐れがあります」
 声の主は、ずっと有賀の側で任務を果たしていた通信長。有賀が横たわる側に座り込んでいる。
 そうしてしばらく、天井を中心にした周囲の情景をぼんやり眺めていると、時間が経つにつれて意識もハッキリしてきた。
「通信長、どうなった? 本艦、いやそれより「武蔵」は?」
「ハイ、本艦は約五分前の「武蔵」からの第三射が命中。その後さらに二発の砲弾を受けて、一時は大破漂流も危ぶまれました」
「そこまでやられたか。では、総員上甲板を命じるべきか?」
「いえ、沈没の心配は少ないと判断します。今指揮を取っておられる副長や内務長の判断も同様です。艦長が倒れられた砲弾は、第一艦橋そばを直撃した時のものです。その後も、第一砲塔前の無防御区画の喫水線近くと艦尾に命中。第三・第四主機室、発電用機関など主に機関区が破壊されています」
 そうして損害報告を始めた通信長の報告を要約すると、ボイラー二基の完全破壊、主機室半減に、艦首部浸水という損害による速力が大幅低下。そして艦尾の主舵室直撃によって航行能力が大きく低下していた。
 何とか自力で動けなくもないが、速力は八ノットが限界。操舵能力も大幅低下していてはどうにもならない。大破漂流という言葉も大げさではなかった。一時的にはそうなっていただろう。
 そして「大和」の戦闘力は発電力の低下によりさらに低下し、人に例えるならよろばうように歩くのが限界といったところ。時代劇なら、太刀を杖代わりに歩く落ち武者のようなものだ。
 また艦橋に大きな衝撃を呼び込んだのは、ボイラーの二次爆発によるものだ。これが魚雷命中などの浸水によるものであれば、水蒸気爆発で「大和」といえどどうなっていたか分からないだろう。
 現在でも破壊されたボイラー近辺では、文字通り命がけの応急作業と消火作業が行われている。
 そして通信長の説明が終わろうとした頃、見張員が報告してきた。
「「武蔵」より発光信号を確認。「ヤ・マ・ト・ヘ・サ・イ・カ・イ・マ・デ・ソ・ウ・ケ・ン・ナ・レ」、大和ヘ、再会マデ壮健ナレ以上です」
「再開まで壮健なれか……クソっ、次「大和」と会う時は、自分たちの味方だと言いたげだな。完敗だよ立花大佐」
 有賀は「武蔵」からの通信を繰り返しながらゆっくり起きあがり、そして「武蔵」の方に視線を向けた。
 「武蔵」は小さな煙りをたなびかせていた。
 どうやら一矢は報いたらしい。小さな満足感をいだきつつも、闇にとけ込む寸前の「武蔵」の姿は、彼女ばかりか日本そのものが再び闇の中に突進しているようにも見えた。

「「大和」速力低下、進路逸れます。発砲も第六射以後停止したままです」
 見張りからの報告を聞きながら、四代目の「武蔵」艦長になったばかりの立花清大佐は、感慨深げに自らの分身の姉の姿を見ていた。
「見事でもしたな、さすが砲術の影の権威」
「なに、運が良かったんだ。それよりも、本当にこれでよかったのか神大佐」
 立花の少し後ろから状況を見ていたちょび髭の男、神重徳大佐は、満足げな顔をしていた。だが、「大和」を撃破した当の立花は少し複雑な表情だ。
 闇夜でもそれが分かるのか、神が先回りするように断言した。
「皇軍相打つは、私としても望むところではありません。同じ鉄砲家として、海軍の至宝同士が相打つ事も同じです。だがこれも成すべき事の為。是非もなかです」
 最後は感情が勝ったのかお国言葉になっていた。
 だがそれも当然だろうと立花は思った。
 しかし、神の思う所は少し別の場所にあるらしい。姿勢を少し正して続ける。
「あの停戦条件を呑む事は、帝国、いや日本人の魂の敗亡を意味します。連合国が第一の条件として提示した国体護持の約束も怪しいものです。そして条件を鵜呑みにした小磯内閣など、帝国軍人として認めるワケにはいきません。立花大佐もそう思われたからこそなのでは?」
「神大佐、私の事は気にするな。今回の件に参加すると決めたのは私自身だ。停戦条件が降伏も同じだという意見にも同意するよ。それに私は、こう見えても利己主義者なんだ」
 真面目な面構えに少し面白みを加えた顔を神が向けていた。皇軍相打つという状況に、神をして雑談をしたいぐらいの心理にしていたのだ。
「知りたいか? だが、貴官は私を軽蔑するかもしれないな。……私の家族や一族のほとんどは満州や大陸にいるんだ。分かるだろ、今回の講和が成立したら無一文になるのさ。だから、家族の生活を守るため参加したんだよ。それより神大佐、噂じゃ東条さんを暗殺してでも引きずり降ろさねばならないと行動していたそうじゃないか」
 自分が確信犯だと言ったところで、自らが強く責められないよう、立花は神の機先を制した。
「確かに、東条内閣に戦争完遂の能力なしと判断したのは事実です。だが、私が望んだ連合国との停戦や講和は、今回のようなものではありません。帝国軍はもう一戦して勝利を掴む事で、講和への道を作るべきなのです。そしてそれは、ここから始まる。本職はそう考えています。このままでは大和民族の魂が滅びてしまいます。それは何としても受け入れることはできない。それが私の揺るぎない信念です」
(信念、ね。聖戦完遂とか唱えないだけマシかな)
 神大佐自身が本当に自分で納得しているのか怪しいなと思いつつも、立花もそれ以上語ることなかった。ただ、会話がかみ合わないと感じたので口を閉じ、過ぎ去りつつある燃え盛る「大和」を遠望することにした。
 周囲では、「大和」が三度目に放った砲弾の後始末が続いている。
 そしてそれこそが「武蔵」が急速に離れることになった最大の原因だった。「大和」に打電した去り際の通信は、自らの不利を誤魔化すための欺瞞にすぎない。
 だからだろうか、しばらく沈黙していた神大佐が立花と同じように周囲を見渡してから無念そうに呟いた。
「不沈戦艦とて目をやられてはどうにもならんか」
 神の言葉に、同じ鉄砲屋としての神に対して少しだけ好意を取り戻した立花は、彼の戯れ言に付き合うことにした。同じ話をすなら、鉄砲と軍艦の話しの方がいい。
「ギリシャ神話に出てくる無敵の戦士アキレスにも弱点はあった。神話ですらそうなんだ、人の作り出したものに無敵や不沈なんてないよ」
「それはそうですが、たった一発の砲弾で方位盤がリングごと狂うとは……無念だ」
「距離一五五(15500メートル)で四六センチ砲を受けて、それで済んだと考えるべきだろ。「大和」を見ろ、たった数発で満身創痍じゃないか。それに比べてこっちは運もよかったよ。撃ち抜かれた場所がたいしたものがない場所でね」
「確かにそうです。だが、これで「武蔵」は積極的な作戦参加は不可能になった。作戦を乙案に変更、海軍主力をこのまま帝都から引き離すべく満州に向かいましょう。それに向こうに着いたら多少の修理もできるでしょう、そうしたら仕切直しです」
「了解した。……ところで修理というが、向こうにこのでかいケツが入れる場所はあるのかい?」
「残念ですが大陸にまともな軍港などありません。当然ですが大きなドックもありません。しかし、大連が辛うじて接岸できる筈です。あそこは大陸最大級の貿易港ですから」
「やはりそんなものか。まあ、ドックで整備したばかりだ。半年や一年ドックがなくても構わんだろう。何とか方位盤が修理できればそれでいいさ。どうせすぐ戻るんだろ」
「ええ、満州じゃあ、内地に気取られないように空挺部隊を中心に準備が進んでいます。今頃は作戦が決行されている筈です。日本が在るべき道に戻る日もそう遠くないでしょう。我々も大和を抑えるという目的は達しました。今は後退しても問題ありません」
 そのあと神が元気そうに話すのを立花が適当に相づちを打つが、立花とクーデター派との利害が一致する限り付き合い続けるつもりだった。
(そう、俺は俺の利己目的のために陛下と帝国に刃を向けた。悔いるつもりはないが、果たして戦い続けて望むものが得られるのだろうか)
 突き詰めてしまえば、立花の不安はその一点にあった。彼は楽天家でもないし、むしろ学者肌の理論家だった。今回の戦法も、近接戦こそ今の帝国海軍の艦艇が取るべき唯一の方法という持論を実践したに過ぎない。つまり、彼にとって勝算の大きな戦闘だったのだ。
 だが、この時の軽挙妄動が彼自身の人生を大きく変えてしまうばかりか、歴史にまで大きな影響を与えようとは考えもしなかった。
 彼が思った事は、自分の得意分野でもあった戦史に関する事だった。
(後世じゃあ、俺たちのこの行動はどう判断されるのだろう。やっぱり世界史上じゃあ、ろくでもない書き方されるんだろうなぁ)




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